第215話:あっそびっましょ

「お父様!」

「えへへ、その、ごめんなさい」

「んもう!」

 怒りの娘にアマルティア父、軽快な動きで見事な土下座を決めた。これが大貴族の当主の姿か、とクルスは思うが他の面々に特別驚く様子はない。

 自分がおかしいのかもしれない、クルスは戸惑いの中にいた。

「でも陛下からお願いされたからねえ。なかなか断り辛くって……クルス君もごめんなさいね、試すようなことをして」

「いえ。自分は構いません」

 腰の低い方だな、とクルスは思う。

 ただ、同時にこの場で唯一、腹の底が読めないような気もする。温和で、腰も低く、それ以上に物腰が柔らかい。

 こういう人物をクルスはあまり見たことがなかった。

 だからこそ想う。

 少しだけ怖い、と。

「謝罪すべきは我々です。陛下は我らの陳情を受け入れてくださっただけ。学生を此度の任務に加えること、その懸念が我々にはありましたので」

 クルスに襲い掛かった内の一人、眼鏡をかけた理知的な雰囲気の騎士が進み出る。急いた方は未だにクルスへ敵意のようなものを向けているが、こちらはすでに品定めを終えたのか、そういう節は見受けられない。

「払しょくできましたか?」

「ええ。それなりには。一つ質問を宜しいですか、クルス君」

「イエス・マスター」

「どの段階で我々が姫様を狙う刺客でないと気づいたのか、今後のために伺っておきたく存じます。如何ですか?」

「最初、捕捉した時点です」

「ほう、それは何故?」

 眼鏡をくい、と持ち上げながら問いかける男を見て、クルスはきっとこの人はがり勉タイプだったのだろうな、と勝手な推測をする。

 ちなみに大正解である。

「駅、街、そしてこちらの屋敷に至るまで、あらゆるところに配置されていた騎士の包囲を抜けてきた、にしては杜撰な詰め方でしたので。あそこで木の枝を踏むような者では、そもそもあの山に辿り着いていません」

「ぐっ」

 先ほどから敵意を向けていた騎士が顔を歪ませる。

「なるほど。道理ですね。では、それに関してもう一つ。だから姫様だけではなく、お三方を守ると言う選択を取られた、と言うことですか? これが実戦ではなく演習であるから、貴方はより高い評価を求め、全員を守ることにした、と」

「こら、もう十分だろう。彼は資格を示したじゃないか」

「副団長、これは必要な質問です」

「しかしだなぁ」

 副団長であるマリウスともめる彼に、

「それなら逆でしょう」

 クルスは堂々と、

「逆、とは?」

「殿下の御心はともかく、これが演習だと絶対の確信があれば、私は迷うことなく殿下のみを守り、評価者である皆様の評価を得ようとしました。私の任務は殿下の護衛であり、それは如何なることよりも優先されますから」

 冷たく言い放つ。その言葉には温度がない。ゼロの、フラットな意見。それを聞きソフィアは少しショックを受けたような表情をしていた。マリウス、アマルティア父、奥方、彼らもまた少しばかり驚いていた。

 ただ、アマルティアとイールファナは特に変わりない。アマルティアに至ってはこっそりとお菓子をつまみ食いする始末。

 お太りになられるわけである。

「では、全員を守った理由は?」

「万が一、皆さんが本当の刺客であった場合、彼女たちが危険にさらされてしまう。なら、多少評価を下げてでも、趣旨を多少曲げてでも、全取りを選ぶことにしました。無論、出来るだろう、という推測あってのことですが」

「だろう、で姫様を危険にさらした、と」

「詰め過ぎだ」

「貴方は勘違いされている。自分のだろう、は全員を守り切ることです。地の利を生かし、後顧を断つ隘路なれば、それが出来る、と。そもそも、あの状況で自分が殿下を守れない、それは絶対にあり得ません」

「何故?」

「自分が御三方よりも強いからです」

「「「……」」」

 マリウス含めた三人の騎士がクルスの返しに呆気に取られた。

「ゆえに、最悪でも殿下を守り切ることは、如何なる状況であっても可能でした。ただ、四方から攻められる場合、三人はさすがに守り切れない。それゆえの選択です。何か補足すべきことはありますか?」

「いえ、結構。ふふ、なるほど。マスター・バシュの評価よりもさらに、いくつか抜けた人材であると確認できました」

 男は眼鏡をくい、と持ち上げ、

「遅れ馳せながら、私はイリオス王立騎士団副団長補佐、ユルゲン・コストマンです。無作法、謝罪いたします。そして、ようこそイリオス王立騎士団へ。我々は貴方を戦力と認め、貴方を歓迎いたします」

 恭しくクルスへ手を差し出した。

 クルスはそれを、

「クルス・リンザールです。こちらこそよろしくお願いいたします」

 しかと握り返す。

 この問答を経て、試しは済んだ。

「ほらなぁ。私はこのような真似、する必要はないと言ったのだ。対抗戦だって見ていただろう? あの技の冴えを」

 副団長マリウスは嬉しそうに語る。何せこの男、あの対抗戦中も自分はもっと前から目をかけていた、だの、とてつもない努力家だのと、わいわい騒ぎ立てていたのだ。団の皆が呆れるほどには。

 それだけ嬉しかったのだろう。イリオスと言う国から、これほどの傑物が生まれ出でたことを。例えそれがアスガルドのおかげであったとしても。

「実戦と試合は何処まで行っても同じではありません。それに私が知りたかったのは、剣の腕ではなく気構えの方です。如何なる年度であれ、御三家のトップクラスである以上、能力に疑いはありませんから」

「では、その気構えはどう映った? ん?」

「……今、言った通りです。認めたと言いましたよ、私は」

「はっはっは、おっと、私も自己紹介をすべきだな。同じくイリオス王立騎士団副団長、マリウス・バシュだ。以後よろしく頼む」

「こちらこそ」

 マリウスとも握手を交わすクルス。大きな手である。力強い握手は、先ほどの副団長補佐とは正反対に思えた。

 ゆえにまあ、噛み合う部分もあるのだろう。

「そして今更であるが――」

 マリウスはユルゲンに目配せし、二人は同時にクルスへ向かいひざを折った。

 突然のことに襲われた時よりも驚くクルス。

「かつてのアース事変の折、我々の手落ちで見失ってしまった姫様を守ってくれたこと、改めてここに感謝の意を述べさせていただく」

「あっ」

 つい今日の今日まで忘れていたこと。たまたま思い出した一件は、彼らにとってはとても大きな出来事であった。

 今でも忘れられぬ失態。

「ま、マリウス。あれは、私が感謝すべきことです。そして私が謝罪せねばならぬこと。勝手に抜け出した、私一人の過ちなのですから」

「そのお戯れを見逃したことが問題なのです、殿下」

「……そ、それは」

 如何なる理由があれ、護衛である彼らが姫を見失ったことは事実。そして一人の学生が立ち上がり、守ってくれなければ彼らは永遠に後悔するところであった。

 二度と挽回できぬ、悲劇となっていた可能性が高いのだから。

「頭を上げてください。その件に関しては、その、この剣の購入資金を提供してくださったのですから、自分としては充分に――」

 今回、記憶が完全に戻ったことで色々とクルスの中で結びついた。そりゃあ剣の一振りぐらい資金提供してくれるよな、とは思う。

 あれが完全な仕事であったなら、胸を張ってこの謝罪を受け止めることもやぶさかではない。ただ、あの日はそうでなかった。

「剣一振り、些末なこと。本来もっと尽くさねばならぬところを、学園側から止められてしまったのだ。と言うよりも――」

 言葉を濁すマリウス。その瞬間、クルスは察した。

「ああ。マスター・クロイツェルですか。まあ、クソみたいな人ですけど、この件に関しては同意ですね。あの頃の自分は、ただ一人守り切る力すら持たなかった。弱く、脆く、それゆえに殿下の御身を危険にさらした身です」

 感謝に値しない。それどころか、思い出しただけで腸が煮えくり返る想いであった。あのザマで、忘れていたとはいえ感謝を受け取れたな、と。

 歪で未熟、一人では立つことすら出来ぬ半人前。

 それがかつての自分であった。自らを守ることしか出来ぬ、弱く不完全な守りの剣。今ならばわかる。あの頃の自分がどれほど足りぬ存在であったかが。

「まあまあ、その辺にしましょう。これから共に手を携え、大役をこなす仲間ではないですか? みんな仲良く、おいしいご飯でも食べましょう」

 ぱんぱん、と手を叩き引き締まった空気を解きほぐすアマルティア父。

「ママ?」

「もうあちらの部屋で準備させていますよ」

「さすがですねえ。では皆さん、景気付けにパーッといっちゃいましょう。パーッと。我が領自慢の小麦にて作らせた、焼きたてのパンは絶品ですぞ」

「マジ美味い」

 甘いもの以外は結構味にうるさいイールファナの太鼓判。アマルティアもウキウキでソフィアを捕まえ、抱っこして別室へ向かう。

 お腹が空いていたのだろう。その足は先ほど、騎士の皆から逃げていた時よりも幾分か速い気がした。さすがに気のせいだと思いたいが。

「騎士の皆さまもどうぞどうぞ」

「では、ご相伴にあずかります」

「旅は道連れ、世は情けですなぁ」

 マリウスと共に部屋から出ていくアマルティア父を見送りながら、一緒に退出するもう一人の騎士、その消えていない敵意にクルスは当然気づいていた。

 察し、イールファナもいそいそと部屋を出る。

 残ったのは――

「歓迎、されていませんね」

「申し訳ありません。少々、複雑な事情がありまして」

 副団長補佐、ユルゲンであった。

「聞いても?」

「構いませんよ。彼はまあ、いわゆるイリオスの名門生まれで、イリオスの学校を首席で卒業した者です。有望な若手ですね。勤続二年、そして……今回の外遊を機に姫様の御付きになることがほぼ、決まっていたのです」

「……なるほど。そりゃあ敵意も向けられますか」

 そんな状況下で、突然降って湧いたクルス・リンザールと言う選択肢。そうなるべく昔から準備していた者にとっては、当たり前だが嬉しい状況ではない。

 クルスは苦笑しながら納得する。

(とは言え、今回の仕事を円滑に進めるためには、御付きに興味がある、としておかねばならない。もちろん今回は外遊の護衛、それだけだ。ただ、当然先方はその先も期待しているし、端からそれをへし折るのは得策じゃない)

 痛しかゆし、御付きに興味がないと知られたなら、残るのは下心のみ。しかもそれはソフィア姫が危険な状況に見舞われることを祈るようなこと。

 耳障りはよくない。

「騎士にとって王族の御付きになることは一つの到達点です。家格を、家名を、一気に飛躍させてくれます。彼にとってもこの状況は屈辱でしょうが、それ以上に家からの圧も凄まじい、と言うことだけはご留意頂けると助かります」

「承知いたしました。名門も大変ですね」

「ふっ、その名門を君は巡り会わせと、その実力で追い抜いたのだから凄まじいことです。私にはとても真似できません」

「かなり腕が立つとお見受けしますが? 少なくとも、副団長殿よりも」

「一応、これでも君のOBですからね」

「……アスガルド卒ですか」

「ええ。アスガルド生まれ、アスガルド育ち。でも、就職先はイリオスです。成績は大体十番前後でしたか。そんな私がエリート扱いなのがイリオスの騎士団です。ゆえに、私からの忠告はただ一つ」

 ユルゲンは真っすぐ、クルスを見据える。

「あの化け物の巣窟でトップを狙える男が、わざわざここまで落ちてくることはありません。上を目指しなさい」

 クルスの肩をぽんと叩いた後、ユルゲンもまた部屋を出ようと踵を返す。

 ただ、はたと立ち止まり、

「あまり言うべきことではありませんが、外様はやり辛いことも伝えておきましょうか。どんな組織にも派閥があり、群れて戦うのが人の常です」

 最後に言うべきことを伝える。

 残されたクルスは、

「……大変な仕事になりそうだな」

 想定していた敵、それにもう一つの陣営を付け加えた。イリオス王立騎士団。今回の任務、外遊の結果で割を食う陣営が敵に回る可能性があるのは当然だが、姫が死なぬ程度に任務を失敗させ、クルスやユルゲンなどの足を引っ張る内部勢力に関しても警戒を怠るわけにはいかない。

 それを彼は最後に伝えたのだろう。

 もう一つ、警戒しておけ、と。

 辺り一面敵だらけ。想像よりも随分とハードな仕事になりそうである。しかも内側の敵に関しては、なかなか客観的に見て加点がつきづらい。

 対処しても旨味のない相手である。


     ○


「聞いたかい? イリオスの件、運命を感じるよねぇ」

「……」

「はは、そう怒らない怒らない。ボクの喜びは君の喜び、違うかい?」

「……その通りです、レイル様」

「ノンノン、ここではシャハルだよ。そう決めたじゃないか」

「……そうでした」

 レイル・イスティナーイーことシャハルは不敵な笑みを浮かべていた。背後に並べられた棺、其処には――

「随分と増えましたね、コレクション」

「せっせと墓荒らししてくれる同士のおかげさ。彼の熱意には頭が下がるよ。おかげでボクは上質な実験体をたくさん得ることが出来る。ただ、一つ残念なのは、彼が死体にしか興味を持たないことかな。たまには生体も、ねえ」

「この前のは良い出来でしたね」

「ああ。第三と第五に妨害されたのね。あれはよかった。さすが、一流の騎士は違うね。騎士級に近い戦士級だった。素晴らしいデータが取れたよ」

 彼は、彼女は、無邪気に笑う。

 悪意はない。彼女にあるのはただの知的好奇心のみ、である。

 そのためなら何でもできてしまうのが――

「今回は色々と趣向を変えてある。さあ、愛するボクの親友よ。君は気づけるかな、今回の仕掛けに。そして、ボクに届くかな、届くといいなぁ」

 シャハルの御付きは主の様子を見て、ぐにゃりと憎悪に顔を歪めた。敬愛する霊長の頂点、神をも超えた奇跡と崇める存在が凡夫に傾倒する。

 それは彼女にとって許しがたいことであったのだ。

「一応、『一番』出しておこうかな」

「私がおります」

「君は以前の第十二騎士隊同様、旧式だからねぇ」

「騎士として、クルス・リンザールにも、その死体にも劣る気はありません」

「ボクはちょっと見劣りすると思うけどなぁ」

「……っ」

「まあでも、君が言うならあくまで用意だけ。ボクの守りは君に一任しよう。でも、難しそうならこれを出すよ。ボクはずっと、うずうずしていたんだ」

「……」

「彼がこれを見て、どういう貌になるか、ってね」

 無邪気に、魅力的に、彼は満面の笑みを浮かべる。友達に自慢の玩具を見せびらかしに行く、子どものような顔で――

「さあ、クールスくん、あっそびっましょ」

 悪魔の所業を、成す。

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