第223話:複雑に入り組む混沌
一足早く騎士の仕事をしていたのは何も、クルスだけではない。
デリングもまた自らの希望もあり、すでに姫の御付きとして現場に投入されていた。夏休みだけではなく、その後も断続的に、学校を休みながら仕事に励むこととなる。それ自体に不満はない。すべきこととしたいことが重なったのは幸運である。
だが、
「……ふー」
だからと言って上を目指すことを諦めたわけではない。ユニオンに入るだけが道ではない。ディンのように外側へ攻略法を求めることだけが正解でもない。
幾度も自問自答した。
そして、自分にはこれしかないと結論が出た。そもそも色々とやれるほど自分は器用じゃない。やれることなど、最初から決まっていた。
「刺ッ!」
突き。早く、速く、鋭く、精確に、中心を穿つ。
「……まだまだ」
一朝一夕で水を穿つことなど出来ない。ゆえにデリングは遠回りを選択した。クルスの水、それは流れ続けて初めて化けられるものである。ディンは流れを止める方法を模索した。デリングは流れを止めることなく、
「次は、こうッ!」
流れの中心を、流しようがない場所を穿つ、ただそれのみを磨くことにした。突きの基礎速度を上げることも重要、今のままでは何をしても届かない。
だが、この突きの本質は速さではない。
イールファスの存在から着想を経た、後出しの変化突きである。今、彼が訓練しているのはあらゆる方向から突きを放ち、その全てを中心に向け変化させ、穿つ練習である。突きの精度を上げつつ、目標は如何なる場所からでも中心を穿つことのできる突き、であった。遠大な計画であるが、モチベーションは高い。
デリングは何も諦めていない。自ら選んだ道を突き進む。
御付きとして全霊を傾けることと騎士として頂点を目指すことは矛盾しない。
ユニオンに入らずとも、
「ふぅ、もう一度」
自分はデリング・ナルヴィであり、何だかんだと負けず嫌いであるのだ。
○
居酒屋を出て彼らは用意された宿舎へ向かう。其処で仮眠を取り、二十四時間交代制で隙間なく姫を守るのだ。ただしクルスのみ夜勤は存在しない。御付きとして日中、常にソフィアのそばに控えていなければならないから。
特に公の場であれば必ず。
ゆえに夜はまあ、多少フリーである。
酔っ払いと共に公園に立ち寄るぐらいは――
「今は酒の席の延長線だぞ、リンザール」
「まだ話し足りませんか?」
「ああ。君のことは嫌いだが、同時に優秀だと認めている。私を、一族を救ってくれた恩もある。だから、耳を貸せ」
「……?」
「今回の暗殺、私はディクテオン殿の仕掛けだと思っている」
「……え?」
「姫様の初外遊、いや、外交だな。本当は小麦じゃなかった。もっと角の立たぬ品目だったんだ。だが、ディクテオン殿がねじ込んだ。小麦だぞ、その国の生命線だ。そりゃあアカイアは明らかに苦手だし、テウクロイも得手とはしていない。それでも、それでも主要の穀物をぶち込むのはやり過ぎだ。方々、恨みを買う」
「何故、あの御方はそんなことを」
「そりゃあ国内随一の穀倉地帯を抱えるからな、ディクテオン領は。目先で見たら関税が下がるのは痛く見えるが、その分以上の流通量を確保できればむしろ得。その目算があったのだろう。実際、先だって耕地の拡大を行っているとも聞いた」
「ならば、逆では? 今回の件が上手くいってほしい立場だと思うのですが」
「ところがどっこい。王家の状況がそう簡単じゃない。イリオスは再建したアルテアンが百年前名を変えた国だ。その時は女王で、今も男女どちらでも王に据えることが出来る。ゆえに王家はソフィア姫を女王とする気だ。他の兄弟は皆、生まれてすぐ亡くなった。直系はあの御方しかいない」
「ディクテオン……まさか」
「そのまさかだ。直系じゃなければ、王家の血を引く者はいる。ディクテオン殿にはすでに王宮入りしている優秀な息子がいる。年が離れ、抜けた、おっと、変わった娘とは違い、極めて優秀な貴族だ。そして、政治の世界は残念ながら男社会、女王ではなく王を求める声もある。殿下に万が一が起きれば――」
「次は、その人物になる、と言うことですか」
「そういうことだ」
玉座を狙い、小麦をねじ込んだ。自分が得をする形、自然な流れでそうしたが、実際はソフィアの命を狙い、金ではなく王権を狙う。
道理ではある。最悪な道理であるが。
「姫が生きても死んでも勝てる人物。私にはとても怪しく見えるがね」
「……酒で流しておきます」
「ああ、そうしてくれ。明日も早い、そろそろ戻ろう」
「イエス・マスター」
イリオスを知らないクルスにとっての盲点。確かに小麦は少し大きくないか、とは思っていた。レムリアのような一部地域を除き、ミズガルズの主流は小麦によって作られるパン食である。米食の地域でもパンはよく食べられている。
そんな品目を初外交の小娘に任せるか、とは引っかかる部分ではあったが、ヨナタンの話で少しだけ氷解した。
イリオスの政治は一枚岩ではない。仲良く見えた王家とディクテオンですら、水面下では権力争いがある、のだろう。
そして、どちらでも勝てる体制なのはヨナタンの言を信じれば確かにディクテオンになるのだ。だからこそ――
(そう、どちらでも勝てるのなら、俺なら何もしない。まあ、裏で本命に傾くよう煽るぐらいはするかもしれないが、わざわざリスクを冒し仕掛けるのはよくない手に映る。あの男がそれをするか? そうは、見えなかったが)
クルスの中でディクテオンは外れる。野心は否定しない。ただ、どちらでも勝てる状況の時点で、そもそも彼は王家との勝負に勝っているのだ。
なら、先日の件は白に思える。
(とは言え、少し難しくなったな。ディクテオンが動かずとも、王を擁立したい者たちが勝手に動く可能性は充分に考えられる)
釣れた、とクルスは思っていた。十中八九、あの仕掛けは内部犯である、と。騎士団かそれにかかわる貴族らが、国内の割を食う者たちに情報を流し報酬を得て、あの襲撃を計画した、と。実際、あの仕掛けはどの列車、どの車両に乗っているか、すべて把握していなければできない芸当である。
しかも二号車に、最初から老婆を仕込んでいた。
誰かが裏切り者なのは間違いない。ただ、これからの仕掛けを捌きつつ情報を集め、本国に戻れば絞り込めると思っていたのに、敵が増え過ぎてとてもではないが国の中身を知らぬクルスには暴き切れぬ案件の可能性が出てきた。
(思っていたよりもずっと……敵は多い、か)
味方すら、見方を変えたなら敵に映る。
政治の世界は恐ろしいな、とクルスは思った。進路の件も含め、何も背負わず剣のみに生きることのできる自分は恵まれている、のかもしれない。
○
「いやぁ、酒が美味い!」
「うまぁい!」
ディンとミラがグラスを打ち付け夏休みだから、とぐびぐび酒を飲む傍ら、ソロンはバーの隅で酒を嗜む者に目をやった。
少し離れたところに妙な気配の護衛もいる。周囲に気取られぬよう一定の距離を保ち、つかず離れずを保っているが、輝ける男の眼は誤魔化せない。
ソロンは立ち上がり、
(……やはり反応した。まあ、あちらは問題ない。問題は――)
バーの隅へ赴く。
そして、
「初めまして、ドクター・イスティナーイー」
「おや、ボクを知っているのかい?」
二人は邂逅する。
「学術誌で拝見しました。アカイアへは何用で?」
「観察だよ、マスター・グローリー」
「何の?」
「そりゃあ君、研究に決まっているじゃないか。ボクのライフワークさ」
「ほう、それは楽しそうですね」
「もちろん。最高に楽しいよ」
笑顔の二人。表面上、互いに友好的であるが――
((気に食わないな、こいつ))
どちらも何故か、目の前の存在が受け付けられなかった。
理由は、まだわからない。
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