第220話:隣の車窓から

 アカイア、テウクロイの順で回るイリオス王女による外遊。上っ面だけで見れば王女が適齢を迎え、とりあえず諸外国へ顔見せに出向く一環にしか見えない。

 されど、その実態は違う。

 イリオス側は両国に小麦の関税を引き下げさせ、アカイアからは鉄を、テウクロイからは魔導関連の基幹部品を、それらの関税を引き下げる。

 アカイア、テウクロイ側でもそれぞれ両国にとってうまみのあるやり取りが行われている。ゆえに三国の、統治者にとって此度のやり取りはプラスしかない。

 ただ、統治者の、大多数の利益は必ずしも全体の益となるわけではない。むしろ、経済における多数派の益とは少数派の損、となるケースが多いのだ。

 少数派と言ってもその国における一つの産業が相手、決して楽観はできない。

 それは――

「四、五発目は任せましたよ」

「「イエス・マスター」」

 出発の時点で嫌でも見てとれた。普段の外遊であれば出発も民に見送られるなど、ちょっとしたパレードの様相を呈するものであるが、今回は厳戒態勢の中、お忍びでの出立となる。その上、五便の先頭車両を貸し切り、それぞれ騎士に封鎖させた上でどの便に王女が乗っているのかわからなくする策も取った。

 王女が乗るのは三便目。すでに二便は先行し、残りの四、五便も彼らと同様に乗り継ぎ、中継地点の駅までは王女を護衛する体で配置につく。

 王女の位置が確定している出発のタイミングが一番狙われる、と考えた上で、出発時点ならばイリオスの人員を多く動員できることもあり、警戒に警戒を重ねた大仕掛けであった。まずはアカイアまで、刺客がいるいないにかかわらず何もさせない。

 そのイリオス側の意地が感じられるやり口である。

「殿下、御手を」

「はい」

 ただし、当然だがこの場で王女、ソフィアだけはこの大仕掛けを知らない。彼女の移動にこれだけの負担がかかっていると知られては、プレッシャーを感じてしまうかもしれないから。彼女にはあくまで先頭車両を貸切ることのみ告げている。

 傍を守るは副団長マリウスと御付きのクルス。

 全体の作戦指揮を執るのはユルゲンら、となる。

「何度乗っても列車はわくわくしますね」

「わかります。自分も未だに列車と船での移動は楽しみです」

「そうですよね、マリウスはどうですか?」

「はっはっは、私もですな。いくつになっても旅は楽しいものです」

「ですよねぇ」

 楽しそうに微笑むソフィア。大役を担う彼女に負荷をかけない立ち回りが、クルスとマリウスの役割である。

 毛ほどの不安も与えず、常に優雅に、常に穏やかに、彼女の話し相手を務める。

 無論、

(……乗車時、妙な輩はいなかったな。まあ、乗るなら別の駅か)

 常に警戒は緩めずに、である。


     ○


 王女を乗せた列車はつつがなく王都の駅を出発した。この便に乗るメンバーが今回の外遊における王女の護衛として最後まで行動を共にする者たちである。

 副団長マリウス・バシュ。

 副団長補佐ユルゲン・コストマン。

 同じく補佐ヴィルマー・アイヒンガー。

 そして、あと数名の騎士と御付き候補であったヨナタン・シリー。

 これが騎士団の編成である。ここにクルスが加わり、これからの王女が行う公務をつつがなく遂行させる。彼女を安全に守り抜く。

 それが彼らの仕事である。

「あの、補佐」

「「なん(ですか)だ?」」

「あ、すいません。マスター・コストマンの方、です」

「おいおい、恥かいちゃったじゃないの。ま、相談ならユルゲンだわな」

「い、いえ、そんなつもりは」

 同じ役職がいる場で呼びかけてしまったことを御付き候補である若手のヨナタンは恥じ入る。扉の影でヴィルマーが見えていなかったのだ。

 この二人の関係は少し厄介であり、騎士団内でも気を遣う者が多い。イリオス卒のヴィルマーとアスガルド卒のユルゲン、そして彼らは二つ違いの先輩後輩でもある。年上なのに同じ役職かつ、次の副団長がユルゲンと目されている状況。

 表向きは上手くやっているよう見えるが、裏でどうなっているのかはわからない。特に御付き候補として近衛的な仕事が多いヨナタンからは見えない部分である。

「それで、私に何の用ですか?」

「その、ここまでの仕掛けをするなら便一つ貸し切ってしまえばよかったのでは、と思いまして。そうすれば乗客を他に乗せる必要もなくなりますし」

「あ、俺と同じ疑問を浮かべたな。愛いやつめえ」

 ヴィルマーは嬉しそうに同じ学校卒であるヨナタンの頭をぐりぐりと撫で回す。この二人、性格から色々含めて正反対なのだ。

「部隊長以上には伝えておりますが、これは姫様の安全をより確実なものとするための策です。便一つ丸々貸切る案も出ました。私もそうすべきと思いましたが、それでは不十分と指摘を受けましてね。その理由を聞き、今回の案を採用しました」

「理由、とは?」

「貸し切りの列車は一目瞭然、列車そのものへの襲撃を考えた場合、偶然同乗する者たちよりも、そちらの方がよほど怖い」

「あ、まさか――」

 ヨナタンの脳裏に過ぎるは自分の席を奪わんとする学生の姿。

「あの坊や、とんでもないなぁ。副団長激推し物件だし、絶対ひいき目だと思ってたんだけど……ありゃあ本物だわ」

「まあ、あの人はそういうところありますからね」

「全体的に甘いんだよなぁ。ま、其処が人徳で、人望なんだろうけど」

 クルス・リンザール。自分が参加を許されなかった各便の隊を率いる部隊長以上が参加する会議に出て、今回の作戦、その全体を作り上げる仕事に一役買っていた。

 それはもう、学生の領分を遥かに超えている。

 普通、インターンや研修じゃお客様扱いが普通。どれだけ優れた人材でも戦力に数えたりなどしない。騎士団の沽券にかかわるから。

 それでも戦力と見做すなら、よほどスペシャルである必要がある。

「れ、列車への襲撃なんて、この速さで動いているんですよ?」

「俺もそう言った。なかーま」

「そういう可能性も考慮すべきと彼は言っていましたが、それ以上に私たちも納得した理由は、線路への細工です。これは、列車である以上致命的となります」

「あっ」

「便が特定されていれば線路への細工など容易です。どうやら彼は列車でよほど嫌な思いをしたようですね。満場一致でしたよ、何人か顔があれでしたが」

「ぶは、めっちゃ笑えたよなぁ。苦虫噛み潰し過ぎ、そんなんだから役職つかないんだって、って感じ。最後はマリウスのとっつぁんが丸め込んで終わり」

「……」

「結構差、でかいぜ。大丈夫か、ヨナ坊」

「し、心配無用です! 疑問に答えていただきありがとうございます! これより配置に戻りますので、失礼!」

 顔を真っ赤にして身をひるがえす後輩を見て、ヴィルマーは苦笑する。

「あれも出世、苦労しそうだな」

「どうですかね。私はそれなりに期待していますが」

「でも、推しはあのリンザールだろ? 直の後輩だし」

「彼はイリオスには来ませんよ。今回は箔付け、もしくは経験値を積みに来ただけ。そういうレベルじゃないでしょ、世代の頂点は」

「……そういうもんかねえ。駅弁卒にはわからん世界ですわ」

 線路への細工、列車そのものへの襲撃。出来得る限りの警戒は施した。さすがにアカイアまでは安全だと思いたいが、油断は決してできない。

 規制緩和、これは対象者にとっては天国と地獄、国がそれで戦うと決めた方は躍進し、国がそれを捨てると決めた方は地の底へと落ちる。

 比喩ではない、税率を多少弄るだけで幾人も首を吊る者が出てくる。

 それが国同士の選択、というもの。

「何事もなければいいのですが」

「さすがに大丈夫だろ。問題はその後だ」

「ですね」

 人は生きるか死ぬかの局面に立つと、常軌を逸した行動に出ることがある。生存のためならば、相手を殺してでも生き延びようとするのは動物の本能である。


     ○


 列車は順調に進み、イリオスの国境を越える。

 五重の手を打ち、さらに本来は大々的にやりたかった出発も地味に、お忍びと言う形にした。クルスとしてもここまでやれば問題ないだろう、と思う。

 一つの可能性、それを考慮から外した場合、だが。

『それでええ。そのカス女は釣り餌や』

(煩い)

『釣れんかったならそれでよし。釣れた場合は……オモロなるで』

(黙れ)

 クルスは幾度も、幾度もクロイツェルの思考をトレースし続ける内に、時折脳内でクロイツェルが語りかけてくることがある。不愉快極まる構図であるが、彼との会話により思索を深めることが出来、結果としてプラスに働くことが多い。

 考え過ぎることも少なくないが――

「クルス、前から列車が来ますよ」

「そうですね」

「私、このすれ違う瞬間も好きなのです。窓からかすかに映る、人の営み、自然体な、ありのままの姿が一瞬で通り過ぎて――」

(変わった人だな、この御姫様は)

 クルスにとっての王族イメージはフレイヤとかデリングのような高貴系、もしくはミラのような暴君系、大体この二つであった。

 だが、彼女はそのどちらとも違う。

 きっと自分が知らないだけで色々な王族がいるのだろう。それこそフィンブルで見たあの腐った貴族連中のようなのも。

「姫様、身を乗り出されては危険ですよ」

「もう、マリウス、心配性なのだから」

「はは」

 穏やかな会話。そして、列車同士がすれ違う際の独特の振動。窓の外を見つめるソフィアは「あっ」と声を出した。

 何か見えたのかとクルスも視線をそちらへ向ける。

 其処には――

「ッ!?」

 互いに高速で走行する列車、すれ違いざまに窓から何者かが飛び出してくる。さすがのクルスも想定していなかった襲撃。

 窓を蹴破り、窓際を所望したソフィア姫の前に降り立つ。

 コンパートメント、一等の席であるため多少広い造りであるが、人が戦闘で動き回るにはあまりにも狭すぎる。

 現に隣に降り立った刺客に対し、

「くっ」

 咄嗟に騎士剣を抜こうとしたマリウスは閉所で長い得物を振り回し、姫へ危害が出ることを悟り騎士剣での攻防を断念する。

 対する刺客は用意周到、小ぶりのナイフを取り出しソフィアへ向ける。

「御覚悟」

「失礼」

 鋭く放たれた刺突、それにクルスは手の甲で合わせる。相手の手の甲を打ち、突きの軌道を逸らせたのだ。

 奇襲への正着、手慣れた対応に刺客はかすかに驚きを見せる。

 突きを捌いた時点で、すでにソフィアはクルスが無理やり窓際の席から、自分の席の方へ押し流し、逆に自分は刺客の正面に座る。

「ご安心ください。指一本、触れさせません」

「小僧!」

 高速走行する列車を飛び移り、姿勢を崩さずに目測通り着地する。かなりの使い手なのだろう。それは最初の突きでわかった。

 一度合わせたなら――

「自分、拳闘を嗜んでおりますので」

「ぐ、ぬ」

 相手のナイフ術、突きが微塵も通らない。この至近距離で、この奇襲で、微塵も動揺することなく冷静に、正しい手順で応戦してくる。

 刃物を恐れていない。このナイフには毒が付着している。それぐらいはクルスも理解している。理解した上で、傷つけられなければ問題ないと動じず捌く。

 そして、

「ごっ」

 マリウスが通路へ姫を出したタイミングで、相手の腕をつかみ、刺客の顎に容赦なく拳を叩き込んだ。普段、フィジカルエリートの怪物どもに囲まれているため隠れがちであるが、鍛え上げられた肉体と卓越した魔力コントロールが生む破壊力は、同じ怪物たちでなければまともに受けることすらできない。

 よって、その顎は粉々に砕かれた。

 ソフィアを自分の後ろへ避難させたタイミングでいつでも破壊できたが、彼女に破壊の現場を見せぬため、あえて長引かせた。

 決着は一瞬、一撃。

「それなりに強かったよ、それなりに、な」

 意識を消し、これで幕。

 水が、ゼロがどうこうではない。そもそも『それなり』相手では基礎スペックが違う。対抗戦に出場する面々にも天地の差があるように、その代表者たちと彼らが所属する学校の中にも大きな差が存在する。

 これまた忘れがちだが、あそこに出場した時点で各校の代表、上澄みである。その頂点ともなればもう、超人の中の超人。

 強さの次元が違う。

「あ、おばあさん。そちらへ行っちゃ――」

「すいませんねえ」

「馬鹿、今通すな!」

 マリウスの怒声が響く。通路はさらに混沌と化す。何事か、と飛び出してきたユルゲン、ヴィルマーの二人、その合間から、

「ぷっ」

 老婆が一人、唾を吐くような所作を取る。「しまっ――」二人が唖然とし、老婆を追うヨナタンもようやく状況を解し、青ざめた。

 奇襲、からの次善の手。

 乗客に紛れ老婆に化けた刺客の、含み針。

 当然それには必殺の毒が仕込まれて――

 二人が急ぎ取り押さえるも、それでは後の祭り。針はソフィアへ向かい、

「……おいおい、優秀とか、そういうレベルじゃねえだろ、これ」

 ヴィルマーがその光景に愕然とする。客室側から通路へ壁に騎士剣を突き立てたクルス、その騎士剣の腹に針が弾かれ、必殺を阻むことに成功した。

 その光景を見て。

「ふぅ」

 クルスは息を吐く。針を止められたのは偶然でしかない。ソフィアの立ち位置は見えたため、肌の露出した部分を狙うと其処を遮るよう剣を差し込んだが、あてずっぽうと言われたならそこまで。

「さあて、誰の手の者か吐いて……くそ、このババア!」

「……毒、ですか。やられましたね」

 必殺を止められた老婆は針と同じように、咥内に含んでいた毒で服毒自殺。

「……ちっ」

 そして、攻防を長引かせたことで相手に勝てぬと悟られていたのか、意識を刈り取る段階で窓から襲い掛かってきた刺客も、同じように死んでいた。

 襲撃のタイミング、自殺の手法からしてもおそらくは同じ流れをくむ暗殺者であり、つまりは彼らの雇い主もまた同じとなる。

「……」

 死が間際に迫ったことを察し、ソフィアの意識は途切れ、倒れる。それをマリウスが申し訳なさそうに抱き留め、歯噛みする。

 これだけ万全に備えた。

 だと言うのに――

「いきなり、ですか」

「も、申し訳ございません!」

 ここまでの段取りを相手に組ませた。

「過ぎたことだ。つか、誰がこれを読めるよ。ま、とりあえずは」

「助かりました。また我々は借りが増えましたね」

 ヴィルマー、ユルゲンがクルスを称える。クルスがいなければ下手をすると初手でソフィアを失っていた。二手目、彼でなければどうしようもなかった。

 あの反応速度と的確な判断は本職顔負け。

 いや、彼自身すでに本職としての備えを終えている、と言った方がいいのかもしれない。ここまでの立ち回りを見せられたなら、ぐうの音も出ないだろう。

 しかもマリウス以外、初手のクルスを知らないのだ。

 無手での圧倒的制圧力。対人において隙など見出せない。

「感謝する、クルス君」

「いえ、仕事ですから」

 しかし、クルスの脳裏には達成感などない。初手、想像すらしていなかった。あの刺客がもっと強ければ、着地せずにそのまま完全に目算通り、窓を割り即ソフィアを襲えたかもしれない。その場合、クルスは間に合わなかった。

 その未熟と――

(死なせたのは俺のミスだ。姫様に見られても手早く打倒すべきだった。そうすれば彼女が通路に出ることなく、あの老婆も手出しできなかったはず。敵を生かしておけば、何か情報を引き出せたかもしれないのに)

 自らの浅慮を悔やむ。

 ただ、

『別にええ。どうせあのカスどもが大した情報など持っとるわけないやろ。ええねん、使い捨ての駒はその辺捨て置けや。それに、わかっとるやろ?』

(……吐かせるだけが、情報じゃない)

『それでええ。よかったなァ、釣れたで』

(……)

 自問自答、その答えをクルスは自分の中に抱く。

 今はまだ、確証がないから。

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