第222話:酒で流せ

「リンザールは酒を嗜むのか?」

「……アスガルドでは十六から飲めますが、慣例的に卒業までは公の場で控えるようになっているはずです」

「建前だろう、そんなの」

 きょとんとするイリオスの騎士ヨナタン。実際、飲酒の年齢に関しては各国色々と定めているが、それを国民が順守している国の方が少ないのは事実である。特に娯楽の少ない田舎ほど飲酒は早い。もっと言うとゲリンゼルは水質が良いためそういうことはないが、水質の悪いところは飲み水として酒を幼少期から飲む。

 そうしないと飲み水を確保できないから。そういう国では水よりも酒の方がずっと安価であり、酒の味も悲惨になるのは余談である。

 そもそも映画などの娯楽が広まる現代はともかく、少し前ともなると娯楽がないから飲むしかねえ、と如何なる法すら民を縛れぬ時代もあった。産業の発展、娯楽の増加により都市部では法令を遵守する優等生的な国民も増えつつあるのは、素晴らしき魔導革命の成果の一つと言えよう。

 かつて、禁酒により魔族そっちのけで血みどろの戦争が起きた時代もあったほど、避けは民にとっての癒しであり、代え難き娯楽であったのだ。

 と言う話はさておき、

「え、本当に飲まないのか? ゲリンゼルの出だと聞いたが」

「兄は十から周りに合わせて飲んでいましたが、自分は一切口にしていません。自分の師から、飲んでも良いが手元を狂わせたらその日は終わり、と言われたので」

「へえ、変わった師匠だな」

「それは否めませんね」

 騎士と酒、これまた話すと長くなるほど、両者には密接な関係がある。いつ死んでもおかしくない戦場において、酒の存在は気分を高揚させると共に死への恐怖を薄れさせてくれた。まさに友と呼べる関係性であったのだ。

 が、これまた魔導革命と、強烈な堅物かつ下戸のマスター・ウーゼルが騎士の頂点に立ち、そんなもので恐怖を誤魔化すは騎士にあらず、と言い切ったことから風潮が少しずつ変化し、今では勤務中は控える、という流れとなった。

 それでも騎士たちは皆酒が好きである。飲み会をこよなく愛するし、飲めない騎士は少し下に見られることもちょくちょくある。

 恐ろしきアルハラは未だ消えず、このミズガルズを覆っていた。

「まあ、飲みたくない奴に強制しないのはうちの流儀でもある。その辺は補佐が副団長と一緒にかなり手を加えたそうだ。もう一人の補佐が愚痴ってた」

「先進的ですね」

「合理的なことが好きなんだよ、補佐は。あとマスター・ウーゼルの信者だ。堅物同士、惹かれ合うものがあるのかもしれないな。あ、大将ビールと……何を飲む?」

「では、炭酸水を。それにレモンを絞っていただければ」

「大将、それで」

「はいよ」

 注文してほどなく、カウンター席に座る二人へ飲料が届く。

 キンキンに冷えたビールと同じくキンキンに冷やされた炭酸水。氷も入っており、もうその光景だけで一昔前なら驚くほど、産業は進歩している。

 こんな場末の居酒屋でも、当たり前のように冷やすことも出来る設備が行き届いているのだ。ほんの少し前は氷売りが街を闊歩していたというのに。

 今は少しずつ、氷で冷やしていた冷蔵庫と共に彼らは姿を消しつつある。

 魔導革命の功罪、であろう。

 誰かが幸せになる時、誰かが割を食う。世の中の多くはそういう風に出来ているのだ。ただただ皆が幸せになることなど、なかなか存在しない。

「乾杯前にまず……先日の件、本当に助かった。君がいなければ今頃私は一族と共に謝罪、では済まなかっただろう。感謝する」

 素直な謝罪にクルスは少し驚く。クルスが今回の仕事に参加した経緯と彼の立場を思えば、一筋縄ではいかないだろう、と思っていたのだ。

 これから少しずつマウントを取ってやる、とひそかに画策していたほど。

 それなのに一発目から謝辞を述べるとは――

「……騎士としては難しいところです。弱きを助けるのが騎士で、相手はそれに擬態していました。普通は迷いますよ」

「でも、あの時君は迷わなかった」

「それは自分の場所からは老婆であることが目視できなかったからです。とにかく物音から状況を判断し、咄嗟の対応がハマっただけ。あんなの偶然ですよ」

「なら、君が私の立場ならどうしていた?」

 ヨナタンの問いにクルスは少し考えこむ。立てるか、本当のことを言うか。

 その惑いを察したのか、

「酒の席での話はすべて流す」

「……それも騎士団の流儀ですか?」

「いや、私の流儀だ」

「……なるほど。後からなら何とでも言える。その前提のもと、自分ならあの老婆を近づけさせる、と言うことはあり得なかった、と思います」

「それはあの老婆が刺客だと見極められたから、か?」

「いえ。単純な優先順位です。自分に仕事を教えてくれた人は、クライアント第一、他のゴミは、失敬、他者は一つ優先順位を下げろ、と言っていました。老人、子ども、尊ぶべき相手ですが、クライアントに害する恐れがある場合、力ずくで排除せよ、と。場合によっては斬ってもいい、とまで」

「……た、民だぞ。そりゃあ、結果としてあの老婆は刺客だったが」

「クライアントの金払い次第ですがね。あえて守らない、と言うのも一つの手。もちろん最後の一線は止めつつ、危険に直面させ改めて交渉する。もっとしっかり命を守ることのできるプランがありますよ、と」

「……ほ、本当に騎士か、その人は」

「自分が知りたいですよ。でも、あの男の言葉は正しくて、今の自分にはそれを曲げる力がない。だから、従うしかない。それだけです。まあ、真似をする必要はありませんよ。俺だって、否定できるものなら否定したい。あの男の全てを」

 クルスの表情を見てヨナタンは怖気が走る。教わったとのことから勝手に師弟関係を想像していたが、どうやらそう単純でもないらしい。

 明らかに殺意に近い感情を彼は抱いている。それが見えたから。

「……今後は再発せぬように努めるよ。優先順位に関してはその通り過ぎてぐうの音も出ない。いつまでも教科書通りじゃ困るって、よく補佐には言われているから」

 弱きを助けよ、これは騎士の原理原則であり、柱である。だからこそ騎士は時に自分たちを雇う国と弱き民に挟まれ、苦悩することになる。

 取るべきはどちらか、を。

 それが揺らげばフィンブルのようなことになるのだが――

「でも、強くは言われなかったでしょう?」

「まあ、補佐達も抜かれてはいるからな」

「ふふ、ですね」

 結局あの場で最適な行動を取れたのはクルスのみであった。弱き者への擬態、老婆の姿が混乱の中で彼らの判断をかき乱したのだ。

 騎士のジレンマすら利用して。

 まあ、クルスなら抜かせなかったのは事実。暴れても容赦なく制圧できたし、そうでなくとも今更殺すことに躊躇はない。

 フィンブルでの経験、それから先にも似た案件をこなした。クライアントのため、弱き者を容赦なく斬った。教科書はもう、頭の中にないのだ。

 それは贅肉だと、あの男が言ったから。

「込み入った話とは今の話ですか?」

「いや、今のは序の口だ。まあ、まずは乾杯」

「乾杯」

 グラスを合わせ、ヨナタンはぐびっと酒を一気にあおる。この男、見た目に寄らずどうやら酒豪寄りであった。後から聞くとどれだけ飲んでも寝たら全部抜けるそうで、むしろ寝つきが良くなり調子が上がる、と訳の分からない体質を持つ。

 酒は体質次第、身体と相談して飲みましょう。

「早速だが、私は君が嫌いだ」

「……早速ですね」

「わかっていると思うが、酒の席での話は――」

「水に流せばいいんですね」

「いや、酒だ」

「……どっちでもいいでしょ、其処は。で、理由は何ですか?」

 自分がその流儀とやらに則るわけじゃないがな、と心の中でクルスは付け加える。意外でもないがこの男、かなり根に持つタイプであるから。

「理由は二つだ。一つは君が御付きのオファーを受けたこと。知っての通り、私は御付き候補だった。それこそ学校に入学時から、な」

「それについて自分はあくまでオファーを受けただけですし――」

「わかっている。君個人に思うところがないわけではないが、どちらかと言えば振り回してくる外野の方が嫌いだ。私の人生を何だと思っているんだ、まったく」

 早々にビールをおかわりし、矢継ぎ早に着たそれを一気に飲み干す。そしてすかさずおかわりを頼む流れは、ノアにも匹敵する速さであった。

「思うところがないわけではない、ですか」

「うむ。単刀直入に聞くがな……君は御付きになる気があるのか?」

「……もちろんですよ。進路の一つとして検討したいので、今回のお仕事に加わっているわけですし、先のことがどうなるかはわかりませんが」

「副団長と補佐の会話を聞いた。君のことで少し口論している様子だった。補佐は君が来るわけがない、オファーを取り下げるべきだ、と言っていたよ」

「対抗戦を見て、ですか?」

「いや、それより少し前だ。君の成績が上位三名に食い込み、代表入りが決まるかもしれない、とかそういうタイミングだったはず。まあ、あの対抗戦を見たらそりゃあうちには来ないと思うよ、私だって馬鹿じゃない」

「……」

「酒で流すから教えてくれ」

「……流れますか?」

「流す」

 それが自分の流儀だ、とヨナタンは真っすぐとクルスを見つめる。本当ならここは誤魔化すべきであるが、クルスはその真摯な視線に折れる。

『意思が雑魚やな、ジブン』

(死ねカス)

 あの男なら絶対に折れず、鼻で笑い流していたのだろうが――

「イリオスに戻る気はありません。ユニオンに行きます」

「素面なのにはっきり言うなぁ」

「流してくださると聞きましたので」

「騎士に二言はない。と言うか、私だって察している。だから、君が嫌いだったんだ。入る気もないのに、よその家を荒らしに来たから。で、理由は?」

「……入りたい騎士隊があります。それを確実にするためには、ユニオンに頭を下げさせないと駄目なんです。オファーを、出させないと」

「……確か、君の代はすでに」

「ええ。三つ出ています。毎年一つ出れば当たり年の、そういうものが三つも。その時点で前代未聞、四つ目の用意など彼らにはない」

「なるほど……箔付けのため、か。よく考えるなぁ。まあいい。野心家は嫌いじゃないんだ。自分がそう成れないから。と言うか、この仕事をこなしただけで出るのか、それ。所詮駅弁卒の騎士が大半を占める国だぞ」

「まあ、箔付けの一環、ですかね」

「ふーん」

 この話を深堀していくと、クルスが危険を待ち望んでいることがばれてしまうが、其処までは頭が回らなかったらしい。

 よく考えずとも結構ひどい話である。

「それで、二つ目とは?」

「ん、ああ、イリオス出身の君が御三家アスガルドに入ったから」

「……は?」

「いいなぁ、って」

「……それだけ、ですか?」

「うん」

「……」

 思ったより数倍シンプルな嫉妬であった。さしものクルスもこれは予想できない。いくつもパターンを考えていたが、全てが瓦解した。

「君はジョルジュ・カミュを知っているか?」

「いや、存じませんが」

「私の憧れだ。ブロセリアンドの卒業生で今は騎士団長のはず。あの『黒百合』の騎士と同期なのだ。しかも首席だぞ」

「今、第三の隊長を務めるほどの人物に……凄いですね」

「いや、まあ、あの御方は座学にやる気がなく、それで成績を落としていただけらしいが……それでも渡り合うだけの実力者だった。そんな彼がある日、とある村に派遣され……続きは彼の本を読んでくれ。騎士なら必読の名著だ。その一件で腕に若干後遺症を残したが、それでも今なお現役。素晴らしい騎士だ」

「……話が見えないのですが」

 クルスが早く本題に入れよ、と促す、と言うか急かす。

 が、この男察することなくまたおかわりを飲んだ。酒豪とかいうレベルじゃない。剣よりも酒の才能があるだろ、とクルスは思う。

「つまり、私はブロセリアンドに入りたかったのだ」

「……はぁ」

「だが、それは許されなかった。挑戦すら……こっちは入試のために猛勉強をしていたんだぞ。落ちた時のために私立の名門も併願する予定だった」

(……あっ)

 ようやくクルスの中で話が繋がった。

 先ほどはシンプルな嫉妬に驚いたが、其処にも一応理由があったのだ。

「ある日、私は御付きの候補になった。いや、厳密には姫様が生まれた時点で、リストアップはされていたのだろう。丁度いい年齢で、それなりの家柄、ただそれだけだ。ただそのタイミングで、シリーの家に生まれたから……必死に入試の勉強をして、実技試験のために修行に明け暮れて、その結果候補の序列が上がり、見事お声がかかった。お家は大狂乱、やった、やったの大合唱。嫌だ、何て言えるかよ」

 酒を飲む。それでもヨナタンの表情には流し切れない、様々な感情が入り組んだ色が浮かんでいた。

「御付きはイリオス卒が好ましいだろう。別に王家がそう指定したわけじゃない。父上が勝手にそう考えた。で、準御三家から地元の駅弁へ。やる気なんかクソほども出ないけど、それでも家の明日がかかっている。だから、毎年首席は確保したよ。駅弁の首席に何の価値があるんだ、とは思うけど」

 環境が人を作る。今の彼を見てその道を諦めて正解だった、と言うのは簡単である。だが、クルスにはそれが言えない。御三家アスガルドの黄金世代、最高の環境を享受し、最高の結果を出した自分。別の道でも、と思うほど傲慢ではない。

 彼にその可能性がなかった、と言えるほど自己評価も高くない。

 そもそも、芯の部分で彼は、その道に進んだ時点でモチベーションを失っていたのだろう。それが今の剣に繋がっていただけ。

 自分が憧れた学校に、挑戦して入った彼を知ることは出来ない。

「だから、何のしがらみもなくアスガルドに入れた君が嫌いだ」

「……納得しました」

「納得するなよ。君には関係ない話で嫌われているんだ。最低だろ」

 ヨナタンは髪をかきながら、やはりまた酒を飲む。

「以上、二つの理由から私は君が嫌いだ。だがね、そんな自分が一番嫌いなんだよ。ずっと前から、言い訳ばかりで……口にも出せない」

 御付きに対する執着はない。むしろ憎悪すら抱いている。だが、それに人生を曲げられ、その道を進んだ先に、突如クルスが現れたのでは頭もぐちゃぐちゃになるだろう。なら、自分は何のために志望校を変えたのか。憧れを捨てたのか。

 何のために、そう考えることは自然である。

「くそ、どうして私は、いつも――」

 酒でも流せない、度し難い感情。

 重く、鈍く、そしてこれから先ずっと、御付きになってもならなくても、彼の心にしこりとして残り続ける。

 後悔の念が消えることはない。

 自分が恵まれた環境に生まれたとは思わない。だが、デリングやヨナタンのような人を見ると、富めるはずの彼らの方がよほど不自由で、不幸せなのでは、と思ってしまう。それはきっと間違いであり、間違いではないのだ。

 富者、貧者、どちらにも苦悩はある。ただそれだけのこと――

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