第169話:誇り高き敗北者

 デリングは笑みを浮かべていた。

 息をつかせぬ高速の戦い。だと言うのに目の前の男はその攻防の中、ただの一度すら間違えていないのだ。正しく応じ、正しく咎める。

 その厳しさたるや、今まで自分がこなしてきた戦いの粗さを突き付けられた気分になってしまう。デリング自身、それなりに己には厳しいつもりであったが、こうして本物を目の前にすると甘えがあったな、と思ってしまう。

(これがクレンツェの味わった世界か。はは、なんとも苦しいなぁ)

 人間は間違えを犯す生き物。だから、常人は皆、どこかでセーフティを設けている。少し間違えても修正できる、そういうゆとりを持っている。

 それが普通で、それが当たり前。

 しかし、クルス・リンザールは違う。そのゆとりを持とうとしない。わかっているのだ、己が持たざるものであることを。

 だから、ゆとりなど持つ身分ではない。

 その分を勝ちへ繋げる。

 凄まじい勝利への執念である。誰も彼もが負けず嫌いである御三家アスガルドの中でも、クルスのそれは際立っている。

 これが持たざる者の熱だというのなら、ある意味彼は生まれながらに持っていることになる。彼ら名門が持ちえぬ執念の根を。

 お前らが間違えるまで、俺は間違えない。

 その眼が、全身が、そう言っている。

(よくもまあ、ハーテゥンは一年これと向き合い続けたものだ)

 昨年誰よりもクルス・リンザールの執念を受けていた男、ヴァル・ハーテゥンを想いデリングは苦笑いを浮かべた。彼もまた自らを凡人と定義し、だからこそ勝つために嫌な男を演じ、嫌な剣を振るっている。

 クルスとの違いは分を弁えたかどうか、自分に天井を設けたかどうか、その違いが今の開きを生んだ。

 本当に大した男である。昨年までは誰もヴァルは越えられないと思っていただろうし、それを何とか越えてもフラウやフィン、ミラにアンディと怪物ぞろい。

 その上、ディン・クレンツェが控えている。

 普通は諦める。三学年のクルスの立場なら、そこを目指そうという発想すらないはず。少しでも成績を上げて、団入りを目指す。

 普通ならそんなところか。

 それが今、ユニオンに、頂点に手が届くところまで来ているのだ。

 世の中わからない。

 だからこそ想う。

(クソ、俺だって、まだ!)

 自分もまた自分を、周りを決めつけず、大人のふりをしてお高く留まっていなければ、彼と同じように更なる高みを目指せたのかな、と。

 少なくとも二年前の時点では、ずっと自分の方が有利であったのだから。

 それが少し、悔しく思う。


     ○


「徹底して横軸。さすがにきついな」

 ディンは頭をかく。如何なる型にも完璧はない。攻守兼備のカーガトスも、縦軸の動きは強いが横軸に関してはどうしても弱くなる。それはまあ、同じく半身であるゼー・シルトも似ているが、突き主体と斬り主体では前者の方がその傾向は強い。

 強みがあるということは、その裏が弱みであるということ。

 デリングは型の強みを生かし、奥へ奥へと積極的に踏み込むことでクルスの深く誘い込むカウンターこそ潰しているが、その代償にただでさえ弱みの横軸の動きに対し、さらに弱さを露呈してしまっていた。

 そうなるとクルスは徹底的に其処を突く。横で捌き、横で払い、横に回り、ただそれだけでデリングは位置調整を、後退を余儀なくされてしまう。

 クルスは少ない消耗で、相手を大きく削ることが出来る。

 いい勝負であるが、時間が経つごとにどんどん天秤はクルスへ傾く。

「嫌な奴だなァ」

 お前にだけは言われたくないだろ、とヴァルの周りの誰もがそう思った。まあ実際に同じ立場であればヴァルも同じことをする。

 ただ、今更微調整をしている分、やはりクルスとヴァルでは嫌な奴の年季が違う。明らかにクルスは戦いの中で戦い方を調整している。序盤と今とでは立ち回りが大きく異なるから。おそらく彼は、デリングが守り固めることへの対策を引っ提げてきたのだろう。攻めてくることなど考えていなかった。

 最善を尽くす、それが当然だと考えているから。

 逆にヴァルなら、あの状況下であちらから勝負を仕掛けてきた時点で、見合いになる可能性の高い守戦はないと踏み、今の立ち回りをひねり出してきたはず。

 デリングの弱みすら計算に入れて。

 まあどちらにせよ、

(俺では勝てんがね。はぁ、いやだいやだ)

 勝てない勝負、であっただろうが。

「……きっつぃ」

 フラウ・デゥンは思い出しただけで吐き気がこみ上げてきそうになる。自分も相当な負けず嫌いであるが、あの男にだけはリベンジしたいと思わなかった。

 間違えない前提での剣。それこそディンほどに差はあっても、こちらにも間違えられないという強烈なプレッシャーを与えてくるのだ。

 クルスとの戦いはまさにそれ。間違えたらカウンターが飛んでくる。だから丁寧に、間違えないように、着実に攻め寄せねば、『ならない』。

 間違えられない。間違えちゃいけない。間違えたら――気づけば体よりも心が削られていた。腹立たしいのは、相手には自分以上の負荷がかかっているということ。いや、常に最善を取り続けねばならない彼と自分では比較にならない。

 コツコツ努力を続ける心に自信があったからこそ、ある意味、イールファスと同じような敗北感をクルスによって彼女は刻み付けられていた。

 心にも才能はある、彼女はそう思う。

「あいつとは一回で充分」

 フィン・レンスターもまた同じ。回避に絶対の自信を持っていた自分ですら出来ない状況、相手に、彼は果敢に挑んだ。そして成功させて見せた。

 あの時点では百回やって一回成功するかどうかの確率だったろうに、それしか勝ち筋はないと判断したらやる。怖くないのか、フィンは戦慄した。

 自分にはできない。そう思わされた相手が、ひと夏を経てその怖さを失っていたのだから、そりゃあ苛立ちもする。

 結果、煽るため柄にもなく頑張ってしまった。そしてものの見事に敗れ去った。

 悔いはない。今の彼を見て尚更そう思う。

「そろそろ満足しなさいよ、強欲マン」

 ミラ・メルはため息をつく。最初の印象は身の程知らずのゴミ、だった。騎士を目指す者への冒涜とすら思っていた。ただ、まあ、それは本当に最初だけ。努力し、克己する姿を見れば、それが遊び半分でないことは彼女にも分かった。

 とはいえ、まさか自分がこういう感情を持つとは露とも思っていなかったし、何なら今でも気の迷いではないか、と考えたりもする。

 ただ、何度考えても想いは変わらないし、何度見ても努力する姿は格好いいと思う。業腹この上ないが、あのデリング・ナルヴィと渡り合う姿は胸躍る。

 彼は止まらない。この先も上を目指し続ける。

 それが良いと思うし、そうあってほしいとも思う反面、そうなると彼は誰とも添い遂げないのではないか、とも考えてしまう。

 クロイツェル風に言わせたなら、男女の関係など贅肉以外の何物でもないだろうから。子なんて他の人間が作ればいい。

 騎士には不要。無駄。そんな人生が透けて見える。

 なので複雑なのだ、乙女心ってやつは。

「……」

 そしてもう一人、もっと複雑な想いであるはずのフレイヤ・ヴァナディースは嬉しそうに笑顔を向けていた。

 大切な幼馴染と、自覚はまだ薄めだが想い人かもしれない相手の戦いであるが、

「いい貌ですわ、二人とも」

 今の彼女にとってはシンプル。どちらも望んだ戦い、如何なる結果が待っていようと、死力を尽くして戦うことこそが望みなのだ。

 ならば応援するだけ。両方を。

「ファイトぉ!」

 悔いだけは残さぬように。


 誰もが食い入るように二人の戦いを見つめていた。ディンとクルスの戦いも衝撃であったが、あれは歪な拮抗であり、騎士以外にも万人受けするか、と言われたならそうでもない。ただ、デリングとクルスの戦いは素人が見てもわかる技巧の凝らし合いである。巧みな技が絡み合い、ほんの一瞬の隙間すら許されない攻防。

 貴族科でも、魔法科でも、その素晴らしさは見える。わかる。

「まだだ、まだ終わらんよ、リンザァール!」

 デリングは凄絶な笑みを浮かべ猛攻を、

「そろそろ終わっとけ、デリング!」

 クルスは怜悧な瞳を向けて受け捌く。

 美しく、緻密な戦い。

 これもまた騎士の戦い、その妙味であろう。


     ○


 荒れ果てた王宮の庭で酒盛りを開始した浮かれポンチたち。

 その元凶である男は、

「いやぁ、昼から飲む酒は格別ですのぉ」

 へべれけとなっていた。

「ほれ、宮宰も、ナルヴィもだ。飲め飲め!」

「「は、はっ」」

 王もまた完全に出来上がっている。朝から娘にグーで殴られ、ナルヴィは自殺騒動を巻き起こし、からの颯爽登場暴れん坊英雄である。

 そりゃあ酒に頼りたくもなろう。

「ところでだ、ウルよ。デリング君は、ん? 実際どうなのだ? 忖度なしで教えてくれぃ。もうなんもせんからさぁ」

「ぶはは、強いですぞぉ。元々強かったですが、昨年あたりからさらに努力を積み、わしには壁を越えんともがいていたように見えておりました」

「ほほう。壁って私か? 私が悪いんか? んん?」

「違いますとも。あの子らの世代にはまあ、イールファスらがいますから」

「……そんなに凄いの?」

「わしらと似とるのはノア君ぐらいですがの、それぞれ傑出した新世代の騎士ですな。今の時点でサシでもわしといい勝負すると思いますぞ」

「バケモンじゃん」

「だから、多くが諦めておったのです。わしらも強くは言えませぬ。実際にわしらの時もそうでしたが、戦時下でも才能の差に心折れる者もおりましたからのぉ」

「はえー大変よなぁ、騎士の世界も。私は貴族科しか知らんからなぁ」

 王には王の、騎士には騎士の世界がある。

 そこはやはり、その世界にいる者以外にはなかなか伝わらないものであろう。

「で、では、その、今戦っている相手は、どういう子なのですか?」

 デリングの父はウルへ問いかける。さすが人の親、酒が入っても、いや、酒が入ったからこそ、息子のことが気になる様子。

「わしにはわからぬのです」

「え?」

 デリングの父が、王が、驚きに目を見張る。

「無論、今の五学年を勝ち抜いただけあって強いですぞ。あまり言いたくないですが、今年の五学年は十番から上は学年が違えば首席、みたいな子ばかりですし」

「じゅ、え、そ、そんなに、ですか?」

 普通、十番ともなればアスガルドはもちろん、準御三家クラスより下への就職も危なくなる。団入り出来れば御の字。そういう順位であるはず。

 デリングの父は当然アスガルド卒、そういう肌感覚は理解しているはず。

 だからこそわかるのだ、その異常性が。

「ただ、最初からそうであったわけではないのです。先述した通り、諦めておった子も、心折れてしまった子も、多々おりましたので。ですが、その子の編入で状況は一変しました。恥ずかしながら、彼らの躍進は教師の仕事ではないのですな、これが」

「……その子が、クルス・リンザールの加入でそうなった、と?」

「しかり。三学年からの編入でしたが、そりゃあもう皆が驚くほどの白紙。成績は当然最下位でしたな。まあ若干わしらの責任もありますが、それがなくともやはり成績は底だったかと思います。たった二年前の時点で、ですぞ」

「……なんと」

「底辺から這い上がる姿勢を見て、上も下も奮起したのです。わしらが驚くほどに。今年の五学年はまあ間違いなく全入でしょうな。二年前は皆、まるで信じておりませんでしたが……今は逆に誰もがそれを当たり前と思っておる」

 全入、そのありえなさは騎士科のある学校に通っていた者ならば、誰もが知るところである。御三家を卒業して得体のしれない騎士団に入るわけにはいかない。それなら名のある貴族の執事など、働き口は山ほどある。

 だから、全入は現実的ではないのだ。

 御三家が認める騎士団に入らねばならないから。

「それの火付け役ですな、リンザールは。そして自身もまた、成長したデリング・ナルヴィと戦うところまできた。そも、あのディン・クレンツェにも勝っておりますからな。そりゃあもう、強い。百年に一人の天才三人がいなければ、余裕で天下を取っていた二人相手ですからの。十年に一人の天才、みたいなもんですな」

「結構安売りされがちだがな、十年に一人の天才」

 王は酒をあおり、ゲラゲラ笑う。

「ぶはは、確かに」

 ウルもまたさらに酒を一気、満面の笑みを浮かべる。

「わしは正直、あの子が伸びるとは思えなかったのです。だからこそ、期待してしまう。古き時代のわしとは違う、それこそ先にも触れた新時代の騎士となるのではないか、と。いや、その旗手として先頭に立つのではないか、と期待しております」

「あの英雄にそこまで言わせるか」

「根拠はわしにはよぉわからん、ですがな。ガハハ!」

「あっはっは!」

 ウルは目を細め、

「そろそろわしがお役御免になる日も近いのやもしれませぬなぁ」

 新たな時代の訪れを感じながら、しみじみ思い耽る。


     ○


 最後は、デリングもまた踏み外した。

 たった一センチにも満たぬ浅くなった踏み込み。其処に対しクルスは横軸を捨て、即座に縦軸へのカウンターを敢行した。

 ほんのわずかなミスすら見逃さなかった。

(……ふっ、随分と、分厚い一センチもあったものだな)

 最後まで間違えぬ、完璧な試合運び。

 内容以上にデリングは痛感する。

「勝負あり! 勝者、クルス・リンザール!」

 自らの敗北を。

 悔しい。二年前なら考えもしなかった相手からの敗北である。悔しくないわけがない。自分は圧倒的に有利だった。それでも捲られた。

 彼の努力に感服すると同時に、自分への情けなさで腹が立つ。

 なるほど、これがディンも突き付けられた敗北か、とデリングは顔を歪めた。

 そして、

「……」

 クルスはあの時と同じく、無言で手を差し出す。

 握れるか、と問いかけるかのように。

「……」

 ほんの一瞬、渦巻く負の感情。されどデリングはぐっと飲み込み、

「貴様の勝ちだ、リンザール」

 その手を強く握りしめた。

「……っ」

 クルスは驚きに目を見開く。

「対抗戦、ふがいない戦いを見せたら許さんぞ」

「……ああ」

「貴様が御三家アスガルドの代表だ。誰にも文句は言わせんさ」

 そのデリングの言葉は――五学年の上位陣が贈る拍手と共に、爆発した大歓声によって名実ともに決定的なものとなる。

「ほんと、大した野郎だよ、二人ともな」

 ディンは苦く微笑みながら、誰よりも強い拍手を送っていた。

 とうとうクルス・リンザールはその座を掴んだのだ。騎士を志す者たちの祭典、その世代最強を決める戦いの舞台である、騎士学校対抗戦へと。

 まだ何も成していない。

 それでも――

「……」

 クルスは小さく拳を握り締めた。何かを、噛み締めるように。

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