第185話:だれかのまなざし
出立の日、朝早くにもかかわらず学園前駅には大勢の、それこそ学園の学生全てが集まっているのではないか、と思うほどにごった返していた。
熱狂、その中心には――
「クルスさん!」
「イールファス先輩!」
「フレイヤ様!」
三人の代表者たちが立つ。ここまで色々あった。クルス・リンザールの躍進、上位の壁に阻まれ停滞、そして壁を越えてからの執念による上位喰い。
さらに名門貴族による外部からの介入。
それらが学園を割りかけたこともあった。結局、何だかんだと上手いこと収まり、今に至る。雨降って地固まる、これは誰がもたらしたことわざであったか。
今まさに、一つに固まったアスガルドの学生たちが応援に駆け付けていた。例年も大勢詰めかけるものだが、今年の熱量は別格。
それもそのはず、
「ふむ、わしからはたった一つ……優勝じゃあッ!」
「「「イエス・マスター」」」
今年は優勝を狙える布陣であるから。あのディン・クレンツェが、デリング・ナルヴィが、代表から漏れる。そんな学校、おそらくミズガルズ中どこを探してもない。その下の者たちも含め、間違いなく総合力では頭抜けているはず。
お調子者の学園長が放った一言も場を盛り上げる。
優勝、レフ・クロイツェル、テュール・グレイプニルの二枚看板がそれを成してから、ただの一度も御三家アスガルドは対抗戦の栄冠をつかんでいない。
一人だけ抜けても対抗戦ではなかなか勝ち切れない。エメリヒ、ユング、ティル、たった一人だけでは栄冠は得られなかった。
しかし今、選ばれし三名の騎士がいる。
彼らでダメならまた十年以上、御三家アスガルドに栄冠はもたらされないかもしれない。今年こそは、その期待がこの熱量を生む。
其処に今までの経緯が、ストーリーが載るのだ。
「楽しめよ」
最近行方知れずから帰還したディンが三人に声をかける。何でもなぜか行方不明から復帰した際に彼女が出来たらしいが真偽は不明。
若干弱っているのが気になるところ。
「紳士的にな」
デリングも、
「優勝したら祝勝会やろうぜ!」
アンディも、
「ちやほやされて嬉しそうでしゅねえ」
ミラも……こいつはちょっと毛色が違う。
「お土産よろしく」
フィン、
「眠い」
フラウ、
「初戦でログレス引いて敗退したら伝説だぞォ」
ヴァル、どいつもこいつも適当な連中ばかりである。まあ彼らなりにプレッシャーがかからないよう、そういう言葉を選んだ、と思いたい。
多分違うが。
他の五学年は皆、比較的まともな言葉を投げかけていた。
やはり上位陣はちょっとおかしい。
後輩たちからの声も凄まじい。やはりこの学校は騎士を養成する学校が母体であり、彼らが中心である。そして学校の代表者である彼らはその技前を持って選ばれた。
彼らの強さに憧れた。
「さあ、行こうか」
「「「はい」」」
同行するエメリヒと共に三人が歩を進める。
見送る者たちはその背を見て、
「……」
より強き憧れを抱く。自分の代になったら、ああなりたい。ああなれるように頑張りたい。クルスは一度だけちらりと振り返った。
かつて、クルスは見送る側だった。エイルの背中をはるか遠くに感じたものであった。今、ようやく彼らの気持ちを知る。
(……重い、な)
背負うはアスガルド王立学園の名、其処に在籍する者たちの期待。
ずしり、とそれらが乗る。
○
列車から降りて港まで向かう。
そしてその港では、
「……ッ」
学園とは比にならぬほどの人数が押し寄せ、大賑わいとなっていたのだ。王都アースの港とは言え、これだけの人数が集まるのは異常事態であろう。
「今年は多いね。それだけ期待されているということだ」
「……学生の催しごとですよね」
クルスの疑問にエメリヒは苦笑しながら、
「建前はね。でも、長い歴史が国同士の代理戦争、みたいな側面も生み出してしまったんだ。対抗戦はそれだけ特別ってこと」
外野の熱狂、その理由を告げる。
「さすがに乗船してしまえば落ち着くよ」
「……はい」
田舎者のクルスにとって、ある種恐怖を孕むような人の集合体。未だ驚かされる、騎士の、世界の常識に。
「頑張れよー!」
この光景もまた、その一部。
「気持ち悪いよな」
「イールファス?」
「無関係の人間が騒ぎ立てる。何の意味も、生産性もない。俺にとって彼らは何者でもなく、何者でもない奴らの言葉は何一つ響かない」
クルスにだけ聞こえる位置、声量。
普段の彼とは違う、嫌悪が滲んでいた。
そして、
「お前らが頑張れよ、そう思わない?」
彼の眼は何処か、それに共感を求めていたような気がした。
「俺は――」
クルス・リンザールにとって彼らは確かに見ず知らずの他人である。約三年、同じ土地に、国に所属していただけ。イールファスの言うこともわかる。
だが、同時に、見ず知らずの他人であるからこそ、彼らの応援や称賛は自らの価値を示しているような気がした。
それが空っぽの自分に、形を与えてくれるような気すらする。
申し訳ないが彼の抱く嫌悪感は理解できない。
それを見て取ったのか、
「……」
イールファスはすっと何も言わずにクルスの近くから離れた。もっと、何か語るべきことがあったのか。それはわからない。
わからないがきっとこの時であった、そう、のちに振り返る。
○
船旅、最初は船酔いに苦しめられたものであったが、今となっては慣れたもの。人間の体は慣れる、適応する、それを自らの体で証明する。
潮風を浴びながら、クルスは広い海を見つめていた。
最初にこの紺碧を見つめた時、クルスは『先生』の剣を思い浮かべた。
『集中』
深く、吸い込まれるような、何処までも底の見えない剣。攻めからもそれは充分に感じられた。思えば想うほどに遠く、真似の出来ないもの。
自分が強くなったからわかる。
あれは一つの到達点であったのだ。クロイツェルらと同じ、彼らなりの山を登り切った完成系。真似などできない。真似をしてはいけない。
彼の、彼らの、ただ一つの剣。
「……」
この海は自分ではない。自分にこれほどの深さはなく、これほど広くもない。狭量で、浅く、何者でもない。
それがクルス・リンザールである。
「あら、存外風流ですわね」
「……景色を見ていると酔わないそうだ」
「わたくし、実は酔ったことがありませんの」
「だろうな」
「……あら、もしかして馬鹿にしてます?」
「気のせいだろ」
「ですわよね」
悩み耽ることが馬鹿らしくなるようなフレイヤを見て、クルスもまた思考を切り替えた。今はただ、自分に出来ることをやるだけ。
自分は『先生』にも、クロイツェルにも成れない。
「優勝できると思うか?」
「勝負は時の運。ですが、やるとなったら当然狙いますわ」
「……そうだな」
双肩にかかる重さ。数多の視線。存外、クルスは悪い気分ではなかった。誰からも見てもらえなかった、空気のようなゲリンゼル時代。
何者でもなかった自分、それが何者かに成れた気がしたから。
「フレイヤは応援されると嬉しいか?」
「もちろん。燃えますわ」
「簡単でいいな、君は」
「……馬鹿にしてますわよね?」
「まさか」
「さすがに気づきますわよ」
「……」
優勝したら、また違う景色が見られるのだろうか。
ふと、そう思った。
○
今回の騎士学校対抗戦、その調整は難航を極めた。
アルテアン直系のウィンザー商会が騎士連盟に対し多くの注文を付け、その度にあっちへ声かけ、こっちへ声かけ、と東奔西走を繰り返した。
例年は半分主要国が持ち回り、あとはルール次第でちょちょいと会場を調整する、ぐらいの感じであったのに、今年はやれ見栄えがどうとか、かなり条件が厳しく、さらによくわからないテレビ中継に忌避感を示す国も多かった。
最終的にはアルテアン本体が出張ってくる大事に発展。
それにより、
「十年に一度しか開かれぬ至高の闘技場だ。ちょっと羨ましいね、君たちが」
十年に一度、拳闘の世界大会が行われる世界最高の会場が使われることとなる。その所有者である大旦那、アルテアンの女王が直々に許可を出したらしい。
世界の眼を開く分岐点たる大会、どうせやるなら派手に、とのこと。
興行はアルテアンの成り立ちに由来する。まあ、本当の成り立ちはちょっと口に出せない業態であるのだが、それはさておき――
「主役は君たちだ。存分に暴れるといい」
「「「イエス・マスター」」」
御三家アスガルド、現地入り。
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