第189話:『一番』

「ぎゃははははは!」

 しん、と静まり返るアスガルドの食堂の一角で爆笑が巻き起こっていた。五学年の面々が集まっている場所である。それ以外は葬式状態、特に教員連中の表情は固まっており、画面上にて壇上で立ち尽くすクルスと同じような状況であった。

「ヤバイ、マジあいつ天才。神の引き過ぎ」

「最悪の予想すら超えてくるとはなァ」

 特にミラとヴァルは腹の底から笑っている。どこぞの学校が八番を引いたとき頭を抱えていたヴァルとミラであったが、クルスが代表として立ち上がって瞬間、五学年の皆が沸いた。実は意外と知れ渡っていたのだ。

 イールファスとソロン、大事な大会できっちり射止めたことは。

 しかし引く前はまだ、

『いや、でもあいつが私から逃げた拳闘大会じゃ良い引きだったし』

 皆半信半疑ではあった。クルスの引きが噂通りであればもしかして、それぐらいのもの。言うて八分の一だしきついだろ。

『待て。本当にそれは良い引きだったか? むしろあの準優勝の話は過去の笑い話より避けている節があった。つまり、やはり最悪の引きだったわけだ』

 まさかねえ、ぐらいの温度感であった。

『つまり?』

『あるぞ、ワンチャン』

 からの神引き。ここしかない、を射止めた天才の所業に五学年の仲間たちは沸いた。周りがドン引きするぐらい大笑いしていた。

「はー……クルスのやつすげえな」

 ディンが「はー」と感嘆する横で、

「あの場でのことを想うと、ぶふ、胸が、くひ、痛いが……とは言え、くっく、まさか引くか、ここしかない、ってとこを」

 デリングは珍しくツボに入ったのか耐えながらも耐え切れずにお腹を押さえながら話していた。いっそ笑った方が上品まである。

「アースの件、メガラニカの件もそうだけど、やっぱ持ってるよな、クルスは」

「くく、違いない」

 クルス・リンザールの摩訶不思議な遍歴。自身の運命を決める闘技大会の初戦でイールファスを引き当て、アースで散歩中に突発型ダンジョンに飲まれた後、ユニオンでの拳闘大会でまたしても三強ソロンを引き、その足で向かったメガラニカではまたも突発型ダンジョンが発生して事件に巻き込まれた。

 そして今、二度あることは三度あるとばかりに三強のノアを引き当て、しかもその後はご丁寧にソロンの再戦が待つ、と言う構図である。

 神様もびっくりの仰天人生であろう。

「まあでも、良いんじゃねえの、これで」

「ああ。最高の組み合わせだ。これで文句なしの優勝が出来る」

 ディンとデリングの言葉、それは五学年の総意でもあった。だから彼らは周りとは違い、笑い飛ばすことが出来たのだ。

 彼らは確信しているから。

「可哀そうなのはノアでしょ。星取りなんだし、あいつがどんだけ頑張っても一勝にしかならないわけで……今頃内心真っ青よ、あいつ」

 ノアと幼馴染のラビは苦笑いを浮かべていた。

「そうね。被害者はむしろログレスとレムリア」

 フラウはにやけながら断言し、

「クルスは知らないから。去年上位じゃないし、周りが全部ディンとかデリングに見えているかもしれない。それだとあの貌になる」

 フィンもまたゲラッゲラ笑いながら何とか言葉をひねり出していた。

 そう、上位勢でクルスだけが知らないのだ。

 周りの、御三家のレベルを。もちろん一年経った以上、当然周りも伸びているだろうが、それでも彼らはある程度その予測が立てられる。

 クルスだけが聞きかじりの情報しか持たないわけで、常に最悪のケースを想定する性質である以上、そりゃあもう胃が痛くて仕方がないだろう。

「リンザールが正確な情報を持たないのと同じで、周りもリンザールの正確な情報を持たない。嫌な気分だろうなァ。わからないってのは怖いものだから」

 騎士界隈なら誰もが知るクレンツェとナルヴィを引きずりおろした無名の男。さらにヴァナディースがどんと構えている。

 怖いのはむしろ周りである。

「下手に情報持ってんのも怖いでしょ。去年の雑魚ってた頃のクルスしか知らないなら、クレンツェやナルヴィなんて天地が引っ繰り返っても勝てなかったわけだし」

「その雑魚に負けたやつらのことも考えてくれよぉ」

 クルスを知るテラやジュリア率いるメガラニカ、アスラクを擁するログレスにとってもクルスの代表入りは恐ろしい情報であろう。

 彼らの記憶からどれだけ伸びたら、あの場に立てるというのか。

 それもナルヴィに至っては多少の差なら忖度で代表入りするだろう、とも考えられる。国立の騎士団なら大抵そうする。

 それを覆しての代表入りなのだから、警戒するなと言う方が難しい。

「ま、勝ち負けは水物、気楽に見届けようぜ。オラが村の代表をな」

「そうだな」

 他と違って気楽に見ていられるのは、あの三人の代表入りに全員が微塵も不満を持たないから。文句なしの代表、あれで負けたなら仕方がない。

 裏を返せばまあ負けんだろ、と全員が思っている。

「気楽じゃない代表者様が調子を崩すかもしれんがなァ」

「それだけは」

「百パーない」

 ヴァルの皮肉をフラウとフィンが即座に切り返す。

「それで崩れる奴が俺らに勝つかよ、なあデリング」

「その言い草はダサいが……同感だ」

 今はあんな調子だが、剣を握ればいつも通りのクルス・リンザールが出てくる。鉄の意志で、断固たる覚悟と共に最善手を放ち続ける、間違えない男。

 それがクルス・リンザールである。

 その鉄の意志に全員が引きずり下ろされたのだ。

「まあクルスたちは勝つだろ。もう俺祝勝会の会場押さえてんだ」

「さすがに気が早すぎんだろ」

 アンディに至ってはすでに祝いの席を用意済み。

 だから笑える。

 自分たちの代表こそが歴代最強だ、その確信があるから。


     ○


 しかし、温かいのはアスガルドの食堂、その一角ぐらいのもの。

「……会長?」

「……くじ運、だもん」

 下手をしなくとも実質的な決勝が三回戦になりかねない状況。大会を主催する騎士連盟のお歴々は顔面を真っ青に、頭の中で言い訳を羅列していた。

 まあ、運で押し通すしかないのだが。

「……さすがだなぁ、クルスは。それでこそだ」

 フレンは今のクルス、その現在地点は知らない。それでもあのアスガルドで代表者になった。それだけで多少推測することは出来る。

 果たして自分があの面々の中で、例えこの腕があっても代表者の枠に入れたかどうか。そういうハードルを越え、今のクルスはこの場に立つ。

 なら、やはりこのくじ運は持っていると言わざるを得ない。

 あの『一番』しかなかったのだ。

 どちらとも戦い、どちらをも倒すことのできる番号は。

 フレンは会場の隅で小さくサムズアップを送る。母校のこともあり大っぴらに応援することは出来ないが、それでも心はどうしても彼に傾いてしまう。

 ほとんど何も知らず、何も持たず、単身田舎から出てきた少年が、おそらく歴代で最も層が厚い御三家アスガルドの代表者になった。

 その始まりをフレンは知るのだ。

「ファイトだ、クルス!」

 推すな、と言う方が難しい。


     ○


 アスガルド、レムリア、ログレスの大混戦が決まり波乱の抽選会は幕を閉じた。明日からは世界最高の舞台で五年間の集大成を各校示さねばならない。

 優勝を狙うクルスからすれば、何故仲間の二人がここまでのんきなのか理解に苦しむものの、微塵も臆するところがないのは正直言って頼もしい。

 まあイールファスは性格上他人がどうこう、仲間がどうこう、など気にしないので組み合わせがどうなろうと仲間が負けようとどうでもよさそうだが、フレイヤまで自信満々なところを見るに勝率は悪くないのかもしれない。

 ただ、若干フレイヤの見立てが信ずるに足るか、と言われると――

「まあなるようになるさ。気にしない気にしない」

「わかっています。もう決まったことですので」

「そうそう」

 エメリヒもさして気にしていない様子。アスガルドの看板を背負っているとは思えないほど、気楽な感じであった。

 勝敗を重く考えているのはクルスだけなのではないか、と錯覚してしまうほどに。

 ちなみに現在、エメリヒを含めた四名は明日への英気を養うため、ホテルへ戻ろうとしていた。街を歩き回り誰かと遭遇しても絡みづらい。

 組み合わせが決まった以上、あとは粛々と日程を消化するのみ。

 ゆえに何処ともかかわらず戻っていたのだが、

「ウェイ、奇遇ジャーン」

 ホテルの近くで突如、明らかに只者ではなさそうな風体の男が、明らかに奇遇ではないタイミングで話しかけてきた。

 ノマ族なのにルナ族ばりの焼いた肌、それに白スーツと赤シャツを合わせ、腕に巻かれた時計は金色に輝き、ついでに靴の先っぽは天を衝く。

 エメリヒはその男を見て表情をこわばらせるも、

「ウェーイ、最高にウェイな引きだったジャン。神ってたよ、クルスチャン」

 男は何も気にせずクルスへ歩み寄った。

「じ、自分ですか?」

「ウェイ」

(もちろんって意味か? たぶん。そして突き出されたこの手は何だ?)

「ウェイ」

「う、うぇい」

 クルスは訳も分からず、試しに拳を同じように突き出してみた。

「ウェーイ!」

 どうやら正解だったようである。

「自信のほどはDO? さすがにビビってる?」

 男の問い。それに対し、

「勝ちますよ」

 即座にクルスはそう切り返した。内心がどうであろうと、相手が誰であろうと、弱みを見せる気はない。

 やるからには勝つ気で、最善を尽くすのみ。

 そんなクルスを見て男は微笑み、その笑みの隙間から見える金歯がまた怪しい。

「良い眼だねえ。キラキラじゃない、ギラッギラしてる。最高にウェイしてるジャナい。君、やっぱいいよ。ベリーウェイ」

 こつん、とクルスの胸に拳を当て、男は身をひるがえして去っていく。

 嵐のようなウェイ祭りであった。

 最初から最後まで学生三名、全員呆気に取られていた。

 ただ、エメリヒだけは、

「困った人だなぁ。偶然って体でもここは連盟のお膝元だってのに」

 誰か知っているようであった。

「あの、あの怪しげな方はどちら様ですの?」

 フレイヤが代表して三人の疑問を聞いてくれた。

「ワーテゥルの会長だよ。学校を持たない私設騎士団では最大規模の、ね」

 突然のビッグネームに三人は驚き眼を見開く。団長とかそういう次元の相手ではなく、その遥か上の人物。会おうと思って会えるものではない。

「……だから、俺ですか」

 そしてワーテゥルは、一貫してクルス・リンザールの獲得を熱望していた騎士団である。迷走していた四学年の時も、変貌した五学年の時も、多くが札を入れ下げする中、ワーテゥルだけはずっと入れ続けていた。

 それはひとえに、

「そうだね」

 あの男がクルスを気に入っていたから、に他ならない。二度、あの男は見学会に参加して、クルスともう一人を猛烈にプッシュした。

 会長の一言、現場はただ従うのみ。

 そして今日、満を持して三度目にして初の邂逅を果たした。

(他が動く前にツバを付けておく、か。会長自ら動くことで誠意を示し、連盟にケチを付けられる可能性を蹴っ飛ばしてでもエールを送る。らしい演技だ)

 騎士連盟が様々な規約を設けるまで、騎士団と学校、学生の間では裏金の応酬が繰り広げられていた。優秀な学生を確保すべく学校や教師にお金入りの菓子折りを持参するのは当たり前、時には親元へ札束の山を携え外堀を埋めたことも。

 そういう裏道をなくすため、今は騎士団所属の者と学生に関しては様々な規約の上で縛られており、そういう行為と見咎められた場合最悪連盟からの排斥もあり得る。そういうリスクがありながら、そういう意図でクルスと接触した。

 自分たちの本気度を示すため、ただそれだけのために。

「気にしない方が良い」

「気にしませんよ。今はただ、明日のことだけ考えます」

「それが一番だ」

 今は進路のことを横に置くべきだが、確かにクルス・リンザールの進路に関しては団の関係者なら誰もが少し考えこむところ。

 彼自身はユニオン志望であるが、今年はユニオン志望の有望な学生が多い。アスガルドだけでもイールファス、フレイヤ、ディン、あと一応アンディもいる。レムリアはノア、そして次席の子もそう。ログレスはソロンだけであるが、他にもメガラニカのテラ、マグ・メルのマリなどは風の噂でユニオン志望だと流れてきた。

 クルスがユニオンからこぼれることも充分にあり得る状況下であり、そうなった場合の争奪戦は尋常ではないことになるだろう。

 少なくともワーテゥルは早速態度で示したのだ。

 会長自らが動きますよ、と。

 当然、金も積んでくる。特別な対応もワーテゥルならより取り見取り。あの男が直接出張ってくるのなら、其処の勝負でメガラニカにすら負けないだろう。

 騎士界隈では珍しく、騎士学校に通わずワーテゥルの会社案件を世界中から取ってくる営業マンとして伝説的な成績を叩き出し、冒険者ギルドから騎士団へと変貌してから初めての騎士ではない会長となった男。

 その影響力は計り知れない。

 そして、クルス獲得を願う彼らにとって今回のくじはまさに天運である。すでに高く評価し、札を入れている団からすれば、対抗戦のクルスは活躍しなければしないほど都合がいいのだ。

 アスガルドが初戦のレムリアに負ける、それが彼らの願うシナリオである。

(さて、どうなることやら。教師としてはもちろん勝ってほしいけど、勝ったら勝ったで、負けたら負けたで、別の面倒ごとがあるだろうからなぁ)

 ユニオンから零れ落ちるクルスを狙う騎士団。そのユニオンとて、どこの隊に入るかでカラーが全然異なり、将来も大きく変化するだろう。

 この大会の結果如何では荒れる。

 いや、どう転んでも荒れる、の間違いか。


     ○


 抽選会から一夜明け、とうとう騎士学校対抗戦が開幕する日が来た。

 五年間の集大成、騎士を志す者なら誰もが夢見る舞台。

 其処に立つは選ばれし者。

 そして、

「さあ、栄えある一回戦第一試合が先鋒、今年度の一番槍を引き当てたのはこの人、アスガルド王立学園所属、クルス・リンザール!」

 第一試合の先鋒ともなれば、実力と共に運も必要となってくる。一番を引き当てた男が、一番にこの舞台の上に立つ。

 巨大な闘技場である。十年に一度しか開かれぬ、世界最高の舞台の上に、田舎から出てきた少年が立っているのだ。

 御三家の代表として。

(……大半が誰だこいつって面だけどな)

 皆が待っているのはイールファスであり、ノアである。有名なヴァナディースも待望されていることだろう。そんな中に一人混ざる雑種。

 この大観衆のいったいどこに、期待している者がいるというのだろうか。

(まあいいさ。勝ってこの空気を換えてやるよ)

 勝てばいい。勝てば変わる。

 勝って、勝って、勝ち上がってここまで来た。何も持たぬ自分を示す証は、誰がなんと言おうと勝利だけである。

 そのためならクロイツェルの靴だって舐める。

 強くなり、勝ち上がり、その果てで何かを掴む。

(どっちでもいい。かかってこい。俺はあいつらに、勝った男だ!)

 ヴァルに、フラウに、フィンに、ミラに、アンディに、ディンに、デリングに勝った。そんな自分が気後れしてどうする。

 勝つ、ただその一念で男はここに立つ。

 その鉄の意志で――

「そして、レムリアから提出されたオーダーですが」

 拡声器を通した声が、少し震えていた。

 この先は口にしたくない、と言った具合に。

 それと同時に、

「よォ、ちと待たせたか」

 呼ばれるよりも速く、男が舞台の上に現れた。

「……は?」

 クルスは目を丸くする。

 会場が、冷や水をぶっかけられたかのように静まり返る。

「い、一回戦第一試合が先鋒、レムリア王立学校所属、ノア・エウエノル!」

 束ねた長い金髪が陽光を反射して煌めき、海の色をした眼は真っすぐにクルスを見据える。しなやかなフォルムは機能性を追求したもので――

「大将じゃ、ないのか」

「一番最初が一番目立つだろ? だから、来たぜ」

 彼以外にあり得ない。

 三強、ノアを前にして鉄の意志が揺らぐ。

「楽しもう」

 誰もが、中継された世界中が静まり返った後、世界が揺れた。

 三強を大将に据えるのは暗黙の了解である。実際にアスガルドはそうした。だが、レムリアはそうしなかった。

 ゆえの大ブーイングである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る