第217話:ティータイムは泥の味

「どうぞ」

「ん」

 クルスの淹れた茶に舌鼓を打つイールファナ。三学年の頃、エイルから練習がてらよく倶楽部の面々に茶を淹れ、ボロクソに言われていた時代を思い出す。

 こういった貴人の身の回りに関する技術は騎士にとって重要であり、茶の淹れ方ひとつでその騎士の教養が透ける、などと言われることもしばしば。

「まあまあ」

「なら、充分だな」

「向上心が足りない」

「君が厳しいだけだよ。今年は俺、マナーの講義フルスコアだったから」

「学園長は甘い」

 フレイヤ、アマルティアの採点は甘く、エイルとイールファナは辛い。まあエイルに関しては淹れ方や、その場の振舞いなど形に対する採点が多かったが、イールファナは完全に味、しかも自分の好みしか採点軸がない。

「学会か。何処でやるんだ?」

「色々。特許絡みだから、さすがにやる気出す」

「へえ」

「お金、がっぽり」

「……つかぬことを聞くが、どれぐらいの実入りなんだ?」

「ないしょ」

「これは相当と見た」

「まあまあ」

 クルスは彼女の研究について詳しくは知らない。と言うよりもおそらく、騎士が修める程度の魔導学をかじった程度では、彼女のことは何もわからないのだろう。

 魔導でも工学畑と言うことは聞いているが――

「まさか、百徳スコップは関係ないよな?」

「それ」

「……え、あれガチだったの?」

「当たり前。クルスはスコップの可能性を舐めている。攻防兼ね備え、陣地形成にすら一役買う優れもの。剣より強い」

「それは言い過ぎだろ」

「旧態然とした考え方。クルスは合理的思考が欠けている」

「……むしろ、其処は長所だと思っているんだけどなぁ」

 かつて少し触れた百徳スコップとかいう謎のアイテムで一獲千金を目論むイールファナに、未だにクルスとしては疑問符しか出てこない。

 騎士剣よりも優れているというが、騎士がスコップを背負う日が果たしてくるのだろうか。多分来ないと思う。

「まあでも、確か本命は機能の一部って話だったろ?」

「……記憶力は認める。でも、それは間違い。私の本命はスコップ、その柱は揺らがない。大は小を兼ねる、万能は最強。覚えておくといい」

(スコップの何がファナを駆り立てるんだ?」

 彼女が本当に凄い研究者なのかわからなくなってしまう。

「とは言え、先んじて一部機能が認められたこともまた事実。実際、それはかなりの自信作だった」

「へえ、どういう機能だ?」

「魔力に干渉して、強制的に組成を組み替える。例えば騎士剣ならざっくりよく斬れる魔術式が常時発動しているけれど、それを崩して効果を消す。ないし減衰させる」

「……それ、凄くないか?」

「だから凄いと言った。大目標は魔族の攻撃から身を守ること。素人が使っても扱えること。世の中、今でも魔族による被害はある。それを少しでも削減出来たら、私の勝ち。お金は二の次、どうせ私ほどになると嫌でも稼ぐから」

 魔族の攻撃、特に遠隔攻撃はほぼすべて魔力が魔障により何らかの形へ変化したものであり、彼女の説明が正しければ間違いなくそれを防ぐ一助となるだろう。

 素人でも魔力を流せば扱えるのが魔導製品の魅力。

 スコップに何故、そんな機能を搭載しようと思ったのかはわからないが、それでも彼女の言う通り、民の平和を助ける便利アイテムとなるかもしれない。

 騎士には出来ない、助け方である。

「君は大した人物だよ」

「当然」

 えっへん、と無い胸を張るイールファナを見ているとわからなくなるが、さすがに魔法科史上最も優秀な学生、とまで言われているだけはある。

 これから先、より多くの人の助けとなるのだろう。

「だから盾、か」

「そう。確かに攻撃を防ぐことだけを考えたら、そちらの方が合理的ではある。ただ、それはスコップにも出来ることだけど」

「はいはい」

 その防衛機能を有した盾であれば、確かにヴァナディースが金を出すのも頷ける。と言うよりも、何処も金を出して一枚かみたかったが、先んじてヴァナディースが先行投資をした、と言う方が正しいのだろう。

 フレイヤを見ているとこれまたわからなくなるが、さすが大貴族の棟梁だけあって機を見るに敏、金の生る木にいち早く唾をつけていた。

 今まで盾が流行らなかった最大の理由は、既存の技術ではフレイヤらのような規格外が使ってようやく、魔族の攻撃を受けることが可能となるから。逆に言えばクルス程度の魔力量の者が扱っても、面で受けることは不可能であった。

 騎士剣の、線や点での受け、捌きに対してあまりにも魔力に対して出来ることのコスパが悪過ぎたのだ。

 それが今、彼女の発明した機能により大きく基準が引き下がった。それどころか剣よりも優位な効果すら、持たせることが出来るのかもしれない。

「それを騎士剣に導入することは出来ないのか?」

「複雑な機能の組み合わせでの効果だから、それを十全に機能させるにはかなり大きな基板が必要。面積を大きくできるのも盾の魅力。スコップも――」

「なるほどね」

「……クルスは何もわかっていない」

 スコップがどれほど素晴らしく、可能性に満ちたものであるか、ここで詳しく説明してやりたいところだが、生憎明日の出発は早い。

 夜通し説明しても出発時間を超過してしまうから勘弁してあげよう、とイールファナは内心、合理的撤退を決めた。

 クルス、知らぬ間に命拾いをする。

「それに関する学会か」

「んー、学会は別の技術絡みが多い。百徳はもう製品開発の段階だから、学会への発表自体は三学年の春。それに絡めた諸々を四学年の前半までにクリアして、今はその先。研究は常に市井の二歩先を行かねばならないから」

「もうわけがわからん」

「ミステリアース」

「はいはい」

 自分が芋野郎だった時点で、すでに彼女は世界へ羽ばたいていた。凄い凄いとは聞いていたが、自分の想像が及ぶ世界の天才ではない模様。

「今はその複雑な機能を持つ導体の小型化を研究所やリンド先生と共同で研究している。小型化は工業における難題の一つ。それをクリアして初めて、本当の意味でのブレイクスルーだと思っている。私はまだまだ」

「なら、俺も精進しないとな」

「頑張れ。私は先生だから、クルスの百歩先を征く」

「追いつける日は遠そうだ」

 畑違いの天才。そう言えば、彼女は以前越えねばならぬ相手がいる、と言っていたような気がする。

「……フレイヤ」

 その相手について聞こうかと思ったタイミングで、彼女がふと口を開いた。

「突然どうした?」

「ここに誘わなかったのか、聞かないの?」

「……いや、たぶん、君たちなら誘っただろうと思ったし、誘った上であいつが断ったのだろう、と言うのも想像が出来たから聞かなかっただけだが」

「深読みしてる」

「でも、当たっているだろ?」

「……まあ、一応」

 クルスの疑うまでもない、と言う視線が少しだけイールファナに刺さる。本当は、アマルティアがそれを提案しなければ、彼女は誘おうと言わなかった。言えなかった。画面の向こう、粗い映りでも、見て取れてしまったから。

 だから、自分は言えなかったのに――

「そもそも、あいつの立場で用もないのにイリオス旅行なんて舐めた真似できないだろ。俺だって別に安泰じゃない。あいつはその俺よりも評価が下なんだ。必死にやらんとユニオンとて楽勝じゃない」

「フレイヤに厳し過ぎ」

「それを越えてこそ、フレイヤ・ヴァナディースだ。こんなところで立ち止まってもらっちゃ困るんだよ」

「……なんで?」

「え?」

「なんでクルスが困るの?」

 イールファナが真っすぐ、クルスを見つめる。その眼の奥から何かを読み取ろうとしているかのようで、その探るような視線からクルスは眼をそらす。

「別に。ただ、優秀な同期は多いに越したことはないからな。隊を跨いだ仕事がやりやすくなる。それだけだよ。他意はない」

「そう」

 それきり、二人の間に沈黙が下りる。いつもなら別に話さずとも居心地は悪くないのだが、今はどうにもすわりが悪い。

 なので、

「……フレイヤ、夏は何処に行くって?」

 適当に話題を放り込んだ。

「アスガルドに残るって言ってた」

「……アスガルド、なるほど。少しはエンジン、かかってきたじゃないか」

「わかるの?」

「忙しい先生方が選択肢から消える。なら、あとの選択肢は限られているよ」

「私、聞けなかった。深刻そうだったから」

「聞くまでもない。相手は――」

 クルスは得意げに名を挙げる。

 それを聞きイールファナは少し驚いた後、得心した。


     ○


「がっぁ」

 フレイヤは地面に倒れ、殴打されたことで腹から込み上げてくる吐しゃ物を必死に飲み込む。強烈な一撃であった。

 重く、強く、それでいて鋭く早い。

「可愛い妹の頼みで、仕事の合間を縫って稽古をつけてやっているのにもうサボリかい、フレイヤ。我が妹ながらなかなか小狡いじゃないか」

「う、ぐ」

 立ち上がる最愛の妹を見下ろし、ユング・ヴァナディースは盾を構えていた。互いに、鏡合わせのようなスタンス。

 其処から容赦なくユングは前進し、フレイヤが構えている盾を、自らの盾で作った死角から剣を伸ばし、彼女の盾を弾く。

「あっ」

「ぬるい」

 そのまま盾を、ねじ込むように螺旋を加え、再度吹き飛ばす。今度はこらえきれず、フレイヤは地面に吐いてしまった。

「使用人のことを考えてやりなさい。まったく、出来の悪い妹だよ。器はあってもセンスがない。剣と盾、理屈は同じだ。違うものと考えているから、存在しない選択肢に迷うこととなる。それでユニオンとは笑わせるね。今からでもお婿さん探してあげようか? そちらの方が建設的だと私は思うけれど」

「まだ、ですわ」

 口元をぬぐい、フレイヤは立ち上がる。

「わたくしにセンスがないことは、わたくしが一番よくわかっていますわ。だから、お兄様の御力を、お借りしていますの」

「見上げるべきか、見下げるべきか、まあ、自分に才能がないことを見据えられたことは成長だ。そのまま大それた夢も諦めてくれるといいんだけどね」

「それは、あり得ませんわ!」

 フレイヤが選んだ夏は、剣才の塊である兄を利用して、自分の盾術を深めること。不器用な自分に足りないのは創作性。情けないが、無い頭を振り絞っても時間を無駄に浪費するだけ。それなら、自分の知る限り最も適性のある者に考えてもらえばいい。実践して、実戦して、体感すればいい。

 自分には幸運にも、その手段があるのだから。

「だから、面で捉えようとするな」

 ユングは父が予備を用意する必要がない、と判断するほどの天才であった。クロイツェル、テュール、それにエメリヒなど抜けた者たちが続いたせいで多少霞んだ面もあるが、ユング自身エメリヒ、ティルらと同じく対抗戦負けなし。

 勝てる二枚目がいなかったから優勝は逃したが、それでもクロイツェルの優勝以降、今年以外では最も優勝に近づいた年のエースである。

 世代最強、今ほど豊作でなくとも、その地位は伊達ではない。

「何故妥協する? 新型の盾なら、とか思っているんじゃないだろうな? 武器に甘えるな。面より線、線より点、剣と同じ。魔族の攻撃を剣の腹で受けるか間抜け。貴様の盾術は逃げなんだよ。出来ないから逃げるな。出来るからも逃げるな」

 ユングは魔力量ではフレイヤよりも劣るが、その分センスは秀でていた。あらゆる型に精通しており、剣のみならず戦いそのものの知識も豊富である。

 盾を握り数日、フレイヤが積み上げた時間など意にも介さず、ユングはその先へ到達していた。面ではなく線、点での受け。

 センスを、見切りを要求する技術。

「才能に逃げるな。それが貴様の、最大の欠点だ」

「……っ」

 厳しさを求めた。ユニオン行きへ反対しているであろう兄なら、と思った。だが、その苛烈さは想像を絶するものであった。

 吐こうが、涙を浮かべようが、手心は微塵もない。

 何よりもきついのは、

「だから、力任せに振り回すな。品がない!」

 自分が培ってきた、そして先人が残した所から得た知識が、

「品格を持たぬ戦いの、何処に騎士がある!?」

 あっさりと凌駕されること。

 もちろんそれはユング・ヴァナディースが盾以外の戦いを、自分よりもずっと丁寧に、高く積み上げてきたからであるが、それでも堪える。

 時間が、才能に踏み潰されていくことが――

「それが才能に逃げていると言っている!」

 あえて盾ではなく、ひっくり返し手で捌く。こんな発想、自分にはなかった。でも、間違いなくこれが正解なのだ。

 難しい、これと向き合えるのなら。

「1ミリにこだわれぬなら、大それた夢を抱くな。貴様が目指す先は何処だ? ユニオンに入ることか? それなら好きにしろ。だが、もしそこで上を目指すというのなら、頭を作り直せ。私の知る怪物たちは皆、1ミリすら妥協しない」

 手で掴まれ、引き倒され、フレイヤは悔しさに歯を食いしばる。

「貴様はどっちだ?」

「妥協、など……もう、二度と、致しませんわ!」

「口ばかりだな。さっさとその覚悟のほど、私に見せてほしいものだよ」

「まだ、まだァ!」

 ずっと劣等感を抱いていた。出来る兄、溺愛する兄、自分を閉じ込めようとする兄。嫌いだった。必要がない時は距離を置こうとしていた。

 だが、それこそが甘えだったのだ。

「泥まみれ、土まみれ、汗まみれに吐しゃ物まみれになれば同情が引けるとでも? 悪いがね、貴様の兄は其処まで甘くない。今日はここまで、次はもう少し口に見合うものを見せてくれ。話にならないよ、フレイヤ」

「……イエス・マスター」

 向き合うべき壁は、いつも近くにあった。嫉妬し、憧れ、羨んでいた才能と向き合い、利用する。そうしなければ到底、彼の場所には届かない。

 フレイヤは泥の味をかみしめ、立ち上がる。

 彼女は知らず、クルスの来た道を征く。泥と血、そして吐しゃ物が混じった、クソみたいな味。それを噛み締める。


     ○


「すまない、フレイヤ。兄を許しておくれ」

 使用人ですら誰一人立ち入ることが許されぬ、ユングだけの聖域。壁一面に張られた妹の写真、絵画の数々に囲まれ、ユングは哀し気に涙を流す。

「全ては君のためだ。愛しきフレイヤ。君は、あの男には勝てない。妥協しない者はね、最初からしないんだ。きっと君は諦める。私が諦めさせてみせる」

 全ては愛のため。

「全力でへし折るよ。君が選んだ道だ、フレイヤ。嗚呼、悲劇過ぎる」

 およよ、と泣き崩れるユング。

 しかしこの男、妹のためなら何だって出来る男である。彼女が盾を使い始めた段階で、裏でコソ練を開始し、仕事中も毎日盾の戦い方について頭を悩ませ続けていた。それでも仕事を完璧にこなせるのだから、唯一の欠点を除けば完璧超人である。

 その唯一が、

「おお、フレイヤぁぁああ」

 最悪なほどに気持ち悪過ぎるのだが――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る