第192話:もう一つの学校

 この学校のことは誇りに思っている。最高の学校だと常々思う。冬になっても二十度近くある常夏の環境に、知的でユニークな多種多様な教師陣、世界中から優秀な学生が集まり切磋琢磨も出来る。

 あと、何より女子の制服が可愛い。騎士科は動きやすさのため男子同様ズボンだが、他科は暖かい気候に適した空気を取り込みやすい形状、である。

 最高の学校、レムリア王立学校はそんなところ。

 ただ、

「あっちぃ」

 光を取り込むガラス張りの校舎だけはセンスを疑ってしまう。いや、まあ夏近辺以外は特に気にならないのだが、夏が近づいたり離れたり、その辺りになるととにかく日光がガンガン入ってくるので体感温度が猛烈に上がっていく。

 おしゃれは我慢と女子は言うが、建物にもそれはあるらしい。

 まあ夏本番は基本的に夏休みの期間なので致命傷にはならないが。

 そんなとりとめのないことを、

「何してんだよ、ノア」

 考えながら、

「おん? ウォーカーか」

 熾烈な三番手争いを何とか潜り抜け、代表入りした男ジェームズ・ウォーカーは誰もいない教室で一人佇むノアを見つける。

 黙っていると本当に美しい男であるが、口を開くと残念イケメンと化す。すでにレムリアの面々には正体がバレ、多くの女子は面白友人枠として見ており、そうでない一部の信者はノア女と言う魔物となっていた。

 まあ、真のガチ恋勢ならノア女にはならない。そうなるとノアがすん、となってしまうから。逆に友達枠として近づき、ワンチャンを狙う方が可能性はある。

 それも意外と鋭いノアは察し、ひょいひょいと距離を取り始めてしまうのだが。

 おかげでこの男、この外見と軽薄さを兼ね備えながらまだ童貞である。

 ゆえに男子からは上からも下からも親しみを向けられているのだ。

「見ての通りだ」

「見てわからないから声かけたんだが」

「クールに見えただろ?」

「それを言わなかったら多少はな」

「だっはっは、そりゃそうか」

 自己中、わがまま、マイペース、ついでにスーパーナルシスト。あと超天才。嫌われる要素がてんこ盛りの男であるが、彼を嫌う学生はここにいない。

 いない、は言い過ぎかもしれない。ノア女という魔物の中に好きな相手がいた場合、無関係であろうとノアを嫌う者は多少いる可能性はある。

 聞いたことないが。

「で、本当のとこ――」


「ノア様ァァア!」


「――理解した」

「……愛が重いよなぁ。俺、もっと軽いのが良い」

「そういう相手もいただろ」

「でも少しは重みも欲しい」

「わがままな奴だ」

「そりゃあ俺様ノア様だもの」

「ったく」

 一学年の頃からノアはノアだった。見た目は超イケメン、頭を切れる。実技は圧倒的な『フィジカル』、魔力の差で勝負にもならない。

 だけど、

『お○ぱいう○ちち○ちん!』

 昔から男友達は多かった。自分のその中の一人。一緒に各学年における猥談を繰り広げながら、気づいたら五学年になっていた感覚である。

 あの頃が懐かしい。

「なあ」

 唐突にノアが口を開く。

「ん?」

「もう終わるんだよな、学校生活も」

「そりゃまあ、もうすぐ就活が始まるしな。みんなが集まることなんて数えるほどだろ。就活パパっと決まったら地元で時間潰すやつもいるだろうし」

「学校楽しいのに?」

「……俺はまあ、残るけどさ。ほぼレムリア決まりだし。でも、全員がってのは無理だろ。団入り出来なかった奴は、やっぱここに居づらいだろうし」

「……」

 ノアの拗ねたような貌。それを見てジェームズは苦笑する。

「なんだぁ、寂しがってんのかノアぁ」

「ち、ちげーし! むしろせいせいするっての」

「ほーん」

「あ、いや、違う、それは嘘だ。せいせいはしねえ」

 ノアは珍しく難しい顔をして、髪をかきながら、

「楽しかった。だから、寂しい。ちょびっとな」

「……そうか」

 何とも言えない表情で、恥ずかしそうに本音をこぼした天才の姿を覚えている。

 もう一人でも別のツレがいたら、きっと口にしなかったであろう、唯我独尊男の寂しがり屋の一面。この男は天才でありながら、人の輪にいるのが好きだった。

 きっと、おバカな一面は処世術も含まれているのだろう。

 どうしたら周りと一緒にいられるか、誰かと一緒に楽しく生きるのが好きなのだ。

 だから――


     ○


 歓声はすべてアスガルドへ。レムリアへの応援は身内だけ、ノアの声だけが届く。

 それを背に三番手、ジェームズ・ウォーカーは前へ進む。

 その先に立つはノアと並び称される天才、イールファス・エリュシオン。

 誰がどう見たって釣り合わない。

 それはノアと五年間一緒にいた自分たちが一番よく知っている。くだらないことを駄弁っている時は楽しそうな彼が、競争の際に時折見せる退屈そうな表情。

 それが今、

「くぁ」

 あくびをしながら隠そうともしない男のおかげでほんの少し重なる。

(……別に腹も立たないよ。当然だ、それだけ差があるもんな、俺達には)

 真の天才、それはあまりにも遠く、競い合う心などとうに折れている。それこそ一学年の時に、ノアと初めて剣を交えた時に――

 勝てない。勝てるわけがない。

 だけど、

(……今日は、今日だけは)

 ジェームズは歯を食いしばり、天才と向き合う。

 今日だけは、対抗戦だから。いや、単なる対抗戦で、普通の組み合わせの末のマッチアップであったなら、やはり勝てっこないと諦めていただろう。

 だが、今日は、今回は、違う。

 ノアが選んだのだ。

(ソロンとやりたい? ああ、いつも言ってたもんな。あいつと対抗戦で雌雄を決するんだって。自己中で、わがままで、そんなノアなら言うさ。これぐらい)

 いつだって振り回されてきた。ノアと一緒にいるといつもそうなる。

 ただ、

(んなわけ、ねえだろうが!)

 誰かを傷つけるような立ち回りなどあの男はしない。傷つくとしたら自分が最初、それがノアである。

 レムリアの看板に傷をつけて、一緒に戦う仲間にも泥を塗って、今回のわがままは普通に見たらそう見える。そうとしか思えない。

 皆そう思う。

(それを言わせたのは俺たちのせいだ。あいつはどこかで覚悟していたんだ。俺とヘレナが負けて、大将戦がなくなることを。星取りのルールを確認した時点で)

 白星の数が二つになった時点で勝負あり。百を超える学校のトーナメントを回すためにはサクサク進めねばならず、そのため余計な試合をするゆとりはない。

(凄かったもんな、合同演習の時。どいつもこいつも格上ばかり。ヘレナに負けたフラウとミラだって、中身はかなり肉薄していた。何より――)

 ノアを、

『挟むぞ、クレンツェ!』

『合点!』

『はは! 面倒な奴らだなァ』

『悪いが二対一だ』

『で、間も詰めさせてもらうぜ。これで加速し切れねえだろ!』

 二対一とは言え完全に止めたあの二人がいる。結局それが尾を引き、ソロンが上手く出し抜く形となったが、総合力はそれこそ両校相手取れるほどあった。

 あの二人に出てこられたら、とてもじゃないが自分じゃ歯が立たない。

 そう、わからされた。

 そして、その二人を押しのけて無名の男が代表入りした。あのノアの本気中の本気を、自分たちには向けられたことすらないそれに受けて立った男。

 加えて対策必須の新型を携えたフレイヤ。まさか合同演習時点ではほぼ互角だったあの二人の試合がこうも一方的になるとは思わなかった。

 もちろん自分はヘレナよりも弱い。明確に劣る。

 つまり――

(大将戦なんてなかったんだ、端から。そして、辿り着けなかった場合、バッシングを受けるのは観客の期待に応えられなかった、情けない俺たちだ)

 どう組み合わせても黒星二つが手前にある限り、ノアの出番はなかった。

 だから、ノアは『わがまま』を言ったのだ。

 嘘ではないが、本音でもないことを。

 自分たちが信じると思って。それで傷つかないと考えて。

(俺たちを守るために、あいつは泥を被った。俺たちが強ければ被る必要がない、被る気すらなかったそれを。そもそも、あいつ自身は誰かに負けるかもしれない、なんて考えるわけがない。ソロンだろうがイールファスだろうが、一人で戦う時は百パーセント勝つ気さ。それがノアだ)

 絶対に勝ちたい。だから勝ちやすい相手を選ぶ。

 そんな行動原理はノア・エウエノルに存在しない。存在しないことを言った。なら、其処には必ず裏がある。

 自分とヘレナに向けられるはずだったヘイトは今、レムリア王立騎士学校全体へ向けられている。いや、その看板であるノアへ一番集中しているかもしれない。

 傍目には圧勝であったから。

 なら逃げるなよ、そう大多数は考える。

 最終的に傷つくのは、勝ち欲しさに先鋒を仲間から奪い取った男、ノア・エウエノルになる、と言う寸法である。

 だからこそ、

(このままじゃ終われねえ!)

 友達が大好きで寂しがり屋なあのド天才に泥を塗ったままじゃ終われない。ゆえに男は剣を構える。諦めず、向き合う。

 万が一、それを掴むために。

 その眼を見て、

「……」

 イールファスはかすかに眉をひそめた。

 あくびを噛み殺し、

「ようやくこっちを見たか。俺だってな――」

 ゆっくりと動き出す。

 同時に「始め!」と審判が叫ぶ。ジェームズは深呼吸をしながら剣を構えて迎え撃つ備えをする。攻めさせる。堅く、辛く捌く。

 何手でも、何十手でも、何百手でも何千手でも付き合って見せる。

 その覚悟はある。

「俺だってレムリアの代表だ!」

 かかってこい、覚悟と共に叫んだ言葉は、

「……」

 眼前の天才、その心には微塵も響かなかった。

「……えっ?」

 誰もが絶句する。イールファスは剣をだらんと下げて、ただゆっくりと、散歩でもするように間を詰めていた。

 無警戒、警戒に値しないとでも言うように。

 あっさりとジェームズの間合いに立ち入り、その中でも平然と近づく。

 いつでも切れる。いつでも終わらせられる。

 しかもイールファスに構えはない。即対応できる状態ではない。

「くぁ」

 そして、目の前であくびを一つ。

 わざわざ、口を押さえるために片手も動員している。

 今なら――そう思った瞬間、手が勝手に動いた。

 圧倒的先手。機先を制した。兵法の王道中の王道である。

 ゆえに哀しいかな、

「終わり」

 圧倒的不利から超反応で後手が捲り、かわし、逆に剣を相手へ突きつける。万が一すら、一合、打ち合うことすら許されず、

「しょ、勝負、あり!」

 瞬殺にて決着。

 理不尽の極み、天才にのみ許された後の先。この言葉を、言葉通りにするのがイールファスの才であり、凡人との大きな違いであった。

「ぁ、ぁぁ」

「その眼を俺に向けていいのは……普段から諦めていない奴だけだ」

 ムシケラを見つめるような蔑んだ目で、イールファスは敵未満の相手を見下す。普段諦めているのに、突然やる気を出し立ち向かう。

 継続することのない気の迷い。期待する気にもならない。

「不愉快」

 鎧袖一触、敵ではないと言わんばかりにイールファスが二勝目を確保する。

 これにて決着である。

「ごめん、俺、ぜんぜん、手も足も、出なかった」

「鼻水垂らして泣くなって。男だろぉ」

「だげどぉ」

「しゃーない。相手が強かった。それだけのことだろ」

 神速の天才ノア・エウエノル率いる御三家、レムリア王立学校、初戦敗退。涙を流す仲間と共に、天才は笑いながら舞台を去る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る