第205話:かつて『天才』と呼ばれた男

「お疲れ様。見事な仕事だった」

「……馬鹿にするな」

 ソロンは勝利を掴んだアスラクをねぎらうも、ねぎらわれた当人は馬鹿にされていると思い顔をしかめた。

 そう返されソロンは苦笑する。

「馬鹿になどしていないさ。調子を落とそうが彼女は実力者だ。並大抵の者じゃ勝ち切ることなどできんよ。如何なる策があろうとも、ね」

「……」

「アスラクのおかげでログレスは『もし』を手に入れられたわけだ」

「……貴様が倒れた今、それに何の意味がある?」

「はは、耳が痛い」

 まったく悪びれることなく笑みを浮かべるソロンを見て、アスラクはため息をついた。この男、名が汚れることを毛ほども気にしないのだ。

 結局、彼『ら』は他者の評価などどうでもいいのだろう。

 裏を返せば――

「そもそもどうやって学校側を説き伏せた?」

「先鋒のこと?」

「それしかないだろ」

 アスラク、リュリュ、代表二人とも寝耳に水。突然オーダーが切り替わった。ソロンと学校側で何かあったとしか思えない。

 だが、それが何かまるで見当がつかないのだ。

「簡単なことだ。俺は随分特別扱いしてもらったが、俺も学校のためにそれなりに働いてきた。出たくもない拳闘大会に出て学校の名声を高める、とか。学校側はそのために我が一族の就職先など、国に働き掛けてくれたりしていたわけだ」

「そ、それは俺に言ってもいいことか?」

「聞いたアスラクが悪い。ま、その全てを洗いざらいぶちまけるぞ、と脅したら折れてくれたよ。学校側と一族の蜜月は崩れたが仕方がない」

「……」

 自らのしがらみすら利用し、この男はエゴを通した。彼を『大人』と信じ、全てを共有してきた学校と一族全てに後ろ足で砂をかける行為。

 そしてそのことを微塵も反省していないのだ、この男は。

 誰もが見誤っていた。

 ソロン・グローリーは『大人』である、その大前提が崩れ去る。

「イールファスじゃ駄目だったのか?」

「試合見ただろ? 俺だから、この舞台だから、クルス・リンザールは完成した。最高の結果だよ。悔しくて悔しくて仕方がない。こんなに苦しい気分は初めてだ」

(なら、何故貴様は俺たちが見たことのないような笑顔なんだよ)

 敗れた辛酸すらこの男には未知の体験、衝撃の快感に変わるのだろう。アスラクには理解できぬ頂点ゆえの苦悩があったのかもしれない。

「さあ、最後の応援をしようか」

「……最後とは限らん」

「君ならともかくリュリュたちじゃ無理だ。その君も目標のログレス入りが確定してから、明らかに成長が鈍った。残念だが……この先に可能性はないよ」

 これで一勝一敗。

「あの男に俺のような甘さはない。形作りなど期待しない方が良い」

「……」

 されど――


     ○


 無言で舞台を降りるフレイヤをクルスが出迎える。

「……申し訳ありません」

「調子が良ければ、と考えるなよ。相手の組み立てが巧みだった。剣と盾の切り替えを狙うのは俺も考えていたが、面の制圧力を持つ盾の死角、と言うのはシンプルだが見事な解だ。癪だがさすがソロン。仕事をやり切ったアスラクも見事だ」

 クルスはねぎらいの言葉をかけず、ただ事実のみを述べる。如何なる言葉であろうが、不本意な敗北を喫した者には通じない。

 感情を逆なでるだけなのは、彼も経験済みである。

「次、勝てばいい」

「……貴方がいなければ、その次はありませんでしたわ」

「無意味だな。それを言ったらフレイヤがいなければアスガルドは初戦敗退している。少し頭を冷やしてこい。君らしくないぞ」

「……わたくし、らしさ?」

 フレイヤはクルスをじっと見据える。その視線、弱弱しい眼に、クルスは少し眉をひそめる。彼女らしくない、そう思ったから。

 ただ、それは――

「失礼しましたわ。次までには必ず、切り替えますから」

「あ、ああ」

 フレイヤがひたむきで朗らかなクルスの一面を、彼の全てと思っていたようなもの。高貴なる騎士、それを体現するフレイヤ・ヴァナディース。

 その姿はあくまで彼女の一面でしかない。


     ○


「あー、やだねえ」

 最優の騎士学校、ログレスの三番手であり『天才』リュリュ・ラテュ。

 彼の年、特待生として三名が最優の学び舎へ招かれた。ログレスでもそこそこ有名な家柄であり、幼少期から周りは彼を天才ともてはやした。

 実際に要領よく何でも、誰よりも器用にこなすことが出来た。入学前、学校側の評価としては三者横並び、それほどの高評価であったのだ。

「処刑台へ上がる気持ちってこういうのなのかなぁ」

 誰もが輝かしい将来を嘱望した。

 自身もそれを信じて疑わなかった。

 しかし、入学してすぐ壁にぶつかり、その自負は粉々に砕け散ったのだ。

「君がいたらぁ、僕が代表入りせずに済んだのになぁ」

 超名門の貴種、ディン・クレンツェによって。

『やるなぁ。またやろうぜ、リュリュ』

『あ、ああ!』

 要領がいい。かつてのリュリュはそれを良いことだと信じて疑わなかった。だが、彼と出会い、彼の積み重ねを感じて思った。

 その分厚さを体感して知った。自分は浅い部分だけをさらい、それですべてを知った気になっていたのだと。

 あの日、ただ器用なだけだった男は砕け散った。

 そして、生まれ変わる、はずだった。

『クレンツェとグローリー、前へ』

『『イエス・マスター』』

 自分を砕け散らせた壁は、別の壁に木っ端みじんにされた。信じられなかった。信じたくなかった。

 彼は何度も挑戦した。挑戦し続けた。

 悲壮感すら漂うほどに。

 あの男はそれを嬉々として砕いた。嬉しそうに砕き続けた。自分が負けるよりずっと心が軋んだ。自分が生涯をかけ追いかけ、共に歩むと決めた背中がどんどんくすんでいく。どんどん卑屈に、丸くなっていく。

 地獄のような一年間であった。

 騎士の家ゆえ、超名門のお家騒動は嫌でも耳に入ってくる。逸材ゆえに期待は大きく、その分一族から受けるプレッシャーはすさまじかったのだろう。

 自分の家とは規模が違うのだ。

 彼が立てなくなり、学校を去った頃には、『天才』と呼ばれたリュリュも、それに比肩する才能を持つ者たちも皆、同じように心が折れてしまっていた。

 教室の空気は死んでいたと思う。

 フレンが来て、少しだけ空気が変わった。ただ、一度折れた者たちが奮起することはなく、そのフレンも利き腕を失い学校をやめた。

 最優の学び舎、自分たちの代はその名にふさわしくないと彼は思う。

 何せアスラクを除くほぼ全員、あの一年間を目撃し、頂上を目指すことを諦めたのだ。各々、家の、一族の望む通りに卒業し、就職できたらいい。

 リュリュも一応、すでにログレスから内定をもらっている。

 これで充分、これ以上は望まない。

 それが輝ける男が率いた代、その実情である。

 実力自体は他の代と比較しても遜色ない。むしろ平均的に高いが、それは良い人材が集まっただけ。御三家でもぶっちぎりの人材を抱えながら、

「バッサリとよろしくねぇ」

 その大半を腐らせた。

 いや、太陽が焼き潰した、か。

 彼らは皆、イカロスの翼。太陽に近づき過ぎたから、それに焼き切られた者たち。

 そんな諦めた者を見て、

「……くぁ!」

 イールファスは特大の欠伸をかます。アスラクならまだしも、合同演習の時から目が死んでいるログレスの連中とやる気などしない。

 まだ、土壇場で牙を見せようとしたレムリアの方がマシ。

 まあ、そんな彼の名すらイールファスは記憶していないのだが。

「始めッ!」

 開始の合図、また歩いてくるか、と身構えるも、イールファスはしばし考えこみ、微動だにもしなかった。

 リュリュ、観客も含め全員が疑問符を浮かべる。

「決めた」

 ぽい、とイールファスは剣を捨てた。

 そして、前回のレムリア、ジェームズとの一戦同様ゆったりと歩み始める。

 お前如き素手で充分、そう言われているように思えた。

(そりゃあないよぉ。ひどいなぁ、もぉ)

 そう思いながら、リュリュの貌には笑みが張り付いていた。嗚呼、そうだ。ずっと思っていた。心折れ、頂上を目指すこともせず、ただ漫然と騎士になる。

 そんなものが騎士か。

 学んできた理念と何もかもが違う。

 ログレスのモットーは『全ての守り手たれ』。

 自分の心すら守れないのに?

 いつか、何処かでこうなってほしいと願っていたのかもしれない。

「介錯よろしくゥ!」

 だん、腐っても『天才』この会場でもトップクラスの鋭い踏み込みと共に、リュリュが飛び出す。ようやく終われる。

 その笑みと共に剣を振るった。

 初撃は、空振り。

 それもそのはず、

(ありゃあ)

 リュリュは振り下ろす途中に優しいタッチで剣を手放していたのだ。まるで剣が空中に静止しているかのような絶技。

 その剣を体を入れ替えながら逆の手でつかみ、そのまま縦斬りであった一撃を横薙ぎの回転斬りに変じて振り切る。

 『天才』にしか許されぬ、彼だけのコンビネーション。

 されど――

「……」

 後手確殺。イールファスは騙されることなく剣を振る腕をつかみ、捻り上げる。

(やっぱダメかぁ)

 気づけば手の中は空っぽ。

 剣を奪われ、無様にもすっ転びながら、断罪の剣を待つ。

 剣が突き付けられ、剣を合わせることもなく、またしても瞬殺。

 おそらく、対抗戦初。無手の相手に瞬殺される、無様極まるログレスの学生。最優の名が、『天才』の名が、この刹那で泥にまみれた。

「ありがとねぇ」

「騎士、やめたら?」

「そのつもりぃ」

「ならいい」

 内定辞退しよう。こんな姿をさらしたのなら、きっと許してもらえるはず。

(君は甦った。僕は砕けたまま。何が違ったんだろうなぁ)

 『天才』は歯噛みし、一筋の涙を流した後、騒然とする舞台の上を一礼して去った。もう剣を握ることはない。

 彼はようやく心に寄り添った道を選ぶ。

 ただ、少しだけ思う。

 もし、もし、自分もアスガルドへ行っていたら、自分が共に競い合いたかった男のように、生まれ変わることが出来たのだろうか。

 合同演習での彼を見た時、ふと思った。

 今更、何の意味もない思索であるが。ほんの少しだけ考えてしまう。


 これにて三回戦第一試合終了。

 御三家勝負をアスガルドが制し、上へ駒を進める。

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