第164話:長話

 何も変わらぬまま新学期が始まった。相変わらずギスギスしているところはある。顕在化した溝が容易く埋まることもない。凡人クルス・リンザールの名を勝手に使い、そういうコンプレックスを持つ者たちが徒党を組む。

 ダンスパーティひとつで何かを変えられるほど甘くはない。

 ただ、

「あの、クルス先輩」

「何だ?」

「フレイヤお姉さまのこと、その、ありがとうございます」

「……下級生が要らん事に気を回すな。自分の向上だけを考えろ」

「はい」

 少しだけ、

「紅茶」

「何か粗相がございましたでしょうか?」

「……良くなった。文句のつけようがない。……感謝するよ」

「恐縮です」

 ほんの少しだけ変わったこともある。クルスが何もせずとも溝が開き続けていた名門の、特にヴァナディースやナルヴィに近しい家柄の者たち、その内のヴァナディースに関してはダンスの一件以来、少しだけ溝が小さくなった。

 もちろん未だ大多数は、クルスの名を使い増長する(ように彼らには見えている)中流、下流の者たちへの嫌悪がそのままクルスへ向けられることにもなり、なかなかに学内を闊歩するのも面倒な状況ではあるのだが――

 なので、

「やはり、苦いですね」

「うむ。苦いのお」

 クロイツェル不在の時、または彼との稽古まで時間が空いている時など、クルスは勉強がてらグラスヘイムの書斎に逃げ込み、読書に興じていた。

 外界から隔離され、かつ自分にとって足りない知識も補給できるとあって、無駄のない行動消費が出来るとクルスの中ではホットな場所となっていた。

 ただ、相変わらず出された茶は苦く、美味しいとは思えないが。

 ちなみに本日の茶菓子はクルスがいつもお世話になっているため、購買区画で購入してきたものである。グラスヘイムは必要ないと言うが、これもまた小さいとは言え貸し借りに該当するため、少しでも負債を軽減するクルスの面倒くささが表れていた。この男もまた、なかなかの難物である。

「……名門はいつから名門なのでしょうか?」

「ふむ、難しい質問じゃな。武力を誇示する家がより力を得たのは、やはりダンジョンの発生とウトガルド、災厄の軍勢との争いがあってのこと。では、それ以前に格差はなかったかと言えば、人が共同体を形成する限り、否、動物が群れる限り、必ず上下はあったじゃろうな。力か、知恵か、はたまた他の力によるかは知らぬがの」

「……そう、ですよね」

 歴史を、名門が名門たる所以を調べるにあたり、とても難航することがある。

 それは――盛る、と言うこと。

 歴史とはその時代を生きた者がいなくなった時、記されたものが全てとなる。整合性は各書物を見比べるしかなく、よほど大きな事件でもなければ整合性を見るための共通点すらなかなか見つからない。

 となるとその独立した書物が『歴史の真実』となるのだが、これがまた極めて厄介なのだ。人間とは見栄を張るもの。例えば二百年前の見栄っ張りが「自分は戦士級の魔族が百体以上ひしめき合うダンジョンを攻略した」と書いてしまえば、一旦はそれを真実として考えるしかなくなる。

 実際のダンジョン発生など魔導学を通じ紐解いたとしても、突発型だったのでは、と意見が出た瞬間、もはや別の書物を当たり矛盾を探すしかなくなるのだ。

 この結果、今でこそ否定する向きは強いが、少し前までは騎士のレベルは昔に比べ弱体化した。昔は一騎当千の騎士がごまんといた。

 と言う話が真剣に信じられていた時代もある。

 この際面倒なのが、たまーにウルたちのような本物も混じっているから、全部が嘘だと言い切れない、と言う点も真実をわからなくしてしまう。

 そして、盛られるのは出来事だけではない。

 例えばもはやミズガルズ中に精通する英雄譚、黎明の騎士。彼の子孫と名乗る一族は、ミズガルズ中にこれまたごまんといる。

 ちなみにヴァナディースもそれに該当する。

 嘘も言い続ければ真実となる、を地で行くスタイル。それがまかり通り、今の時代名門面している家は沢山ある。これの精査が本当に難しい。

 何せ、昔々の家系図、当時に者がちょちょいと捏造していれば、今となってはそれが正しいのか、間違っているのか、判断しようがないのだ。

 黎明の騎士は世界を渡り歩き、足跡も不透明だから尚更厄介。

 このように歴史とは真実から最も遠い学問、なのかもしれない。

 数多くの書物が残っていても、それはただの点であり、繋がったとしても薄い線でしかなく、人の営みと言う巨大な空白を埋め切ることは絶対に出来ないから。

(……なるほど、学べば学ぶほどに、歴史というモノはわからなくなるものだな)

 歴史に詳しい者ほど断言出来なくなる。

 学べば学ぶほどに、歴史の中の真実は薄氷であり、単なる通説の一つでしかないのだと、知る。断言する者に賢者なし、それがこの界隈であった。

「しかし、じゃ。一つだけ言えることは、最初が騙りであったとしても、月日が経ち、それに相応しい振る舞いを会得した者はやはり名門であるし、その逆もまたしかり。大事なことは今この時、何がために生きるか、ただそれだけじゃよ」

「なら、今の世に名門など一つもないのかもしれませんね」

「ほっほ、スレとるのぉ」

 クルスの脳内の過るは、やはりフィンブルの一件である。あれが名門の、力ある者の振る舞いかと、今なお唾棄する思いであった。

 それに加担するしか選択肢を持たなかった自分にも。

「一つ言い訳すれば……名門と呼ばれる者たちも焦っておるのじゃよ」

「焦り、ですか?」

「うむ。最初は騙りであれ、力ある者のところに力が集い、身体能力、魔力に明確な差異が生まれておった。が、魔導革命により、その差を埋めんとする技術が多く生まれ、彼らの優位性が少しずつ薄れておるのじゃ」

「なるほど。確かに……大きな溝が、決裂が見受けられるのは、圧倒的に魔導革命以後、ですね。それまでは内心どうあれ、役割分担としては上手く機能していた」

「そう、それがかつての秩序で、これからは――」

 こんこん、滅多に来客が訪れぬこの部屋に珍しくも二人目の客が来た。

 グラスヘイムがいるいないにかかわらず、最近はよくここに顔を出すクルスであったが、自分以外の客がやって来たのは初めてであった。

「騎士科五学年、フレイヤ・ヴァナディースです」

「……っ」

 しかも、まさかのフレイヤ。

「うむ、入りなさい」

「失礼いたします」

 今はもう彼女は歴史の講義を取っていないはず。必然、グラスヘイムの下へ訪れる理由はないはずなのだが――

「クルス?」

「先生に質問があったからな」

「そう、でしたの。お取込み中であれば――」

「先生、こちらの本をお借りします」

「どうぞ」

「では、自分は失礼します」

「うむ。また来なさい」

 フレイヤの言葉を遮り、クルスは本を小脇に抱えフレイヤと入れ替わるように退出する。時間潰しを兼ねた勉強と深刻な表情の彼女。

 選ぶまでもない、と言う判断である。

「……感謝いたしますわ」

「用を終えただけだ」

 一言だけ交わし、クルスは歩き去る。

 残されたフレイヤはグラスヘイムに向き直り、

「その、変なことを申しても構いませんか?」

 要領を得ない質問を投げかけた。

「構わぬよ。老人は暇を持て余しとるでな。若者と話せる機会は何でも貴重じゃ」

 それに対しグラスヘイムは笑顔で頷く。

「わたくしの祖父が、本当にどうしようもなくなった時、窮した時、マスター・グラスヘイムを頼りなさい、と入学前わたくしへ言付を授けてくださったことを思い出しまして、その、話だけでも聞いて頂ければ、と思いこちらへ参じました」

「祖父と言えば……ニエルドであったか。覚えておるよ。やんちゃ坊主で、自信に満ちた少年であったの。わしの講義はいつも寝ておったわ。それは卿の父も同じであったか。其処から生まれたにしては卿も兄も真面目であるなぁ」

「きょ、恐縮ですわ」

 気合でこらえきれる時は頑張っているが、時折意識が飛んでいたため、あまり胸を張って起きていたとは言えないフレイヤ。

 無論、グラスヘイムはそれも込みで真面目だと言っているのだが。

「して、如何に窮しておるのじゃ?」

「……長く、なりますが、よろしいでしょうか?」

「言うたじゃろ、暇じゃ、と。おっと、折角の長話、こうしてはおれぬ」

 グラスヘイムは機敏な動作で奥へ引っ込み、すぐさま新しい容器にお茶を淹れて来た。その俊敏さは風の如し、普段の鈍重さが嘘のようである。

「粗茶じゃよ」

「そ、そんな、わたくしが押し掛けただけですのに」

「飲めばわかる。ほれ、ぐびっと」

「……?」

 フレイヤは首をかしげながら茶を口に含み、

「ッ!?」

 衝撃の苦みに顔を歪めながら、

「大変美味ですわ」

 きっちり賞賛してのけた。その反応を見てグラスヘイムはゲラゲラ笑う。

「いや、すまぬすまぬ。わしの悪癖に付き合わせてしもうた。これはわしの故郷の味でな。童の時分は誰しも、これが憎くて憎くて仕方なかったものじゃ」

「そ、そんなことは」

「よいよい。ただ、覚えておいて欲しいだけなのだ。この老いぼれが出した、嘘みたいに苦いお茶を。そんなものがあったことを、の」

 グラスヘイムは儚げに微笑む。遠い過去を望むかのように。

 まさに茶番を終え、

「では、この老骨を壁と思い、話してみなさい」

「……はい」

 フレイヤの話をグラスヘイムが受け止める。たくさん話した。グラスヘイムはただ聞き手に回る。その空間が心地よく、普段よりも口が回る。

 束縛の強い兄のことが嫌い。高圧的な父が嫌い。武門の女として何も主張せぬ母が嫌い。会ったこともない、本当に繋がりがあるのかもわからない何百人の縁戚、彼らとの繋がりが不自由で、苦しい。

 ユニオンへの憧れ。騎士の子なら誰しも夢見るが、ずっと前にそれが叶わないと知った。将来のことは飲み込んでいる。諦めている。

 だが、

「今は、今だけは、公平で、真っ当で、真っ直ぐでありたいのです。生まれも育ちも関係なく、ただ力のみが、ただ実力のみが、其処に在るべきだと」

 今は諦めきれない。努力し、這い上がった者を見てきた。それを必死に阻み、熱く抗った者たちを見た。彼らに感化され、強くなった者たちを見てきた。

 熱く、燃え盛る輪。其処に自分はいない。

「わたくしはただ、皆と共に在りたいのです」

「それが卿の願いである、か」

「……はい」

 特別扱いは嫌だ。平等に、皆と共に肩を並べたい。

 輪の中に入りたい。

 フレイヤ・ヴァナディースはただそれのみを願っていた。

「よく吐き出したの。よくここまでため込んだのぉ。ほんに我慢強い子じゃ」

 グラスヘイムは優しく彼女の頭を撫でた。よくこれまでただ一人で頑張った、と。彼女の静かなる健闘を称える。

「わしが力になれるかはわからぬ。見ての通り、枯れ枝の如し老いぼれゆえな。だが、人の泣く声を聴き、手を差し出さぬは紳士にあらず」

「……誰の言葉ですか?」

「遠い日の、ふふ、友の言葉じゃよ。名乗るほどでもない、ただの青年であった。生まれも育ちも平凡な、されど人より少しばかり、大きな力を持った、のぉ」

 思い出すように笑みを深め、グラスヘイムはいそいそと身支度を始めた。

「わしは彼から『騎士』を学んだ。今回は、そうじゃな。そのお返しじゃよ」

「……?」

「しばし待ちなさい。風向きを少し、変えてくるでな」

 きょとんとするフレイヤ。その眼を見て、グラスヘイムは苦く微笑む。自らの人生に悔いはいくつもあるが、その中でも最大の悔いを嫌でも思い出してしまうから。

 我慢強き男の限界を、見誤ってしまったこと。

 それは全てが風化した今も、胸の中に残り続けている。


     〇


 そのやり取りとほぼ時を同じくして――

「……何の用だ、デリング」

「対抗戦、出たくないか? リンザール」

 クルスとデリングもまた邂逅していた。

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