第165話:不器用な男

『対抗戦、応援していますわ』

『……いえ、まだ、出場が決まっているわけではありませんので』

『まあ、そうでしたの。私ったら勘違いしていました。周りの皆が出ると言っていたので、てっきりもう決まっているものかと』

『しかし、出場となれば全力を尽くす所存です』

『ええ。出場含め、応援しておりますよ』

 デリングはダンスパーティの際、婚約者であるビルギットからかけられた言葉を反芻し、貌を歪めていた。悪意はない。そういう人ではない。

 それはわかっている。

(……だが、すでに外堀は埋まっている)

 王女の周りとなれば当然王族や高位の貴族たち、彼らの中では王女の婚約者であるナルヴィの息子が対抗戦へ出場することは確定しているのだ。

 それが嫌でも透けて見えた。

(悩むな。これはもう仕事なのだ。誰に何を言われようとも、国を、王家を、家を背負っている。耐え忍ぶしかない。それ以外に何がある)

 デリングは几帳面であり、繊細であり、不器用な男であった。ただ飲み込むだけでいい。そんなことが、ずっと出来ないまま年を越してしまったのだ。

 当の被害者は――

「まだ、だァ」

「はは、しつこいなァ、クルスは」

 すでに前を向いている。剣闘の講義ではずっとイールファスと組み、去年ヴァルとやり合っていた時同様、何度敗れても立ち上がり諦めずに向き合っていた。

 生まれ持った才能の差を。天才と凡人の開きを。

 負けると言うのは悔しいものである。嫌なことである。誰だって好き好んで負けたがる酔狂な者はいない。

 去年はディンが、今年はクルスが『イールファス係』を務めているが、その前などはやり合う相手もなく、先生と剣を交わすことが多かった。

 そう、自分はフレイヤとばかり。居心地がいい対戦相手と、勝つわけにはいかないという言い訳、思えばずっと己は護身を続けていたのかもしれない。

 どうせ先は見えている。意気揚々と御三家へ入学し、いつかフレイヤと共にユニオンへ、そんなことを夢見ていた時代もあったか。

 だが、イールファスと言う絶対的な壁と、

『喜べデリング! 姫様からお声がかかったぞ』

『……?』

 王女に見初められたことで、きっと自分は折れていたのだ。

 望む未来はない。ありえない。運命を受け入れるしか無い、と。

 そう思っていたのに――クルス・リンザールが来た。

 最初は何しにここへ来たのだ、と憤慨していた。あまりにも足りない。教養も、実力も、何か隠している節は在れど、それを含めても論外の地力。

 御三家を、アスガルドを、馬鹿にしているのかとすら思っていた。

 だが、違った。どういう経緯で編入したのかは知らないが、見出した者の慧眼を結果として突き付けられた。たゆまぬ研鑽、合理的な思考に優れた洞察力、何よりも文武の垣根を越え発揮される集中力が素晴らしい。

 そして、どん底から駆け上がる彼の足音は、背中は、追いかけられる者の足を速め、追い越された者へ奮起を促し、半分近く、いや、上位もなあなあであったことを考えればほぼ全員か。腐り、澱み、停滞していた流れを一気に加速、加熱した。

 全てを諦めていた己すら、知らず知らずのうちに感化されるほどに。

 もしかすれば元々デリングの目に留まらぬ才能があったのかもしれない。結果を見れば天才の部類でしかなく、外側から見れば立派な超人であろう。

 ただ、彼の成長、その過程を見せつけられた自分には、

「必死だな。相手は、イールファスだと言うのに」

 覚悟一つで運命をねじ伏せたようにも見えた。

 人間は飛べるのだ、限界は自らが定めているだけ、そう思わされてしまう。

 今、この五学年の中心は誰か、その問いに迷う者はおそらくこの場にいない。それはすなわち、誰が代表たるべきか、皆の中では決まっていることになる。

 己もまた、そう在るべきと思う。

 だから――


     〇


「対抗戦、出たくないか? リンザール」

 覚悟と共に投げかけた。

 だが、

「……馬鹿か」

 クルスの反応は冷淡そのもの、呆れすら混じっていた。

「俺は――」

「出たい出たくないで言えば出たい。だが、状況的に出るべきではないことは理解している。リスクを冒してまで出たいとも思わん」

 デリングの言葉を遮り、クルスは自分の姿勢を改めて明言する。要らない世話だ、と。勘違いさせないために。

「やはり出たいのか」

「ちっ。……いい加減にしろ。きつい立場なのは理解している。だがな、どうしようもないんだよ。俺たちは学生で、何の力も持たない。半人前以下、社会的には無価値同然。そんな者に通せる我があるかよ」

 我を通す、その難しさを昨夏、クルスは痛感した。同時にたかが学生、社会的に地位を持たぬ者の限界も理解した。

 『あの場』で自分がレフ・クロイツェルよりも強ければ場を治められたか。答えは否。『道理』に逆らい、場を徒に荒らし、最終的な結果はより悲惨なものとなっていただろう。第七の次に別の騎士隊が襲い掛かってくるだけ。

 個の力だけでは我を通すことなど出来ない。

「……覚悟さえあれば」

「クソボケが。そのクソちっぽけな覚悟で何が出来る? ああ? たかが学生の言葉を誰が聞く? 俺はな、そういう現実を見据えていない甘ったれた勘違いがこの世で一番嫌いなんだよ。度し難い馬鹿ってやつがな!」

 あの経験を経るまで、頭の中に在った個としての強さ。漠然と強い騎士に成れば何かを成せると、そう思い込んでいたかつての自分。

 甘い言葉を吐く男が、それと被る。

「……人を斬ったことはあるか?」

「いや、ないが」

「俺はある。指示に従ってな。無辜の民だ、殺されるに足る理由はなかった。少なくとも俺の尺度では。だが、俺は殺した。この手でな」

 クルスはデリングを睨み、言える範囲で言うべきではないことを述べる。

 自分が夏に得た教訓、その重みを示すために。

「……リンザール」

「俺はお前を笑える立場じゃねえんだよ。俺の方がよほどクソだ。だがな、俺は飲み込んだぞ。今の俺じゃあどうしようもない。逆らうことも、抗うことも、今の無力な俺じゃ話にならん。我は通せない。だから――」

 クルスはデリングの胸ぐらをつかみ、

「俺はユニオンに入る。入って出世する。我を通す力を得る。俺が俺であるために……だから、邪魔をしてくれるな。対抗戦なんぞ出なくとも、今の俺ならユニオンには問題なく入れる。余計な問題を起こさなければ、な」

 強く言い切る。邪魔をするな、と。

 その厚意は邪魔でしかないのだと。

 クルスは手を放す。念押しは充分と言う判断である。

「……」

「ま、出来もしないことを考えるより、もっと建設的なことを考えろよ」

「建設的なこと?」

「俺と同じだ。我を通せないことに腹を立ててんなら、我を通す道を模索したらいい。幸い、デリングには最強の手札があるだろ?」

「……て、手札、だと。きさ、無礼な」

「望まない婚約を強いられてんだから御相子だろ。手札使って最短で出世して、子どもでも出来たら大抵の我は通せる。楽勝だ」

「さ、最低な考えだな」

「そうか? 俺がお前の立場ならそうするよ。人の顔色ばかり窺ってないで、自分のために生きろよ。誰のための人生だって話だ」

 我を通す、善意でも悪意でもない。ただ己の望む生き方をするために、それだけのために力を求める。それが今のクルス・リンザールである。

 そのわかりやすさは、

「誰に何言われようが、自分のためだけに生きりゃいいんだよ」

 今までのデリングにはなかった考え方であった。

「自分のために、か」

「ああ。じゃあな、俺も忙しいんだ」

「ああ。時間を取らせて悪かった」

「気にするな」

 我を通す。考えたこともなかった。そのために姫様を利用する、それもまたただの一度すら頭に過ることがなかった。

 改めて思う。自分は不器用な男なのだと。

「姫様を利用して、出世して……そうまでして明日やりたいことなど、俺にはないんだよ、リンザール。貴様はやはり、くく、凄い奴だ」

 目指すべき高み。辿り着くべき場所。

 やはり何度考えても、どう考えても――

「……俺には無理だ」

 答えは初めから決まっていたのだ。きっと、デリング・ナルヴィがクルス・リンザールを認めた時から。ずっと前から――それが今、わかった。

 デリングは踵を返し、自室へ向かう。

 自分の身の丈を知った。なればこそ――


     〇


 翌日早朝、

「リュディア先輩……むにゃむにゃ」

 最高に気持ち悪い寝言と共に、

「結婚してください!」

 がばり、とウル・ユーダリル起床。おじいさんの朝は早いのだ。

「……ううむ。素晴らしい夢を見ておった気がするのぉ。ウィンザーがひっくり返って池に突き刺さり溺死、悲嘆にくれる先輩をわしが……ぐふふ」

 騎士の風上にも置けぬ夢に絶好調なウルであった。

「さて、と」

 そんな阿呆面が自室の扉、その隙間より差し込まれた手紙を見据え、引き締まった。立ち上がり、背筋を正し、それを拾う。

 中身を見て、

「……ふはっ」

 英雄は笑った。


     〇


 少し時間が経ち、学生たちが食堂へ押しかけ朝食を摂る時間となっていた。各々好き好きに料理を選び、自由に食す。先生方も同様に。

 クルスもまた隅の方で一人、今の自分に必要な栄養をしっかりと補給できる食事を厳選し、しっかりと咀嚼して食べていた。

 それなのに、

「おはよう、クルス。今日も定位置だな」

「さっき挨拶しただろ。同室なんだから」

 ディンやいつもの五学年がちょろちょろ集まってくるのだから、なかなか思惑通りにはいかない。面倒くさい連中ばかりである。

「食事中、眉間にしわを寄せない。料理人に失礼ですわよ」

「……フレイヤ」

 ただ、今日は少しばかり珍しかった。最近は離れて食事をすることが多かったフレイヤもこちらに近づき、リリアンたちの隣に座り朝食を共に摂る。

 如何なる心境の変化か、少し険も取れたような気がした。

 クルスもまた寄っていた眉間をほぐし、

「……」

 食事に注力する。

 もう一人、離れて食事を摂っていた者が近づいてくるまでは。

 その男がクルスの背後に立つ。

「……何の用だ、デリング」

 昨日の話の続きは勘弁してくれ、と思いながら振り返る。

 その途中で、

「……」

 変な感触が頭の上に降り立つ。何か、軽い、布のようなものが、落とされた。

 周囲の視線が一気に集まり、ざわついていた食堂が一気に静まり返った。誰も彼もが言葉を失っている。それだけのことが起きたのだ。

「昨日の助言、感謝する」

 小さく、この静寂の中に在ってもクルスにだけ届く声で謝辞を述べ、

「近頃、俺がこの男から逃げ回っていると言う言説を耳にした。対抗戦出たさのあまりに、と。誠に遺憾である。ゆえに――」

 皆に聞こえる声で話し出した。朗々と、はっきりと、迷いなく。

 クルスは頭の上に落とされたものを掴む。

 それは、

「デリング・ナルヴィはクルス・リンザールに決闘を申し込む!」

 手袋であった。古式ゆかしい、決闘を申し込む際の礼法である。

「対抗戦の座を賭け、俺と戦え!」

 このクソボケアホ間抜けが、と叫び出しそうになるクルスへ、

「まさか、逃げるとは言うまいな?」

 さらなる薪をくべ、逃げ場すら封じた。

 もう、取り返しがつかない。証人は、この食堂にいる者全員なのだから。仕掛けたのはデリング。吹っ掛けられ、煽られたのはクルス。

 全員がそれを目撃した。してしまった。

 明日を捨て、今日の我を通す。

 これが不器用な男の生き方である。

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