第197話:『段取り』

 一回戦でレムリアのノアに敗れた子。二回戦では相手を瞬殺したが、あまりにも早い決着のため一般人の目線だと相手が弱く見えてしまう。そのため、当然だが大衆のクルスへの評価は高くない。ソロンと当たり不運な子だ、と同情すら誘う。

 ここまで三強の出番はアスガルド対レムリアのノア、イールファスの瞬殺のみ。ソロンもまたそうなるのか、それともそれなりに相手へ見せ場を与えるのか。

 誰もクルスが勝つとは思っていない。

 それは残念ながら味方陣営ですら、そうであった。

 もしかしたら対峙している本人ですら――

「始め!」

 それでも――

「え!?」

 開幕、誰もが驚愕する。

 開戦と同時に動いたのは、まさかのクルスであった。受けに特化したゼー・シルトを下へと垂らし、

「あれは、クロイツェルの」

 攻撃特化、クー・ドラコへと転じる。

 ユニオンの隊長格が一斉に眉をひそめた。あの男のひも付きが、それと同じ型を使ったのだから当然であろう。

 やはり弟子なのか、そう映る。

 だが、それ以上に、

「それは悪手だろ! 俺相手じゃないんだぞ!」

 遠くアスガルドの地でも困惑が渦巻く。かつて一度だけクルスは受けに応じないヴァルに対し、それを使ってこじ開けた。

 されどそれはヴァル相手であったから。実力に開きがない相手であったから。今度の相手は三強ソロン、輝ける男と謳われた完璧超人である。

「狙いは短期決戦か」

「だろうな。でも、さすがに駄目だろ、それは」

 ディン、デリングもまた顔をしかめる。

 どう見てもよくない。クルスの強みは受けに特化した愚直さであり、徹底した覚悟であるはず。それを捨てたら、ディンやデリングよりも遥か劣る普通に優秀な学生止まり、この場で見守る上位勢の方がよほど強い。

 しかし、クルスは止まらず突き進む。

 そして、

「シィィイッ!」

 体ごと突っ込むような全身を用いた切り払いを放つ。ソロンは眉をひそめながらも受けることなく、体当たりにも似た捨て身の一撃をかわした。

 今のところ意図はわからない。

 ただ、ソロンは信じている。

「ん、ぎッ!」

 ソロンの横を通り過ぎた瞬間、クルスはこれまた全身を使い急ブレーキをかけた。骨がきしむ、肉が悲鳴を上げる。

 それでもここまで鍛えた体は、クルスの要求に応えて見せた。

「これまたクロイツェルの得意技――」

「――裏取り」

 ユーグが、そしてサラナが、第七の副隊長であるクロイツェルをよく知る同じ副隊長である二人がそれをこぼす。全身全霊で突っ込みながらも、相手の回避と同時に旋回を開始、そのまま後ろを取る荒業である。

 心身の負荷を度外視した、異常機動。

 無理を通して道理を蹴っ飛ばす術理なのだ。

「素晴らしいッ!」

 ぎゅるん、信じていたソロンは当然とばかりに後ろへ振り向く。ただやみくもに突っ込むわけがない。彼は自分の認めた『友達』である。

 そして、

「当然、そう来るよな」

 クルスもまた自分如きの裏取りが成功するなど、微塵も思っていなかった。背面は取れずとも側面は取れている。

 それで充分、大事なのはここが、

「勝つ!」

 ほぼゼロの間合い。リーチに関係がない懐同士と言うこと。

 クルスはここにきて構えを元に戻す。クー・ドラコからゼー・シルトへと。ソロンの迎撃を引き出し、それを迎え撃つために。

『クルスとは俺がやるよ。三回戦、俺は先鋒だ』

 この試合、ソロンを除けばクルスだけが心の準備を許された。考えに考え抜いた。ディンとの戦いからそれほど成長していない自分が、あれと同じことをしてもじり貧になるだけ、勝ち筋は生まれない。

 ならばどうするか、その答えがこの短期決戦である。

 クー・ドラコで間合いを詰め、相手の拍子を崩し、

(カウンターで沈める)

 必殺のカウンターを決める。長期戦は地力が浮き彫りとなる。やるなら短期決戦で紛れを起こす、それしかない。

 そのために今、誰にも使ったことのないパターンをここで使った。

 全ては勝利のために。

(来いッ!)

 ソロンの横薙ぎの一撃。さすがに重く、強烈である。ただまとわりつく相手を引き剥がすための一撃でさえ、ここまで強く放てるのだ。

 それゆえに自分のカウンターも輝く。

「……」

 横薙ぎの一撃を受け流し、下段から打ち上げる。

 そのクルスの狙いは――

「惜しい」

 ソロンの笑顔で塗りつぶされる。自分のために用意した段取り、実に素早く、苛烈で、特別だった。それを満喫しながらも、ソロンは悠々と対処して見せる。

 受け、流す。その後工程である流しに対し、ソロンは剣を重ねたまま、柔らかく同じ軌道を描かせる。

「は?」

 クルスにとって人生で初めての経験、触感、手応えが、ない。ソロンにとってあの強い迎撃は、かなり余裕を持たせたものであったのだ。

 そうでなければこんな芸当、出来るわけがない。

 共に剣が横から下方向へ、其処から斜め下から対角線へと打ち上げられる。

 まったく同じ軌道、まったく同じ軌跡を描き、

「は?」

 クルスの剣だけを、かち上げた。万歳の姿勢でクルスは硬直してしまう。あまりにも巧みで、無駄がなく、完璧な応じ。

 自分にはとても出来ない。技術と、針の穴を通すような『力』のコントロールがあってこそ、そんなことが出来る。

 剣が、クルスの手を離れる。

「大丈夫、まだ全力で回避したら戦いは継続できるよ」

 全て段取り通りだった。相手の裏をかき、自分が主導権を握ったまま勝負を決する。それ以外に勝つ方法はなかった。

 いや、初めから――

「……」

 なかったのだ。

 勝ち筋など。

「……あれ?」

 回避行動を取らず、呆然と手から離れた剣を見上げるクルス。その貌を見て、ソロンは笑顔を硬直させた。

 其処に浮かぶ貌、それに見覚えがあったから。

 今まで何十、何百、何千と見てきた、心の折れた者の貌。

 最善を尽くし、手を尽くし、それでも届かないと諦めた者の貌。

 それが浮かんでいたから。

 クルス・リンザールが諦めるわけがない。そう思ったからこそ、本気でやった。本気で応えた。彼の素晴らしい創意工夫に、同じ創意工夫で応えた。

 その結果が――


     ○


 誰もが仕方がないと思った。

 肉体も、技術も及ばない。むしろ端から勝つ気で仕掛けたその勇気、胆力、褒め称えたいとすら思う。

 剣が宙を舞い、決着を前に時間がゆったりと流れる。

 剣を失い、無手となった三強の獲物。もはや勝負は決した。

 誰もがそう思った。

「仕方ない。相手が悪かった。そうだろ、クロイツェ――」

 しかし、例外は二人。

「クサいわ、カス」

 誰よりもクルスを知る者。

 そして、

「いいフェイントだ」

 クルスにそれを教えた者。

 その二人だけが――


     ○


 その瞬間を正確に捉えていた。

『途中で君が折れたら、きっと俺はどうにかなっちゃうんだろうなぁ』

 それを演じるのはクルスにとっては容易であった。ソロンは知らない。一年前、自らの限界に絶望し、心折れかけてクロイツェルと言う悪魔に魂を売ったことを。

 演じるまでもないのだ。

 あの日、あの時、自分は間違いなく心が折れていたのだから。自分一人で立ち向かうことが出来ずに、誰かにすがった、頼った。

 あれは敗北である。妥協である。

 だから、あの日の自分をそのまま映せばいい。

 それ以上の説得力はない。

 最善を尽くし、心折れた自分。

 その幻影を置き去りに、

「……」

 クルスは崩れ落ちるような動きで下へ、落ちる。潜る。最後の一瞬まで絶望を演じ切り、そのまま段取り通りに動いた。

 狙うは両足。

 成すは――

「……嗚呼」

 双手刈。

 かつて自分がなすすべなく倒された技を、ここにきて放った。

「悪いなソロン。俺は――」

 輝ける男が、完璧超人が、何一つできずに倒れた。

「今日、勝ちに来たんだよッ!」

 素早くマウントポジションを取り、膝で剣を持つ腕を封じる。

 剣闘の試合で掟破りの無手、パンクラチオンで勝ちに来た。

 勝算はある。

「君は本当に、素晴らしい」

 相手は拳闘王国ログレス。いくら彼が完璧超人であろうとも、そもそもアスガルド以上にパンクラへ排他的である環境において、実戦機会は乏しいはず。

 その差で勝つ。

 ここまで全てが『段取り通り』。ノアの時は考える猶予がなかった。今回も本来ならそうなるはずだった。ならなかったのは、ソロンがクルスに考える時間を与えたから。その舐めた行動にこそ、この男は怒りを覚える。

 怒りが、執念の炎をより高く燃え上がらせた。

 そして今、クルス・リンザールの執念が形となる。

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