第168話:子どもの勝ち!
「最後まで見ていかないのかい?」
「……見る意味があらへん」
テュールの声掛けに対し、クロイツェルは背を向けて答える。
「まだまだ決着は先だよ」
「甘く、青い。なぜ待ちを選ばんのか、僕には理解できん」
「はは、そこが良いんじゃないか」
勝負に徹する男にとって、あえて不利な戦いを取る理由がわからなかった。勝ち筋はあったのだ。最低でも引き分けに持ち込む術が。
恥も外聞も捨てたなら、得られる結果がある。
なら、男は躊躇わず選ぶ。
それは――
「この先、彼が間違えるかもしれないよ?」
「それはあのカスが死ぬ時や」
自分の製作物も同じ。だから強い。だから迷わない。
だから、間違えない。
「……高く買っているものだ」
傍目にはただの激戦にしか見えない。まだまだ結末は遠い。特に彼らは子ども同士であるのだ。普通なら大人ほどの完成度はない。
だが、クロイツェルはどちらも間違えないだろう、と判断した。いや、少なくとも片方は絶対に間違えない、と判断したのだ。あの誰も信じぬ男が。
ゆえに結末は透ける。
それはまあ、
「私もそう思うがね」
テュールにも同じものが見えてはいるのだが。
○
たった一人、たった一人が王宮に立ち入っただけで景色が一変した。
ほんの数分前まではごみ一つ落ちていない美しい庭園であった。大国アスガルドの現状を表すような見事な、整然とした空間であったのに、今はもう地面はひっくり返り、惨憺たる景色が広がっていた。
その中をウル・ユーダリルがただ一人君臨する。
(誰が勝てる? こんな化け物に)
アスガルドの騎士団を構成する人員で一番多いのは、当たり前であるがアスガルド王立学園卒業者であり、その全員がウルの講義を受けていた。
気のいいお爺ちゃん。伝説は面影もなく、憧れは薄れ、次第に親近感すら湧いていた。だからこそ今更、彼らは驚愕していたのだ。
そして思い出す。伝説の英雄を。
「……むぅ」
ウルは小さくため息をつく。今の時代、騎士の性能は間違いなく上がっている。特に攻撃力は魔力量に関係なく、範囲は遥か狭くとも誰もが退魔の力を振るうことが出来る。畏怖を浮かべている彼らとて、攻撃力に関してはそれほどの差はない。
ただ、その自覚がないだけで。
(戦士級と交戦する機会すらほぼないのだ。戦士級の上澄みなら、わしぐらいの力を振るうものはざら。騎士級はさらに……まあ、それを求めるのは酷であるか)
クロイツェルらなら、ウルの攻撃力にも、効果範囲にも怯みはしない。持つ手札は変わらずとも、相手の戦力をしっかりと把握して対応することが出来る。
上位の魔族との場数、それが今の光景に表れている。
そんな中――
「随分と暴れてくれたな、マスター・ユーダリル」
この国の王が現れた。
「へ、陛下! お下がりください!」
騎士がそう願うも、王はむしろ歩を進める。
「ごきげんよう、陛下。本日はお日柄もよく――」
「して、何用か?」
近づく王が問いかける。ウルは慇懃な笑みを消し、
「王国から学園へ圧がかかりましてな。学園長として抗議をしに参った次第」
王に剣を向ける。
カロス・カーガトス、ナルヴィの剣をちょちょいと拝借し、自らの型としたもの。すべてを貫く突きを主体とする。
その切っ先を、王へ向けたのだ。
誰もが息をのむ。本気か、と。
「よくあることであろう? 今まで卿はそれらを見て見ぬふりをしてきたはず。飲み込んできたはず。ではなぜ、今回はそうしない?」
されど王は怯まない。徒手空拳、何も持たずに英雄と向き合う。
「わしら大人が飲み込み済むことであれば、そうしましょう。子どもへの圧も、その子が飲み込んだのであれば、わしらがそこに関与するは覚悟に泥を塗る行為。歯がゆくは思いますが、やはり手を出すことはなかったでしょうな」
「……中には飲み込めぬ者もいたはず」
「最終的には皆飲み込みました。命を賭し、飲み込まずに吐き出した馬鹿者は、わしの知る限り今回が初めてでしょう」
「子どもの言葉一つで、英雄がわざわざ出張ると?」
「今のわしは英雄である前に、騎士である前に、教師でありますからなぁ」
ウルは、
「わしに人を見る目などありませぬが、それでもあの子が容易く翻すような安い言葉を吐くとは思いませぬ。本気で、熟考して、あの子は死を覚悟し友と競い合う道を選んだのです。わかりますかな? この重みが」
王へ強い意志を込めた視線を向ける。
滅多に見せぬ英雄の貌で。
「子どもが命を賭したのです。なら、わしもまたそうしましょう。生殺与奪を握られ、押し付けられたことで、あの子は苦しんだ。ならばわしも同じく、生殺与奪を握りて、選択を押し付けるとしましょう。わしの全てを賭して」
「……選択とは?」
「あの子が死を覚悟せずに済む道を。ただそれだけですな。ただそれだけの願いすら届かぬのなら――」
バチ、ウルの騎士剣が魔力を帯びる。
周囲の騎士たちは歯を食いしばりながら、それでも王を守るため布陣を整えていた。あの突きが放たれた瞬間、王を突き飛ばしてでも救い、全員が命を賭して英雄と差し違える。そういう覚悟で、臨む。
「陛下の墓前にわしの首を捧げましょうぞ」
全員、息をのむ。
英雄の言葉に、本気を見たから。
王を殺し、自分も死ぬ。ふざけた、あまりにもふざけた話であろう。たかが子どもの問題。王女との婚姻絡みとはいえ、王の命や英雄の命をはかりにかけるような問題では断じてない。それなのに英雄は命を懸けた。
微塵も迷いなく、それが当然とでも言わんばかりに。
「ただ子ども一人のために、英雄が命を捨てる、か」
「老いぼれ一人と可能性に満ちた若者、簡単な算数ですな」
「そうか……卿の覚悟はわかった。だがな――」
王は地面に座り込み、
「無駄足ぞ、英雄」
言葉とは裏腹に降参とばかりにもろ手を挙げた。ウルは首をかしげる。
「やめだやめ。全員、武器を仕舞え! 大人が雁首揃えて馬鹿らしい」
「し、しかし、陛下」
「しかしもかかしもあるか。この男を前に王宮へ足を踏み入れられた時点で勝負は決している。よい訓練になったであろう? 突然戦士級が、騎士級が現れた時の想定だ。今後は少し気を引き締め、職務を遂行せよ」
「……」
王は騎士たちに声掛けし、今一度ウルへ視線を向ける。
「今日はな、朝から嫌なことばかり起きる。ほれ、見よ。このほっぺを」
自らの右ほほを指す王。
「ほんのり腫れておりますかな?」
「いいか。この世で一番痛いのはな、英雄の超強い一撃ではない。蝶よ花よと愛し、育てた娘の一発だ。物凄く痛いぞ、今も心が痛い」
「……ほほう」
ウルはそれを聞き、苦笑いを浮かべながら剣を納め、王に向けて歩を進めた。状況がわからず、どうにも対処に困る騎士たち。
それを意に介さず、王の前にウルもまた腰を下ろした。
「手紙、姫様にも届きましたか。まあ、よく考えずとも学校への迷惑を考える子であれば、まずそちらへ送るでしょうな」
「真面目よなぁ。私も文面を見たが、そこに娘を動かすような、助けを求めるような言葉は一つたりとも並んでいなかった。だからこそ、父親を打つほどに怒ったのであろうが。あー、きつい。しんどい。死にたい」
「……心中お察しいたす」
「卿もその一つであろうが。それで終わらんぞ。傷心の私の前にな、一時間もせぬ内にナルヴィがやってきて、いきなり自らの首を捧げるから、一族を、息子を許してほしい、と言って、本当に首を斬りかけた。近衛隊長が止めねば、御前は血まみれぞ。そもそも首捧げられても困るし……親子揃って時代錯誤というか」
「……わぁ」
ウルの知らぬうちに、随分と王宮は荒れ模様であった様子。王女の件も、デリングの父の件も、ウルの想像をひょいと超えていた。
「そして、最後に卿が来て大暴れだ。殺す気か。死ぬぞ、心労で」
「はは、申し訳ないですのぉ」
「もう笑うしかない。まったく……私も、周りも、別に悪気はないのだぞ。良かれと思って、だ。そりゃあ少し親馬鹿ゆえ、娘に寄った考え方であったが……大事な娘が嫁入りする家だし、少しでも見栄えを整えたい親心もなぁ」
「親の心子知らず、逆もまたしかり、ですな」
「……子どもの時は父の、周囲の善意が疎ましく感じていたものだが、大人になると忘れるものであるな。娘に打たれ、怒られ、ちと思い出したわ」
「わしはたまに童心に還りますぞ」
「ほざけ。子ども老人めが。先代や先々代の言う通り、暴れん坊のきかん坊よ」
「がっはっはっは!」
英雄は大笑いし、王は苦く微笑む。
「では」
「もう許しておる。と言うか、許さんと娘が帰ってこん」
「ぶはは、子どもの勝利ですなぁ」
「たまには大人も負ける時がある。で、まさか手ぶらではあるまいな?」
「無論」
ウルは腰に剣の如く提げていた長物をつかみ、王の前に献上する。
その正体は、
「マグ・メル産、三十年物ですぞ」
上物のワインであった。
「よし、これに免じて全部許す! 庭と門も私が私財を投じる!」
「いよ、さすがは陛下!」
「あっはっは! 今日は飲むぞー! 卿らも今日は仕事なんぞ放り投げ、飲め飲め。これ以上はさすがに何も起きんだろ! 宴だ!」
やけくその王様。騎士たちは顔を見合わせ、何とも言えない表情を浮かべるも、王の言葉には逆らえない。いそいそと宴の準備を始める。
だが、騎士たちは理解していた。
彼らは王に救われたのだ。王がああせねば英雄は退かなかった。王が全面的に降参したから、無理やりにでも丸く収まった。
笑い合い、とっとと酒盛りに興じる王と英雄。
「子どもに!」
「乾杯!」
その肝の太さからして、やはり常人とは違っていた。
荒れ果てた王宮の庭で突如宴が始まった。
○
遠くから戦いを見つめる第二王女ビルギット。誰も護衛をつけずに、誰に断りも入れずに王宮から、王都から離れたのは初めてのことであった。まあ実際は近衛の一人がこっそりとバレぬよう尾行はしていたが――
とにかくはじめての家出である。
どうしても見たかったのだ。
「あんな顔、初めて見ましたわ」
全てを賭してでも戦いたかった、我を通したかった相手との戦いを。素人が見てもわかる。本当に、本当に、素晴らしい戦いであった。
どちらも真剣で、本気で、何処か楽しそう。
少しだけ羨ましい、と彼女は思った。
きっと剣を振るわぬ自分には、彼があの貌を向けてくれることはないだろうから。
「デリング様……精一杯、頑張ってくださいまし」
誰よりも真っすぐで、折れず、曲がらず、遠くからでもそう見えた。
格好いいと、思った。
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