第203話:先を見据える者たち

 大歓声が降り注ぐ中、クルスは天を仰ぎながら静かに息を整える。限界、全てを出し切った。これ以上、望むべくもない結果が出た。

 それでも視線は次のステージへ、立ち止まる気にはなれない。

 きっと、自分の剣を選んだ時、その選択肢は潰えたのだろう。

 体が死ぬまで、または心が死ぬまで、クルス・リンザールは進み続ける。

「おめでとう」

「……自分から手を差し出すか、普通」

 クルスが白い目で見下ろすは、クルスへ向けて手を差し出すソロンであった。敗れたくせに曇り一つない笑顔を浮かべている辺り、やはり物が違う。

「実に悔しい。これほど苦く、苦しい想いは初めてだ」

「なら、表情の一つ歪ませてみろよ」

「おや、歪んでいないかい?」

「……微塵もな」

 クルスはその手を取り、敗れ去ったくせに妙に嬉しそうな男を立ち上がらせてやる。掌から感じる力強さ、どうやら――

「やはり、か。ふふ、俺の方が残しているね」

「勝ったのは俺だ」

「其処に異論はないよ」

 手を握る行為にはクルスの『残り』を推し量る意味もあったらしい。そしてそれは逆もまたしかり、クルスもそれを知る。

 次、同じ展開なら敗れるのは自分であると。

 まあ、同じ展開など今の自分なら絶対にさせないが。

「君の、クルス・リンザールの勝ちだ」

 立ち上がったソロンは自らの手で再び、勝者の手を掲げてやる。腹が立つほどに気障な、演出感満点の行為。

 敗者が勝者を称える。これほど美しい光景はなかなかないだろう。

 観客、馬鹿ほど沸く。

「……」

「俺に勝ったのなら、輝いてもらわないと困る」

「……いつかその面、ぐちゃぐちゃにしてやるよ」

「それは簡単だ。君が立ち止まるだけでいい。君に出来るとは思えないがね」

「……ちっ」

 これじゃあどっちが勝ったのかわからない。そう思いながらクルスはため息をついた。達成感よりも、後ろから猛追してくるこの男の方が怖い。

 どうやら、息をつける日は遠そうである。


     ○


 世界中がクルス・リンザールの見せたジャイアントキリングに揺れる中、世界中の何処よりも賑わっていたのが、そう、アスガルド王立学園である。

「ソロンがナンボのもんじゃーい!」

「っしゃあああ!」

 手のひら大回転、早速ミラが先頭に立ち敗者を煽り倒していた。これにはヴァルのにっこり、育ちの悪さが滲むが、一応こんなのでも王族出身である。

 まあ、マグ・メルは色々特殊であるが。

 ついでに隣であまりの感動に叫んでいたアンディは、嬉しさのあまり「うるせえ!」とミラに殴り倒され、幸せそうに気絶していた。

 無法のモンスター、誰かが注意しそうなものだが――

「アスガルド最強! アスガルド最強! 優勝キタァァァアア!」

 一番注意すべき大人の代表、統括教頭リンド・バルデルスがこのざまなのだから、誰にもこの熱狂は止められない。

 責任者も、

「うひょっひょ。酒が進みますのぉ」

 最古参も、

「ふぃぃ、今日ぐらいええじゃろぉ」

 ほろ酔いならぬ、ガン酔い。この二人、クルスの勝利を察した瞬間から、誰よりも速く酒盛りに興じていたのだ。

 見極めの速さ、そして飲酒量。

 さすがは元英雄同士。判断が速い。

 ちょっと前まで後方腕組みで、冷静に戦いを見つめていたディンとデリング、さすがにこの二人は落ち着いているかと思いきや――

「優勝ッ!」

「ダァァァアアアアッ!」

 結局は取り込まれてしまう。もみくちゃになりながら、友の勝利を自分のことのように喜ぶ者たち。五学年の彼らは知っている。三学年の時、アスガルドにやってきた謎の編入生を。座学は特に壊滅的、倶楽部に入るまで誰もが翌年にはいなくなると思っていた。人によっては御三家を舐めるな、と敵愾心を持っていた者すらいる。

 そんな彼がひたむきに努力を積み、幾度も壁にぶつかりながらここまで来た。

 最後の最後で三強の壁すら破った。

 盛り上がりもする。

 五学年や先輩たちはクルス・リンザールの変遷を知るから盛り上がり、

「凄いね、アミュちゃん」

「まあまあじゃん。それでこそアホクソクルスね」

「……私も、頑張ったら――」

「……?」

 後輩たちは道を切り開いた彼の背中に憧れる。

 自分も、自分だって、その熱は彼らを良くも悪くも突き動かすのだろう。

 そんな熱狂の外側で、

「よかったじゃないか、クロイツェル」

「何もよくないわボケ」

 テュールとクロイツェルもまたクルスの勝利を目撃していた。

「これで僕の目論見がパァや。手間のかかるガキやで、ホンマ」

「まあ、あれじゃあ他の隊も獲りに来るよなぁ」

「カスが。段取り、組み直さなあかんか」

「それについてだが……あとで少し話があるんだが」

「ジブンが?」

「ああ。ここから先は普通のやり方じゃ分が悪いだろ? ただでさえ第七は立場が弱い。備えはあっても、捲られる可能性は十分ある」

「……話、一応聞いとこか」

 すでに彼らの視線は勝利の、その先を見据えていた。


     ○


 歓声による振動で世界が揺れる中、レオポルド・ゴエティアは熱狂の外側を歩いていた。皆、会場で奇跡を目撃し浮かれている。

 世界の片隅に注目する者はいない。

 其処に、

「決着がついたようじゃのお」

「これはこれはご老公」

 第五騎士隊隊長、カノッサ・クリュニーが立ち塞がる。杖を突き、吹けば飛びそうな風貌であるが、相手は未だ現役の秩序の騎士、しかも隊長格である。

「貴方まで来られているとは。我らがグランドマスターはよほどこの地で何かが起きるという確信があったようだ」

「卿もおろう?」

「私は私用ですよ。金の卵探しにね。残念ながら呼ばれていません」

「信頼されておらぬようじゃのお」

「新参者の辛いところですね。いつか勝ち取りたいものです」

「信頼を? それとも……」

「愚問ですね」

 垂れ下がった杖。もたれかかっているように見えるが、よく見ると杖に体重は載っていない。それと同時に見えるは明らかな臨戦態勢。

 いつでもやれる。姿勢がそう言っている。

「私は秩序の騎士ですから」

「卿の秩序はちと、わしらのそれとは違うように映るがの」

「それは否定しません」

 彼らと自分たち、すでに勢力としては問題なく渡り合える程度に、第十二騎士隊は他の隊との連携を強めつつある。

 世の流れに逆らう方と世の流れに乗る方、形勢は自然と傾く。

 彼らが王の騎士である限り、政治でレオポルドが後手に回ることはない。

 当然、責められる道理もない。

「……で、金の卵は見つかったか?」

「ええ。もちろん。うちも獲りに行きますよ、クルス・リンザールを」

「ふは、あれだけの大所帯でまだ増やすつもりとは」

「新人は、獲っていませんから。それ以外の理由に関しては他の隊の失態に他ならない。私は組織のために異動を受け入れているだけ。その分を食わせるのも少々骨が折れましてね。たまには役得も欲しいじゃないですか」

「よくいう」

「正論でしょう? それに結果も出している。これ以上は不毛でしょう。話すなら会議の場で、正々堂々獲り合いましょうか。今日誕生した金の卵を」

 堂々、『名人』と謳われた男の間合いを素通りするレオポルド。

 『名人』もまた微動だにもしない。

「あの小僧、オファーが出るのではないか? ん?」

「三人の時点で例外中の例外。四人目はありませんよ。確かに彼は結果を示しましたが、たった一回では三人に比べ積み重ねが足りない」

「たった一度の勝利が猫を獅子に変えることもあろう。今日はそういう日であった」

「だとしても、です」

 レオポルド自身、積み重ねが重要などとは露とも思っていない。間違いなく現状、四人の中でクルス・リンザールを一番高く評価しているのが彼である。

 彼の黒髪から感じさせる諸々を考慮に入れずとも、先の戦いを見ていればわかる。ひと呼吸で、多少消耗していたとはいえ相手の体力を削り切った。

 疲労の極致で、最後の一手までただの一度も間違えなかった。

 それゆえの勝利であろう。そうなると確信したから彼は席を立った。

 凄まじい勢いで詰まりゆく体力差、そして眼の色に宿る経験の差を見て――

 潰れかけたからこそ至った極地だが、至った今なら万全に戻れば今のところ四強内最強であるのは間違いない。

 まだ道半ばである者たちと到達者であれば当然のこと。

 あの圧倒的な継戦能力と卓越した判断力。実戦でこそさらに輝く欲しい人材である。もっと言えば、自分の手元に置いておかねば厄介な存在である、とも言える。

「私は正々堂々、獲りに行くまでです。王道こそが一番の近道ですから」

 ゆえに第七から、クロイツェルから引き離さねばならない。

 レオポルドが、サブラグが最も警戒する騎士こそ、レフ・クロイツェルであるのだから。あの男に、新時代の剣を渡すのは危険である。

 自分が管理する。正しく、安全に。

「では失敬」

 それに彼は自分の創る新たなる秩序を担う人材になり得る。きっと、彼ならば同胞たちも許してくれるだろう。

 そして願わくば――

「……ほざきよる」

 カノッサは頭をかく。正々堂々、彼はそう言ったが、多くの隊を連携と称し掌握する彼にとって、正々堂々としたくじ引きこそ一番勝率が高いのだ。

 関係の深い隊なら、異動やトレードと言う手段がいくらでも使える。

 そうするための交渉材料など政治に長けるあの男ならいくらでもあるだろう。その辺りが第七の、クロイツェルの弱さ。

 彼は必ず其処を突く。

「まずいのぉ」

 たかが一人、されど世の中を動かすのはレオポルドのような一握りの人間である。クルス・リンザールがそういう人材かはわからないが、もしそうであるならそんなものをあの男の手に渡らせたら、鬼に金棒を渡すようなもの。

 第七、クロイツェルのことはカノッサもあまり好ましく思っていない。

 が、どちらが良いかと言えば――

 どう転ぶにせよ四人目のオファーは難しい。カノッサらが推そうにも、レオポルドの派閥が全員そろって首を横に振る。

 そうなればオファーを出す、隊の選択をクルスに委ねるという選択肢が消える。

 よほどのことがなければ――


     ○


 揺れる世界中とは相反し、葬式状態なのがログレス陣営。

 その騎士団内では――

「よくもやりやがったな、ティル!」

「テメエ、後輩にどんな教育してんだ!」

「あっはっは、いやぁ、気分爽快ですねえ。アスガルド最強!」

「この野郎!」

 先輩や後輩の騎士たちからやいやい言われるアスガルドの卒業生、ティル・ナがいた。ソロンの実力を知るがゆえ、優勝を確信して浮かれていたのが一転、嘆き悲しむ皆の姿に不謹慎ながらティルはゲラゲラ笑っていた。

 あの時の少年が、今の自分よりも遥かに強い男を倒して見せたのだ。

 ほんの少し前に、自分に手も足も出なかった少年が、である。

 自分がメラ・メルを倒すようなもの。そう思うと胸がすく思いがした。同時に自らの可能性に蓋をしていた自分を顧みることにもなり、少し苦く思うが――

(俺よりもずっと、いい気分だろうな。エイルよ)

 あまり関わりのなかった先輩は大笑いし、皆を煽り倒した。

 これでも結構普段は皆と仲がいいのだから、やはりこの男は大物なのだろう。


     ○


「ふふぉいふぁ、ふぁのふぉは(凄いな、あの子は)」

「はいはい」

 口いっぱいに食事を詰め込みながら話そうとするアセナのほっぺや口元を拭きながら、エイルは後輩の躍進に胸躍らせていた。

 勝利の瞬間咆哮し、少し騒がせてしまい今は大人しくしているが、それでも胸の奥からふつふつと沸き上がる感情はなかなか抑え難きものであった。

 あの子が、クルス・リンザールが天井を突き抜けた。

 自分と被せていたような子が、気づけば彼方まで駆け抜けていった。

 時の経つ速さ。そして成長するために変わった彼の心の強さを誇りに思う。

「んぐ、ぶは、第五に来ないかな、あの子」

「さすがに無理だよ。私で随分無理をしたみたいだから」

「ふーん、よくわからない。でも、エイルちゃんが言うならそうなのだろう」

「あ、あはは」

 今のクルスなら間違いなくユニオン騎士団に入ることが出来る。ただ、アセナの時とは違いすでに三つもオファーが出ている今、第七の周到な準備が裏目に出つつある。奪い合いになれば、『公平』なくじ引きとなり第七に不利。

 派閥のことは一年いて彼女もそれなりに把握している。

 第一、第二、第四が手を挙げられないのも不利がつくだろう。第五が手を挙げても前述の通り、くじに参加できるかも怪しい。

 それに、

「第三は? 私、よくご飯をおごってもらっているぞ。優しい人たちばかりだ」

「難しいと思うよ」

「なぜ?」

「……偶然かもしれないが、あの隊マスター・ブロセリアンドが隊長になってから、男はほとんど獲っていないからね」

「なんと。知らなかった」

 第三も厳しい。と言うかマリやヘレナの方が獲りに行く可能性は高い。

 そんな気がした。


     ○


「静粛に、静粛に!」

 まったく収まる気配を見せない盛り上がりを、運営である連盟の皆様が抑え込もうと必死に駆け回っていた。あまり進行が遅れると色々と齟齬が生まれてしまう。

 ただ、彼らにとってもこの一戦は悪くない、むしろ素晴らしい結果となった。

 メイクドラマ、このくじ引きが引き起こした奇跡の三回戦第一試合。今日この日まで「やり過ぎだ」「少しは加減しろ」「塩梅ってもんがあるだろ」とくじ引きにしたことを責められ、なんとひどい世の中なのだと呪っていた。

 しかし、この奇跡の一戦はくじ引きでこそ生まれたと言える。まあ、そうでなくともそうなのだと言い張るつもりである。

 であれば、くじ引き抽選は正しかったのだ。

 絶対絶対そうなのだ。

 三回戦が事実上の決勝戦、上等である。エンタメ的にも問題はない。大正義アスガルド、太陽を墜とした者たちの快進撃。

 アスガルド旋風で盛り上げるのみ。

 貧者の成り上がりも盛り上がるが、王者の驀進もまた盛り上がるエンタメ。

 勝利への筋書きは見えた。

 あとはそっちで盛り上げるのみ。

 運が向いてきたぜ、連盟の皆さまはあくせく働きながら嬉々としていた。

 そんな異様な雰囲気の中、

「……ソロン」

「すまない。わがままを通した結果がこのざまだ」

「俺はまだ、諦めんぞ」

「君に関しては俺が負けた方が良かったかもしれないね。では、手筈通りに。君なら勝てる。大舞台を楽しんできたまえ」

「ああ」

 ログレスの次鋒アスラクが、

「お、お見事でしたわね」

「ああ。堅くなるな、相手は強いが君なら勝てる」

「え、ええ。もちろんですわ」

 アスガルドの次鋒フレイヤが備えていた。

「頑張れ」

 昔とは違う、だけど少しだけ前よりも険の取れた表情を浮かべるクルス。そんな彼を見て、フレイヤは少しだけ俯いた。

 まだ試合は終わっていない。

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