第183話:『最優』
(……二年前に遭遇した兵士級とは比べもんにならねえな。だからこそ、より際立ちやがる。なるほど……こりゃあ間違いなく講義だ)
ディンは苦笑いしながら自らの役割を遂行し続ける。前衛を張るクルスの援護、こうして敵の間合いを推し量りながら詰め、圧をかける。
その間、クルスは常に前に張り付け続ける。
兵士級でも強い方、プロでも単独でやり合いたい相手ではない。そもそもほとんどの騎士団は最初の遭遇は見に徹し、情報収集に徹するだろう。
本当のアタックは二度目以降、その理由は――
「クルス!」
敵の背後に張るイールファスから珍しく強い声が飛ぶ。位置取りの関係から誰よりも早く、それが見えていたのだ。
敵の背中から不自然に発生した、
『■■■!』
追加の腕、合計四本。しかも形状が禍々しい剣に変化していた。
それがクルスへ襲い来る。
「……」
そう、魔族にはこれがある。特に強い個体であればあるほど、他にはない特殊な形状を、能力を持ち合わせてくるのだ。
騎士剣の発達により、騎士は魔族に対する強力な攻撃力を手に入れた。しかし忘れてはならない。人間はどうあがいても、魔族の出力には及ばないのだと。
騎士の死因、その大半は戦士級などとの交戦ではなく、兵士級ですらない。獣級との交戦中における僅かな気の緩み、である。
だから、
「問題ない」
緩めず、間違えない男ほど退魔に向いている者はいない。
皆の目の前で、クルスは何の問題もなくただ二つ増えただけの攻撃をしのぎ続ける。攻めず、受けず、ただひたすらに流す。
あれなら出力差は関係ない。
「あれが出来るから前を張らせている。他にも出来る者はいるだろう。今働かせている面々、ここにいる選ばれた者たち、実力的には何の問題もない。実戦で常に、自らの十割を出せるのであれば、だが」
ユングの言葉を聞くまでもない。突然の変態含め、人間とは比較にならぬ力から繰り出される、人間とは別の理の攻撃たち。ほんの少し間違えただけで死ぬ。その状況下で平然と、表情一つ揺らがずに仕事を遂行する。
「あとは見ての通り剣が合理的だ。魔族相手に力で向かわない。わかるかい、フレイヤ。最近妙な戦い方に凝っているようだが……正しいのはあっちだ。取り入れるべきはあの姿勢だ。剣、盾、槍、何を用いても人は人、魔族ではない」
人相手でもディン、デリングを下し、急成長を見せていたクルスであったが、対魔族における実戦はその時感じた彼我の差とは比べ物にならぬものであった。
騎士の本分は人を魔族から守ること。
あれはそれを体現している。
(向いている、とは思っていた。だが、ここまで違うのか。俺たちと)
デリングは戦慄していた。守戦に関しては彼も得意とするところであり、敗れはしたがその点で劣るとは思っていなかった。今も対人に関してはそう思っている。
だが、対魔族に関しては大きく開いている、そう感じてしまった。
(あれに勝て、と言われたら出来ると答えるだろうよ。俺も、デリングも、もちろんイールファスもそうだ。だが、あそこまでの安定感はない。相手の情報を引き出し、必勝の状況を作る。それを『仕事』と出来るのは――)
遮二無二倒せ、これは出来る。ただ、それが今出来ると判断できたのは、クルスが前を張り敵の戦力を引き出してくれたから。
役割を、『仕事』を遂行してくれたから。
何の情報もなく、果たして自分はそれが出来たか。少なくとももっと安全マージンを取って、危険を最小限に石橋を叩いていたはず。
だから、自分は、自分たちは選ばれなかった。
自分やデリングではユングの求める早さにはならず、イールファスでは『仕事』にならない。贔屓ではない。
単なる役割分担であり、自分たちの力不足。
「よく見ておけ。これが騎士の……『仕事』だ」
ユングは三方に散るディン、イールファス、デリングへ手で指示を出す。絞れ、その瞬間三人が間を詰めた。
兵士級、ヌシは三人へ警戒を向けた。
それと同時に、
「……」
三人の動きに連動しクルスもまた踏み込む。一度逸れた意識、その外側から安全に、危険極まる死域へと踏み込んだ。
『■■ッ!』
ヌシは咆哮と共に全てを最も危険な場所に立つクルスへ向けた。
四閃、魔族の全力が降り注ぐ。
それに、
「はい」
クルスは全力で左後方へ後退しながら受けず流す。ギリギリ、紙一重の捌きである。追撃の姿勢を取る魔族へクルスは視線を向けつつも――
「詰み、だ」
その追撃はない、そう確信していた。
クロイツェルなら、あの人なら、
「眠れ」
右手を迂回し、意識の外から確実に仕留めると理解していたから。
『?』
するりと気配なく間を詰めたユングはそのままヌシの首を断つ。あっさりと、ヌシは自らが斬られたことに気づいてすらいない。
ただ、
「安らかに」
意識を伝達する機構を失い、虚を突かれたところに、ディン、イールファス、デリングの三人がダメ押しの攻撃を加え、崩れ落ちる。
クルス以外はリスク一つなく、最初の邂逅でヌシを撃破した。
「まあ、悪くない仕事だ」
「光栄です」
「ふん」
絵を描いていたのはユングとクルスのみ。他の者たちはただ動かされただけ。誰も、言葉を発することが出来ない。
(……普段、多少角が立とうとお構いなしに皆を動かしていた。正しく、厳しい、厳し過ぎるとすら、思っていたんだがなァ)
ヴァルは髪をかきながら、顔を歪めていた。
さすがにここまでやられたら嫌でもわかる。普段、厳し過ぎると思っていた男はむしろ出来る範囲を見極め、その範囲の中だけで指し回していたのだと。
要は自分たちに合わせ、手を抜き続けていた。
「さあ、撤収だ。万が一に備えダンジョンから離脱、速やかに野営地を撤収し、今年度の講義を終了する」
「イエス・マスター」
ユングとクルス、それ以外。
イールファスですら、騎士の『仕事』の中では使われる側でしかない。彼我の差はあまりにも大きい。大き過ぎる。
「……ここまでとはな」
「たぶん、今のクルスに指揮でやり合えるのは……ソロンぐらいだろうぜ」
「……それすら、どうかな」
個人の武など問題ではない。レフ・クロイツェルの作品は人知れず完成していたのだ。世界最高峰の騎士団による、世界最悪の仕事を乗り越えて――
「何故、締めの攻防、見ていないのにお兄様が動くとわかったんですの?」
「三人に絞らせた。それが合図だ」
「そんな決まり事をいつの間に」
「決まり事などない。ただ、何かを動かすということは何か狙いがあるということ。狙いは何かと考え、そこで出た答えに沿って動いた。それだけだ」
「まあ! 素晴らしい連携、以心伝心ですわね」
「私語は慎め副隊長! まだ仕事中だ! 降格させるぞ!」
「も、申し訳ありません」
(テメエの妹が話しかけたからじゃねえか)
多くの躯、血により、騎士は完成していた。
○
試験を兼ねた講義を終え学校へ戻った翌日、
「騎士科五学年、クルス・リンザールです」
「どうぞ」
「失礼します」
クルスは騎士科教頭であるテュール・グレイプニルのもとへ訪れていた。ユングの発言から少しだけ聞きたいことがあったのだ。
「大活躍だったそうだね」
「いえ、マスター・ヴァナディースの指揮があってこそ、です」
「はは、謙遜するねえ。で、どうしたんだい?」
何か用があるのだろう、とテュールはクルスへ発言を促した。
「マスター・ヴァナディースは先生を模倣したと聞きました。それに……マスター・クロイツェルもそうだったと」
その名が出た瞬間、テュールは複雑な表情になる。
「そうユングが言ったのかい?」
「そう取れる発言、と言うだけです。明言はしておりません」
「彼も困ったものだ。いいかい、学生時代、私とクロイツェルは学友であったし、切磋琢磨していた仲だ。彼が私を参考にしたこともあっただろうが、その逆もしかり。そもそも学生レベルの話だよ。今の君と比べたら可愛いものさ」
「自分などまだまだです」
「またまた。昨日ユングから話を聞いたよ。それに彼やマスター・ヘイムダルがつけた評価もいただいている。どちらも極めて高い評価だった。まだ内緒だが」
「恐縮です」
高い評価と聞き、恐縮と言っているが誰がどう見ても当然と言った表情にテュールは心の中で苦笑する。まあ、その自負に見合う評価であろう。
少なくともあの両名がクルスだけは別枠とした。相対評価とした場合、他の子が正しい評価を受けられない、と彼らが判断した程度には別格。
こんなことは近年なかったことである。
「まあ、学生時代切磋琢磨し、互いに学び合った。そして互いに別の団に入り、それぞれ研鑽した。ただそれだけのことだよ」
「……マスター・ヴァナディースの指揮は、マスター・クロイツェルを彷彿とさせました。根は、同じであったように思えます」
似過ぎている。本当に、驚くほど同じ手応え、感覚であったのだ。これで別物だ、などとは思えない。
「そりゃあ同じさ。我々は同じ学び舎で学んだのだから。それに時期もよかった」
「時期、ですか?」
「ああ。丁度、マスター・ヘイムダルが騎士をやめるかどうかの時期だった。あの人が現役バリバリの時期はアスガルド所属ながら世界中を飛び回っていたからね。教わる機会もなかったと思う」
テュールらが低学年の時はまだ現役の騎士であったが、講師としてよく学園には顔を出していた。その度にテュールらは質問攻めしたものである。
高学年となり、彼が引退して学園に来たときは不謹慎ながら喜んだもの。
「……根は、マスター・ヘイムダルなのですか?」
「そもそも、今の騎士に彼の影響を受けていない者などいない。現場での指揮がまだ声での指示を重視していた時代、アイコンタクトの重要性を説き、実際に各地で実践して回った人だ。目は口ほどにものを言う。その上、口よりも早い。もちろん習熟が必要であるし、簡単ではないけれど……ユニオン含め上位の騎士団は皆、今となってはそれが出来て当然となっている」
「……」
「驚いたかい? まあ、あの人は過去の栄光を言って回るような人じゃないからね。知らないのも無理はない。むしろ他所の学校で学んでいた方が、よほど彼の名を知る機会があるだろう。マスター・バルデルス、マスター・ヘイムダル、この二名はアスガルドの教師の中でも界隈の歴史に名を遺すような偉人、と言うことだ」
統括教頭、リンドは魔導畑で、騎士科主任のリーグは戦史に名を刻む。だからこそ実を言うと騎士団長、と言う役職からの天下りで騎士科の教頭となったテュールからすると、元々在籍していた団の役職以外すべてが目上であるリーグの上司と言う立場は非常に心苦しいものがあった。余談である。
リーグ自身は気にしていない。それを気にする者であればもっと団の政治に腐心し、世界中を飛び回ったりなどしないのだ。
これもまた余談である。
「人は皆、誰かの模倣である。私たちは先人を模倣し、ユングは光栄だが私を模倣してくれた。そして今、君もまたクロイツェルを模倣した」
「……はい」
「だが、模倣で満足してはいけないよ。その上に何かを継ぎ足してこその連なりだ。君なりの何かを加え、クロイツェルを超えなさい」
「……」
あの男を超える。何度も、何度も、あの男の前で呪詛のように口にした言葉。だが、いざ目の前で他人から発せられると現実感が薄い。
まるで、そんなこと出来ないと自分が思っているようで――
「今の時点で模倣できているのなら、きっとできるさ」
「……やってみます」
「頑張りなさい。個人の武だけが騎士の役割じゃない。君なりの道があるはずだ」
「……イエス・マスター」
誰かの模倣も楽ではない。其処に何か付加価値を与えられる者など世界中を見渡しても数えられる程度しかいないだろう。しかも学問や技術は連なりが続けば続くほどに高度となり、複雑化する。その分、難易度は上がる。
それでも今のクルスなら、あのユングがこの上ない評価を学生の段階で与えた者であれば、そういう期待をしてもいいのではないか、と思う。
○
少し時は遡り――
「……君がこの評価か」
「マスター・ヘイムダルもそれに値する、と」
「なるほど」
最後にこの評価が、あの講義で出たのはいつであっただろうか。もしかすると自分が最後であったかもしれない。
今日までは。
「それなら、素晴らしい時を過ごせただろう?」
「別に、普通ですよ。生意気なガキでした」
「あっはっは」
ユングの言葉にテュールは腹を抱えて笑う。
「……いや、失敬。気分を害したらすまない」
「構いませんよ。あと、それに付随し――」
ユングが一枚の書類をテュールへ渡す。
「こちらを提出しますが、彼にお伝えください。縛りがないのであれば上を目指せ。貴様が座る席はない、と」
それはアスガルド王立騎士団の調査書、いや、内容的にはほぼオファーである。今回の一件より前の時点で、ユングの立場としても出さざるを得なくなったのだろう。優秀な人材を囲いたいのはどこの団も同じ。
しかも自分の学校出身者ならなおのこと。
「私は正直、今のユニオンに行かせるぐらいならアスガルドの方が、とは思うが」
テュールもまた本音をこぼす。それだけテュールの中で今のユニオンは不穏であり、学生を行かせたくない場所、と言うのが本音であったのだ。
それこそオーバースペック過ぎてそこしか行き場のないイールファスのような子以外は、ユニオンではない団を選んでほしい。
「ご冗談を。ご自身が何故引退されたのか、お忘れですか?」
ユングはテュールの言葉に顔をしかめていた。
「自ら退いた。ただそれだけだ」
「私が、ヴァナディースの後継者が、団に入った。ナルヴィの席を空けるため近衛ではなく、団長ルートへ進まされた。その時点でもう、先輩は」
ユングは怒りに震えていた。本来、テュールの実力、家柄であれば充分長期政権も可能であったのだ。少なくとも短命で引退する必要などなかった。
その後に自分が控えてさえいなければ――『席』はあったのに。
「そんなことを気にしていたのか」
「気にしますとも。気にせぬ方が、おかしいでしょうに」
「……まあ、そもそも団長になる際、そういう話は陛下や他ならぬ君の御父上であるマスター・ヴァナディースともしていた。皆、気遣ってくれたよ」
「しかし、結果として――」
「期限を設けたのは私だ。直接の引継ぎではなく一度緩衝役として別の団長を挟みたい、とおっしゃったのはマスター・ヴァナディースだが」
「……それは、本当ですか?」
「ああ。家柄的にも、私ではやれることが限られていた。自分の手が届く範囲を綺麗にし、次の者へ託す。あれだけの時間で充分だった。いや、あれだけの時間で充分な量しか、私の力ではどうしようもなかった、が正しいか」
「……」
「私がアスガルドを選んだ時点で……私のやるべき仕事、やれる仕事の総量は決まっていた。つまり、私の騎士としての寿命もまた、決まっていた」
「ユニオンを選ばれなかったこと、後悔されているんですか?」
「まさか。私は騎士として出来ることをやった。君が団長になった時、随分と動きやすくなったはずだ。その仕事は私にしかできなかった。終わりが決まっていて、先のない私だから……そして今、教師として学生を教えている。やりがいのある仕事だよ。自分を磨くよりもずっと、大きく、広く、世に貢献できる」
テュールの眼には微塵も後悔はなかった。彼にとっての後悔はクロイツェルに張り合わなかった、と言うとても個人的なことのみ。
アスガルドを選び、早々に騎士を引退した。
そのことには一切の後悔はなかったのだ。
「君も騎士の仕事をやり切った、と思ったときはやってみるといい」
「……私は向いていませんよ」
「そうかな? 意外と向いていると思うけれど」
テュールは自らの後を進む後輩へ笑みを向ける。多少、テュールにも負い目はある。アスガルドの仕事は面白いことばかりではない。むしろ管理職になればなるほどに現場から遠ざかり、騎士として退屈な想いを味わうことになる。
誰だって最初に騎士を志した時、思いを馳せるのは現場で戦う姿であり、机の上で事務仕事や関係各所との調整に頭を使う姿ではないだろうから。
「大分話が逸れたね。まあ、私が何を言おうとも、クルス・リンザールはユニオン志望だよ。見合う実力のない時からそうだった。今更覆せないさ」
「そうですか」
「君があの子の立場ならどういう道を選ぶ?」
「ユニオンを選び、第七以外に選ばれるよう祈ります」
「あはははは」
「冗談ではないですよ」
「あいつも悪人ではないんだよ。ちょっと、包み隠さないだけで」
「ちょっと?」
「……かなり、かな?」
「昔から先輩はあの男に甘いんですよ」
「そうかなぁ?」
「そうです」
ここは公の場ではない。ゆえに少しだけ学生時代の気分に浸る。どちらも今は立場のある身、ユングはこれからより大きな立場を得る。
テュールの時とは違い、彼の長期政権は確約されているのだ。
それこそ彼の入団前から。
何も持たずに自由のみを持つ者もいれば、何もかもを持ちながら自由だけを持たぬ者もいる。何が公平で、何が平等なのか、見方一つで変わるのだ。
○
クルス・リンザール。
チームワークにおける成績は『最優』となる。
これは各科目で十年に一度出たら良い方の評価であり、よほど他の者と比較し突き抜けていないと出ないものである。
魔法科だとリンドの再来、と言われるほどの勢いでイールファナが取りまくっている評価であるが、騎士科の講義では剣闘でイールファスが取得しているのみ。
今回が二つ目、となる。
そしてこの二つとも、ある男が手にして以来、久方ぶりの登場であった。
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