第201話:小川対万

「……これ、いいのか?」

 異質な受け方。それに対する見解は客の中でも、騎士の中でも割れた。結果を重視する者はそのまま受け入れ、かくあるべしと思う者は眉を細める。

 そもそも目利きの足りぬ者は実戦の受けとして成立しているのか、其処に疑問を持つ。エンチャントした刃で、死の恐怖を前に同じことが出来るのか。

 確かに見えねば引っかかる部分である。

 ただ、

「……本気で、あれを通す気か、あの小僧」

「今のところはミスゼロです。全て、実戦でも受け切っています」

 ミリ単位を見極められる者であれば、その部分に疑問はない。疲労し切った体でここまでミスなし。仕切り直してから、精度は増すばかり。

 そもそもあれをソロン・グローリー相手に成立できているのなら、むしろ対魔族の実戦はもう少し容易くこなすことが出来るだろう。

 しかし、

「はっは、クロイツェルですら勝負所以外はあんな真似せんぞ。一事が万事、微塵も緩めぬつもりか? 人は間違えるぞ、いつか、必ず」

 生存率を重視する騎士の長から見れば、その剣はひどく傲慢に映る。

 自分は間違えない。その前提でのみ成立する剣であるから。

「それぐらいあの子もわかっていますよ。いつか、その時が来たら死ぬつもりなのでしょう。そういう覚悟で道を選んだ、僕はそう取ります」

 クルス・リンザールを多少なりとも知るユーグ・ガーターは彼の覚悟を汲み取る。危うい素養を持つ子ではあった。あの騎士級を前に、騎士でなくなることの方を恐れた。眼前に迫る死を前に、騎士として終われることに笑みを浮かべた子。

 そんな自分を見つめ、我が道を征くと決めた。

 ならば、クルス・リンザール以外が口を挟むべきことではない。

「我の騎士隊には要らぬな。先ほどまでの方が好感を持てた」

「それは、僕らが上に立つ前提では?」

「……ほう?」

 部下には生存を重視してほしいのは隊長格ならば当然そう思う。査定云々ではない。彼ら、彼女らは頂点に立つ器として生まれつき、そう育った自負がある。

 矢面に立ち、守り育むことは当然。

「上に立つ人材ですよ、貴女同様に」

「だとしても、我はベッドの上で死ぬ覚悟を求めるぞ、我が騎士には」

「まあ、それでは届かぬ山巓もある、と言うことでしょう。それを僕らが論じても仕方がない。僕らは、端からこちら側しか知らぬのだから」

「……ふん、新時代とでも言う気か」

「あはは、良い響きじゃないですか」

 誰がどう見ても器足らず。ユーグとしてはその分、足りる者が補えばいいと考える。適材適所にすれば輝く人材、それこそ昨年獲得したエイルとアセナのように。

 ただ、そういう子が今、頂点に指をかけた。

 誰がどう見ても有資格者を相手に見事な立ち回りを見せている。

 完成度で言えば歴代最高クラスであろう。少なくとも学生が辿り着く段階ではないのだ。自らの騎士道を見出すことなど。

 何故なら彼らはまだ、騎士ですらないのだから。

(平凡な器に、非凡なる経験が注ぎ込まれた。誰も知らぬ騎士の形、僕らの想像など容易く超えていくものだな、ピコ)

 かつて後輩であり無二の友と語り合った新時代の騎士の形。適材適所をさらに進め、指揮者とプレーヤーを分ける。今はプレーヤーの才ばかりが着目されるが、群れで動く以上、組織として重要なのは指揮者の才である。

 ゆえにそういう子を育てたい。

 てっきりユーグはピコが彼にそう言う才を見た、のかと思っていた。それこそ自分がエイル・ストゥルルソンにその才を見たように。

 ところが蓋を開ければ、そういう子が努力と覚悟でプレーヤーの頂点にも届かんとしている。自分たちの想像とはかすりもしない形で。

 ならば、やはり見守るしかないのだろう。

 彼の覚悟を、征く道を。

(しかし、君は嬉しいだろうね。ほら今、君の剣が少し見えた)

 ユーグは嬉しそうに微笑む。

 クルスの剣、それは古参の騎士ほど受け入れがたく乱れて見える。崩れて見える。

「気持ち、悪いわね」

「ジュリア?」

「型から、楔から、解き放たれたムーブメント」

「そうか! あれ、オフバランスか」

 長らく騎士の剣として正解とされてきたオンバランス、スクエアを貴び、騎士の所作とはかくあるべしと言われ続けていた。しかし百年前、エレクらがメガラニカにてオフバランスの動きを広め、一時的に流行るも平和の時代に下火となる。

 それを発掘し、新たな定跡としてメガラニカら新興勢力が採用し始めたのは割と最近の話。その旗手としてピコ・アウストラリスが体系化に尽力し、実際に今の世代は彼らの編纂したオフバランス理論を学んでいる。

 だが、

「教科書よりずっと、大きく、歪に動いているけどね。あれはもう、別物でしょ」

 体系化し、人に広める過程で技はどうしても平易化してしまう。その理由は優れた技であればあるほどに、それに応じた器が必要になるから。

 鍛え上げた体幹、そして繊細かつ大胆な魔力コントロール。何より肉体の可動域への理解。それがあって初めて、教科書を超えた動きが可能になる。

 それを教科書に記すのは危険である。半可通が真似をすれば、ただ怪我をするだけ。あれは体を完全にコントロールできている前提の話。

「テラ、あれはありなのか?」

「……ありだよ。コントロールできているなら、ありだ」

「でも、倒れたぞ、今」

「……ああ。でも、コントロールしているだろ?」

「……マジかよ」

 地面に倒れる。本来、誰もが避ける不利と思われる行動すら、今のクルスは必要と思えばやる。倒れても、揺らいでも、捩じれても、それが次の行動に繋がるのならオフバランスであり、体を大きく使っているだけと言う考え方。

 脱力、そしてその時々に応じた力の入れ具合。

 積み上げてきた技術が今、生きる。

 どれだけ動き回っても最後に、

「実に綺麗な立ち姿だよ。惚れ惚れする」

 すっ、とフラットに立てば、ゼロへ戻ればそれでいい。

 それがクルスの得た合理である。

「相変わらず気持ち悪いな、ソロン」

「はは、傷つくなァ」

 ソロンはすでにクルスの剣に対するアンサーを出していた。水に成る、その性質に体を、剣を近づけるのがミソなのだ。

 ならば、解法はその逆。

 水の芯を捉える。

 彼を水ではなく、人として捉えた時、クルス・リンザールは死ぬ。

「今度は俺の番、俺の剣で君に応えよう」

 ソロンは剣を下段に構える。ソード・ロゥ、右手に寄っているからライト・ロゥ、となるか。今までとは違う戦型、クルスは揺らがず待ち構える。

 ハッタリを言う男ではない。

 今までの自分がそれを引き出せていなかっただけで、ここからがソロン・グローリーの、輝ける男の本当の姿なのだろう。

 その剣の神髄、すぐにわかった。

(下段狙いは、足を刈るため。さすがに適応が早いな)

 人間は水に成れない。それは成らんとするクルスが一番よくわかっている。水を目指す上で最大のネックはコントロールしづらい部位。人体のコントロールと言う意味で、上半身よりも下半身の方が難しいのは説明するまでもない。

 手でボールを扱うよりも、足で扱う方が難しいのは当然のこと。

 だからこその足狙い。

「さあ、遊ぼうか!」

 だが、この程度で揺らぐほど今のクルスは甘くない。上半身に比べ、下半身の方が難しいだけで、出来ないわけではないのだ。

 なら、やるだけ。

 それを遂行するだけの努力は積んできている。

 あとは覚悟のみ。

「……」

 滅多に見られないソード・ロゥの戦い。ただ、クルスはすでにその名手と剣を合わせ、学びを得ている。彼の動きは達人と遜色ないが、それと比較して抜けているとは思えなかった。ゆえに対処は余裕、そう見せるのが狙い。

 コンビネーションの最中、継ぎ目すら見えぬ速度でソロンの剣がスイッチする。右から、左へ。予測を乱す、左右反転。

 それを刹那で遂行する。

(……なる、ほど)

 左右どちらも利き腕、両利きの強みを如何なく発揮する。だが、クルスが見ているのはそんなに浅い部分ではない。

 左右反転、その程度で輝ける男など呼ばれはしない。

 本番はここから。

「ここからここから」

 クー・ドラコ、これも左右を使い分ける。と思えばハイ・ソード、フー・トニトルスなどの上段系も織り交ぜ、無数の型が怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 数多の知識、それを血肉に万能の男が哂う。

(これがソロン・グローリーか)

 万を制する怪物、ソロン。

(こんなのに、俺如きが勝とうと思っていたのか。……笑えるな)

 万が押し寄せる。

(本当に、笑える)

 浅く、狭い小川如き、すぐにあふれ出てしまう。

(貰うぞ、その万!)

 あふれた水が、輝ける男へ返ってくる。

 万の攻撃に対応した、万のカウンター。

 それに、

「ははははははッ!」

「……」

 更なる万で制圧する。カウンターは何もクルスの専売特許ではない。ソロンも当然使いこなせる。カウンターに対するカウンター、それに対するカウンターと、もはや収拾がつかない。どちらも化け物、どちらも有資格者。

 輝ける男とゼロの男、二人の剣が交わる。

「……」

 観客たちは声援も忘れ、ただ見入る。

 言葉も出ない。

 基本スクエアを保ち、騎士のお手本のようで無数の型を使い分けると言った型破りな点を見せるソロン。

 オフバランスを多用し、どう見ても崩れて見えるのに、倒れてすらいるのに、体を、反動を、全てを巧みに操り『立ち』続けるクルス。

 どちらも常識の線上にはいない。

 かつて人はそういう者たちを――『騎士』と呼んだ。


     ○


「……『立つ』、を考えさせられるな」

「ほんとにな」

 アスガルドの食堂はどんちゃん騒ぎ、ミラとヴァル、アンディらが先陣を切り、応援と言う名の咆哮をぶちまけていた。

 後輩たちを煽り、熱狂を煽り、収拾がつかない盛り上がりとなっていた。

 誰か先生が止めるか、と思いきや、

「いけー! やったれ! 其処だ、殺せェ!」

 リンドが一番過激に叫んでいるのだから止める者など誰もいない。

 もちろん、今は冷静に努めているディン、デリングも少し前までは驚愕に、そして何よりも友の覚醒に叫び倒していたのだが、のど元過ぎて思う。

 自分たちが越えられなかった壁を越えた友へ。

「体がコントロールできているなら、それは立っているってのはオフバランスの考え方ではあるが、それにしたって極端だぜ」

「ああ」

「でも、出来るんだな」

「そうだな」

「……恥も外聞もねえ。貰えるもんは貰うぜ、クルス」

「俺もだ」

 祝福と、その裏に燻る嫉妬。認めたと言い聞かせていた。彼が代表であるべきだと心の底から思う。それでも、やはり、心のどこかにはあった。

 自分は負けたが、負けてはいない、と。

 戦える。次こそは、そう思っていた。

 そして今、そう思う気持ちが消えぬよう、しかとクルス・リンザールとソロン・グローリーの戦いを見つめていた。これで目をそらせばきっと、一生其処に辿り着けなくなる。そんな気がしたから。

 だから、今度こそ目をそらさずに見つめよう。

「頑張れ。俺に負けるまで……負けるなよ、クルス」

「ふっ」

 今、頂点に挑む友の姿を。

 そんな彼らを穏やかな表情で見つめるは、

「……」

 熱狂の中、一人隅で茶を飲む歴史の講師、グラスヘイムであった。

 若き者たちの輝き。この学び舎で幾度も繰り返されてきた栄光と挫折、それを男は見つめ続けてきた。

 ある種、画面に映る戦いはその総決算である。

 いつだって、対抗戦とはそういうもの。その時代、数多の試練を乗り越えた各学校の代表が頂点を臨み、刃を合わせるものであった。

 しかし、そんな対抗戦の歴史にもひときわ輝き、分岐点となるものがある。

 きっと今年の、今日この日はそれに当たるのだろう。

『心根一つで騎士になれるのなら、その逆もまたそうあるべき』

 自分が受け持った中で、最も聡明であった学生が語った『明日』。

『騎士になりたい者がなり、なりたくない者は剣を置ける。そんな明日を望みます』

 男は聞いた。剣を置きたいのか、と。

 学生は首を横に振り、

『私はむしろなりたい方です。才はウル坊やウーゼルに遥か及ばぬ、持たざる者ですが。それでも、私は騎士として生き、騎士として死にたい』

 自らの道を肯定した。

 ならば、それは誰に向けてか、問うた。

『お恥ずかしながら、とても私的なことです。誰よりも力を持ち、復讐と言う動機を押し付けられた我が初恋。酒の席でぽつりとつぶやいた、夢はお嫁さん『だった』と言ったあの子が、いつか剣を置ける日を、それを願います』

 最も聡明な学生であった男はとても私的な願いを胸に、我が道を歩んでいた。いつしか初恋だけではなく、対象は広がったのだろうが、それでも始まりはとても私的なこと。皆、そうだった。

 何がために、大それた願いを持つ者などそういない。

 黎明から今に至るまで、人は人である。

 その上で、騎士たらんと剣を握ってきた。

「見ておるか、ビフレスト」

 ゼロスよりもさらに器が足りぬ者が今、其処へ手を懸けんとしている。それは彼の願いが進んだ証。彼の本当の願いはとうに叶っているが、いつしか建前であった方も彼の願いと、夢となったのだろう。

 だから、足りぬ者を選んだ。

 足りず、望む者を選んだ。

「また一人、卿の轍を超えた者が現れたぞ」

 そして今、彼の夢が自らの騎士道を歩み始めた。


     ○


「あれ、ソロンが!」

「受けの構えを取った!?」

 絶句していた観客がざわつく。特に騎士界隈の者たちの驚きはすさまじかった。彼が学生となり丸五年、彼が受けの構えを取ったことなど一度としてない。

 それは彼がそうする必要がなかった。

 そういう姿を求められていなかった。

 だから、使わなかっただけ。

「クレ・シルト。ご存じかな?」

「ああ」

 押してダメなら引いてみろ、ソロンは揺さぶりの一環で受けの構えを取った。これで何も出来ぬなら不完全だが、

「勝負」

 クルスは臆せず前へ進む。力感のない足運び、されど彼は間違いなく能動的に間合いへ入った。ソロンは動かない。後の先狙い。

 さらに進む。

 間合い、ほぼゼロへ。

「ちっ」

 先に動いたのはソロン。いや、動かされたが正しい。クルスの構え、のちにゼロ・シルトとする新たな彼の武器は、ゼロを起点とする極めて珍しい考え方で構築されていた。その一つが、ゼロ距離まで引き込めるということ。

「少し鈍ったか、頭」

「……浮かれているんだよ」

 間合いの我慢比べであれば、前で捌く構えを取る相手に負ける道理はない。自分はゼロまで縮められるのだから、其処で勝負していい。

 だが、クレ・シルトや前で捌く型ではそれが出来ない。

 ただ、それだけのこと。

 相手の攻撃を引き出すまで前に出る。

 それがクルス・リンザールの新たなる攻め方。間合いがゼロに近づけば近づくほどに、通常の型相手ならクルスが有利となっていく。

 だから、相手の攻撃が必ず先に出る。

 それを捌くだけ。

 が、

「……っ」

 ソロンも馬鹿ではない。当然、構えの性質の違い程度理解している。理解した上でそれを取ったなら、それは当然、

(ブラフか)

 餌。

 クルスのカウンターを一歩引き、避け、半歩踏み込み上段から振り抜く。

 正中線一閃。

 これもまたクルスの水を塞き止める手段である。人の体は左右の変化に強い。だが、上下の変化は弱い。ソロンが放ったのは純正中線、ほんの一ミリすらも狂いなく放たれた真っすぐな一撃である。横の性質がない剣、立ち位置を変えねば横方向へ捌くのは困難である。

 それを片手で放ち、

「……」

「横の変化は、させない」

 もう片方の手はクルスが横へ逃げぬよう、側面へ差し出した。嫌らしいのが、クルスの回避方向を読み、しっかりとそちら側の手で押さえに来たということ。

 これまた両利きの厄介なところが出た。

 人体の弱点を突くソロンの妙手。

 それに対し、

「……」

 後退しながらも剣を横にして正面から縦一文字の剣を受け、流さんとする。

 この時点で目端の利く騎士たち、そしてソロンですら流れない、そう思った。

 だが、

「!?」

 クルスはそれを強引に流した。上から下へ、立て板に水が流れるが如く。

 そして、そのまま前宙して一撃を流し切った。

 縦の変化は人間の弱点、ではあるが出来ないわけではない。

 なら、やる。

「……さすがに、驚いたよ」

「どうも」

 上下左右、四方八方隙は無し。

 万をして攻めあぐねる、澄み渡る小川が其処に在った。

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