第195話:天へ手を伸ばせども
目敏い者と言うのはちょくちょくバッティングしてしまうもの。
「ウェイウェイ」
「……」
リヴィエールのスカウト部、その長である騎士は陽気に歩く男を見て、その男が歩いてきた方を見て、状況を察した。一歩、出遅れてしまったのだと。
騎士は黙って踵を返す。
「部長、どうしたんですか? あそこに例の二人、いますけど」
「今、通り過ぎた男はワーテゥルの会長だ」
「ああ。あの派手な身なりは見たことありますね。でも、粉かけとくくらいは」
「無駄足だ。雇われである我々が提示できる条件で口説ける隙をあの人は残さんよ。それに、同条件、もしくは少し上程度なら、最初に声をかけた陣営には勝てない。それだけ最初というのは強いんだ。特に感情面で」
「な、なるほど」
ワーテゥルの出した条件はあの男が絡む以上、読めない。読めないが、業態がかなり異なるとはいえ、ほぼ同じ立ち位置のリヴィエールでは勝てないだろう。
「商売とは試行回数。その上でどれだけ無駄な試行を減らせるか、それも重要だ。無駄足は極力避けたまえ。だから、我々はクルス・リンザール戦線からいち早く手を引いた。決して評価を下げたわけじゃない。取れないから引いた、それだけだ」
「そんなに、ですか?」
「あのレフ・クロイツェルの手が入っている。フィンブルでは随分と邪魔をしてくれたようだ。現役の学生を実戦、しかも人の血が香る現場へ連れて行った。あまつさえ働かせた。我々擦れた大人ですら躊躇する仕事で、だ」
フィンブルでの一件、その仕掛人であったリヴィエールにとっては苦い無駄足であった。ただ、そこで得た情報はスカウト部にとって大きかった。
そのおかげでクルス・リンザールへ固執する必要がなくなったから。
絶対取れない案件。其処へ時間を、手間を割かない代わりに――
「特別なのだろう。我々凡俗にはわからないが」
「なら、今年のアスガルドからはフィン君一人ですか?」
「本当はもう一人の子が欲しかったんだが……それはワーテゥルに取られたようだ。本当に憎たらしい人だよ。彼は絶対うち向きだったのに」
提示していた条件も悪くなかったはず。御三家や準御三家クラスにとられるならまだ納得できるが、ほぼ対等であるワーテゥルに負けるのは非常に腹立たしい。
澄ました顔をしているが、結構最近まで怒り狂っていたのは内緒である。
とは言え、
「まあ、駄目なものは駄目。それに、もっといい子が取れそうだ。アスガルドからは二枠だよ。結果として素晴らしい買い物になった」
転んでもただでは起きない。
「へえ、そんな子が」
「本当に、今年のアスガルドは宝の山だ。一番下でも御三家の中堅、十番台ともなれば上位層ともさして変わらない。間違いなく歴代最強の世代だろう」
御三家ともなればどこも伝説の世代というものが存在する。アスガルドであればウル、ではなくその一つ上であるリュディア世代。リンド世代も層が厚いと有名で、最も近い世代で言えばやはりクロイツェル世代となるだろう。
その全てを知るわけではないが――
「対抗戦、優勝しますかね?」
「総合力を競う大会ではないからわからんよ」
彼らが特別な世代であることに疑いはない。
○
普段、休日の学校など人が出払っていて閑散としているものだが、本日は昼食時でもないのに学園内の食堂は大賑わいであった。
その理由はもちろん、
「あー、故郷の学校が負けちゃいましたぁ」
対抗戦の様子を観戦するためである。丁度今、アマルティアとクルスの故郷であるイリオスの学校が二回戦にて敗退したところであった。
「惜しかった」
イールファナががっかりするアマルティアを慰めるも、
「アミュ一人で全部倒せそう」
人の心がいまいちわからない後輩の言葉で消沈する。
「アミュ」
「ぶー」
先輩として注意するも、まったくもって動じない太々しい後輩、アミュ・アギス。アマルティアが本気で怒らねばこの太々しさは消えないだろう。
「ってか、レベル低くない? デイジーはどう思う?」
「わ、私には全員強そうに見えるけど」
「ふーん」
自分は全然そう思わないけど、と言った表情のアミュ。こんなのだから友達がデイジーしかいないのだが、本人はあまりに気にしていない。
それに、
「……今から凄いダサいこと言っていいか?」
「言っていいぞ」
「……俺、転校したらワンチャン対抗戦出られたくね?」
「うーん、ダサい」
全体のレベルに関してはほぼ当事者である五学年の面々にも思うところがあり、何とも言えない空気が漂っていた。
もちろんここは御三家であり、彼らは皆エリート中のエリートである。そりゃあもう上澄みであるし、レベルが高いのは当たり前ではある。
ただ、対抗戦はそのさらに上澄みであるはずなのだ。しかも近年、グリトニルほどの事件は稀でも、どの学校もエース級は相当の腕利きを用意しているケースが増えてきている。メガラニカのように人材をよそから引き抜く手も。
実際、
「れ、レベル低いかな?」
「一年の差じゃない? それか、やっぱ先輩たちが異常なんだよ」
「だ、だよなぁ」
四学年以下(アミュを除く)にはレベルの高い試合に見えた。それこそ準御三家のエース級など、とてもじゃないが届く気などしない。
だが、五学年の肌感覚だけは違う。
「ぶっちゃけ三回戦の頭が決勝でしょ。その先で停車駅ある?」
「ぶっちゃけるなぁ」
五学年のご意見番、ミラ・メルは鼻を鳴らす。
「御三家以外ならテラとマリはさすがに私より格上なのは認めるけど、逆に言うとそいつら以外に私負ける気しないんだけど」
「実際それ」
いつもはそういうのに乗っからないフラウも賛同する。他の上位陣も特に異論はない。今名前の挙がった準御三家のエースはさすがに強いが、それ以外の学校相手ならエース相手でも何とでもなりそう、それが彼女たちの見立てであった。
「イネインは結構強かったぞ」
「じゃ、あんた負けるの、ハーテゥン」
ミラの挑発的な言葉に対し、
「明日は知らんが今なら勝てる、かなァ」
これまた珍しくヴァルも乗っかった。
「じゃ、私らが負ける道理ないじゃん」
「……」
言葉の暴力にしゅんと肩を落とすヴァル。学年きっての嫌な男をして、口喧嘩ではこの女に勝つことなど不可能であったのだ。
戦っても心が傷つくだけであるから。
「俺たち負け犬の遠吠えはさておき、イールファスの一勝がある限り、御三家以外はきついよなぁ。今のクルスとフレイヤどっちも倒さなきゃだし」
ディンは今のアスガルドと対戦する全ての学校へ哀れみの視線を向ける。それは古巣であるログレス相手ですら変わらない。
ソロンがイールファスに勝とうとも、残り一勝をあの二人からもぎ取るのは至難の業。試合を見る限り、今のログレスでさえかなり厳しい戦いとなる。
「ログレス以外にほぼ勝ち目はないだろうな。こうして外側から見る限りは。無論、勝負はやってみなければわからない面もあるが」
最後はお茶を濁しつつ、それでもデリングでさえ勝利を確信しているかのような物言い。正直言えば、対御三家以外はヴァル以上の誰が代表入りしても勝ち上がれるだけの層がある。何ならラビらを含めた十番台の面々でさえどうにかなるように思えた。さすがにかなり危うい勝負にはなるだろうが。
勝負は成立し得る。
それだけ三強を擁し、一勝が確定しているのが大きいとも言えるが。
「でもまあ、こういう勝って当たり前みたいな状況って当事者からするときちーよな。普通に嫌だぜ、俺」
弱音を吐くディンにデリングは苦笑する。
「気持ちはわかる。たぶん、イールファスとフレイヤは別々の理由で気にも留めていないだろうが、リンザールは――」
「気ぃ重いだろうなぁ」
今頃、暗い顔で考え事をしている様が目に浮かぶ。
そして全員(リリアン除く)一斉にゲラゲラ笑った。
畜生(リリアン除く)しかいない。
「アスラクは充実してるけど、三番手はリュリュとパヌで最後まで争っていたみたいだが……どうにもピリッとしねえな」
ディンは古巣の微妙な空気に気づいていた。今のところアスラクとリュリュの二人で白星を掴み、ソロンの出番は一度も来ていない。
相手も相手、圧勝には違いないのだが――
「あの辺はもっと伸びると思っていたんだがな」
「ああ。どいつもこいつも天才だったはずなのに……難しいもんだな」
環境が人を育てるというのなら、やはり今の五学年に勝る環境はなかったのだろう。モチベーションの高さが違う。
眼の色が違う。
「ネックはフレイヤか」
「下振れ云々はさておき、やはり隙はある。グローリー相手なら、全て見抜かれていると思っていいだろう」
「アスラクをぶつけてくるだろうな」
「おそらく。リンザール相手は、おそらく捨て」
「ログレスに試合を捨てさせるかぁ。来るとこまで来た感じあるなぁ」
「本人は微塵も納得していないだろうがな」
「それ」
誰もが今のクルス、その実力を認めている。三学年の時を思えば尋常ならざる成長速度であろう。無名の彼が御三家の代表になり、それに対し誰も何一つ文句を言わないのだから、其処への評価は推して知るべし、である。
実際、もう一度やればディンが勝つかもしれない。デリングが勝負に徹したら、受けに徹したら、どうやっても引き分けにしかならない。
実力が頭抜けているわけではない。
それでも彼が代表なのだ。
「さっきの転校の話だけどさ」
「ダサいの重ね掛けはやめてくれよ」
「俺、アスガルドにいたからここまで成長できたの、忘れてたわ」
「リンザール如きに負けるものか、って?」
「それそれ」
「懐かしー」
「私成績で負けた時に呪詛書き連ねたノートまだ持ってるよ」
「「それは捨てろよ」」
全員が、そう思っている。
何なら首席であるはずのイールファスよりもずっと。
クルス・リンザールは彼らの代表であるのだ。その形は各々にとって違えど。
○
アスラクが来るか、リュリュが来るか、そういう議題のミーティングを終えてクルスは一人、ホテルから抜け出して歩いていた。
言えなかった。
言えるはずがない。
ソロンが先鋒に来る、など。
半ば、自分自身すら信じ切れていないのだ。そんなことをすれば、どうなるのかはノアが身をもって教えてくれた。
未だに彼へのバッシングは消えていない。
しばらく残り続けるだろう。イールファスから逃げた臆病者として。
ソロンもそうなる。
クルスに勝とうが負けようが――
「……」
路地裏に入り、夜闇に満ちた場所へ至る。
其処で、
「いつまで付きまとう気だ、イールファス」
背後の気配へ声をかけた。
「声をかけられるまで」
「なら、今すぐ消えろ。俺は一人になりたいんだよ」
「何故?」
気配が、その声が、喜色を帯びる。
「……言う必要があるか?」
「ソロン、先鋒に来るんだ」
「……」
影はにやにやと笑う。彼らしくない。いや、それでいて彼らしいか。
「だとしたらまた退屈になるな。捨て試合で。正直うんざりだろ」
「別に。俺はクルスが追いつめられる方が面白い」
「戦いたくないのか?」
「ノアが本気なら面白そうだけど、あいつは最後の一線で手を抜く。寂しがり屋だから、突き抜ける気がない。だから、ソロンはあいつに微塵も興味がないんだ。俺も同じ。むかつくけど、俺とソロンは同族。根は、違うけど」
「……なら、尚更」
「同族嫌悪。俺たちは互いのことが死ぬほど嫌い。殺し合いならやる気が出るけど、遊びなら御免被る。だから――」
影の笑みが深まる。
「俺たちとも、ノアとも違うクルスに期待してしまう。どうせ遊ぶなら、自分と違う、俺の認めた友達が良い。それが最高だ」
「……それは友達か?」
「俺の定義ではそう。早く上がって来いよ。退屈で、死にそうなんだ」
「……俺が、そちら側に辿り着けると思うか?」
「期待はしてる。でも、道は見えない。折れるか折れないかも含めて、俺は高みの見物だ。折れたら、また退屈になるなぁ。嫌だなぁ」
「……」
「世界でも滅ぼしたくなる、かもしれない」
「騎士を目指す者が、冗談でもそんなこと言うなよ」
「クルスは堅いなぁ。騎士なんてただの仕事だって、クルスも知っただろうに」
騎士など無価値。とでも言うような口調で彼は言葉を放った。
そして、いつの間にか気配が消える。
「……知った風な口をききやがって」
イールファスが自分の苦悩を、勝ち筋が見つけられないまま挑むところを、楽しんでいる節があったのは前々から気付いていた。
自分の何が彼を楽しませているのか、正直わからない。
才能がなく足掻く滑稽な男を見て愉悦に浸っているのか、それとも――
「いっそ、折れてやろうか、とすら思っちまうな」
クルスは満天の星空を仰ぎ、遠くの星に手を伸ばす。
あまりにも遠い空と地上、それがそっくりそのまま自分と彼らの距離に思えた。一生人類では届かぬ高み、頂き。
果たして自分にそこへ至る資格があるのだろうか。
生まれも、器も、何一つ特別なものを持たぬ自分が。
「俺はどうやって、其処へ行けばいい?」
天へと至る資格が、あるのだろうか。
疑問はやまない。
それでも夜が更け――
「さあ、大一番だ! 楽しんでいこう!」
「「「イエス・マスター」」」
朝が来る。
望む望まずにかかわらず。
その日が、来た。
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