第170話:向き合うということ
クルスとデリング、双方を称える声が響く。其処に生まれも、育ちも関係がない。科も関係なく、皆が声を上げていた。
相反していた者たちをも飲み込んで――
「……ではな」
「……」
何も言わずに背を向けるデリング。クルスは何も言わずに背を見送ることしかできない。まさか様々な思惑が錯綜し、すでに事態が終結しているなどと彼らは知る由もないから。クルスは小さく歯を食いしばり、何も出来なかったフィンブルを想う。
が、すでに事態は解決している。
「エメリヒ」
「はい」
「これから忙しくなりますよ」
「覚悟の上です」
リンドとエメリヒのシリアスなやり取り。
ただ、
(ご無事で。マスター・ユーダリル)
すでに解決済みである。
何なら酒盛りに興じ、ウルが女性騎士団員にスケベな視線を送っていたり、それを咎められたりとかなりライン越えの状況となっていた。
のだが、当然誰もこれを知らない。
「……くそ。学生の話だぞ。なんで、腹括らねえといけないんだよ」
ディンは悔しげに吐き捨て、
「まあ、それをあの男が選んだんだ。尊重してやれよ」
あのヴァルまで沈痛な面持ちである。
「ま、マスター・ユーダリルが動いてくださっていますわ」
「そ、それなら安心かも」
「甘いわよ、リリアン。今回は王族絡み、いくら英雄でも分が悪いでしょ」
「どうしようもないでしょ。そういう話だし」
五学年の女性陣も表情に苦悩を滲ませる。
まあ解決――
「……さて、どうしたものかな。この空気」
学園長室で問題解決との連絡を受け取ったテュールが戻ってきた時には、リンドやエメリヒは鼻息荒く戦に備え、学生たちは大盛り上がりしている中に、誰かの葬式のような雰囲気をまとう者たちがいたり、と混沌とした場となっていた。
どこでどう話すべきか、なるべく騒ぎにならぬ方法を模索するテュール。
中間管理職も大変なのだ。
○
悔いはない。やり切った。
そう思いながら、それでも悔しい想いを冷ますべく水を頭にぶっかけるデリング。春前、まだ冬の気配が抜けきらぬ季節である。
キン、と冷水が染みる。
嗚呼、
「……くそ」
やはり、悔しい。ふつふつと沸き上がるものが抑えきれない。きっと、ディンの姿を見て、ある程度覚悟できねばあの手、握りしめることはできなかっただろう。
先か後か、それだけの違いしかないのだ。
負けるわけがない。昔そう思っていたのは同じであるから。
「お疲れ様です、デリング」
「……?」
濡れた髪をかき上げながら、デリングは聞こえるはずのない声の方へ視線を向ける。ここはアスガルド王立学園、王宮ではないのだ。
何らかの行事でもなければ、
「ひ、姫様!?」
「来てしまいました」
「し、失礼を」
いるはずがない人物を前に、デリングは慌てて膝を折り頭を下げる。
「素晴らしい戦いでしたよ。素人の感想ですが、そう思いました」
「申し訳ございません。殿下に、王家に、恥をかかせてしまいました。本日、手紙の方を送らせていただいたのですが――」
「読みました。だから、来たのです」
「……負ける可能性を知りながら、それでも戦いました。全力を尽くしましたが、相手の方が強かった。お怒りは尤も……覚悟は出来ております」
デリングの謝罪と真っ正直な言葉。
それに、
「わたくしは怒っております」
ビルギットは怒りを感じていた。
「当然です。私の身勝手が――」
「なんでそうなるのですか! わたくしを見なさい、デリング・ナルヴィ!」
「……?」
デリングは言われたまま顔を上げる。疑問符を浮かべながら、しかと彼女を見た。思えば、こうしてまじまじと見つめたのはいつ以来であろうか。
公の場でなら何度もあるが――
「貴方も、お父様も、勝手です。わたくしがいつ、対抗戦に出場してほしいと頼みましたか? 成績優秀であってほしいと願いましたか?」
「……そ、それは」
「今朝、わたくしは初めて人を叩きました。衝動的なことです、反省しております。でも、後悔はありません」
「……それは、どなたを?」
「お父様に決まっているでしょう?」
「へ、陛下を!? あ、あわわわ」
デリング、あまりの状況に目を白黒させる。この男、意外とキャパシティが低いのか、想定外の状況に全く対応できていなかった。
「じ、自分のせいと言うことであれば、我が命にて御前に償いを!」
「要りません! それはお父様も言っておりました。目の前で死なれても怖いだけだからやめてほしい、と」
「……そ、そうなのですか?」
「そういう時代じゃないです」
「その、父が騎士ならば覚悟は命で示せと」
「学校でそう学んだのですか?」
「い、いえ」
「一度基礎から学び直した方がよろしいのではなくて?」
「……はい」
すっかり圧倒されるデリング。大体ナルヴィ家の行き過ぎた武家イズムが悪い。まあ、こういう武門の家は未だにかなり多いのだが。
「父が、周りが、貴方を追い詰めていたのは謝ります。婚約者を気取っていながら、わたくしは何も気づけなったのですから……失格ですね」
「そのようなことはありません」
「そのようなことはあります。でも、デリングも悪いところはありますよ」
「当然です。私は王家の名を背負いながら敗れた身ですから」
「一度そこから離れてください! 気にしていないと伝えたでしょう? お父様にもきつく言い含めておきました。わたくしはデリングが成績最下位だろうが、騎士団に入ることが出来ずとも、お慕いする気持ちに変わりはありません、と」
「は、はあ。で、ですが、騎士でない私に、いったい如何ほどの価値が」
「そこです! そこが悪いのです!」
ビルギットの言葉にデリングは真剣な面持ちを浮かべているが、一皮剥けば疑問符まみれで首をかしげている男がいた。
「そもそも、わたくし一度もデリングから聞かれておりませんよ。好きになった理由。ふつう聞きませんか? 婚約したら」
「……そ、その通りです」
なぜ、これは当然デリングも考えていたことがある。と言うか小さな頃はそればかり考えていた。何せ接点がなかったのだ。
婚約が決まるまで――
「わたくしのこと、好きですか?」
「それはもう、もちろんでございます」
「ふーん」
考えに考えた結果、わからなかった。それとなく周りに聞いてみたこともあったが、確証は得られなかった。ただ一つ、何人かに言われたのは、
『顔じゃね?』
顔、と言う元も子もない意見である。だが、確かに昔からまともに話したこともない女子から声を掛けられる事案はあった。妙だな、とは思っていたが。
もしそれだとすれば、なんと薄っぺらい人生なのだろうか、と思ってしまったため、聞くに聞けなかったのだ。
本当に顔ならば、中身など何の関係もなしに自分の人生が決まってしまったことになる。それはあまりにも、ひどすぎる。
だから、聞けなかった。
「なら、理由知りたくありませんか?」
「知りたいです」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと早く聞いてほしかったですけどね」
「め、面目次第もございません」
しっかり姫様に押し売りされ、聞かねばならない状況となる。
とは言え、接点がない以上、覚悟せねばならない。
自分の人生は顔で決まってしまったのだ、と。哀しいが、仕方ないのだと。
「それはわたくしが初めて、社交の場に訪れた時のことです」
(顔か? やはり顔なのか?)
「わたくしは小さく、貴賓席からお父様たちと見物しておりました。そこで残念なことがあったのです。子ども心に嫌だな、と思うことが」
(……?)
「昨今、お金で爵位を得るものが増え、そのあおりを受けて旧来の貴族たちが要職から外されたり、領地を切り取られたり、と言う事案がよくありますね」
「はい。よく聞く話ではありますが」
それと婚約にどういうつながりが、と思う。職や領地に関しても、何の問題もない貴族は外されたりなどしない。問題があるからそうなるのだ。
なので自業自得としか思ったことはないが――
「その日、おそらくわたくし同様初めて社交の場に出た少女がおりました。右も左もわからぬ子です。ですが、誰も助けません。その子の両親も肩身の狭い表情をし、孤立しておりました。彼らの家は、成り上がりでしたから」
「……よくある話です。残念なことですが」
デリングもよく知る話である。実際にその現場を見てきた。確かに伝統を軽んずる者のことは好きではないが、そうでない者にまで害意を振りまくのは品性に欠ける、と昔から思っていたことである。
父もああいう狭量な者たちは真の意味で貴族にあらず、と言っていた。
だから――
「嫌な景色でした。お父様も困り顔です。ですが、そんな時でした。誰もが手を貸さず、近づこうともしない少女に、すっと近づき手を差し出した少年がいたのです」
「……は、はあ」
それは、
「少女の手を取り、リードして、少女の緊張をほぐそうと笑顔を向ける。場の空気などお構いなしに」
「……?」
デリング・ナルヴィにとって当たり前なこと過ぎたのだ。
「格好良くないですか?」
「そ、そうかもしれませんね」
貴族ならば、騎士ならば誰だってそうする。うちの学年なら、迷う男の方が少ないだろう、とは思うがとりあえず頷いておく。
「それがデリングだったのです。覚えていますか?」
「……も、申し訳ありません。昔のことゆえ――」
「そう、それです。そういうところが好きなのです」
「へ?」
「デリングにとってあの日、当たり前の行動を取っただけ。そういうのが良いのです。紳士的ですし、本当に格好いい人なのだと思います」
「そ、そうですかね? ちなみに、その、それだけですか?」
「他に理由が必要ですか?」
「……な、なるほどぉ」
デリングにとっては理解に苦しむ理由である。家に帰ったら手を洗う、これぐらいのことなのだが、それでも少しだけほっとする。
理由が振る舞いであり、中身であったことに。
そして同時に、
「理由、お気に召しませんでしたか?」
「いえ、その、光栄です」
「でも不機嫌そうですよ」
「これは自分への怒りです。知ろうとしなかった、向き合わなかった自分への」
わからないまま、勝手に想像し、決めつけていた自分に腹が立った。聞けばよかったのだ。知ろうとすればよかったのだ。
向き合おうとすらしなかった狭量な己を嫌悪する。
「それはその通りですね。でも、お互い様です。わたくしも聞けなかったことはありますから。でも、今日はせっかくなので聞きますね」
「なんなりと」
「わたくしとの婚約、重荷ですか?」
「……っ」
思いも寄らなかった質問。それはデリングを揺らす。重荷でないわけがない。人生が定まってしまうのだ。ユニオンに入りたかった夢も、フレイヤへの思いも、全部あの日消し飛んだ。重荷であり続けた。
それは紛れもない真実。
デリングは深呼吸をし、ビルギットを見つめる。
きっと今日は、
「重荷です」
嘘をつくべき日ではないのだと、思ったから。
「そう、ですよね。わかっておりました。それでも、わたくしは――」
「重荷、でした。今日までは、つい、先ほどまでは」
デリングは真っすぐに、嘘偽りない言葉を吐く。
「……あっ」
「話してくださり、感謝いたします。王家の旗に泥を塗った身、死を待つ自分にとってこれ以上ない真実でした。これで迷うことなく――」
「だから、死んではならぬと言ったでしょう!?」
「し、しかし、けじめとして」
「父から言質を取っております。と言うか、貴方が死ぬならわたくしも死にますからね。それぐらいの覚悟を持って家出をしてきたのです!」
「いえ、で?」
デリングはちらりとビルギットを遠巻きに警護する騎士へ視線を向ける。その騎士から「シーッ」と黙っているようなジェスチャーを向けられた。
「で、わたくしを殺しますか?」
「……い、いえ、あれ、じゃあ、俺、は」
どさり、とみっともなく尻もちをつくデリング。なかなか見ることのできない格好つけ男の醜態であるが、ビルギットは笑顔を浮かべ抱きしめる。
「よく頑張りました。もう重荷に感じる必要はありません。わたくしはナルヴィ家に入るのですし、無理に騎士団へ入ることもないのです。貴方は自由です。もちろん、わたくしとの婚約だって拒否する権利を持ちます」
「……」
「最初から徹頭徹尾、頼み込んでいるのはわたくしの方なのですから」
「……そのような、こと」
デリングは身震いし、顔を伏せる。緊張の糸が切れ、情けないものがこぼれ出てきたから。騎士がそんなもの、他人に見せるものではない。
紳士的ではない。格好良くない。
そう思っても、止められなかった。
「格好良かったですよ、貴方の戦う姿は。昔と変わらずに」
「……光栄、です」
情けなく男はただ抱かれていた。
向き合ってはじめてわかることがある。男は今日、それを知る。
○
「自分、感動しました。もっと、在学中に教えを乞うていればと、うう」
「ようやくわしの偉大さがわかったか」
「五臓六腑にしみわたりましたァ!」
「がはは!」
えっへん、と胸を張るウルをしり目に、よいしょしながら酔いつぶれた騎士がバタンと倒れる。もうまともに起き上がっている方が珍しい死屍累々の世界である。
そんな中を、
「ささ、まだまだ序の口ですぞ」
「おうとも。王は底なしぞ」
「英雄もですな」
「「がっはっは!」」
すでに酔いつぶれたナルヴィと宮宰らを無視し、じゃんじゃん互いに注ぎ合う王と英雄。まさに底なし、恐ろしいほどの飲みっぷりであった。
「ひっく、おお、ところでウルよ」
「なんですかのぉ」
「あの御方は息災か? 最近、私も忙しくて挨拶に行けておらぬが」
「あー、元気ですぞ。今日はたぶん、ヴァナディースの方へ行っておりますが」
「……あー、そういえば、ユングが席を外しておったような、いまいち記憶が、今日は色々あり過ぎてなぁ」
王は胡乱気な目で、何かをしみじみ思う、
ちょっと吐きそうなのは内緒である。
「はれ? と言うか、何年ぶりだ? あの御方が学園の外に出るのは?」
「わしの記憶にはありませんのぉ。必要な客は向こうから来ますからな。わしとか、陛下とか、ヴァナディースのご隠居も」
「……最低でも百年、か。ふはは、天変地異よなぁ」
「ヴァナディース絡みですからの。それにあの子は似ておるらしいですぞ」
「ほう。何代目に?」
「初代様に」
「……あー、そりゃあ、まあ、動くかぁ」
「特別な縁ですからのぉ」
王と英雄は笑い合う。共通の秘密、彼らのみが知り得る歴史。
それを酒と共に味わいながら――
○
少し時は遡り、
「マスター・グラスヘイム?」
「久しいの、ユング」
本日早朝、フロプト・グラスヘイムがヴァナディースの屋敷に訪れていた。王都アースに別邸を持つものの、彼らの領地は王都から離れたここヴァナディース領であり、その広大な土地を管理すべく建造された屋敷もまた巨大である。
その門前での邂逅である。
「ご無沙汰しております。本日はどうされましたか?」
丁度王宮へ向けて出立する直前だったユングが問う。
「ご隠居殿に会いに来ての。お通し願えるかな?」
ご隠居、それを聞き、
「御爺様、ですか。なるほど」
ユングは少しばかり目を細め、
「少々お待ちを」
門を一人くぐる。そして門は閉ざされた。
招かれざる客を阻むかのように。
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