第214話:ちょうちょ山での戦い
「ここが室温低めのハウスです!」
「こっちは高め」
「ここは種類が少なくて手狭ですけど、なななんと室温零度まで下げてます!」
(普通に凄いな)
最初は金持ちの道楽か、と思っていたが、世界中の蝶を最適な環境で飼育するため、種への理解、それに伴う膨大な知識に莫大な労力を見て、クルスは圧倒されていた。蝶が好きなのだろう、とは思っていたがここまでとは考えていなかったのだ。
「マスターほどではないですが、私も結構ちょうちょマスターを目指し日夜努力しているのです。まあ、その、夏季以外は管理、お任せですけど、その」
もじもじと恥ずかしそうにしているアマルティア。
それを言うならただ捕獲技術があるだけで、特に蝶の種類や飼育環境などに興味を持ったことのない自分が、これだけのめり込んでいる彼女にちやほやされていた事実の方がよほど恥ずかしいだろ、とクルスは思う。
あくまで自分にとって蝶は幼少期、村に娯楽が何もなかったから皆がこぞって捕まえていただけであり、その後に関しては『先生』から強制的に捕獲することを義務付けられていただけであった。
これほどの熱意を蝶へ向けたことは一度もない。
無論、これだけの金を投じることも出来なかったが――
「あ、不死蝶ですね、これ」
「さすがソフィー。目の付け所がグッドですぅ。この前たまたま旅行先の崖で見つけて、がしっと捕まえちゃいました」
(おー、懐かしい)
かつてアースで見た不死蝶。それが脳裏に浮かぶ。
同時に――
(ん?)
一緒にいた子の、ずっと思い出せなかった少女『アルマ』の顔が浮かぶ。
それは、
(え? いや、それは、さすがに、無いと思うんだけど)
今、アマルティアとちょうちょを見て笑い合うソフィア姫と重なって見えた。ただ、その場合は随分と舐めた口を利いていたことになるし、何よりもとんでもない危険にさらしたことにもなる。
「どうしました、その、クルスさん」
「い、いえ。何でも」
「あ、ソフィーに見惚れちゃだめですよ! 私のでっす」
「アマルティアのじゃないですよ」
「ええ!?」
今まで押しても引いても開かなかった記憶の蓋。それが因縁の蝶起因で開くことになろうとは、クルスは考えもしていなかった。
とりあえず言及は避けよう、そう結論を出す。
(今ならあんな醜態、晒しはしない)
兵士級如きに後れを取るものか、と一人反省と奮起するクルスであった。
そしてもう一つ気づくが、
(つーか俺の討伐数、改竄されてるじゃねえか!)
今更である。
○
「んもう、あなた! 殿下を困らせちゃいけませんよ」
「いやぁ、そのですねえ」
「何か?」
「……実は――」
アマルティアパパ、困り顔で頬をぽりぽりとかく。
○
ちょうちょ山、これまた壮大な屋敷の裏山を一つ、虫かごとしてイリオス内外からイリオスに似た環境下で生きる蝶のみを解き放ち、それらがどう広まるのか、どうこの地に根付くのか、そういう観察をするための壮大な実験場である。
やることの規模も凄いが、やってみようとするアイデアと熱意も凄い。
(そりゃあ自慢したくもなるな、これは)
もう二度と彼女の前でちょうちょマスターなどとは名乗るまい、そうクルスは堅く心に誓う。これだけのものを見せられたのだから、まあそれも当然だろう。
「マスター!」
「あ、はい」
「なんでそんなに恐縮しているんですか?」
「いや、何でもないです」
「変なの。あ、それでですね、ソフィーがどうしても、あれを見たいと言うんですよ。やはりマスターと言えばあれじゃないですかぁ」
「……あれね。いや、でも、大したことないよ。ほんと」
「そんなことありません!」
アマルティアのキラキラした視線が胸に突き刺さる。ついでに隣のソフィア姫の目もキラキラしていた。唯一、興味なさそうに隙あらば何処かにもたれかかっているイールファナだけが、目の端だけ死んだ目をこちらへ向けていた。
たぶん彼女、一定時間以上外にいるだけでストレスを感じるらしい。
ガチの引きこもりである。
「じゃあ、一回だけ」
すぅ、まるで小川がさらさらと流れるような、穏やかかつ滑らかな手つきでクルスの手が虚空を撫でる。
彼はそちらを見ていなかったはず。
それなのに、彼は斜め後ろ方向にいた蝶を捕獲していたのだ。
蝶が、捕獲されたと気づかぬほどの柔らかさで――
「ひょ!? ま、マスター! み、見ましたか、ソフィー」
「う、うん! 神業ですよね!」
「ええ。さすがマスターでっす! 日進月歩、どれだけ極めても立ち止まらない姿にやる気を貰えます。私もまだまだですぅ」
ソフィアの目がより輝き、アマルティアに至っては目に涙を浮かべていた。興味なさげだったイールファナすらぱちぱちと軽く拍手をしている。
「な、何か俺やっちゃいました?」
「マスター超えてゴッドです。ちょうちょ神でっす!」
「それは勘弁してくれ」
人間、身に着けた技能が何処で活きるかはわからない。死に物狂いで剣を鍛え、高め、ようやく辿り着いたゼロの境地。其処に至る過程でクルスの捕獲技術もまた、他の追随を許さぬほどに仕上がっていたのだ。
本人の自覚せぬところで。
「もう一回! もう一回!」
「だ、だから一度だけだって」
「駄目ですか?」
「ぐっ」
ソフィアの目を潤ませた下から見上げる必殺のモーション。自覚しているわけではないだろうが、その破壊力は一般的男子学生には強烈過ぎる破壊力を備えていた。
(危ない。不滅団の連中なら死んでいたぞ)
不滅団(ディン入り)を思い浮かべ、彼らが光となって消えることをクルスは想像する。多分消えた方が良いな、と思ったのは内緒である。
まあ、一回も二回も同じか、とクルスが折れかけた時、
(……?)
遠く、何者かが枝を折る音がした。ほんのかすかな機微、遠いが、明らかに足音を消して移動している。枝の折れた音もかなり小さかった。
つまり――
「残念ながらまた今度だ」
「えー!」
「失礼」
「へ?」
クルスはソフィアの腰に手を回す。彼女はいきなりの行動に頬を赤らめ、アマルティアとイールファナはびっくりしながら目を白黒させていた。
だが、
「ファナもだ」
「……やだ。そんな、格好」
「四の五の言うな」
「……」
からの筒を抱え込むかのようなスタイルで、ソフィアとイールファナを抱え込む。赤らめた頬は一瞬で収まり、あとは真顔となっていた。
さながら、薪の束を抱え込むような図。ロマンスの欠片もない。
「走れるか、アマルティア」
「……う、うん!」
クルスの真剣な表情に彼女らも遅ればせながら気づく。
何かが迫っていることを。
「ついてこい」
クルスが走り始めると同時に、気配を消しながらこちらへ近づいていた連中もまた、一斉に走り始めた。
(速い。明らかに訓練を受けた者の足だ。二人、いや、三人。まずいな)
さすがちょうちょを追いかけ回し、野山を駆け回っているだけありアマルティアの足も一般人としてはかなりのもの。思っていた以上にしっかり走ってくれるが、相手の速力も思っていた以上ではあった。
これでは追い付かれる。
そう判断したクルスは頭の中で計算する。自らのフィジーク、その数値に魔力を乗せた場合の、出力を。
「アマルティア」
「は、はい!」
「腕の力に自信は?」
「ないでっす!」
「……なら、足でも頑張れ」
「ふえ!?」
「おんぶだ!」
「わ、私、こう見えて結構重いですよ?」
「どう見ても重いから大丈夫だ!」
「……」
アマルティア、容赦なくがっちりと、クルスへの殺意すらこもっているかのような力で、腕で首に巻き付き、足は腰をがっちりホールドする。
(ぐ、お、こ、こいつ、脂肪の下に筋肉も隠してやがった。目算より重たいじゃねえか! だ、だが、やれる。俺は騎士だ。騎士は、超人なんだよ!)
クルス、気迫で立つ。
女の子とは言え三人、軽量級である二人の内どちらかがフレイヤであれば無理だったかもしれない。でも、何とか耐えられた。騎士だから。
貧相な器であれ、この三年間必死に鍛え上げた体はしっかり期待に応えてくれる。立って、走る。問題ない。
筋出力と魔力、しっかりとコントロールする。特に魔力の流れには細心の注意がいる。アマルティアが想定外に重かったため、其処のコントロールが乱れると最悪腰をいわし、その後の行動に支障をきたしかねないから。
「おお、すごい」
「お褒め、預かり、光栄だよ、ファナお嬢様」
「薪束扱いじゃなかったら惚れていた」
「そりゃあ、どうも!」
三人抱えてもなお、クルスが全力で走った方が速い。見た目はしなやかで、筋量自体はそれほどに見えないが、それでも彼は御三家アスガルドの学生である。
選ばれしエリート、その中でもまれた。
しかも黄金世代、ディンやアンディ、女子ならフレイヤなどを筆頭に、世間一般では化け物とみなされる連中と比較されてきたのだ。
本年度のアスガルド王立学園騎士科五学年では凡人、クルス・リンザールであっても、世間様から見れば立派な化け物である。
「は、速いな」
「ええ。さすがのスペックですね」
追う彼らも足を速めるが、容易く追いつきそうにない。ただ、あんな走りがずっと続くわけもなく、必ず体力は尽きる。
立ち回り的に追い立てているのは山の奥、それも上へ上へと歩を進ませている。さしもの四強も、三人を抱えてはこの辺りが限界か。
まあ他の三人、特にソロンならそれでも悠々と相手より早く動き、コースの主導権を握って悠々と下山して見せるのだろうが。
筋出力、魔力の合算が一番低いクルスではそこまでは望めない。
だから――
「ですが、良い判断ではない」
「……」
彼が三人を守ると判断した時点で、それは間違いとなる。
少なくとも追いかけっこの観点のみで言えば――
○
「クルス、前!」
「わかっている」
「……あっ、そういう」
クルスは三人を抱え、視界が開けた場所に駆け込む。
其処は、崖っぷちであった。
息を切らせながらクルスは三人を下ろし、崖側に寄ってもらう。背後は断崖絶壁、騎士ですら容易く上り下りできる環境ではない。
ゆえに一般人にとっては窮地以外の何物でもなかった。
そう、
「……なるほど。地形は把握済み、でしたか。ただ、その目算はあっていますか?」
彼女たちの前にクルス・リンザールがいなければ。
「ええ。もちろん」
呼吸を入れ、クルスは笑みと共にゼロ・シルトの構えを取る。
その瞬間、
「っ」
圧が、追いついてきた刺客たちを襲う。御三家アスガルド、対抗戦優勝年の裏エース。それはもう、その時点で騎士を目指す者、騎士になった者を含めてすら上澄み中の上澄みであるのだ。
三対一、されど地の利を生かせば数的有利を消すことも出来る。何より、後背が崖ならば背後から彼女たちを狙われる心配がなくなる。
人間一人、その両手で守れる範囲には限りはあれど、其処に収める状況を作ることで、一人でも全てに行き届くことは可能であるのだ。
そんなクルスの背中を見て、
「「「……」」」
危機的状況であるのに、彼女たちは微塵もそんな気がしなかった。彼の背中が雄弁に語っている。絶対に守る、と。
それだけの努力を積んできた。だから、その自信がある、と。
「挟みで」
「「イエス・マスター」」
三人中二人が剣を引き抜き、
「「エンチャント」」
それに魔力を込め、クルスめがけて駆け出す。
クルスもまた、
「エンチャント」
薄く水色がかった剣に魔力を流した。眼前の二人は左右に分かれ、崖の縁に沿って走ってくる。最大まで地の利を使い、挟撃に持ち込もうという腹なのだろう。
悪くない練度である。
ただ、
(ぬるい)
クロイツェル率いる第七チームに比べると、それこそ雲泥の差。そしてクルスの基準は常に、あの夏体験した彼らに、それを指揮するクロイツェルにある。
挟むことだけに意識がいき、攻撃の重ねが少しずれている。これだけで攻略する糸口がいくつか芽生え、相手に手札を自ら与えているに等しい。
甘い、浅い、何よりも力が足りない。
「なっ!?」
右手、勢い勇んだのか急いた方を剣ではなく手で、剣閃をくぐるように持ち手を捕らえた。そのままひねり上げ、剣を落とさせ無力化する。
それとほぼ同時に逆側は、手の返しだけで小さな、最小のカウンターを決めた。相手の騎士剣をからめとり、それを別の方向へ飛ばし、こちらも無力化。
そして腕を取った方を、彼の勢いを使い振り回して、そのまま二人をぶつけ、重ねてぶっ倒す。彼ら、二人の首の間に悠々と剣を突き立て、
「一応、これぐらいは出来ますが……お眼鏡に適いましたか?」
「実力はもちろん状況判断も的確、ですか」
無血にて勝負は決した。
残りの一人はフードを脱ぎ、
「お見事!」
「ま、マリウス!?」
其処から現れたイリオス王立騎士団副団長、マリウス・バシュは嬉しそうに手を叩いた。クルスも苦笑しながら二人を解放する。
「ど、どういうことですかぁ?」
「見ての通りだよ、アマルティア。俺たちはどうやら担がれたらしい。あまりにも下手過ぎて逆に疑っていなかったが、君の御父上にもね」
「……ふえ?」
これはソフィアが姫と知らされた状態で、クルスがどう動くかを見定めるための、いわば試験であったのだ。
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