第204話:手の届かぬ星を見て――

 試合を終えたクルスはイールファスの前に立つ。

「追いついたぞ」

「見てた」

 相手が相手、本気でやり合ってみないとわからない部分はあるが、それでもクルスの感覚として間違いなく追いついた、そう感じていた。

 そしてそれはイールファスも同じ。

 だからこそ――

「ソロンに勝つとは思っていなかった」

「……俺もだ」

「あはは、其処は正直なんだ」

「もう強がる必要はないからな」

 強いから、驕りでも何でもない。あのソロンを破って自分はまだまだ、弱い、そう思うのは謙虚を通り越して嫌味でしかない。

 無論、まだ肉体の成長はある。もっと改善する余地もある。

 繊細な剣ゆえにより多くの経験を積まねば間違えかねない。たった一度の間違えですべてが崩れ去る剣なのだ。

 それでも胸を張らねばならない。

 それが頂点を墜とすということ。

「俺はいつでもいいぞ」

 幾度も挑戦し、ただの一度も勝ち筋を見出せなかった相手。今ならば見出せる。見出して見せる。

「今でも?」

 イールファスの返しにクルスはひと呼吸入れ、

「今すぐにでも」

 自分はやれる、と言い切る。一度底を突いた体力であるが、ここに至るまで呼吸を入れて少しだけ回復した。この少しでも指し切って見せる。

 万全になるまで待ってくれ。

 それを実戦で言えるか、魔族にそれを言うのか。

 やらねばならぬ時、出来ませんと言わないための経験。其処を突いた今しか出来ぬ、ギリギリの連戦を制したのなら、自分はもっと――

「傲慢。でも卑屈よりずっといい」

「あ?」

「俺はやらないよ。俺はソロンと違って負けの経験なんて欲しくない。かと言って今のクルスに勝っても、ね。消化不良なだけだ」

「……」

「俺に得はない。それに俺は今の余韻を楽しみたいから。クルスは俺を知っている。俺はクルスを今日知った。これで公平、あとはしかるべき時にやる」

 イールファスはクルスに近寄る。

 互いに間合いがほぼ、ゼロとなった。

「嗚呼、ぞくぞくするね。ここが君の間合い。俺の反応は間に合うかな? それとも間に合わないかな? こういう試行錯誤、嫌いじゃない」

「……ソロンと似ているな。少し気持ち悪いぞ」

「あんなガキと一緒にするなよ。あいつは待てない。俺は待てる。かなり違う」

「……その感じが似てるって話なんだけどな」

 今まで三強は全員違う、特性も性格も何もかも。そう思っていたが、どうやらソロンとイールファスは重なる部分があるらしい。

 それがどうにも、居心地が悪いのだが。

「まあ、勝負はまた今度。さっさと優勝してしまおう」

「へえ、意外とやる気はあるんだな」

「別に。退屈だしやる気なんて端からない。でも、やる気があろうとなかろうと、どうやっても負けようがないだろ? ノアもソロンもいない。そして――」

 イールファスはクルスの鼻先に人差し指を向ける。

「俺とクルスが同じチームにいる。フレイヤの勝ち負けはもう関係なくなった。これでもう不安要素はない」

「仲間だぞ」

「俺は嫌いだから。言ってなかったっけ?」

「……初耳だな」

「フレイヤはノアと一緒。もっと性質が悪いのは、ノアは周りと同じ位置まで下がろうとはしないけど、あいつは平気でそれをやる。と言うか、ずっとやってた」

「……単に不器用なだけだと思うがな」

「クルスは彼女に甘いね。それは彼女が好きだから?」

「はァ? 今、そんな話してねえだろ」

「俺はファナを推すよ。周囲に溶け込むことが出来ないから、初めからそれを諦めて頂点を目指している。クルスと同じ、何者でもないからこそ前進し続けられる。全てを持ち合わせているのに、道を選ぶ気もないやつとは違う」

 この男が何を言っているのかわけがわからない。

「……あいつにも色々あるだろ」

 ただ一つだけわかることがある。

「ま、どうでもいいか。すぐにわかるよ。口では耳障りのいい言葉を吐きながら、二番手三番手に甘んじる奴。すぐ、苛立つようになるさ」

「……お前の言っていることがわからない」

「だから焦らずともすぐわかるって。上から人ってね、よく見えるから」

 ソロンと同じ嫌悪の色。眼が似ている。

 ただ、少しだけこの男の方がその気が強い、と言うことか。

「じゃあ、応援しようか。意味ないけど」

「……」

 イールファス・エリュシオンのことをクルスは何も知らない。知っていることは彼の剣だけ。それはきっと、相手も同じ。

 思えばただの一度もそういう会話をしたことがない。

 まあ、そもそもクルス自身故郷の話、ルーツの話を避けていた節があるが――


     ○


 開幕、ログレス次鋒アスラク・ティモネンが仕掛けた。

 普段、どちらかと言えば丁寧な試合運びをするタイプであり、相手が馬力に勝るフレイヤであるため、まさか正面から突っ込んでくるとは思っていなかった。

 ほぼ反射でフレイヤも突っ込む。

 あわや正面衝突、と言うところでアスラクは急旋回し、フレイヤの利き腕側、つまり剣を握る方に回り込んだ。

 慌ててフレイヤも向きを変えるも、アスラクはその動きに沿って旋回、決して側面の位置取りを失おうとしない。

 明らかな、明確な、対フレイヤ用の戦い方。

 たった二戦でしっかりと対策されてしまう。ただ、それは想定内だったはず。相手はソロン・グローリー率いる最優の学び舎ログレスなのだ。

 それなのに――

「……切り替えが鈍い」

 いつもの彼女を知るクルスの眼には盾と剣、その扱いに苦慮していた初期段階に戻っているように見受けられた。

 割り切りも含め、その辺りは練習済みであるはずなのに。

「一息つきたいクルスはわかるけど、イールファスは何していたんだい?」

 エメリヒの問いに、

「次の試合に向けて集中していました」

 何とも嘘くさい言葉を吐くイールファス。当然、エメリヒもそんなもの嘘と判断し、眉をひそめるもそれどころではないため言及を避ける。

「思えば入りから堅かったような気もするね。開戦と同時にアスラク君が動いたけど、いつもの彼女なら遅くとも同じタイミングで突っ込んでいたはず」

「……後手に回ってしのげる手合いじゃないぞ。そいつは仕事をやり切る男だ」

 クルスはどうにもピリッとしないフレイヤの動きにやきもきする。別に剣が不得手と言うわけではない。相手がそう来るなら、剣を振り回せばいいのだ。

 元々ほぼそれのみでアスガルドの二番手を張っていた女である。

 やり様はいくらでもある。

 それなのに――

「これ、負けるね」

「まだ、わからんさ」

「はは、ほんと、クルスは甘いなぁ」

「……」

 彼女からいつもの思い切りが失われていた。


     ○


 ソロンが敗れ、誰よりも衝撃を受けたのは他ならぬログレスの代表者である。アスラクにとっても信じ難い想いであった。それこそ彼とは一年と少し前に拳闘でやり合っている。正直、あの頃の彼なら自分でも勝てると踏んでいた。

 そもそも代表入りするわけがない。

 そんな彼がソロンを破ったのだから、その衝撃は計り知れないだろう。それでも彼は、いや、それだからこそ彼はソロンが構築した対フレイヤ用の戦術を完遂しようと、仕事をきっちりやり遂げようと思っていた。

 自分が勝てば、もしかしたら、が残る。

 もし、ソロンがクルスに勝っていれば、その時点でログレスが勝利していた。

 今更何の意味もない『もし』であるが、それでも――

(……だと言うのに、何だ、このザマは。これはまだ第一段階だぞ)

 利き腕側の側面への張り付きは第一段階に過ぎない。最も厄介な盾の効きを弱めるだけ。当然、ソロンはそれでは足りぬと言っていた。

 その辺の割り切りはすでに出来ているはず、と。

 ゆえに第二段階では剣と盾、その中間を陣取るように動き、左右の動きで切り替えを多発させ揺さぶる。

 そして揺さぶりを経ての最終段階ではあえて盾から攻める。相手の盾で視界を切り、死角から人の弱点である下半身、足を刈り取る。

 始めから終局までのロードマップは出来ていたのに――

(ふざけるな!)

 彼の献策すら無に帰す体たらく。

 アスラクは相手を崩しながらも、その胸の内は穏やかではなかった。


     ○


 なぜこうなった。

 フレイヤの胸中は立て直せぬほどに崩れた現状への後悔が渦巻いていた。

 なぜ初手で突っ込まなかった。

 なぜ相手のわかり切った旋回に反応できなかった。

 なぜ、何故――

 理由はわかっている。

(わたくしは――)

 クルス・リンザールの戦いを見た。心の底から応援していた。勝ってほしいと願っていた。でも、難しいだろうとも思っていた。

 相手はソロン・グローリー。

 騎士を志す同世代なら誰もが知るまさに最強の男、頂点である。

 それをクルスが破った。

 実力で、自らの剣を見つけて、彼は自らの力で天を掴んで見せた。

 勝てない、そう思った。

(どうして、なんで、なぜ――)

 今までそう思ったことは何度でもある。ソロンも、ノアも、イールファスもそう。だけど不思議と悔しいとは思わなかった。

 どちらかと言えば安堵すらしていたかもしれない。

 ノアはともかく、他の二人は一応人間の規格に収まっている。そんな彼らが自分よりも強いと、ヴァナディースの血を色濃く受け継ぐ自分も人間である、そう思えた。上には上がいる。自分も彼らに及ばなかった者たちの仲間だ。

 その輪に居心地のよさすら感じていた。

(違う。でも、だけど――)

 なのに今、フレイヤ・ヴァナディースは今まで感じたことのない焦りに、焦燥感に苛まれていた。追いつけない。置いていかれる。

 もう、肩を並べて歩くことが出来ない。

 あの勝利に喜べない自分がいた。

 仲間の勝利、彼の積み上げてきたものを横で見てきたのに、その苦しみを見つめてきたのに、なぜかそれが喜べない。

 自分はなんと狭量なのか。抜かれて、いざ手が届かぬところに行ってしまい、それに嫉妬心を抱くなんて騎士に、貴族にあらず。

 情けない、あまりにも情けない。

 そう、理屈付けしようとするも、やはり心と噛み合わない。

(――だけど)

 違うのだ。だって、クルス・リンザール以外にはそんなこと思わないから。

 悔しいとは思うだろう。負けるものか、と口にするはず。

 だけど、きっと、フレイヤ・ヴァナディースはあえてそちら側にはいかない。だって、そちら側は化け物の、人間とは違う超越者たちの領域であるから。

 其処へ行けば、人の輪から外れてしまう。

 昔から彼女の中に刻まれていたヴァナディースという呪い。魔力量異常体質に限りなく近い、人外の器を持つ。

 そういう診断が出ていないのはヴァナディースであるから。

 ただそれだけである。

 それが子どものころ嫌だった。みんなと同じが良かった。

 そんな原体験が、彼女の心に知らず知らず、ブレーキをかけていたのかもしれない。今もなお、その呪いは彼女の心に潜んでいる。

 みんなと一緒がいい。その心を否定することなどできない。

 人としてとても自然なことであるから。

 だけど――

(……わたくしは)

 今、無意識にその道を歩み、そして輪の中にいる自分を歯牙にもかけず一気に駆け上がっていった彼を見て、心がぐちゃぐちゃになってしまった。

 そちらへ行きたくない。でも、置いていかれるのはもっと嫌だ。

 クルス・リンザールをずっと見てきた。

 だからわかる。

 彼は振り返ってくれない。輪の中へ戻ってきてくれない。

(わたくしは――)

 自分が行かねば、肩を並べて立つことは永遠にない。

 それを心で理解してしまった。

「まだァ!」

「もう遅いッ!」

「っ!?」

 剛力で剣を、盾を振り回すも、アスラクは第二段階を飛ばし最終段階へ移行する。揺さぶりは必要ない。すでに崩れた、そう判断したのだ。

 盾で視界を切り、死角から足を刈る。

 万全ですら急所を突く輝ける男の策、今の彼女では対応しようがない。

 倒れ、そして剣を突き付けられる。

 その姿がクルスに重なり、なお心がかき乱される。

 情けない。皆に合わせる顔がない。

 あまりにも無様。

「勝負ありッ!」

 皆の代表者である自分が、極めて私的なことに心乱され、自分を見失っていた。立て直そうとしたが、相手はそれを許してくれるほど甘くなかった。

 結果、手も足も出ずに敗れ去る。

(……実に滑稽ですわね、フレイヤ・ヴァナディース)

 彼女は手で目を覆い、歯噛みする。

 今は情けない自分を直視できない。それがまた情けなく、自らが理想とする騎士の姿には程遠い、醜い愚か者が其処に倒れ伏す。

 クルス・リンザール以外なら――

 皮肉にも彼女はその違いを突き付けられ、自分の心に気づいてしまった。

(本当に、愚かですわ)

 届かぬ場所へ、星と成った彼を見て今更気づいた。

 自分はクルス・リンザールが好きであったのだと。

 共に在りたかったのだと。

 今更――

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