第209話:同じ地平に臨む

「すまない、ジュリア」

「いい勝負だったじゃん。見応えあったよ」

「……手応えは、遠かったけどね」

「そりゃまあ四強様ですから」

 テラすらも届かなかった頂。果敢に挑んだこと自体、ジュリアからすれば称賛に値する。自分には無理だ、と彼女は思う。

 クルス・リンザールのスタートを知る。

 知っていてなお、正々堂々と立ち向かえるのは心が強い証。あの時点では自分の方が強かった。サマースクールの時だって一発喰わされたことはあるが、それでも総合力ではまだ勝っていたはず。

 今は遥か彼方、であるが。

「出来る限りのことはしてきまーす」

「武運を」

 ハイタッチ、すれ違いながら二人は苦く微笑む。もう、この時点で優勝はない。其処に夢を見られるほど、彼らは愚か者ではいられないのだ。

 ジェームズ・ウォーカー、リュリュ・ラテュ、彼らだって弱くはない。むしろ強い。特に後者はどの学校でもエース、ないし二番手には絶対食い込む。

 そんな彼らですら夢を見ることすら許されなかった。

 歴代でも高い総合力を持ち、決勝まで上り詰めた今のメガラニカですら、そう諦めざるを得ないほど、やはり今年のアスガルドは最強なのだ。

 二つ星、誰が天を二つも抱える学校に届こうか。

 それでもここまで勝ち上がってきた。

 もう勝ち目がないので参りました、では終われない。


     ○


「さすがですわね」

「ああ」

「昨日みたいに卑下しませんの?」

「相手を下げる行為だからな。胸を張って歩くさ」

「そう」

 ハイタッチはない。威風堂々、勝利を胸に舞台を去るクルス。大歓声、二人の戦いが、クルス・リンザールと言う星がこれを生み出した。

 三強の大会になる、と言われた大会も終わりが近づいてみれば四強の、もっと言えばクルス・リンザールの大会だった、となるだろう。

 自分はもちろん、同じ地平に立つイールファスですら今回は脇役。

 主役の出番が終わり、あとは締めを待つばかり。

 別にそのことに異論はない。

 自分が一番それを理解している。

「わたくしで終わらせますわ」

「甘く見るなよ」

「わたくしが負けると?」

「足元をすくわれる可能性はある」

「侮らないでくださいまし」

 フレイヤ・ヴァナディースはまっすぐ歩く。

 この大会の幕を、己が手で引くために。


     ○


 次鋒戦、ここの予想はフレイヤ有利、であった。

 ここまでの試合でアスラク戦を除き圧倒してきた実績が皆に勝利を確信させていた。ジュリアも決して悪くはない。ただ、ここまで彼女は圧倒的ではなく、苦しみながら勝ちを拾う試合展開が続いていた。

 だからフレイヤ有利、とは言え――

「……冗談、きついって」

「ふゥ!」

 ここまで圧倒的だとは誰も思っていなかった。

 これまでの試合が全然本気ではなかったかのような、猛烈な力攻め。速さに自信を持つジュリア。回避にも自信を持つ。単純な力自慢には負けない。

 そう思っていた。

 でも――

「ハァッ!」

 ここまで出力差が大きいと、自慢の回避に、自信を持つ速度に、自信が持てなくなってしまうのだ。避けることは出来ている。

 でも、怖い。

(……こんなん魔族じゃん)

 メガラニカの時も感じていた。

 大き過ぎる力の、才能の差。

(やっぱ、化け物よね。でも、それ、知ってんのよ。前からさァ!)

 女性最強。メガラニカを知り、テラを知り、いつの間にか切り替わっていた自分の中での目標。それはあの日、騎士級との戦いの中で完全に崩れ去った。

 ノア、クルス、彼らの活躍ばかり目が行く中、ジュリアはクルスを守るフレイヤに視線が吸い込まれていた。誰がために、力を振り絞り大盾で道を切り開く。

 彼女にしか出来ぬ芸当。

 しかも、彼女は腕が折れていた。それでも弱み一つ見せずに守り切った。化け物じみた出力と、守る時に見せる尋常ならざる覚悟。

 逃げ場であった女性最強、その目標も届かないと知った。


 かつて通っていた学校では常に一番であった。そういえば対抗戦は初戦敗退していたけれど、昔の自分にとって世界は其処だけのちっぽけで、狭いものだった。

 それは上位校に編入する、そう決めた後もそう。

 編入を志す者は大体がジュリアのようなステップアップ、もしくは騎士学校へ通うことを諦めきれない零れ落ちた者たちである。レベルは正直高くない。

 だから、其処でも彼女はトップクラスだった。

 フレンはまあ、有名な『例外』であったが、それでも衝撃ではあった。自分が最強と信じて疑わなかったのに、自分よりも明らかに優れていたから。

 だけど、彼は例外と横に置いた。当時はまだやれる範囲だったし。三強は見ての通り例外。テラにも敗れた。同世代の有名な名門出、彼も例外とした。

 どんどん、例外は増えていく。

 レムリアには選ばれず、しぶしぶメガラニカに行った。テラはさておき、すぐに二番手に成れると信じて疑わなかった。

 でも、現実は全然甘くなく、元々想定していた座学のマイナスを差し引いたところで、よく見ても中堅上位、その程度でしかなかったのだ。

 最強を目指していたはずの自分が、である。

 自分は天才ではなかった。

 とっくに気づいていた。それでも見ないようにしていた。負けてない。何とかなる。何とかして見せる。せめて女性の中では――

 久しぶりに再会したフレンは突き抜けていた。久しぶりに再会した、正直負けると微塵も思っていなかったクルスも猛烈な追い上げを見せていた。

 言い訳の芽もどんどん消えていく。

 誰がために真骨頂を発揮したフレイヤ、あの姿に最後の逃げ場も崩れ去った。

 かつて抱いた幻想はもう何処にもない。

 それを信じるには彼女は世界を知り過ぎた。いや、知ってなお足掻き、届いた友人がいるのだから、それも結局言い訳でしかないのだろう。

 自分を見つめ直し、メガラニカの教師陣に相談しながら剣を再構成した。身の丈にあった剣、合理的で、凡夫の自分に合った剣を得て、彼女は編入した際の目標を達成することが出来た。達成した後に、それを思い出して苦笑した。

 諦めて辿り着く場所もあるのだと。

 しかし今――

「ちィっ!」

「御免あそばせ」

「な、はやッ!?」

 その剣は暴力的な出力、才能を前に潰されかけていた。自分が苦労して、試行錯誤を繰り返して削ったコンマを、彼女はただ少し本気を出して動くだけで達成できる。苦心して削り出した一秒を、ただ力を入れて動くだけで手にすることができる。

 卑怯だ、とジュリアは思った。

 盾でぶん殴られ、ぶっ飛びながら――

「はぁ、はぁ」

 着地、即接近。馬鹿げた出力を持つモンスターを相手に、何もかもが軽い己が戦うなら、やはり間合いを削るしかない。

 最高速は相手の方がずっと上なのだから。

 俊敏性しか戦える手札がないから。

「まだ、やりますの?」

 風格の塊、威圧的にフレイヤが問うてくる。

「モチのロンじゃい! あたしは、メガラニカの代表だ!」

「奇遇ですわね」

 盾のぶん回しを回避、下へ潜り込み剣を伸ばす。

 が、

「わたくしも代表ですの」

 剣の一撃によって上からジュリアを叩き潰す。ギリギリ反応し、咄嗟に上段の切り落としを受けたが、地面に叩き付けられ危うく吐しゃ物をまき散らしそうになる。

 何もかもが違い過ぎる。

 しかも腹立たしいのは、なぜか今日に限ってこの女があの日と同じ、覚悟を決めたような顔をしていることである。

(あの芋男、何か吹き込みやがったなぁ。要らんことすんなアホぉ)

 それでも叩きつけられた次の瞬間には追撃から逃れるために、吐き気を抱えながら気合で後退、距離を取った。

 必死である。ただ、誰の目にも劣勢は明らかであったが。

「げほ、ごほ、あー、くそ、しんどー」

 誰にも見えぬよう口の端からこぼれる血をぬぐい、今一度近接戦を試みる。それしかない。それ以外、そもそも戦える土俵に自分はいない。

 間合いを与えるな。間合いを潰し、勝負しろ。

(こわぁ)

 顔を歪めながら、それでもジュリアは征く。クルスは自分よりもずっと恐ろしい領域を、道を選んだ。フレンはその彼を守るために騎士として死んだ。

 自分だってあの二人と肩を並べたのだ。

 勝てっこない。そう思うけど、どうしても浮かぶのだ。負けたくない、と。

 だから、征く。

「……」

 それを――


     ○


 昨夜、明日に差し障るとソロンとノアを追い出し、フレンと腰を落ち着けて会話した後、彼女がクルスを待っていた。

 話がしたい、と。

 だから宿舎のバルコニーで二人、話すことにした。ここ数日の彼女を見て、クルスもそうすべきだと思っていたから。

 ただ、

「クルスは異性を好きになったこと、あります?」

 こういう話だとは思っていなかったが。

 あまり色恋沙汰をフレイヤが口にしているところを見たことがない。そういうのが大好きなラビが話を振っても、リリアンと一緒に苦笑いで流すだけ。

 そういう印象である。

 とは言え、顔つきが随分と神妙であったから、

「あるよ」

 クルスは正直に話すことにした。今更、特に隠すことでもないから。

「あ、ありますの!?」

 自分で聞いておいてここまで驚かれるのも、逆に驚きである。クルス・リンザールを何だと思っているのか、と逆に問い詰めたくなる。

「幼馴染だ。名前はエッダ。たぶん、両想いだったと思う」

「……その人のことは、今でも?」

「いや。随分前になくなったよ、その気持ちは」

「何故?」

「……あまり聞いていて愉快な話じゃないぞ」

「構いませんわよ。もったいぶらずに教えてくださいまし」

 催促するフレイヤを見つめ、クルスはため息とともに続ける。

「……俺の父親が開墾した土地を隣村の連中にかすめ取られて、それで動かしていた人員やらの金かな、それを工面するために手元の土地を売った。それまでは貧乏でもそこそこ周りからの信頼も厚かったらしいんだが……掌返しだ」

「それが何の――」

「先行きのない家に娘を嫁がせたい親がいるか? しかも次男坊だぞ?」

「……あっ」

 クルスは顔をぐにゃりと歪め、哂う。

「娘を飛び越え、親からストップがかかった。だから、その話はおしまいなんだよ。結婚って、そういうものだろ? 結局、損得が全てだ」

 何も知らないエッダを見るのは辛かった。何よりも自分が苦しかった。

 逃げたい、と思った。

 でも、何処にも逃げ場なんてなかった。その時は――

「くく、今なら掌返して娘を売り込みに来るかもな。あんなちんけな村、零細騎士であろうが嫁げば大事件だ。笑えるだろ、ほんと……クソだぜ」

「……笑いませんわ」

 クルスは天を仰ぎ、星を眺める。

 夏の夜空、雲一つない天は星が良く見える。

「例えば、俺がフレイヤのことを好きだとする」

「へ!?」

 ぼっ、と頬を赤らめるフレイヤ。ただ、クルスは空を見ているため気づかない。まあ、気づいたとはいえ、後に続く言葉を聞けばその色も失せるが。

「でも、今の俺じゃエッダの時同様、必ずどこかでストップがかかる。それはクソ農民も騎士の世界も一緒だ。つがいの価値は、釣り合わねばならないから」

「い、今のクルスなら、いけるかもしれませんわよ。ユニオンに入れば、尚更」

「楽観的だな。でも、無理だよ。秩序の騎士なんて中途も含めたら毎年十人以上成ることが出来る。狭き門のようで大したことない。それならデリングの方がよほど価値のあるポジションだし、実際に市場価値もあいつの方がずっと高いだろ」

 王族付き、それはユニオンとは別軸の騎士の高みである。成ろうと思って成れるものではない。王族の成長タイミングによる兼ね合いもある。

 希少価値の高さは、ただそれだけで市場価値にもつながる。

「たかが秩序の騎士。それでも隊長格なら、グランドマスターなら、どうだ? 選択肢は広がるだろ? さすがに価値も上がるはずだ」

「そ、それは、穿ち過ぎだと思いますわ」

「俺の魔力量、知ってるか?」

「え、ええ」

「低いだろ? しかも体格まで貧相と来た。最悪の種牡馬だ。俺が騎士の家の家長なら絶対に選びたくないね。そのマイナス条件を覆すなら、やっぱり成るしかねえんだよ。てっぺんに。ひっくり返すには、それしかねえ」

 クルスの眼に燃えるは野心、執念。何処かそれは復讐の色にも似ていた。

 剣を握れば消えるものも、それ以外の時は逆に強く抱く。自分を見つめ直し、クソみたいに狭量で、動機も極めて浅く、あの小川のようなちんけな存在だと認識した今、このクソみたいな野心と執念すら愛すことが出来る。

 負の感情こそが自分の原動力、前へ進む力なのだから。

「その、ただの恋愛感情は、今、誰かを好きになったりは?」

「今の俺がその感情に溺れて、何の意味がある?」

「……」

「俺が今、フレイヤ・ヴァナディースを好きだと言ったとして、何処に辿り着く? 君への解答はこれで充分だろ」

 クルスはフレイヤに『答えて』、彼女の横を通り過ぎていく。

 失恋とかではない。

 そもそも自分たちは同じ地平に立っていない。釣り合わない。

 クルスはそう返したのだ。

 フレイヤの想いを見透かして――

「……」

 彼女は拳を握り、歯を食いしばった。自分の浅はかな想いが、彼にこれを言わせてしまったから。もっと早く、自分こそが気付き言葉を押し留めるべきだった。

 彼を傷つける前に。傷を抉るより前に。

「……馬鹿ですわね、本当に。わたくしは、いつまで――」

 自分がヴァナディースである限り、クルスの器で結婚相手に選定されることはない。血の価値を保つためにも、相手は厳選する。

 それがヴァナディースの基本方針である。

 自分が家に縛られ続ける限り、その芽はないのだ。例え互いに想い合おうとも、普通の道の先にゴールは存在しない。

 もし、彼が仮に隊長格に、グランドマスターになれば、そういう例外もあるかもしれない。それを待つのか。何もせずに、ただ座して――

「……ありえませんわ」

 フレイヤは自らの手を、血が滲むほどに握りしめる。

 彼を愛している。

 その気持ちは認めるしかない。もはや疑う気もない。

 ただ、同時に女として座して待つ。その選択肢もありえない、と彼女の心は一蹴する。自分は女である前に、騎士である。

 そう在りたいと想う。

 ならば――

「貴方は戻り、成った。わたくしは……進み、成りますわ」

 女の自分、騎士の自分、それを両立する道はただ一つ。

 彼女は今日の星に誓う。もう、迷いはしない、と。


     ○


 フレイヤ・ヴァナディースは力で粉砕した。

「あ、が」

 ハエでも叩くかのような強烈な叩き落とし。あえてジュリアを自分の近くまで引き込み、その剣を喉元近くまで伸ばさせ、回避不能のタイミングでその全てを力でひっくり返した。単なる暴力、彼女が誇りとし、同時に忌み嫌う英雄の血。

 相手の加速を、最高速を、微塵も寄せ付けず、叩き落とした刹那からただの一歩も、ほんの僅かな慣性すらも許さずただ地面へ張り付ける。

 イールファスをも彷彿とさせる文字通り力の差を見せつけ、

「勝負あり! 勝者、フレイヤ・ヴァナディース!」

 フレイヤは当然のようにその手を天に掲げた。

 剣を握る手ではなく、盾と共にある手を。

 それならば届く、と誇示するかのように。

 肩を並べ、騎士として共に歩み続ける。とても簡単なことだったのだ。だって、どう考えてもそれが一番、彼と永い時間を共に過ごす方法であったから。

 誰がための騎士は哂う。不純極まる己に。

「そして優勝は、アスガルド王立学園ッ!」

 大歓声が降り注ぐ。彼女を、アスガルドを、王者を称える声が。

 復権、王者アスガルド。

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