第166話:覚悟の決闘
「デリング!」
デリングの発言に誰よりも早く反応したのはディンであった。誰もが呆気に取られている中、もしやと考えていた彼はいち早く反応できたのだ。
「わかってんのか、お前」
デリングが自分から仕掛け、対戦相手であるクルスへの被害は最小限で済むかもしれないが、その分すべてが彼自らへ、ナルヴィ家へ襲い来る。
名高い武門ナルヴィの凋落は避けられない。それ以上に、デリング自身も無事では済まないだろう。場合によっては――
「……」
「……馬鹿が」
だが、ディンはそれ以上踏み込むことができなかった。一時の感情ですべてを捨てるな、という正論はいくらでも吐ける。恨まれても止める覚悟もあった。
されど、彼の目に宿る覚悟を見て、ディンは口をつぐんだのだ。
そんな通り一遍のこと、すべて考えた上でこうしたのだとわかったから。
「……いつやる?」
クルスはデリングへ問いかける。
「今日の昼休憩中にでも」
デリングもまたすでに用意していた答えを返す。
クルスは何も言わずに手袋をハンカチの如く胸ポケットに納め、
「承知した」
ただ、
「受けて立つ」
その決闘を受けることのみを伝える。それ以外は蛇足と思ったから。
食堂が騒然となる。当然であろう、誰もがデリングの境遇を知っている。戦うことなどありえない。雌雄を決することなどありえない。
そう確信していたからこその名門へのヘイトだったのに――
「ちっ、しゃあねえ。立会人は俺が――」
ディンが決闘の立会人に立候補しようとした時、
「私が立会人を務めましょう」
さらに食堂を愕然とさせる者が手を挙げた。
アスガルド王立学園ナンバー2、統括教頭リンド・バルデルスである。これにはデリング本人も驚愕に目を剥く。
「ま、マスター・バルデルス。これは私闘です。学園を巻き込む気は」
「ならば私事として立ち会いましょう。それとも私では不足ですか?」
「い、いえ、そんなことは」
リンドの圧に負け、彼女の立ち会いを飲み込むしかなくなったデリング。学生たちも驚愕するしかない。いくら私事とはいえ、統括教頭が関与する以上、学校ぐるみとみられてもおかしくはない。
いや、周囲は絶対にそう見る。
「決闘の勝敗に対抗戦の出場権を、とのことですが……よろしいですね、マスター・フューネル」
「もちろんですとも。結果に違えぬと約束しますよ。名に懸けて」
「結構」
話はまとまった。それも当の本人であるデリングすら予想していない形で。
そんな中、
「……」
クルスがリンドへ意味深な視線を向けていた。
彼女もまたそれに気づき、
「リンザール」
冷静極まる声で呼びかける。
「……はい」
「私は普段、公私混同せぬよう努めているつもりですが、賢しらな子どもには少々私事が混じることもあります。本気でやりなさい」
「……イエス・マスター」
クルスの視線の意図、それは「自分は負けるべきですか?」と問うものであった。それをしっかりと受け取った上で、彼女はくだらぬ気を回すなと言い切った。
「無用な心配をせずともよろしい」
リンドは強く言い切った。それはこの勝敗が、たとえ勝利したとしてクルスの将来に影響しない、影響しないよう統括教頭がケツ持ちしてくれるということ。
クルスはそう受け取る。これでもう、
「悪いな、デリング。負けてやる理由が今消えた」
「ぬかせ。対抗戦には俺が出る。これは俺が代表であることを示す決闘なのだから」
手を抜く理由は消えた。
二人は睨み合う。火花が、散る。
○
「大変な状況だな」
騎士科教頭であるテュールはパスタを食しながら一連の流れを見つめていた。万が一に備え、自分は関与せず火傷を避ける立ち回りである。
先に言っておくと保身ではない。単なる学校全体の生存戦略の話。
彼が今回、備えの役割である、と言うだけ。
「何がやボケ。寒々しい茶番や」
「熱い光景だろ? それに教師陣も乗っかる。青春じゃないか」
「茶番はジブンらの話や。いつも指定席でもりもり飯食っとるジジイがおらん。あれが動いた以上、道理なんぞひっくり返るわ」
「助けを求められるまでは動かないつもりであったよ、あの人も大人だから」
「何が大人や。あほくさ。しっかし、ほんま耄碌したなァ。ガキの泣き声一つで、わざわざジジイが出張る話か?」
「泣き声なら、慰めるぐらいで済ませたさ」
「あン?」
「謝罪と報告、そして大人顔負けの覚悟」
クロイツェルが目を剥く。視線を、皆の視線の中心へ向けて。
「……ちっ」
「だから、動いた。それだけの話だよ」
あの老人は緩く見えるが、存外厳格に出来ている。厳しい時代に生まれ、地獄のような戦場を駆け抜けてきた男である。規範にも厳しい。
子どものわがままで我を通すほど愚かではない。
だが、何事にも限界が、例外がある。
(……もう一人のジジイもおらん。ハッ、あの二人が同時に動く日がこの時代にあろうとはなァ。ほんま、世の中何があるかわからんわ)
それを超えた。だから、ウル・ユーダリルが動いたのだ。
学び舎の長として。
○
「ジジイ一枚」
学園前の駅でウルは列車の切符を元気よく購入する。
「ジジイ、という切符はありませんよ、マスター・ユーダリル」
「ジジイ割、あってもええと思うんじゃがのぉ」
「あってもあなたには適用されませんよ。それで、今日はどちらまで?」
「アースじゃな」
「承知しました。ご用向きは?」
切符売り場のおばさんは単なる世間話で問いかける。
まさか、
「戦じゃ」
遠足、みたいな感じで、
「へ?」
「王宮へカチコミじゃい」
恐ろしい言葉が返ってくるとは思わなかった。とりあえずおばさんは聞かなかったことにする。どう転んでも厄介そうな案件であったから。
自分は切符を売っただけ、ただそれだけ、と心の中で唱えて――
○
ナルヴィ家当主であり、デリングの父である男はあまりよくない目覚めと共に身体を起こす。ここずっと寝つきが悪い。武門として名門であろうと、政治の世界では大した力はなく、家格もそれなりでしかなかったのがナルヴィ家である。
それが突然、降って湧いた縁談により状況は激変した。超一流の仲間入り、父祖らが必死に戦い、勝ち取ってきた家格をさらに向上させることができる。
それはきっと、先々へ、継承するであろうデリングやその子どもたちにとっても素晴らしいことなのだ、そう思い今日まで慣れぬ奮闘を続けてきた。
全ては明日のために。
だが、
「……」
最近なぜか思い出す。誰にとってもいい話、それを説明した時の、幼きデリングが見せた絶望したかのような表情を。それきりあの貌は見受けられなかったが――
「朝早く失礼します」
「なんだ?」
「旦那様宛に速達が届いておりますが」
「……誰からだ?」
「デリング坊ちゃまです」
「寄越せ!」
嫌な予感がした。速達と聞いた時点で、いや、最近でも特に悪かった朝の目覚めの時点で、なぜか予感していたのだ。
「あの、馬鹿者が!」
「だ、旦那様!」
手紙をぐしゃりと握り潰し、代々連なってきた名門の当主として怒りを示す。そこに書かれていたことは、本当に、貴族としては論外なことばかりであったから。
其処には――
「なぜ、わからんのだ!」
父への、そして家人らに迷惑をかけてしまうことへの謝罪。
それでも騎士として雌雄を決したい相手がおり、王家からの命に背いてでも戦うことを決意したとの報告。
王家からの命に背く以上、婚約解消及び勝っても負けてもこの命、王家への反抗を償うべく捧げて許しを乞いたい、との願い。
最後に重ねて、愚かな息子で申し訳ない、との謝罪が添えられていた。
「貴様の命など、今は何の価値もないわ、阿呆が」
命、たかが学校の序列を決めるためだけ、そんなことで捨てる命のなんと安いことか。一時我慢すれば、飲み込めば、将来は安泰なのだ。
いつか必ず、あの時我慢した選択を喜べる日が来る。
大人にはわかる。すべては子どものため。
明日への――
「……蛙の子は蛙にしかならん、か」
そう、今では、無い。
「旦那様?」
「王宮へ出仕する。支度を急げ」
「は、はい!」
かつて学生であり、かつてただの武人、騎士であり、今は当主として政治の世界に身を置く男は、鏡を見て嗤う。
何度見ても、王宮へ出仕するための機能性皆無の衣装が気に食わなかった。いつもあれはへなちょこが着るものだ、と馬鹿にしていたものを今自分は着ている。
そんな下らぬことを思い出した。
「さて、今の俺の……命の値段は如何ほどか」
土下座でもなんでもする。靴でも舐めよう。最悪命すらも捨てる覚悟で、蛙の父、デリングの父は王宮へ向かう。
なぜか少し、スカッとする自分もいたのは内緒である。
○
昼休み、クソデカ原っぱことイザヴェル平原にはほぼ全学生が押し寄せていた。その中心には決闘をする二人、クルス・リンザールとデリング・ナルヴィが立つ。
どちらもシュッと、凛とした立ち姿であった。
「双方、紳士的に、全力で、騎士らしく戦いなさい」
「「イエス・マスター」」
「構え!」
二人が構え、対峙する。
ゼー・シルト、両手で握り相手へ角のように突き出し半身で構える。
カーガトス・オリジン、片手で剣を前へ、片手は腰、同じく半身で構える。
双方、守りの型であるが――
「……俺なら見合うが?」
「ありえねえよ。それができるなら、この決闘は成立してねえ」
「だなァ」
ヴァルとディンの会話、最善を取るならクルスもデリングも待ちの一手となる。双方の強みを押し付けあえば、必然的にお見合い、状況は動かない。
そしてクルスはその局面、絶対に攻めない。ヴァルであれば強引に崩せた手でも、堅守を得手とするデリングには通じないから。となれば勝利を第一とするクルスは絶対に、梃子でも攻めない。
勝負を成立させるには――
「はじめ!」
デリングが攻めるしかない。
まあそうでなくとも、
「征くぞッ!」
今のデリングであれば飛び出していただろうが。
決闘、開始。
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