第212話:祝勝会、からの~
「……お前は何してんだ?」
「見りゃわかるだろ。肉焼いてんだよ」
「……そうか」
クルスが言いたかったのはお坊ちゃんであるはずのアンディが何故、焼き手側に回っているのか、であったが、本人は楽しそうなので何も言わず――
「一枚くれ」
「脂身カットしとくか?」
「……ちょい残しで」
「へっへ、丸くなったねえ」
「……たまにはいいだろ」
さすが巨大ホテルグループの息子であるにもかかわらず、家族そろって自分たちが料理屋とかほざくだけはあり、カットからして巧みのそれであった。
薄く、細く、幾度も砥ぎ、削れ、鋭さを増したステーキ用の包丁。機能性を追求したわけではなく、機能している内に機能的になった。
使い込み、研ぎ澄まし、後天的に業物と成ったそれをフィレ肉、その芯である最高級部位を惜しげもなく厚くカットする。
クルスは先ほどからずっと、遠目で見ていた。アンディが肉の塊を磨いている様を。肉磨き、脂や筋など余計な部分を取り除く工程であるが、普段素人がそれを見ることはない。巨大な肉塊、これだけ高級ホテルともなると半分近くが端材となり、まかないや廃棄となる模様。もったいない、と思うと同時にクルスは震えた。
アンディが扱う肉、其処に浮かぶ細やかなサシに。
満遍なく複雑に入り組んだサシ、それが生み出す極上のピンク色。
この前出た肉よりもさらに『上』を用意してきた。素人目にもわかる。
頂点、その文字が肉に浮かんでいた。
「フィレの真ん中が一番うまいんだよ。食ったことあるか?」
「ないッ!」
「だっはっは。消えるぜ、マジで」
「消える、だとぉ」
何を隠そう、クルスは肉が好きであった。この一年、いや、四学年の時も含めたら二年か、摂生に努め、細くしなやかな体を作り上げたが、本当は暴飲暴食がしたかった。肉を腹いっぱい詰め込みたかった。
一つ大きな壁を越え、懸案であった夏の予定も埋まった。
今日ぐらいええやろがい。心の声が叫びまくっている。
「よく肉って産地が大事だ、ブランドが大事だって言われるけど、ガキの頃から卸の現場とか見て思うのは、やっぱ牛って個体なんだよ。そりゃあ有名ブランド牛の方が再現性は高い。美味さの平均値はダンチだ。でも、最高ってやつを探すなら、やっぱ世界中を駆けずり回って、今この瞬間、最高の仕上がった個体を探さなきゃいけない。わかるか、クルス。こいつがそれだ」
(どうでもいいから早く焼けよ)
「アスガルド北部アミット牛。まだ無名だが学園附属の魔導研究所、化学系と組んで品種改良に努めている野心的畜産家、その最高傑作だ。品評会では目利きのバイヤーが一目見て椅子から転げ落ちたらしい。その落札金額、なんと二千万リア!」
(早く早く)
「新進気鋭とは言え無名のブランド牛についた値としては世界最高かもな」
(早くしろ)
「それで――」
アンディの蘊蓄は続く。何を隠そう、この男もまた騎士の道かステーキ屋か、どちらかで子どもの頃とても迷ったほど肉が好きな男であった。
結果としてたぶん才能あるから、と親に薦められアスガルドの学園に入ったが、今でも帰郷の度に冷蔵室に入り浸る程度には肉好きである。
なので普段大雑把な癖に、牛に関しては微に入り細を穿つ。
あと、肉が分厚いので焼きにかなり時間がかかるから、その穴埋めとしての牛トークであった。理由としてはそちらの方が大きい。
肉が一番大事。
鉄板でじゅ、と火を入れ、表面に焼き色を入れて、最高のタイミングで鉄板の熱が低い場所へ移動し、蓋をかぶせる。
この見切りこそ焼きの神髄、まだまだ当ホテルお抱えの最上級シェフには届かないが、それでもアンディはこの刹那に魂を込めた。
「この、プレッシャーは!?」
クルス、鬼気迫るアンディに気圧される。
ソロンにも近い、この圧は――
「見えたッ!」
クワッ、アンディは目を見開き、肉を封じ蒸すための蓋を開放する。肉の香りが会場に広がった。ディンが、デリングが、男の子全員がその異質な気配に気づく。
あのイールファスすら――
「……」
「ばっちいから口閉じて。恥ずかしい」
あんぐりと口を開け、よだれを垂らしていた。それを頬を赤らめながら双子のイールファナが必死に拭う。も、あとからあとから湧いている。
それほどの引力。
最上級の肉、最上の焼き、そして華麗なる包丁さばき。
息を呑むピンク色。焼く前とは違う、完成された究極の美。
これが――頂天。
「おあがりよ」
「……ありがとう」
クルスはただ、感謝を伝えていた。アンディは「へへ」と鼻の頭をさする。
言葉は要らない。
焼きたて、最初はそのまま、塩と胡椒だけのシンプルな味付け。
それを今までの全てに感謝を込めて、口の中に入れる。
噛む。
「ッ!?」
否、噛もうとしたのに、消えた。まるで飲み物のように、ほどけ、とろけ、すっと消える。柔らかいとかいう次元ではない。
無。でも、確かにそれは其処に在った。
後を引く美味しさ。それでいて後味は決してしつこくなく、さわやかさすら孕んでいる。価値観が覆った。クルスの中で世界ランクが変動した。
ティア1、アミット牛のフィレ、真芯焼き。
端的に言おう。
「クッソうめえ」
「だろ?」
最高に美味しかった。ごちそうさまです、と。
食材への、生産者への、感謝を込めて。クソありがとう。
「言い忘れていたが……こいつは雌牛だ」
「これが、雌牛」
結局個体差なのはもちろんだが、肉業界では半ば定説化されていることがある。それは雌牛が美味い、と言うこと。同じブランド牛でも雄より肉質が柔らかく、かつ脂の融点が低くさらりとしている、そういう特徴があると言われている。
ただ、当然子を成すことのできる雌牛は繁殖に回したく、なかなか市場に出回ることはない。結果、現在世に出回る大半のブランド牛は去勢牛となっている。
百年前に起きた魔導革命、それによる近代化は畜産の世界も大きく変えた。
その最先端にして最高傑作、最高級部位を最高の業でいただく。
これ以上の幸せがあろうか、いやない。
「俺にもちょうだい」
感動し天を仰ぐクルスの背後からよだれを垂らしたイールファスがひょっこり現れた。その飢えた獣を見て、アンディは微笑む。
「任せな」
その瞬間、
「俺もだ!」
「俺にもくれ!」
「同じの喰いたい!」
男の子たちが押し寄せる。普段は礼節を弁え、騎士科の皆は魔法科や貴族科を立て、譲るはずだが、残念だが肉の魔力の前には勝てなかった。
骨肉の争いが起きる。
「馬鹿野郎。同じ肉なんてのはこの世に存在しねえ! 同じ部位でも切る場所が違えば味は変わるんだよ!」
バカ騒ぎにではなく、誤った発言に怒るアンディ。気分は完全に職人のそれである。だが、一応補足しておくと彼は騎士科の上位陣なのだ。
忘れそうになるが。
そんな様子を見て、
「バッカじゃないの?」
「あはは」
「男ってホント馬鹿」
ラビやリリアン、フラウら女性陣は冷めた目で見つめていた。魔法科もそうだが、貴族科の女性陣の冷めた眼と言ったら絶対零度である。
なお、
「わたくしも!」
「私に寄越せ!」
女性陣でもそうじゃないのもいる。
人間だもの。
○
「夏の予定ねえ」
腹も満たされ、一休みとなると話題は自然に直近の話となる。
騎士科の面々にとっては進路も絡む話。少し前までは言い辛い部分もあった。
だが、
「安心しろ。ビリッケツの俺にもオファーは来た!」
今年度最下位、例年では中堅だから、と言い訳を叫びながらビリに沈んだ男が口火を切ったことで、その話題が解禁となる。
誰もが話したかったことであるが、特に四学年の時期などは皆が露骨にその話題を口にすることを避けていた。ただ、五学年の末ともなると皆同期との比較ではなく、嫌でも自分の現在地点から考えることになるため、話題にしても角は立たない。
まあ、多少の嫉妬などはあるだろうが――
「そもそもアスガルド志望って誰なんだ?」
誰もが羨む附属の団。普通は皆、この学び舎を選んだのであれば其処を第一志望とするはず。しかし――
「わたくしはユニオンを目指しますわ」
フレイヤがとうとう自ら明言し、場は大いに賑わった。誰もが鉄板だと思っていた枠が空いたのだ。其処に誰が座るか、気になるというもの。
「未来の近衛隊長と呼べ」
「いよ、コネ王!」
「逆玉!」
「はっはっは、なんとでも言え」
一周回り同期から弄られ始めたデリングは当然アスガルド志望。と言うかガッチガチの内定組である。
「俺もユニオンだ。クルスは?」
「ユニオンを目指す」
ディン、クルスはユニオン志望。クルスは明言していなかったが、今の彼が其処を目指すことに驚きを見せる者などいない。
ですよね、となる。
なお、ミラとイールファスは聞かれもしない。
ブレず我が道を行くから。
「俺もユニオン志望だぞ!」
「アンディ、お前は、頭が……」
「おい!」
アンディもユニオン志望であるが、正直実力はともかく座学の成績など不安要素も多い。彼は第一志望しか口にしないが、実は第二志望の方が気になってしまう。
場合によってはかち合ってしまう可能性があるため。
それは避けたいのだ。なんだかんだ、間違いなく剣の腕だけならディンらの次ぐ位置を陣取る実力者であるから。
「俺はそのまま」
フィンは当初の予定通りリヴィエール。
「私もおかげさまでほぼ決まり」
フラウは堅実にアスガルドを狙い、上位が軒並み他を目指していたから、ほぼ内定といえるものがすでに出ていた。
無論、彼女の実力あってこそだが。
「ラビちゃんもアスガルド?」
「第二志望、かな」
「え!?」
例年であれば上位間違いなし、総合力の高さが売りであるラビの進路には皆気になっていたところ。この志望者数なら、間違いなく彼女が席を埋めてくる。
そう思っていた矢先に、この発言である。
「ラビちゃんもユニオン目指すの?」
「違うって。私もそこまで馬鹿じゃない。いや、馬鹿か。馬鹿な選択なんだけどさ、一応、レムリア受けようかなって」
「レムリア!?」
「故郷で、ずっと憧れの騎士団だったから。何とか受かりそうなアスガルドを入試難度で選んだことも後悔したし、今度は後悔したくないなって思ったの」
ティル・ナの時も話題となった御三家間の入団。タブーとされてきた流れもあり、実力があっても容易く入団と言うわけにはいかないだろう。
そんなことは賢い彼女にもわかっている。
それでも悔いのない道を選ぶ、それがラビ・アマダの選択であった。
「リリアンは?」
座学の女王、リリアンも実技含めてとても頑張り、しっかりと中堅上位の位置を確保していた。彼女の進路も――
「私は……リヴィエールかな」
「へ!? 国立志望だって、昔言ってたじゃん」
「うん。でも、全力で、持てる力をすべて使って戦うクルス君を見ていたら、私もそうしなくちゃな、って思ったの。国立志望もね、少しでもキャナダインの名が意味を持たないようにって、ただそれだけの理由だったから」
「……」
「逆だよね。この名も私の一部なら、一番それが有効に使える場所を選ぶべき。だから、リヴィエール。全てを使って、全力で、前に進もうと思う」
「……なるほどね」
まさかのリヴィエール。彼女の名は、その環境で大いに輝くだろう。騎士になった後のことを考えた進路選択。
自分の手札とにらめっこして、彼女は選んだ。
つまり――
「僕、ワンチャンあるか? アスガルド」
空前絶後の附属校が不人気と言う珍事が発生していた。
とは言え、
「馬鹿。もう一人いるだろ? なあ、ヴァル」
「あっ」
嫌な男ヴァル。この男は国立志望であったし、こんな好機を見逃すわけがない。何よりも周りががっかりする選択を取ることで定評がある。
彼は実力的にも、性格的にも、アスガルドで決まり――
「……ワーテゥル」
「くっそ、忘れていたぜ、ヴァルのこ、と……今なんて言った?」
「ワーテゥルだ」
ヴァルは吐き捨てるようにそう言った。クルスらも驚くヴァルらしくない選択。彼なら安定を求め国立を選ぶ。
其処に疑いはなかったから。
「なんでだ!?」
「気でも狂ったか? そりゃあ私設騎士団として名門だけど、上の連中が暴走してくれたおかげでほぼ内定だぞ、アスガルドが。それ蹴る話か?」
一周して本気で心配する者まで出る始末。
とうのヴァルは顔をしかめながら思い浮かべる。
人生最大の分岐点を。
それは春先のこと――
『ウェイ』
『はい?』
突然、うさん臭さ前回の白スーツおじさんが彼に声をかけてきた。なんでこんな危なそうな男が学園の敷地内に、といぶかしむも、
『君いいね。凄くいい。眼がね、バッチバチに渇いている。飢えている』
男が放つ謎の圧に、当時のヴァルは気圧されていた。
『勝ちたいんだろ、クルス・リンザールに』
『なっ、は、はは。もう飲み込んでいますよ。あいつと俺の、差は』
『勝てるよ。うちにくれば。君は必ず勝てる』
『それは、もう、無理ですよ。俺とあいつじゃ――』
『無理ってのは嘘つきの言葉なんだよ。出来るさ、考え方を変えればイージー。社会人の価値ってなに? 答えは、こ・れ』
男は指で丸を作る。
それはコインの、金貨の形にも似ていた。
つまり、金である。
『君がバリバリ働いちゃったら、それこそ倍、いや三倍はいけちゃうよ。ユニオンって給料普通だから、うちならポンポンポーン! アゲアゲエブリデイってわけ』
『……?』
『一緒に勝とうよ、ついでにお金稼いで人生豊かになっちゃおう! これ、そういうお話。戦いたいなら、勝ちたいなら、うちしかない』
『……そ、それは』
『ウェーイ』
『う、うぇい』
拳を合わせ、気づいたら契約書にサインまでしていた。夏休みもワーテゥルで早速インターン、と言う名の実戦投入の運びとなっている。
そんなことを、彼は思い出していた。
そんなこと、
「……稼げる、からなァ」
言えないから、これで誤魔化すしかない。
「俺と同じ理由うぇーい」
「それ、やめろ。トラウマが」
フィンが拳を突き出してくるも、ヴァルはうなだれてそれを拒否した。まさかのヴァルまでアスガルドではない選択を取っていたとは――
「俺もワーテゥルから誘われたな。ユニオン落ちたら一緒にウェイしよって」
「ウェイ?」
上位陣が軒並みアスガルドを回避。まさかのデリング、フラウしかいないとなれば、俄然やる気がみなぎる中堅勢。棚から騎士剣、諦めかけていた希望に一筋の光が差す。憧れの騎士団、其処を目指す道が拓けたのだ。
「ウォォォォォオオ!」
騎士科、大盛り上がり。
そんな様子を尻目に、
「ユニオンは夏の研修なんてないが、ディンはどうするんだ?」
「内緒だ。秘密の特訓予定。打倒、クルス・リンザールってな」
「……ほぉ」
クルスとディンは食後の紅茶でまったりしながら駄弁っていた。
「そういうクルスは?」
「一度故郷に帰るよ。そこでお仕事体験だな」
「イリオスに?」
「ああ。そんなに驚くことか?」
「いや、そうだな。今のお前さんなら驚かねえよ」
かつて故郷の名すら口にしなかった男がそれを口にした。何か特別な用向きがあることは想像に難くないが、それでも一年前なら考えられなかったこと。
険が取れた。少し、彼らしさが戻ってきた気がする。
「ゆっくりして来いよ」
「意外と忙しいかもしれないぞ」
「それならそれでもいいさ」
「なんだそれ」
二人とも砕けたように微笑む。
その穏やかな空気に、
「聞きましたね、ファナちゃん」
「聞いた、アマルティア」
ぬっと、二人が割って入る。
「ど、どうした?」
「何を隠そう」
「私たちもイリオスへ行く」
「「ゆえに――」」
こんなにこの二人、仲良しだったか。
そんな疑問符を抱きながら――
○
「さあ、ちょうちょ探索の旅に出ますよ!」
「「おー!」」
「……は?」
クルスは今、イリオスに戻っていた。イリオスはイリオスだが見知らぬ土地である。広大極まる敷地、その広さはゲリンゼル何個分かもわからぬほど。
そして、ドデカい屋敷に、無数のメイドたちがずらり。
「まずは肩慣らしに私の秘密のスポットを紹介しましょう。ふっふっふ、ようやくマスターに教えることが出来ます。私の原点を!」
「私は去年見たから、お屋敷で休みたい」
「駄目でーす! 去年には去年の、今年には今年のちょうちょがいます」
「……暑い」
ディクテオンの領地、アマルティアの実家に何故かクルスは来ることになった。そりゃあ仕事の開始は少し先であったが、まさかこちらで待機していてほしい、と先方からわざわざ指示が来るとは思っていなかったのだ。
「あ、あの」
見知らぬ少女がクルスに声をかけようとして、でも出来ずにおどおどしていた。
その様子を見て、
「あ、この子は私のお友達です! マスターも仲良くしてくださいね」
いつにも増してアマルティアのリーダーシップが輝く。
「あ、ああ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします。クルス様」
「様は、やめてほしいかな」
「はい!」
どこかで見た気がする笑顔。ただ、思い出せない。それに何故だろうか、彼女の格好もどこか見覚えがあるような――
「いざ!」
とりあえず全員、麦わら帽子をかぶりいざ出陣。
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