第219話:いざ善悪なき混沌へ

 早朝、クルスは一人剣の稽古、と言う名の調整をしていた。水は無形、一つの型を極めるような必要はない。むしろ様々な型を使い分けるソロンのような形の方がよほど意味のある修練となるだろう。実際、クルスの型稽古は多岐に渡る。

 しかし、それよりもクルスはイメージと体の動作、その整合性に今は重きを置いていた。頭の中、其処に浮かぶ取るべき動きと実際の動きがズレた場合、今のクルスにとっては致命傷となりかねない。

 間違えない。そのある種傲慢なる剣を継続するためには、この確認作業を毎日行い、その日の体調などで生まれるズレ、その微調整を行わねばならない。

 毎朝の訓練を欠かしたことはない。

 ただ、あの日以降其処へのこだわりは増すばかり。僅かなズレすら許容できない。許容すべきでない。徹底して、皮一枚の誤差すら許さない。

 そうしなければ死ぬのは己である。

(……鏡が欲しいな)

 自分の動き、そのズレを確認する方法として最も手っ取り早いのは直接見ることである。それが一番早く、正確なのだ。

 とは言え、学園にクロイツェルが作ったような鏡張りの部屋などそうそうあるわけではない。出来れば毎日あの部屋にこもりたいが、騎士の仕事で遠征することを考えれば、それは現実的ではないだろう。

 楽器に施すような調律、丁寧な微調整は目視が必要であり、それは遠征などの外出時には不可能だとして、ならばどうするか。

 毎日身体と対話しながら、あらゆる動作を繰り返すしかない。通常のスクエア、オンバランスも、枠から外れたオフバランスも、どちらも丁寧に、細かく、細かく、前日との違いは何処か、感覚に齟齬はないか、細かく考え込むしかない。

 その上で、学園に戻った際、鏡張りの部屋で大掛かりな調律を施す。この一年はクロイツェルの目もあった。その繰り返しが、『間違えない』を作り上げる。

 その作業中に、

「精が出るな、クルス君」

「マスター・バシュ」

 イリオス王立騎士団副団長、マリウス・バシュが現れた。軽くあくびをかみ殺している様を見ると夜勤明けなのだろう。

「お疲れ様です」

 ソフィア姫の護衛は現在、シフト制で二十四時間常に誰かが最低でも部屋の出入り口、窓などの外部から侵入可能な経路は蓋をし続けている。

 それは副団長とて例外ではない。

 一度王都で正式に今回の任、そのメンバーとして任ぜられたなら、クルスもその一人としてシフトに組み込まれることになるだろう。

 そうなると毎朝のルーティンを崩す必要も出てくる。こればかりはこれから先、騎士の仕事を続ける限り付きまとう問題である。

 騎士の時間は、あらゆる状況下で仕事が優先されるから。人命にかかわる仕事に付きまとう、ジレンマとも言える。

「いや、慣れたものだ。それでも私などはこうして顔に出てしまうのだからまだまだ未熟。ユルゲンなどは顔色一つ変えないぞ」

「さすがですね」

「君もその口に思えるがね」

「ただの学生ですよ」

「ははは、母校を対抗戦優勝に導いた男に言われると、我々の立つ瀬がない。自慢じゃないが私の代は初戦敗退だった。はっはっは」

「あ、あはは」

 自慢ではなく自虐が飛び出し、クルスは愛想笑いをするしかない。

「君がイリオスに入ってくれていたら、今年皆で夢を見られたのになぁ。いや、言うまい。イリオス出身者があそこまで駆け上がった。それだけで我々からすれば君は誇りで、自慢なんだ。身勝手な期待、だがね」

「……」

 クルスはあえて沈黙を選んだが、本音の部分では「そうはならない」と考えていた。と言うよりも彼は至ってなお、自らを天才と定義づけていない。あくまで機会に、環境に恵まれただけだと考えていた。

 無論、それも間違いではない。御三家アスガルド、普通の学校から見れば化け物しかいない環境。しかも十年に、いや歴代でも類を見ない当たり年である。それは対抗戦に出場して十二分に理解できた。

 全体的にレベルが高いと言われた今年でも、アスガルドの上位十名に勝てる人材などほとんどいなかった。いや、学年の誰が出ても御三家や一部強豪を除き、勝てるかどうかはさておき見劣りしなかったはず。

 そんな環境にクロイツェルやテュール、エメリヒ、バルバラのような化け物ぞろいの教師陣による指導もある。彼らの大半がクルスが編入する前の、それこそ数年の内に揃えられたのだから、どれだけ恵まれていたのかがわかるだろう。

 特にクロイツェルの存在は大き過ぎた。

 世界最高の競争相手達と教師陣、そしてメガラニカでのサマースクールや第七での現場経験。環境と機会に恵まれてきたのはクルスも自覚するところ。

 それに三強との出会いも、天井を明確に知ることが出来たのも大きいだろう。目標なく人は努力できない。努力できても効率的なものになるかは別。

 満足すれば成長は止まる。イリオスの環境で自分が其処まで徹することが出来たか、と問われたなら、残念ながら難しい、と判断するしかない。

 その状況で対抗戦に出場、彼らと当たっていればお山の大将の自負ごと、まるごとへし折られていた、そんな様子が彼の脳裏にありありと浮かぶ。

「実は私はね、君のことをずっと前から狙っていたんだ」

「……もしかして、自分に調査書を出してくれていたのは」

「何を隠そう、この私だ。だっはっは」

「……感謝しています。あの時点で評価してくださったのは、それほど多くなかったので。騎士になれるかもしれない、それのあるなしは大きかったと思います」

「人を見る目には自信がある。と君が思わせてくれたのだから感謝せねばな」

「ご冗談を」

「冗談なものか。今の団長など地元出身者を欲目で見過ぎだ、とか、この成績でこの待遇はあり得ないだの、さんざん言っていたのだからな」

「まあ、成績に関してはその通りとしか」

「見学者は皆わかっていたさ。あの年のアスガルドが異常な豊作だったことなど。ただ、哀しいかな、現場の意見と編成部の意見は往々に噛み合わぬものでね。これはイリオスだけではなく、どの騎士団もそうなのだぞ」

「肝に銘じておきます」

 どれだけ現場が熱弁しようと、客観的事実としてクルスは三学年、四学年と決して高い成績ではなかった。伸び幅を評価する声はあっても、順位だけを見れば特別扱いするような人材には見えないだろう。

 それはまあ、仕方がないことである。

「剣に関しても感謝いたします」

「あー、それは殿下であって、私は何もしていない。期待と言うよりも感謝であるし、何度でも言うが殿下をお守りした騎士に対し、当然の恩賞だ。過度な感謝は逆に不敬と映りかねないぞ」

「失礼しました」

「はは、わかればいい。それにしてもアヌとは驚かされた」

 アスガルドが誇る至高のブランド、魔導剣専門店アヌ。クルスもさすがにあの頃より騎士の世界に対して知見を得たため、あそこがどれほど敷居の高い場所であったか、遅まきながら理解していた。

「やはり、高かったのですか?」

「いや、名前にだよ。値段はオーダーの騎士剣、相場通りだったか。むしろ実験作にて、と割引されていたから安かった、と陛下は漏らされていた。請求書の名前を見た時は全員で引っ繰り返ったものだったがね、ははははは」

「は、ははは」

 その全員、に陛下が、王が含まれていたら結構な絵面であるが、さすがにそれはないだろう、と思う。と言うか思いたい。

 いくら何でも故郷が色々と軽く見えてしまうから。

「さすがは名店、あの時点でクルス・リンザールの器を見抜き、剣を拵える判断をするとは。やはり一流は一流を知るのだなぁ」

(ボロクソに言われたんですけどね。現地で)

 今でもたまに夢に出る、騎士の才能を見据える目。其処にあの場で唯一、自分は映っていなかった。言葉でも結構ボロクソに言われた。

 クルスはこう見えて結構根に持つタイプである。

 いや、まあどう見ても、か。

「使い心地はどうだね?」

「すっかり体の一部ですね。今はこいつなしじゃ考えられませんよ。昨年は少し無理をさせてしまいましたが……今ならもっと上手く使ってやれます」

 第七の仕事では自分の未熟さを剣がかなり補ってくれた。負担をかける使い方をしたことも、一度や二度ではない。

 それでも今なら、今の自分なら完璧に扱える。

 むしろ、自分の完成系を見越したかのような造りである。辿り着いてわかった。少なくとも剣は初めから示していたのだ。

 自分の進むべき道を。

「……期待しているぞ」

「イエス・マスター」

「はっは、頼もしいな。今回の件はな、少しばかり入り組んだ事情がある。楽な仕事にはならない。周りも少しばかり気が立っているだろう。必ず、何らかの妨害は入るからな。三カ国が手を組み、産業の合理化へ繋げ、諸国に対抗する力を身に着ける。大きな変革を伴う。それは哀しいかな、誰かは必ず割を食うことになるのだ」

「……」

 マリウスの哀しげな表情が、悲痛さすら伴う表情が、クルスには今回の件の難しさを予感させた。おそらく事前に調べたよりもずっと、難しい話なのだろう。

 こればかりは外側からは見えないこともある。

「姫様を頼む」

「お任せください。ただ、丸投げされても困りますが」

「おっと、はは、それもそうだ。もちろん私も最善を尽くすとも」

 どん、と力強く胸を叩くマリウス。クルスもそれに倣い気合を入れることにする。もちろん、気合だけでは空回りするだけ。

 『次』へ繋げるためにも、この仕事もまた間違えられない。

 間違える気も、無い。

「副団長、交代に来ました」

「ああ。殿下は部屋におられる。後を頼むぞ」

「イエス・マスター」

 マリウスへ一礼し、クルスへ視線を向ける騎士。明け透けな彼ほどではないが、探るような視線を向けられてしまうのはよそ者の宿命か。

 姫やマリウスのような歓迎ムードはない。副団長補佐のユルゲンはなるべくフラットに努めて見えるが、あれでむしろマシな方なのだろう。

「……すまないな」

「いえ、覚悟はしてきましたので」

「……」

 どれだけ優秀であろうとも、世間的にクルスは学生でしかない。プロと学生の隔たり、彼らも仕事には少なからず矜持があるはず。

 そんな彼らが身構えるような大仕事。其処へ現場を飛び越え、上から鶴の一声で学生が投入されたのだ。お前たちじゃ力不足、と言わんばかりに。

 飲み込む飲み込まないはともかく、その構図をよく思う者はいない。

 それぐらいはクルスも理解している。オファーを受けるよう促したテュールも、オファーを出したマリウスらも理解していたこと。

 それでも彼らは姫の意向と共に万が一に備えクルスへオファーを出し、学園側とクルスはそれを受けた。イリオスは多少団が乱れようとも姫の安全が強化されると考え、クルスらはこの程度の軋轢を乗り越えるだけの、『旨味』があると考えたから。

 軋轢など織り込み済み、気にしない。

(……結果で示すさ。それぐらいの甲斐性は、ある)

 力で感情論を押さえつけるやり方は、あの男から嫌と言うほど学んだ。要は結果を出せばいい。証明すればいい。

 お前らカスよりも俺の方が遥かに上だ、と。

 感情の入り込む余地がないほど、徹底的に――


     ○


 とある国、乗り換えで降りたイールファナは乗るべき列車を待っていた。

 其処に突然、

「やあ、久しぶりだね」

「……レイル・イスティナーイー」

 魔導界の先達にして、異端児でもあるレイルが声をかける。背後、逆方向の列車を彼女は待っていたのだろう。

 二人は背中合わせに、立つ。

「いつぶりだったかな? ボクはどうにも年月には疎くてね。つい最近だった気もするし、そうでなかったような気もする。君はどうだい?」

「……」

「そう警戒しないでよ。ただの世間話じゃないか。親戚同士仲よくしよう」

「純血のルナ族は皆、親戚のようなもの」

「その通りだ。だから遺伝子的にエラーが起きやすい。ボクや君のように。ふふ、アスガルドは君にとって帰る家になったかな?」

「ラーよりはずっと」

「それはいい。あそこは息苦しくてたまらない。ああ、そうだ。ボクもね、つい最近家が見つかったんだ。家というか、人なのだけれど――」

 イールファナは振り返る。背中を向けたままの獣に、

「クルス・リンザールはあなたの玩具じゃない!」

 明確な敵意を向けた。

 それに対し、

「おやぁ、なるほど、なるほど。ボクのことを彼、君に漏らしたのかぁ。ちゃんとボクを記憶し、気にかけている証拠。実に嬉しいねぇ」

 知的好奇心の獣はぐるりと首だけ回し、目の端だけで彼女を捉える。

「クルスはたくさん友達がいる。私も、あなたも、その中の一人でしかない」

「傷つくことを言うじゃないか。ボクは君たち双子を守ってあげたのにね。双子は凶兆、古来より片割れを間引く習わしがある」

「あなたは研究材料としか、思っていなかった」

「だから君たち双子は外に出ることが出来たんだ。研究を終え、ボクの興味が消えたから自由にしてあげた。ボクの優しさ、わからないかなぁ?」

 違う、とイールファナは断言できる。

 目の前の怪物にあるのはただ知的好奇心のみ。それ以外は例え、直近の血族すら興味の外側。双子は要らなくなったから捨てた。ただそれだけ。

「まあ、君がどう思おうとね、ボクと彼の絆は消えないんだ」

 確信に満ちた笑み。横顔からもわかる。

 あれは本気で、そう思っている。そして彼女は研究者であり、真実を追いかけるもの。根拠のない自信など、確信など持たない。

「どういう、意味?」

「別に難しくない。簡単な式だ、我が愛しき遠縁の忌み子よ」

 列車が来る。先に着いたのは、レイルの方。

「彼は秩序の守り手。そしてボクは、秩序の敵となる。わかるかい? 彼はいずれボクを追いかけ、ボクは彼から逃げ続ける。『敵』だよ、ファナ。その絆は何者よりも強固で、崩れぬ限り永遠さ。彼が騎士で、ボクがその敵である限り」

 イールファナはただ、反射的にレイルの歩みを止めようと手を伸ばした。自らよりもずっと長く生きる天才は剣も修める。自分が敵う相手ではない。

 それでも伸ばさずにはいられなかった。

 だが、

「なぜ悪を選ぶの、レイル様!」

 その手は何もつかめない。レイルがひらりとかわし、列車へ乗り込んだから。イールファナも車内まで追いかけようとするが――合流した人物を見て停止する。

 レイルの騎士、その冷たい眼が突き刺さった。

 近づけば斬る。容赦なく、そうする。

「悪、か。陳腐な言葉を放つじゃないか。がっかりさせないでおくれよ、後輩。人は争う生き物で、善悪などその結果でしかない。秩序が正義? クルスに聞いてごらんよ。彼はきっと、言い澱むと思うけどなァ」

「……なに、を」

「安心して。今回は観察だけ。もう、やることは終わっているんだ。ボクは何もしない。だから、君も君のやるべきことをやるといい。君がいても、彼にボクの存在を伝えても、まるで意味がないからね。ただ、ノイズが混じるだけさ」

 列車の扉が閉まる。

 レイルは笑みを浮かべ、イールファナに手を振った。まるで親しい親戚に向けるような、外行の笑顔。

 どうすべきか、イールファナは考える。今すぐクルスの下へ行き、危険な相手が迫っていると伝えたい。

 ただ、同時にその行動自体が「動かない」と言った者を動かす可能性を生む。レイルは嘘をつかない。つく意味がないから。

 観察だけ、それは真なのだ。

 レイルがそう口にした以上、其処を疑う気はない。

「……確かに、あなたに善悪はない。けれど、それが一番危険」

 善悪無き、純粋なる好奇心の獣。

 知的好奇心のためならば他者の命も、場合によっては自分の命すら厭わない。そういう生き物である。

 その好奇心が今、クルスにも向けられている。

「クルス、気を付けて」

 過ぎ去る列車。それを見送りイールファナは立ち尽くす。

 今は発言が真であると信じるしかない。

 思い浮かぶのは――

『初めまして、ボクはレイル。君たちの新しい保護者だよ』

『『……』』

『君たちを苛めていた古い方は処理したから安心して。あとで一緒に解体しようか? せっかくだから解剖の勉強でもどう? 楽しいよ』

 自分たちが四つぐらいの頃、今と変わらぬ姿で、今と変わらぬ立場で、名簿上にだけ存在する四学年の学生として、同時に研究者として君臨していたレイルの姿。

 悪意なく、あれは好奇心にのみ従い全てを判断する。

 邪魔になるなら、排除することも厭わない。

『たくさん遊びを用意したから。一つずつ、遊ぼうね』

 全ては今この時、興味がある方へ。

 身体能力、知能指数、全部獣が遊びと称して計測し、双子の性能を調べた。調べ尽くした後、もうわかったからいらないと二人は捨てられた。

 ただ、それだけの記憶。


     ○


 ディクテオン領を出て、王宮に戻った彼らを王自らが出迎える。

 クルスも挨拶をかわし「期待している」との言葉を貰った。それがまた、軋轢の元となるのはご愛敬。大事なのは今、この時からクルスは臨時的にイリオスの騎士団、その一員になったということ。

 そして、

「マリウス、ソフィアを頼むぞ」

「御意」

 王は信頼を込め、マリウスの肩に手をやった。マリウスもまた力強く答える。王は神妙な面持ちで娘と、信頼できる騎士を送り出した。

 これよりイリオスにとっても変革を伴う大仕事が始まる。

 世界の大きな流れの一つ。

 またしてもその中心に、クルス・リンザールはいた。

 その流れはぐるぐると渦巻き、混沌と化す。

 いや、すでに混沌は其処に在る。

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