第182話:微笑みの時
(……し、信じられん)
サポート役ゆえに遠巻きに俯瞰している現役の騎士は愕然としていた。ユング・ヴァナディースとは同僚であり、彼の普段の仕事ぶりは当然知っている。極めて優秀、何でもそつなくこなす万能型。それが彼への印象である。
同じく『万能』と称された男が団を去った今、あらゆる意味で替えの利かない人材であり、次の団長がほぼ当確となっている。
ただ、時折虫の居所が悪い時は独りよがりの指揮をすることもあり、その点は皆が彼の『欠点』である、そう思っていた。
そう思っていたのに――
「……っ」
左翼から第一小隊の隊長であるディンが小隊員であるイールファスへ指示し突っ込ませようとするも、その突撃は中央のクルスが手を向け、止まれのハンドシグナルを出したことで停止する。有無を言わせぬ指示である。
現在、右翼の第二小隊が突出してしまっており、そのバランス調整のために最強の駒を動かして整える、そのつもりであったのだが――
クルスの判断はステイ。それと同時に、
「……」
全ての小隊を統括する立場である中隊長のユングが右へ、さらに前進しろとハンドシグナルを送る。小隊長であるラビはぎょっとするも、ユングに取り消すしぐさが見えぬこと、何よりもここまで指示に遅れたことで幾度も指摘を受けていたため、瞬時に惑いを捨てて小隊員として新たに組み込まれたアンディ、デリングの二名を押し上げた。アンディは気にせず、デリングはいぶかしみつつも指示に従う。
右翼は伸び、左翼は動かずに、左側面を敵に抜かれた。
(これは……さすがに)
全体のバランスを重視するディンは今からでもそれを塞き止めるべきだ、とクルスに視線を送るが、目が合ったのに一切反応しなかった。
余計なことはするな、と言う意味なのだろう。
実際すでに――
「塞ぎますわよ!」
第三小隊の小隊長であるフレイヤがアンカーの役割として底に蓋をした。これで突破される心配はなくなったが、同時に陣形はより歪となる。
底の第三小隊から見れば縦に引き伸ばされ過ぎている。
明らかに形はよくない。
しかし、第三小隊に蓋の役割を指示したクルスは平然と剣を振るいつつ、右に傾きつつ後退し、今更ディンたち第一小隊へ視線を、ハンドシグナルと共に送る。
後方から右翼側へスライドしろ、と。
第三と第一で膨らみながら受ける、と言う意思表示。
本当にこれでいいのか、と中隊長の方へ確認の視線をディンが向けるも、
「なっ」
其処に中隊長の姿はなく、
「押し込め」
「い、イエス・マスター」
突出する右翼の後方へ張り付き、しんがりを務めながらもさらなる前進を指示。あの位置取りでは他の隊へ指示を出せない。
つまり、副隊長であるクルスに二つの隊の運用を任せた、となる。
「第三さらに後退、第一、迷うな!」
クルスの一喝。ディンは指示通り動く。もはや何をしているのか、まるでわからない。これで良いのか悪いのか、今の彼らに何が見えているのか――
「……これで」
クルスは自らも剣を振るいながら、敵を抜かせぬように後退。第一はその後背を横切り、右へ寄ったが、もう第二小隊の背は見えない。
そしてクルスの指示は――
「完成だ」
その場の維持。
第三の左翼を底に、クルスが中間のゾーンを受け持ちつつ、入れ替わった第一が右翼を受け持つ。元々斜めであったため、現在もかすかに斜めであるが、どちらにせよ第二小隊の姿はなく彼らの援護には回れない。
「……維持って、そんなわけ」
「違うぞォ、クレンツェ。これでいい。これがいいんだ」
「ヴァル?」
元々第七小隊を率いていたヴァルであったが、彼もまた今日第一小隊へ組み込まれていた。普段飄々としている彼であるが、その表情は歪み脂汗が滲む。
「もう、後続はいないと判断した。だから、最も合理的に殲滅できる布陣を形成したんだ。歪な陣形で敵をうちの左翼に寄せ――」
「第二を、突破しやすくするため、か!」
敵後方で昏き色の血が舞う。
そう、すでに完成していたのだ。
古今東西、戦闘陣形において最も殲滅力を持つ形、包囲陣が。
歪ではあるが。
最も負荷の大きい第三への負荷はクルスが軽減しながら、上手く後退しつつ敵を第三の方へ流し続けた。その分、右翼の厚みは減る。
ゆえに第二は突破し、あとは第三、クルス、第一で蓋をし続ければいい。
敵はすべて、後ろに回った第二が片付けてくれる。
(……敵の数を今までの討伐数とダンジョン規模、敵の陣容を観察しつつ出し切った、と判断して即座に包囲を作るために人を動かした)
全ては戦闘中の出来事。敵と交戦しながら、ユングとクルスは打合せを介さずに、アドリブでこれをやった。
ユングの無茶ぶり、が振られる前にクルスは先回りをし続けた。交わしたのは幾度かの視線のみ。ただそれだけで、生モノである戦場を支配して見せた。
(あの二人には、何が見えているんだ? 魔族との交戦中だぞ。細部を考えるゆとりも、ましてや周囲全てを把握することなんて出来るわけが、ないのに)
これをユングは求めていたのだ。
確かに気が立っている時の無茶ぶりではあった。出来ない者にとっては。だが、出来る者がそれに応えた場合、これほどに機能するのだ。
プロである彼らが、いや、彼らこそが戦慄するほどの早さと練度で。
それを彼らは知る、突き付けられる。
まだ学生でしかない者によって――
(……そうか。あの時、貴方は――)
誰も見ていないところでユングは微笑む。すぐさまそれを消し、やるべきことをつつがなくやり終えて見せたが。
彼が得たほんのひと時の充足を知る者はいない。
○
「素晴らしい指揮でした」
「……ふん」
クルスの世辞を受け流し、全員の無事を確認して、
「このままヌシを仕留めるぞ。本来は実力者のみを選抜したいが行きがけの駄賃、全員でアタックする」
「イエス・マスター」
この攻略を終わらせるため動き出す。
先頭を歩くユング、その後ろに付き従うクルス。
この二人だけが突き抜け、次元が違う。個人技でクルスに勝る者は何人もいる。イールファスはもちろん、ディンやデリングとて何のこだわりもなければ勝ち負けどころか勝つ方に傾けることもできるだろう。
だが、チームをワークさせる。チームでワークする。
集団戦での強さは誰もかなわない。学生の域ではないのだ。それこそソロンぐらいしかいないのではないか、と思ってしまう。
それだけの開きを、彼らは感じていた。
「……」
立ち位置以上の差を。
「クルス・リンザール」
「何でしょうか?」
「一つ、君の勘違いを正しておこう」
「勘違い、ですか?」
「君がレフ・クロイツェルの薫陶を受けていることは知っている。そして私もまた、あの男に影響を受けた一人であろう」
「……?」
「だが、こと集団戦において、私は彼を参考にしたことはない。そもそも学年が違う。参考にする機会もなかった」
「……」
クルスは表情にこそ出さないが「どういうことだ」と疑問符を浮かべていた。自分の見定め方、使い方、明らかにクロイツェルと同じものであった。
だからこそ一糸乱れぬ連携が出来たのだ。
こうしたい、こうしてほしい、すべて手に取るように分かったから。
だが、
「私も模倣だ。君とは影響を受けた相手が違う。それなのに、同じだ」
「……あの人も模倣だと言うんですか?」
大元が同じであるのなら、
「驚くことか? あの男は別に首席じゃないぞ」
「……まさか」
「その勘違いだけは許せんのでな。確かにあれは傑出した怪物だ。だが全てがそうであったわけではない。まあ模倣して自分のものとし、発展させたのは認めるが」
「……」
「模倣された方も遊んでいたわけではない。それだけは知っておきたまえ」
「……イエス・マスター」
多くが重なるのも頷ける。卒業し、袂を分かった後もまた研鑽を積み、その発展を受け取った者たちが今、ほんのひと時道を重ねた。
ただ、それだけ。
○
ユングにとって生涯忘れられぬ日は三つある。
一つはフレイヤの生誕。これは一等賞、譲れない。
二つ目は忌まわしきレフ・クロイツェルの覚醒。期末が終わった後の学校にいるよりも、自分にとって憧れであった『万能』の天才、その雄姿を見た方が良い。
彼があのもう一人の天才であるピコと決着をつける。
その楽しみは、怪物の誕生によって塗り替えられた。その後、尊敬する男が一騎打ちで敗れ、俯き地に墜ちた姿もセットであるため気分が悪い。
そして第三は――
「どうした、ユング」
「はっはっは、まだまだですよね、先輩」
「仕事、中だぞ。先輩じゃなく、隊長と言えよ。脳筋のくせに」
「俺への敬意が足りないなぁ、後輩君」
『万能』の天才が最年少での騎士団長ルートに入った契機。アスガルド第三の都市近郊に突如発生した突発型ダンジョン。騎士団の誰もが周囲の避難と防御を行いながら、ユニオン騎士団の増援を待つべきだ、と判断したのに。
若き天才は自分なら、自分たちなら出来ると手を挙げた。
上の連中は誰もが反対した。当時の団長も少数でアタックするなど正気の沙汰ではない、と言っていた。しかし、最後は天才の確信に満ちた貌を王が見て、やらせてみようということになり、役職も何もない彼が隊長の特別チームが組まれた。
団入りしたてのユングもまた立候補した。
役に立つと思っていたから。むしろ今の自分なら墜ちた天才よりも、とすら思っていた。だが、現実は驚くほどに想像と違った。
「……くそ」
ついていくので精一杯。ヌシは戦士級、周りも強い。天才もその時ばかりは周りに合わせず、力ずくで振り回した。
余裕綽々でついていくのはエメリヒのみ。その彼とて指示を受け取るのが得意なだけで、絵を描けているわけではない。
天才ただ一人が、最後の最後まで突き抜けて絵を描き切った。
戦士級、それもユニオンへの研修なども積極的に参加し、それなりに場数を積んだ今のユングでもかなり強い方、と判断するほどの相手。
それを理詰めで、最後まで無駄なく美しく、詰ませた。
「よくついてきたな、ユング。楽しかったよ」
「は、はは」
あの嬉しそうな笑みを今でも覚えている。気を遣ってくれていたのだと、当時は卑下していたものだが、彼の立場になってようやくわかった。
あの日の天才と自分ほどの差はない。よくぞ学生をここまで仕上げた、相当の場数を積ませたのだろう。相変わらずあの男はクソ野郎だ、と思う。
自分も厳しい方だが、さすがに学生をここまで仕上げようと思ったことはない。人道的に問題がある。其処に踏み込まねば、ここまでにはならない。
まあ、育成の手腕は認めざるを得ないが。
毎日、周りに合わせて仕事をする退屈、倦怠。腐り落ちるほどのそれに浸る日々。
妹もどんどん自分から離れていくし――
そんな時に、自分と同じ地平に立つ者、自分の場合はそこを目指す者、でしかなかったが、そういう人物が現れたのだ。
そりゃあ、笑みもこぼれるだろう。
「クルス・リンザール」
「はい」
「あれをどう見る?」
「兵士級の中ではそれなりかと」
「……上手くやった褒美だ。前衛を務め、己が優を示せ」
「イエス・マスター!」
野心、虚栄心、どれもこれも気に食わない。雑種ゆえの浅ましさも受け付けない。あとフレイヤが彼を見る目が一番許せない。
だが――
「……指示を」
剣を構えた瞬間、それらの大半が消し飛び澄んだ姿はまあ、嫌いではない。
あの男とは違い、ほんの少し、少しでしかないが、どこか品を感じさせるから。
「エリュシオンは敵後方、クレンツェは右、ナルヴィは左、攻撃範囲を探りつつ圧をかけ続けろ。攻撃は不要だ」
「「「イエス・マスター!」」」
命じられた三人は散開する。兵士級もそれなりに強い相手なら、攻撃範囲や威力共に人の域を超えてくる。
慎重になってしかるべき。
「残りは待機。仕事を終わらせるぞ」
「イエス・マスター」
だから本来なら、
「始めろ、リンザール」
「イエス・マスター」
学生を前衛になど立たせるべきではない。こういう形式の講義は毎年あるが、年によっては全員見学させることもある。さすがにヌシ相手はプロが中心となるべき。命の危険が伴うのだから当然のこと。
それを学生にさせる時は、
「……」
難なく出来る、そう判断した時ぐらいだろう。
個人のスタンドプレーではなく、プロの集団戦を――
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