第190話:ノア対クルス

「ふはは、あれがクロイツェルの隠し玉か!」

「まあ、従者の申請を通した時点で隠す気はあまりありませんが」

「細かいな、サラナよ」

 ユニオン騎士団第三騎士隊隊長ヴィクトリア・ブロセリアンドと同副隊長サラナがお忍びで騎士学校対抗戦の会場へ赴いていた。

 お忍びであるが――

「あ、あの、マスター・ブロセリアンドですか?」

「如何にも」

「サイン、ください」

「よかろう! 刮目せよ、我が貴き一筆を!」

「はいぃぃ!」

 格好、存在感、何処からどう見ても隠れる気がないのは彼女らしい。

 副隊長は注意をする気すらない模様。ちなみにもう一人の副隊長は雑務を全部放り投げられ、偉大なる隊長からの頼まれごとに嬉々として仕事をこなしていた。

 余談である。

「少しは隠れてください、マスター」

「む、ガーターか。これでもオーラは抑えておる。これ以上抑えることは、この我が世に降臨しておる限り不可能ぞ」

「……さいですか」

 第五騎士隊副隊長のユーグ・ガーターは私服姿でこの会場に潜んでいた。彼だけではない。何人かの隊長格を含めた上位の騎士たちもまた会場に潜入済みである。

 全ては世界に中継されるという特別な状況を危惧してのこと。

 第一騎士隊及び全ての騎士を統括するグランド・マスターの命である。

 何かが起きる可能性がある、と。

「しかし、この我がいるというのに……随分と大きな注目と罵声であるなァ」

 ヴィクトリアも目立ってはいるが局所的。今の観客たちが見つめるは会場である闘技場、その中心にある拳闘士にとっての夢の舞台である。

 今はそこへ罵声が飛び交うが――

「注目の学生ですからね、ノア・エウエノルは」

「三強とやらか。馬鹿らしい。所詮は学生であろうに」

「二年前の時点で学生ではなかったですよ、あの子は」

 ユーグは二年前のシャクス襲撃を思い出す。自分と似た障碍を持ち、それをすべて速さへと変換するノア。二年前の時点で学生の域ではなかった。

 十二分にこちら側でやれる実力があった。

 それから二年、成長していないはずがない。

「ああ。あの件にも絡んでおったか」

「ええ。二人とも」

 『二人』とも。

「……二人?」

 従者登録の件で名は知っていたが、

「確かに名を連ねておりましたね。記事の記憶があります」

「ほう。それを知っていて何故我に報告しなかった、サラナよ」

「聞かれませんでしたので」

「なら我が悪いなァ! ふっはっはっはっは!」

 何がおかしいのか大笑いするヴィクトリア、を放置する副隊長サラナ。もう一人の方がわかりやすいのだが、この二人の距離感はユーグにもなかなかつかめない。

 旧知の仲、とは聞き及んでいるが。

「さて、既知の二人。卿はどう見る?」

「どうでしょうか。この年代の子は成長が読めませんので」

「ほほう。それは楽しみだ」

 眼下にて歓声と罵声を浴びる二人の学生。それを見下ろし第三騎士隊の女帝は笑みを深めた。存外辛口な評価軸を持つ男が学生の域にないと言った。

 その男に対し、『読めない』というのはかなり高い評価であろう。

 取るに足らぬ者であればいくらでも言い切れる。

「しかし、この異様な雰囲気で学生が力を出し切れますか?」

 同じ副隊長であるサラナの疑問に、

「おそらく問題ないですよ、あの二人なら」

 ユーグは何の問題もないと――今度は言い切った。


     ○


 少し時は遡り、

「どうしてもソロンとやりたい。だから、頼む」

 昨夜、ノアは仲間たちに頭を下げていた。

「「……」」

 困り顔で戸惑う仲間二人。それもそうだろう。

「それは会場を、世界を敵に回す行為だとわかっていますか? 学生にとって真剣勝負の場でも、観衆からすれば単なる興行、見世物です。そして皆が望むのは三強の衝突、今年はそれ以外にあり得ません」

 今、彼らの引率である先生が放ったことが全て。しかも今回は世界に中継するという名目から、かなり興行色が強いものとなった。

 例年であればまだ局所的に済む傷も、今年は世界中に広まり深く残る。

 学校側としては到底受け入れられない話である。

「わかっています」

「……二番手に一番強い駒を当て、三番手に二番手を当てる。先鋒に二番手が来ると思った理由は何ですか?」

「俺が二番手だと思うやつはクソほど肝が図太いんで、教師の目利きが確かならまず間違いなく先頭に出してくると思います。それが一番強いんで」

「……今年はマスター・フューネルでしたね。なら、その辺りは間違えないでしょう。優秀な騎士でしたから」

「お願いします」

 普通は撥ね退ける。学校側として勝っても負けても得のないオーダー。特に負けた時の傷はあまりにも大きいだろう。

「俺のわがままだと公表してもらっても構わないです」

「ちょ、それは違うだろ、ノア」

「そうです、ノア様。だってその決断は、私たちが――」

 女の子の発言を遮る形で、

「なら、そうしましょうか。今年は君たちの年、そしてここは君たちの晴れ舞台ですから。楽しみましょう。うちはまあ、そういう校風ですし」

 先生はノアの意見を受けいれた。

「ありがとうございます!」

 普段、頭を下げない男の必死な姿に、先生は苦笑する。残りの二人は歯を食いしばり、矜持を捨てた男の姿を目に焼き付けた。

 いつだってこの男は――


     ○


 時は戻り、

「嘘、だろ」

 昨日まで笑いながら遠くの友、その姿を見つめていたアスガルドの五学年の面々すら、あまりにも異様な組み合わせに、会場の雰囲気に、絶句する。

 誰がどう考えても悪手である。

 無論、狙いははっきりしている。確実に二勝を奪い取るため、それ以外ない。だが、だからと言ってこんな編成を学校側が受け入れるとは到底思えなかった。

 勝っても負けてもケチがつく。

「度量が凄いね、レムリアは。うちじゃちょっとやらせてあげられないなぁ」

 テュールら教員も驚きに目を見開く。学校側であればあるほど、ここで一つ勝ち上るために捨てるものの大きさがわかってしまう。

 だから、これはあり得ないと高をくくっていた。

「ええ顔しとるわ、あのカス」

「傍目にわかるほど動揺しているね。でも――」

 粗い画面上ですらわかるほどに驚き、困惑しているクルス。

 しかし、

「問題ないさ。あの子は君の見込んだ子だからね」

「殺すで」

「おー、怖い怖い」

 その部分に関しての心配はしていない。


     ○


 構え、その指示と共に構えた瞬間、

「……へえ」

 ノアは自分の読みが当たっていたことを知る。

 先ほどまで自分を前に様々な葛藤がひしめき合い、困惑、混乱、絶望とまあひどい精神状態に見えたが、構えた瞬間それらがすべて消え去った。

 しん、と佇む姿を見て、ノアは警戒レベルを跳ね上げる。

「ま、当然だわな」

 ディン・クレンツェを、デリング・ナルヴィを越えて彼はここにいる。二年前のままなわけがない。色々あったのだろう。

 それは立ち姿からも見て取れた。

(……認めるぜ、クルス。強ェーよ、お前は)

 声など届かぬ集中力。

 勝つ、ただそれのみが瞳に浮かぶ。

 素晴らしき純度、あの頃よりもずっと明確に、明瞭に、眼が語る。


 そんな雰囲気は、

「……テラ」

「ああ。あいつ、ここまで」

 メガラニカにも、

「……ミラが代表に届かないわけですね」

 マグ・メルにも、

「ソロン」

「……素晴らしい。だが、同時に不愉快でもある」

「不愉快?」

(その眼は俺に向けられるべきだ)

 ログレスにも、届く。

「当たり前だけど、あの頃の俺よりずっと強くなったんだな、クルス」

 会場の隅でフレンは存在しない腕に手を伸ばす。

「甲斐はあったさ。見えるよ、クルス。君の努力が」

 きっと彼は負い目すらも原動力に変え、突き進んだのだろう。前へ、前へ、自分の夢すら抱えながら、遠く、高く、進む。

「頑張れ、クルス!」

 その声は決して届かない。

 それでもフレンは投げかける。彼こそが今や、自分の夢であるのだから。

 重荷となるから決して言えないけれど――


 ノアは、

「ふぅー」

 と一呼吸入れて、構えを解き舞台の端まで歩く。彼からすればあまりにも遅い歩み、何処か力を温存しているかのような、気怠い感じはユーグと被る。

 だが、クルスは動じない。後傾したゼー・シルトに構えたまま、相手の攻めを待つ。あの速さが来る。驚異的な速さだと、わかっている。

 相手を人間とは思わない。

 魔族と思う。

 なら、あの速さは決してあり得ないほどでは、ない。

「よっしゃ、じゃあ」

 たん、たん、舞台の端でノアは軽く跳躍を始めた。力を極限まで抜き、緩く、柔らかく、体を今からの動作に適応させる。

 準備よし、と審判は判断し、

「始め!」

 始まる前から波乱にまみれた大会初戦の始まりを告げた。

 その瞬間、

「征くか」

 ノアの姿が消える。

「ッ!?」

 大半の、学生を含めた観衆にはそう見えた。

 音もなく消え、

「……?」

 ドゴン、ガギン、と言う音が遅れて聞こえる。

 そしてノアは、

「はは、今のをしのぐかよ!」

 対角線上の舞台の端に立っていた。たった今移動し、全力でブレーキをかけたかのような姿勢である。

 そんな馬鹿な、と誰もが思った。

 いや、そもそも、まず舞台の端から端へ瞬時に移動したノアを追えた者すら少なく、多くはノアが消えた状態で唖然としている。

 ただ、もう罵声はない。

 人々の目と共に声も置き去りにしたから。

「まだまだァ!」

 ノア、またも消える。

 爆発的な踏み込み音が遅れて聞こえ、そして金属の接触音が響く。

 そう、

(クソが! 前よりも格段に、速くなってやがる!)

 クルスはそれを目で追えていた数少ない者の一人であった。あまりの速さに、ただ受けるだけ、反撃どころか受けるだけでも一苦労。初手から完璧な形で受け流せず、それゆえに大きな音が鳴ってしまう。

 上手く流せば接触音など消せる。消せるが――

(クソクソクソ、追いつかねえ!)

 才能の開き。成長速度が、成長曲線が同じであると誰が言ったか。桁外れの才能を絶え間ない努力で磨いた。それが三強、それがノア・エウエノルである。

(マジで強くなったなおい。これでも目は間に合ってんじゃねえか!)

 手が追いつかない。

 徐々に、徐々に、差は開いていく。

 ノアの猛攻。しのぐはクルス。凡夫には追えず、才人たちですら追えているのはほんのごく一部のみ。

「人間じゃ、ない」

「……」

「二年前からさらにここまで」

 ユニオンの隊長格すらも愕然とするほどの純粋な速さ。

 人間離れしたそれは、

「まずまずの速さだ」

 第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティア。『天剣』のサブラグ、彼の中の騎士をかすかに刺激する。

 目にも止まらぬ戦いは、

(やっぱり、クルスで正解だった)

 十秒にも満たぬ短期決戦で、

「俺の勝ちだ、クルス・リンザール!」

「……クソ、が」

 幕を閉じた。

 ノアの剣が背後から首元へ添えられ、顔を歪めるクルスは遅れに遅れた剣を返す途中のまま、硬直していた。

 審判も一流の騎士である。

 だが、

「しょ、勝負あり! 勝者、ノア・エウエノル!」

 そういうそれなりの猛者程度では、結果でしか判断できない。彼らの攻防、永遠にも似た濃縮された十秒の中で繰り広げられた戦いは、ただ見ることだけですら資格を要した。そういう戦いであったのだ。

 刹那を駆けるは神速の麒麟児、

「俺に追いつこうなんざ百年早いぜ、クルス」

「……ノアぁ」

 ノア・エウエノル、完勝。

 クルスは歯噛みし、されど結果を受け入れるしかない。対ディン用に用意し、スペックで上回られた相手には有効であった後傾によるマージン、そのちっぽけな空間だけではどうしようもないほどに、其処には大きな差があったから。

 あまりにも人間離れした戦いに、拍手よりも唖然とする者が多数であった。

 人の感情すら置き去りにして、ミズガルズ最速の男は仲間へ向けて笑みを向けた。

「さすがノア様です!」

「やっぱド級の天才だな、ノアは」

「はっはっは、当然! あっ、ちょっと汗拭いてくるわ」

 会場を後にするノア。威風堂々、王者の歩みである。

 己こそが最速、ゆえに最強と言わんばかりに。

 だが、

「ここなら人の目はありませんよ」

「どう、も」

 先生以外の人目がない場所まで辿り着いた瞬間、ノアはひざを崩し大きく息を荒げた。必死に取り繕っていたのだろう。

 それだけ全力稼働は、リスクを伴う。

 長期戦一切度外視、最速で倒し切るための最大戦速であったから。

「あそこまでやらねば、ですか」

「……まあまあ、だったんで」

「君がまあまあ、ね」

 あの構えを見た瞬間、嫌な予感がした。生半可な力じゃ、速さじゃ、あれはこじ開けられない。それと同時にもう一つ、

(最後の最後まで折れねえ奴だな、あんにゃろうめ。間に合わないってわかっても、こっちが詰める瞬間まで最善の動きしかしなかった)

 長引かせるのもよくない気がした。

 最後まで揺らがなかった勝利への執念。間に合わなかっただけで間違えなかった男の厄介さ。最速最短で沈めて正解であった、そう天才は思う。

「はぁ、はぁ、あー、くそ、しんどー」

 敵に見せる気はない。

 だが、人知れずクルスはあのノアから弱音を引き出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る