第200話:クルス・リンザール
舞台の上に倒れ伏すクルス。
それを見て審判が口を開くも、
「勝負あ――」
またしてもソロンが審判を腕で制す。
「ソロン、いい加減にしなさい。これ以上は――」
やらせられない。試合時間の超過も問題であるが、最大の問題はこの試合が世界中に放映されているということ。人は血や暴力をエンタメとして望む性質を持つが、同時にそれを忌避する道徳的な部分も併せ持つ。
バランスが重要なのだ。そして今、それは明らかに崩れている。
この先は単なる蹂躙、いじめにしか映らないだろう。
だから止めようとした。
ソロンに浮かぶ表情を見るまでは――
(俺は今、舞台の外へ出そうと剣を振った。いや、それ以前に――)
ソロンは妙な手応えと目算の誤りに顔をしかめていた。輝ける男にしては珍しい顔つき、これまたおそらくほとんどの者が見たことすらないだろう。
それだけ稀なことなのだ。
彼の想定から外れるということは。
(――本当は剣を添え、終わらせるつもりだった)
ほぼ意識を欠き、それでも立ち上がった。心砕けても体は立ち上がる。その姿に感動した。その姿を美しいと思った。
ゆえに優しく幕を引こうとしたのだ。
だが、クルスは、体に染みついた迎撃の動きを取った。これまたほとんど無意識であっただろう。素晴らしい、ソロンはさらに感動を深めた。
先ほどまでと変わらない受け。
それごと力で吹き飛ばした。立ち上がり剣を振った彼に敬意を表し、きちんと終わらせるつもりで打ち込んだのだ。
それなのに彼は舞台の上にいる。
それ以上に、
(何だ、この、手応えは)
剣へ、それを握る人へ、打ち込んだ感覚とはかけ離れていた。
まるで水を打ったかのような、そんな――
ソロンの困惑、それを見て審判もまた戸惑う。どう見ても幕引きすべきタイミングであったが、それを逸した今、どう裁くべきか。
この異質な状況を。
そして、倒れ伏すクルスは落ちた衝撃で意識を取り戻していた。
打ち込まれた瞬間まで意識は飛んでいた。ほとんど何も覚えていない。見ていたのは夢、自分が故郷に、いや、本当の意味での始まりに帰りたいと願った悪夢。
頼れる父がいて、優しい兄がいて、母が、それに幼馴染のエッダがいて、そんな帰らぬ光景を望んだ。空虚な夢である。
今更、嗤えるほどに愚かな夢だった。
「ひゅー、ひゅー」
呼吸を整えながら、クルスは先ほどの衝撃について考えていた。閃き、天啓のような感覚、これ自体は何度か上手く流せた時、感触として残ったことはある。
上手くやれた時のそれ。珍しいが、ゼロではなかった。
問題は受け方。
剣で捌いていない。むしろ剣を介しただけで、攻撃自体はほとんど体で受けたようなもの。剣を挟み直撃した。
これを受けと言っていいのか、クルスにはわからない。
「た、立てるか? リンザール」
「……はい」
立ち上がりながらも考える。
パンクラチオンの試合、エフィムとの一戦で得た良い感覚。ただ、あれはあくまで徒手格闘、殺傷力の権化である騎士剣を使う剣闘で、あれを再現するのは不可能だと思っていた。実際に試したが上手くいかなかった。
だが、本当にそうか、とクルスは思う。
今、出来たぞ、と。
剣でダメなら体で受ける、流す。間違えれば即死が待つ。常識的に考えてそんな戦い方ありえない。何度もそう結論付けた。
不可能だと。
立ち上がったクルスへ歓声が降り注ぐ。でも、今のクルスにはそれら雑音など耳に入らない。感覚が言っている。心が言っている。
ここだ、と。
「……」
クルスは騎士剣へ目をやる。握っているという感覚がなくなるほどに自らの手と一体化した最高の相棒。騎士剣、魔導剣はきちんと刃筋を立てなければ斬れない。
そう、斬れないのだ。
肉体は円形で構築されている。剣の腹を幾何か傾ける余裕がある。騎士剣の特性、肉体の構造、合理的に考える。
合理に問いかける。
本当に不可能か、と。
「やれるか?」
「イエス・マスター」
答えはもう、決まっていた。
可能であるなら不可能じゃない。数ミリの誤差で腕が飛ぶ。流しを誤れば相手の騎士剣が、魔族の攻撃が直撃してしまう。
死と隣り合わせ。ほんの皮一枚先にそれがある。
でも、死なない。
皮一枚、揺らがず正しく応じたら、生きる。
(なんだよ、クソ)
一度不可能と判断した。それを可能にする方法はとても簡単であった。不純物のない、濁りなき集中、其処に至るために邪魔であったのだ。
(お前すら、要らなかったんだな。俺の剣には)
自分が持つ唯一の武器、『執念』が。
原動力であるそれが、最後の贅肉であった。
これで力みが消える。
不可能としていた人間味をも、削ぎ落して――
「ひゅー、ひゅー」
今までどれだけ探しても見つからなかったものが其処にある。それは遠くに、彼方にあると思っていたから。
でも、今わかった。
捨てるべきもの。
顧みるべきもの。
全てはもう、揃っていたのだ。
随分と遠くまで来た。でも、どうやらクルスの世界は丸くできていたらしい。遠く、彼方へ、何処かあそことは違う場所へ。
だけど、何処まで行っても自分はただのクルス・リンザールでしかなかった。
今、ゼロへ至る。
呼吸を整え、目を瞑りながらクルスは構えた。
『先生』から教わった正調、ゼー・シルト。すらりと立つ。
「ふぅー……はぁ」
敵へ剣を向けるそれを、力なく垂らす。
上段から対角の肩に添えて垂らし、小さく狭く完結する。
同時に、呼吸が整う。
体力を削ぎ落され、力を失い、空っぽになってようやく辿り着いた。
「集中」
ゆっくりとクルスは眼を啓く。
「いつでも」
『確信』を手に、小さく微笑む。
○
「来たァ!」
誰もが言葉を失う中、アミュ・アギスはその瞬間歓喜の声を上げた。この場の学生は誰も、なぜ彼女が喜んでいるのかわからない。来た、の意味もわからない。
ただ、其処に行き着く、行き着いた器のみが感じ取った。
その身の危険を。
「が、学園長?」
「む、ふ、はは、わしが、臨戦態勢を取らされた、じゃと」
ごく一握り。
僅かなる者たちは直感する。
「それでええ。贅肉、それしかないやろうがボケ」
「……クロイツェル」
その男の親友は、男の浮かべる表情に驚愕する。それは友である自分ですら見たことがないものであったから。
何とも形容しがたい、その貌の真意は――
「これでゼロや」
ようやく全てを削ぎ落した。
これで――
○
深淵に囚われ、意識の大半を魔障に飲まれた男が小さく微笑んだ。
一つ、夢が叶った。教え子が叶えてくれた。
そんな気がしたから、かもしれない。
○
その瞬間、この場に集いし騎士の頂点たちは眼を剥いた。その器を持ち、才に溺れることなく精進し、高みへと至った者たちが感じた。
視界の外側から一気に距離を詰め、今まさに並ばんとする者を。
そうでない者たちも見た。
澄み渡る透明な水を、それが流れる小川(リンザール)を、見た。
ノア、イールファスは同時に横を向く。
其処に、いるはずのない男がいた。並び、そして、自分たちには目もくれず突き進む姿を、彼らは幻視する。
その景色は、
「いつでも」
「君は本当に……最高過ぎるッ!」
ソロンも見た。ソロンも感じた。まだ遠い、これからまだまだずっと追いかけてくれる。それだけでも幸せであったのに――
「さあ、見せてくれ! クルス・リンザールを!」
まさかその先まで自分に与えてくれるとは。
ソロンはもう、誰にも止められないぞ、とばかりにクルスの下へ足を運ぶ。先ほどまでの、消耗させるための攻め方とは違う。
ただ一撃で相手を粉砕するための、殺意すら込めた本気の一撃。
それをクルスは、
「……」
刃で受け、流すことなく体で受け、それからようやく流す。人など騎士剣でなくとも両断してしまうような破壊力である。当然のようにクルスは先ほど同様に吹っ飛び、そして悠々と着地した。
ノーダメージ、そして、ソロンの手にも手応えはない。
「……ただ宙を舞うだけでは、勝負にならんよ」
「なら、次は反撃しよう」
「そう、来なくてはッ!」
ソロンの追撃。気づけば自分が追いかける側に回っている。そのことにソロンは歓喜していた。錯覚であってくれるな、そう願っての一撃。
相手の首をへし折って余りある勢いで放たれた、横薙ぎ一閃。
観客は目を瞑る。死んだ、誰もがそう思った。見届けた者たちですら、その瞬間は意識ごと全てが刈り取られたと思ってしまう。
クルスがその場で回転し、ソロンの一撃を吸収したような回転斬りを見舞うまでは。今度はソロンが吹っ飛ぶ番であった。
信じ難いほどの衝撃。
ギリギリで受けが間に合ったものの、警戒していなければそれだけで終わっていた。自分が過剰に打ち込んだから、相手からも過剰に返ってくる。
クルスは悠然と、ただ其処に在るがまま。
涼やかに立つ。
今度はソロンも技巧を凝らす。一撃の破壊力ではなく、多彩なコンビネーションを交えた連撃。これならその応手は間に合わない。
相手の力を反射する。それだけならば――
「ッ!?」
「……」
多彩なコンビネーションはどれも柔らかく、手応えなくするりと通り過ぎていく。まるで何もなかったかのような受け。
強く打てば強く返り、弱く打てばただ沈み、通り過ぎる。
ソロンは一連の攻防でクルスの剣、その特性を理解した。
理解したが――
「……ビフレストのそれではない。あの男の剣は大海のように深く、全てを包み込むような広さがあった。だが、この剣は狭く、浅い。ただ一人で完結している」
ミズガルズの騎士、その頂点であるグランドマスター、ウーゼルはクルスの剣を見て、彼が完全に師とは別の道を歩み始めたのだと知った。
彼の騎士道を見出し、ただ孤塁を征く。
偉大なる騎士たちは皆そうであった。最初は誰かの模倣であっても、最終的には別の道を、自分の道を見出しそれぞれ歩む。
「だと言うのに、強い」
あの浅く小さな流れに、頂点は久方ぶりに血が騒ぐ想いを得た。
そしてそれは――
「……」
レオポルド・ゴエティア、否、『天剣』のサブラグも同じ。
「……ありえん」
器が足りなかった。か弱く、されど気丈なる姿に胸も打たれた。だが、これには認められない思いがあった。
何故か被る。シャクスに、ムスペル、かつてウトガルドに君臨した誇り高きウトガルドの騎士たちと。剣を鍛え、神術を練り上げ、辿り着いた至境の騎士たち。
いくら彼が自分たちの血を多少なりとも継ぐ者であろうとも、あの黒髪があろうとも、それと重ねるのは冒涜であるとサブラグは想う。
だと言うのに、その景色は消えない。
それどころか、
(……イドゥン、貴様まで、何故だ)
無二の友、そして最高の好敵手までもが重なる。
騎士道を見出した者、『騎士』が其処にいた。
それが、許せなかった。
小さな、取るに足らぬ流れ。人の手で曲げ、穿ち、捩じり、流れを変えることは出来る。さりとて、如何なる小川であれ、流れること自体は止められない。
完全にふさがっても、澄み渡る小川の水は染み込み、どこかへと流れ出る。冬が来て凍結しようも、春が来れば溶けてまた流れ出す。
それが水、それが川。
それがクルス・リンザールの辿り着いた境地。
「人は水に成れない。それでも、そう成ると決めたのか、少年」
エフィムはあの日、打ち込まれた一撃を思い出し、肩を押さえた。自らの拳が跳ね返ってきたかのような、あの痛みを。
あの日の『予感』が『確信』となる。
小川の流れに力はない。
小さく、か細く、ただ其処に在るだけ。
されど、流れは止まらない。
(決めに行けば強く返り、安全圏からの一撃は浅瀬で水遊びでもしているかの如く、手応えなく消える。心根一つで、これほどに変わるか)
今まで種類は異なれど、消えることのなかった笑顔がソロンの顔から失われていた。変わったことはいくつかあれど、根本はただ一つ。
ゼロで受けるようになった、それだけ。
人間ならば誰しも、剣であれ拳であれ基本は手前で受ける。体で、ゼロで受ける者などそうそういない。拳ならソロンも出来るが。
それは剣と比較してリスクが少ないから。そのリスクとは相手の攻撃と、そして相手の攻撃を受けた自分の剣、その二つ。
受け間違えたなら当然相手の剣で死ぬ。限りなくゼロで受けた以上、その時点でリカバリーは絶対に利かない。そしてそれ以上に厄介なのは自分の受けた剣、剣の腹を使い受けるが、その角度が僅かにでもズレたなら、騎士剣の刃筋がその身に立ってしまったら、その時点で魔族をも断つ刃がその身に返ってくる。
腕で間違えたなら腕が飛ぶ。胸で間違えたなら命が消える。
自分の剣で、である。
だから、
(……俺でも、出来ない。ふ、ふふ、この結論を生まれ持った才能以外に突き付けられるのは、人生初めてかもしれないな)
輝ける男、ソロン・グローリーですらその剣は模倣出来なかった。
と言うよりも、しようとすら思わない。
これは剣闘の試合、ルールとしてエンチャントせずに立ち会っているからまだ理解できるが、実戦でとなれば正気の沙汰ではない。
そしてクルスは実戦でもそれをやり通す覚悟なのだろう。先ほどから、あれだけ攻めて、あれだけ打ち込み、揺さぶってなお、受け間違えはゼロ。
すべて完全な角度で、騎士剣の効果が発揮されぬところで受け、きっちり流している。技術があるのは前提であるが、これはもう技術がどうこうではない。
心なのだ。
人の心を持ったままでは、到底届き得ることのない境地。
其処にクルス・リンザールは至った。
この若さで。
後傾よりも遥かに時間を稼ぐ方法は、まさかの直撃を許容することにあった。皮一枚で受け、流し、流し切れぬ分は返す。
ただそれだけ。
「た、隊長」
「マスター・ガーター」
「ええ。まさかあの子が……こう成ろうとは」
彼の途中経過を知る、同じく孤塁を征く者は驚きを隠せないでいた。かつて後輩が見出した才能は、おそらく後輩の想定を遥かに超えて咲き誇った。
騎士の才能、その定義が揺らぐ。
彼らの知らぬ新時代が其処にいた。
「怪物です」
誰よりも遅くに現れ、誰よりも早く完成した第四の星。
その立ち姿、澄み渡る水が如し。
「続けよう、クルス!」
「ああ。受けて立つ」
心根一つで羽ばたいた第四の男、クルス・リンザール。
完成。
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