第172話:風化させた『歴史』
フロプト・グラスヘイムはヴァナディースの先祖が眠る墓地へ訪れていた。彼ら一族の私有地に設けられた其処は、彼らのみが立ち入ることのできる聖域である。
訪れたのは久方ぶりか。
「……久しぶりじゃな、皆の衆」
グラスヘイムが不在であった空白の二百年、そこに生きた者たち以外は皆のことを知っている。覚えている。全てが風化しようとも――
「眠りを妨げてはならぬと、足が遠のいてしもうた。許せ」
その最も奥に、ひときわ大きな墓がそびえていた。グラスヘイムの知る時代には手ずから作った簡素なものであったはずだが、アスガルドを不在とした二百年の間に彼らの一族が立派なものに改修していたのだ。
グラスヘイムはその墓の前に立つ。
「……久しいな、友よ。ここにおらぬのは俺が一番よく知っている。それでも卿なら、子どもたちのそばに寄り添っているだろう」
枯れ木のようであった老人は若い姿と化す。
黒き気配をまといて――
「いい報告がいくつかある。悪いのも、あるがな。大飯喰らいの卿には少し物足りぬだろうが、土産話の肴も用意してある。しばし、付き合え」
男は穏やかな笑みを浮かべ、遠い過去よりの懸案事項が一つ消化されたこと、魔導研究の発展による新時代の騎士、その台頭。
「――問題は、その旗振り役があの御方、と言うことだ。複雑怪奇な因果であるが、それでも、ただその一点のみは重なる」
そして――最も重要である『可能性』についても、触れる。
「重なるのなら、望みはあるのかもしれぬ。そう思わぬか、友よ」
可能性の成就は新たなる争いを生むのかもしれない。
それでも――
○
地下へ伸びる階段。足を踏み出す先に、先回りするかのように石材が伸び、足場となる。これもまた魔導でも、魔法でもない。
「父上」
「かつて、このミズガルズには原始魔法と呼ばれた技術があった。今に伝わるエンチャントをはじめとした魔法に繋がるものだ」
「存じておりますとも。しかし、これは――」
「しかしもう一つ、ある」
「……もう一つ?」
「そうだ。その名を神術。ウト族よりもたらされた、いや、これは語弊があるな。奪い取った技術だ。これを組み込み、魔法は今の体系となった。厳密にはこれは第二段階で、もう一つ段階を経て今に至るのだがな」
「聞いたことがありませぬ」
「だが、ここまで見てきておろう? これはアスガルドに根差した土地の神、と彼らが呼称する存在の力を借りて、成り立つ建築物だ」
クヴァシル、ユング共に欠片も知らぬ話。
「……これをマスター・グラスヘイムが建造した、と」
「ほぉ、察しが良いな、ユングよ」
「ウト族、とおっしゃられたので」
「そうだな」
彼らは下へ下へと、歩を進める。この仕組みが機能しなくなれば、おそらく人力で地価の目的地までたどり着くことはできないだろう。
もしかするとそれを目論見、こういう作りになったのかもしれない。
忘れ去られ、世界から消え失せる。
風化させることが――
「父上、ウト族から奪った、とはどういうことですかな?」
「文字通りだ。千年前、ミズガルズとウトガルドはダンジョンを介し、繋がった」
「……詳しい年月は不明だったと思いますが」
「表向きはな。だが、詳しい年月日は残っておる。この地下に、秩序の塔に、あとはワーテゥルの禁忌も、そうか」
「……」
どういうことだ、と二人は顔を見合わせた。
およそ、重ならない組み合わせ。特にワーテゥルは異質に映る。
「豊饒な土地であったそうだ。かの地は、よくダンジョンが繋がり、異世界より様々な知識が、情報が、技術が流れ着き、それらを真似た未知がそこら中に転がっておった。さて、そんな新天地を見出した時、人はどうする?」
「なるほど」
「先手はミズガルズ、でしたか。秘匿する理由がわかりました」
二人は即座に理解した。如何に取り繕おうとも、人の本質は獣。隣の芝生が青く見えたなら、其処に嫉妬し、羨み、機会があれば奪い取ろうとする。
それが人、獣たちの本能であるのだから。
「最初は一獲千金を夢見る冒険者たちが」
(冒険者ギルド。ゆえにワーテゥル、か)
「その後、幾度も手痛い反撃を経験し、当時の国家もまた動いた。個の力は今、この階段などを見るようにウトガルドの方が上であったが、かの世界は大乱が続き、人口が大きく減少していた。物量が、天秤をミズガルズに傾けたのだ」
(そもそも言いようが、まるで人同士のような。……まさか)
ユングは目を見開く。
秘匿せねばならぬ理由、その最も大きな事実に気づいてしまったから。
「ミズガルズはすべてを奪い取る勢いで侵略した。こちらから手を出したくせに、多くを失ったことで火がついてしまっていたのだ。それが悲劇を生む」
クヴァシルもまた、気づく。
「ウトガルドの王は神術による大規模な神下ろしの儀を行い、失敗。彼らを救うはずだった強大な力は、彼らを飲み込んだ。魔障による魔族化だ」
「……魔族はすべて、元は人である、と」
「そうだ。人が変質した姿。この千年で個体が増えていた場合、それらをどう見るかは人次第であろうが。人の子が変質したと見るか、魔族の子か」
「信じられん」
今までの常識がひっくり返るような話。軽々に信じる方が難しい。だが、書棚の変形も、この階段も、自分たちの常識の中にないのは事実。
ウト族が長く被差別民であった理由もまた、これで繋がる。あまりにも救いのない話であるが、千年前の当時を生きる者からすれば、突如化け物になった連中の仲間である。迫害され、追いやられてしまうのも無理はないだろう。
むしろよく風化し生き延びた、と考えるべきか。
「さあ、到着だ」
ニエルドは扉に手をかざし、
「我、ヴァン・ヴァナディースの子也」
その名を紡ぐ。
扉がゆっくりと開き、彼らをさらに奥へ招く。
「クヴァシルよ、我らの祖は誰ぞ?」
「今、父上が述べた御方です。またの名を黎明の騎士、まあ、それが事実かはわかりませぬが。それを語る家も複数ありますので」
「その通りだ。だが、事実かわからぬ、と言うのは方便だ」
「……?」
「我らは証人を持つのだから」
その部屋は上の書斎と同じく、様々な書物が所狭しと陳列されていた。しかし、彼らの目は壁に吸い込まれる。
壁に掛けられた絵、そして写真も並ぶ。
最も端にはニエルドの若き姿、当主になりたての頃であろうか、笑顔で困り顔のグラスヘイムの肩を揉む格好で写真を撮っていた。
問題は――
「なんだ、これは」
「その眼で見てきた、そういう、ことか」
その全てにグラスヘイムがいること。しかもほとんど姿に変化はない。たった一枚を除き、全てが変わりなく映り込んでいた。
「約三百年……はは、私は、夢でも見ているのか?」
ヴァナディースの歴史。クヴァシルの知る範囲で歴代当主の生年月日と照らし合わせると、そうなる。三百年前から変わりなく、あの老いた講師がいるのだ。
それに、
「……御爺様、まさか、あの絵は」
「さよう。あれは五百年前、流刑地であったアスガルドの地に生まれた魔力量異常体質の人間、ヴァン・ヴァナディース様だ」
彼らと同じ金髪。目の色は満面の笑みを浮かべているため見えない。絵から伝わるお調子者で明るく、前向きな姿。
その隣には、
「そして、隣の御方が……マスター・グラスヘイム。黒衣の騎士である」
初代様、ヴァンとは対照的にムスッとした表情の若かりし頃のグラスヘイムの姿があった。黒き髪、黒き装束、絵からも伝わる威圧感。
彼らは知る。彼らは先ほど見た。
ニエルドを止めた、あの姿である。
「ご、五百年前、ですぞ」
「そうだ。黎明の騎士伝説とは我らが初代様とマスター・グラスヘイムの旅路、その断片である。五百年前、彼らは出会い、そして世界中を歩き回ったのだ。魔族に抗する力が足りず、数多くの国が耐えきれずに瓦解した。多くの歴史が途絶えた暗黒の五百年、その中に生まれた唯一の希望であり、救いの手だ」
今とは違う。力なき者も騎士になれる時代どころか、そもそもエンチャント技術も未発達で、よほど剛の者でなければ魔族への有効打を持ち得なかった時代。
ダンジョンに、魔族に蹂躙され続けていた暗黒の時代。
「で、ですが、黎明の騎士伝説には黒衣の騎士がいるもの、いないもの、があるはず。各地の伝承に整合性が取れず、だからこそ歴史ではなく伝説であると。それに逸話の年代もまちまちだと聞き及んでおりますが」
「ミズガルズに対し最も苛烈で、組織的であった魔王サブラグ率いる災厄の軍勢、それらと戦い、魔王を撃退した時に、初代様は戦死された。その後、二百年に渡りあの御方は一人、世界を放浪し続けた。ただ一人、初代様の代わりに」
「……そ、んな」
(二百年の誤差、巷で指摘されている黎明の騎士伝説の問題点と合致する。信じ難いが、ここまで重なると……信じるしか)
黎明の騎士は二人であり一人である。
これは矛盾しない。
二百年戦い続けた男、という例外を考慮に入れたなら、であるが。
「それについてはこの辺に……おっ、あった」
ニエルドはボロボロの本を引き抜き、クヴァシルに手渡す。
「あの御方が書き留めた手記だ。持ち出してはならぬし、それを歴史の途上で作り上げ、歴史に差し込んだと言われたなら、何も言えぬがな」
「……」
「私にも、見せてください」
クヴァシルとユングは手記を見る。古い、とても古く、褪せた状態であるが、それでも文字を読むことが出来る。
そう、読むことが出来るのだ。
「これは戦闘した騎士の名、ですか。字が滲み見えぬ名もありますが『不死の騎士』ゲフィオン、『黒雷』フュルフュール、『風絶』パズズ、『人剣』……シャクス」
その名を、彼らは知っている。
少し前、ユニオン騎士団の第五騎士隊副隊長、ユーグ・ガーターが討ち取った騎士の名が、そう名付けられていたはず。
ユーグの弁では、彼がそう名乗った、と。
「充分だな」
「はい」
単なる偶然と片付けるには、重なることが多過ぎる。
「……初代様の友人であり、戦い続けた偉大なる人物。そして、我らの正当性を示す証人でもある。それゆえに、手元に置いておきたかった、と」
クヴァシルの理解に、ニエルドは苦笑する。
「お前は何でも理屈で考えすぎる。外れだ。単純に、尊敬ゆえのこと」
「……そうですか。であれば――」
「文字」
ぼそり、とユングはつぶやく。それにニエルドは笑みを深めた。
「文字の統一性、言語もそうですが、少し妙だと思っていました。ミズガルズは全体的に、まったく同じではありませんが、画一的過ぎる、と」
「……あっ」
遅れてクヴァシルもまた、察した。
「騎士も、同じ」
騎士と言う概念、それもまた――
「お二人の、一人の旅路、その過程で協力者や、彼らの理念に賛同する者たちが出てきた。それが結実したのが、失伝しかけていたウト族らの協力を経て建造された秩序の塔、そのひざ元に集いし秩序の騎士だ。平和と安寧の祈りを込めて、な」
「……」
「黎明の騎士、いや、この場合はマスター・グラスヘイムと言うべきであろう。彼が初代様に、そして安寧を願う力ある者たちに、騎士を伝えた。わかるか、世界中で戦いながら、その中で騎士を伝え続けたのだ。ログレスでも、ブロセリアンドでも、ドゥムノニアでも、彼の教え子たちが騎士を広めるために、学び舎を築いた。無論、ここアスガルドの、アスガルド王立学園もそうだ」
「……騎士の、興り」
「黎明の騎士とは、なるほど……言い得て妙ですね」
サブラグとの決戦も含めた二百年。その間、彼は二人で、一人で、騎士を伝え、戦う術を、力ある者の責務を、騎士と言う概念を伝え続けた。
永き旅路、決して今の世を夢想していたわけではない。
ただただ、ひたすらに、平和を願い続けただけ。
その祈りが、その一念が、
「騎士の祖、そこへの尊敬なくして何が騎士か」
今の世界に繋がった、ただそれだけ。
「私もな、貴様が全て間違っているとは思わん。家を盛り立てているのは、貴様の持つ覚悟であるし、その部分は認めておる。だから、当主を譲った」
「……」
「あの御方も、全てフレイヤの意に添えとは言わぬ。ただ、もう少し考えてほしいだけなのだ。ねじ込んだ対抗戦で本当に値が上がるか? それで値が上がったと思うような家に、本当にヴァナディースの未来があるか?」
「……それは」
「値の上げ方にも色々あろう。古く凝り固まった私には見えずとも、新たなヴァナディースを切り開いてきた貴様なら、さらに新たな時代を担うであろうユングなら、何か見出せるのではないか? 少し、考えてほしい。私からはそれだけだ」
騎士とは、打算無き一念が生んだ産物。
彼らはその末裔である。
「……考えてみます」
「すまぬな」
「いえ。私こそ、先ほどは口が過ぎました」
騎士の名門、ヴァナディース。たかが五百年、連なっただけのことを、騎士を生んだ男に対し誇り、見下した。
たかが講師、その言葉の誤りを知る。
「謝罪よりも茶菓子でも持参し、顔を見に行く方が喜ぶぞ、あの御方は」
「そうしましょう。今度は、敬意をもって」
騎士の祖への敬意。クヴァシル、ユングもニエルドにあることを問わなかった。
五百年生きる、いや、もしかするとそれ以上に――彼は何者なのか、を。
想像はある。そしてその想像が正しかった場合、彼らの敬意はより深まることとなろう。もし彼が、『あの時代』に生まれた者であるとすれば、ミズガルズは救うべき世界ではなく、滅ぼすべき怨敵であるはず。
確認する術はない。ここまでの話を聞いただけでもわかる。グラスヘイムが自らの出自を歴史に残す気などないことが。
事実の風化を願う男。その風化の恩恵を得るは、ミズガルズの民である。引け目を感じることなく、ただ人類の敵である魔族を討ち滅ぼす。今、その構図を疑う者はいない。其処に理由があると、考える者すらいないのだ。
自らを律し、そんな今を築いた男の小さなわがまま。
それを無碍にするは、騎士の、いや、友の子孫である者の名折れ。
「……笑い顔、フレイヤの小さい頃と似ておりますな」
「そうだな。今も笑うと、こんな感じだぞ」
黎明の騎士、ヴァンが無理やり肩を組もうとする。それを邪険にするような、それでも本気で拒絶はしていない、そういう関係性。
「フレイヤのことなら万事私にお任せください。上手くやりますとも」
「……少し私も考えてみるとしよう」
「え?」
「あまりべたつかん方が良いぞ、ユングよ。伝えておらんかったが、フレイヤのやつべたべた触られるのが嫌い、と言っておったからな」
「……ご、ご冗談を。御爺様。む、昔から、フレイヤはお兄様が好き、と」
「それいつだ?」
「十年と五十八日前ですね」
「……たぶん、その一年後くらいから反転したぞ、それ」
「……」
ユング、膝から崩れ落ちる。ヴァナディースの、グラスヘイムの秘匿していた真実よりも、御爺様が孫と交わした内緒話の方が衝撃的であったらしい。
(……嫌われている自覚なかったのか。本当にこいつが当主で大丈夫か?)
父クヴァシル、さすがに正気を疑う。
ちなみにそれから三日ほどユングは悪夢にうなされ、寝込んでいた。なぜかフレイヤに嫌いと言われた話だけが抜け落ち、復活したのだがそれはまた別の話。
その間に、ニエルドとクヴァシルは茶菓子を持ちグラスヘイムのもとへ訪れ、たまたまかち合ったウルや王と共にクソ苦い茶をしばいた。
その茶を淹れさせられたのは――
「……なんで、俺が。クソ、胃が痛ェ」
これまたたまたま歴史書を読みふけり、彼らの来訪と重なってしまったクルス・リンザールであった。権力の極み、みたいなメンツ。同じ空間に立つだけで胃が痛くなってしまうのも無理はないだろう。
「君がリンザールか。娘が世話になっているそうだな」
クヴァシルの茶飲み話。
「は、はい。あ、いえ、その、お世話をしてもらったのはこちらです」
「ほほう。その話、我らにせよ」
王の無茶ぶり。
「へ?」
「わしも聞きたいのぉ」
ウルの茶々いれ。
「ま、マスター・グラスヘイム」
助けを求めるクルスであったが、
「すやぁ」
グラスヘイムは寝たふりを決め込む。話させた方が面白そうであったから。
(こンの、クソジジイ。狸寝入りしてんじゃねえよ!)
グラスヘイムは笑みを浮かべながら、安寧をゆったりと味わう。アスガルドに戻り三百年、戦い疲れ、擦り切れ、死に場所を求め始まりの地に辿り着いた。
すぐ滅ぶつもりであったのに――毎日が楽しくてつい居残ってしまう。
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