第163話:二年越しのダンス

 絢爛豪華な空間で幾人ものペアが華麗に舞い踊る。今日は年に一度の学校主催、ダンスパーティの日である。男女ペアを自主的に作ると言う地獄のような選別(不滅団視点)を経て、選ばれし者(不滅団視点)たちが表舞台に立つのだ。

 選ばれなかった者たちは、

「……あー、メシがまずいよぉ」

「この肉、塩が効き過ぎてらぁ」

「不滅団、入ります!」

 壁沿いに集まり地獄の住人達に取り込まれていくのだ。彼らは手ぐすね引いて待っていた。今日この日、同じ地獄を味わい魔道に堕ちる同胞たちの誕生を。

「泣くな、な。後日襲えばいいだろ」

「ぅぅ、はい」

 一年で最も勧誘が捗る時期。彼らは暗躍していた。

 その裏、いや、表で――

「クルス先輩、かっけえ」

 皆の視線を集めるのはクルス・リンザールとアマルティア・ディクテオンのペアであった。田舎者と侮ることなかれ、アマルティアは元々教養枠であるダンスは得意であり、リーダーもフォロワーも出来ちゃう名門の令嬢であるし、クルスはクルスで二年前の山猿時代とは異なり、この二年で作法礼節、何よりも姿勢が変わった。

 頭の先からつま先、指先まで神経を通わし、観る者に美しく見せるための所作は学習済み。講義で高評価を得るため、特に四学年の時はかなりやり込んだ。

 その経験が活きる。

「……確かに先輩は格好いいけど、何でディクテオンなんだろ」

「そ、そりゃあ同郷だからだろ。他意はないって」

「でもなぁ」

 ただ、雑音もある。

「ふっふ、面倒な状況になってきたなァ、レンスター」

「溝、深し」

 壁沿いで一緒にモリモリ食事をとるのはヴァルとフィン、二人はクルスたちを取り巻く視線について顔をしかめる。

「一般人クルス・リンザールの台頭で盛り上がる一般層。名門でなくとも、騎士の家でなくとも、金持ちでなくとも、上を目指せる。素晴らしいことだが、何事も行き過ぎれば毒となる。この場合はどっちもどっち、だが」

「本人の意図しない形で祭り上げられている」

「ああ。だが、それも必然だ。元々存在していた溝が、顕在化しただけ。別にあの男は何も悪くない。騒ぎ立てている者たちすら、なァ」

 一般人の星、それを錦の御旗として振り回し、上流の者たちへの武器とする者も少しずつ現れていた。学校は小さな社会とはよく言ったものである。

 クルスの努力、その結果が『革命』の灯になりかけているのだ。

 それは当然――

「……」

 クルスも理解していた。嫌な流れになりつつある。だが、自分を巻き込むなと言ったところで意味はない。そもそも名前を、実績を使われているだけで実際には巻き込まれてはいないのだ。言ってどうにかなる溝なら、こうも根深くはない。

 騎士の学校、その中でもトップクラスの名門には優秀な人材が集まる。平均を取ればどうしたって身体能力、魔力に秀でる名門出が多くなるのも必然。

 あらゆる条件が違う者同士、仲良く手を携えるか。

 それが出来るのなら、

(フィンブルのような悲劇は生まれない、か)

 人の世に争いなど生まれない。

 クルスから見ても深い溝。その原因の一端は自分にあり、多少の労力でどうにかなるのなら綺麗にしたいが、簡単ではないことは明らか。

 それに、自分だけが何かをしたところで意味がないのだ。

 双方が歩み寄らねば――

「マスター」

「ん?」

「ダンス、上手くなりましたね」

「練習したからな」

「実は私も頑張ったことがあるんです」

「何を?」

「実はですね……私、昨年度末から、学年ビリじゃなくなったんでっす」

「……本当に?」

「アマルティア、嘘つかない」

 にわかには信じられない話である。アマルティアは三学年で出会った当初、あの白紙の自分をして戦慄するほどに真っ新な状態であったのだ。しかも勉学自体に興味がなく、ちょうちょのことしか頭にない始末。

 最近妙にまじめだとは思っていたが、

「……凄いな。努力の成果だ」

「マスターのご指導ご鞭撻のおかげです」

 こんなところにも努力の花が咲いていた。クルスはかすかに相好を崩す。自分のおかげとは思わない。去年の冬から今年にかけて、自分は事務的にしか接しておらず、彼女の成長を把握すらしていなかった。

 あまつさえ課題など少し難しいものはフレイヤかイールファナ辺りに手伝ってもらったんだろう、とすら思っていたのだ。

 その偏見を、クルスは恥じる。

「つきましては一つお願いがありまして」

「出来ることなら」

 今の自分には割ける時間も、リソースも限られている。別に誰が定めたわけでもなく、誰に縛られているわけでもないが、自分でそう決めたのだ。

 凡夫の己が自分を優先せずしてどうする、と。

 だから、少ししか割けない。一日、は多いので半日、ちょうちょ探索に付き合う、辺りか、とクルスは読む。出来れば二時間ぐらいに収めたいが――

「フレイヤちゃんを誘ってください」

「……」

 予想もしていない願いが、来た。

「みんな仲良く、それが一番でっす!」

「……俺は君に謝らなきゃいけないな」

「なんでですかー?」

「……内緒だ。何故だろう、君には一生敵わない気がしてきた」

「ふっふっふ、弟子の成長に慄いていますねえ」

「ああ。本当に」

 成長、ではない。きっとクルス・リンザールがアマルティア・ディクテオンをしっかりと見つめたことがなかった。見ようとしたことがなかった。

 ただそれだけなのだ。本当に己は自分ばかりだな、とクルスは苦笑する。

「区切りの良いところまで……少し大きく動くぞ」

「はぁい!」

 これだけ踊れるのなら、きっと身体能力も低くない。そんなことを今更知る。自らの視野、その狭さに呆れ果てる。


     〇


「……」

「どうしましたか、デリング様」

「いえ、何もございません。殿下」

「殿下だなんて……その、ビルギット、とお呼びくださいまし」

「そういうわけには」

 デリングは今、舞台の中心でアスガルドの第二王女であるビルギットと踊っていた。誰もが知るデリングの婚約者であり、ナルヴィにとって家格を上げるこれ以上ない機会が、デリングの手の中に在った。

 自分は彼女と添い遂げる。初恋に関してはとうの昔に飲み込んだが(自称)、さりとて王女が何故自分を選んだのか、その理由すら己は知らないのだ。

(顔が理由だったら……まあ、何でも同じか)

 彼女に望まれた時点でデリングの選択肢は消え去った。数多あった可能性が消え、ただ一本のレールだけが其処に伸びる。

 鍛えた技を振るう機会すらない。近衛とはそういうもの。

 だから、自分には何も出来ない。

 ただ――

(感謝する、リンザール)

 頼むことしか。


     〇


「フレイヤお姉さま」

「あら、意中の殿方はいませんの? 踊ってらっしゃいな」

「そんな、出来ませんわ」

 フレイヤの遠縁であり、金髪ドリルがチャームポイントの後輩が辛そうな表情でフレイヤを見つめていた。ヴァナディースであるがゆえの苦しみ、不自由、その末席であるからこそ彼女にはわかる。痛いほどに。

「フレイヤ、僕と踊らないかい?」

 貴族科の男がフレイヤに声をかける。彼もまたヴァナディースに近しい貴族の家であり、名門の子弟が集まる倶楽部アスガルドの一員でもあった。

 そんな彼が差し伸べた手を、

「ごめんあそばせ。踊る気分ではありませんの」

「そ、そうか。周りの目など気にするなよ。君は正しい。何も間違っていない。胸を張っていいんだ。どうせ貴族のことなど彼らにはわからんさ」

「……言葉が過ぎますわ。この学び舎にいる限り、我らは等しく学生ですもの」

 どの口が、とフレイヤは心の中で自嘲する。等しく、公平、今の自分は其処から一番かけ離れている。今日は兄のように不参加とするべきだった。

「う、うむ。そうだな。その通りだ。少し頭を冷やしてくるよ」

「お誘い、嬉しかったですわ」

 浮かれて、踊って、そんな姿を見られたら、この溝はより深まるばかり。

 悪いのは自分、公平であれないヴァナディースのお人形の――

「随分暇そうだな」

「え?」

 そんな自分の前に、

「一曲どうだ? ちょうど俺も暇になったんだが」

 クルス・リンザールが現れた。あの頃とは違う。背は今もフレイヤの方が大きい。ただ、その差は随分縮まった。何よりも立ち姿が、全然違う。

 彼はもう、ただ其処に在るだけで騎士である。

「誘う相手、間違えていますわよ。ファナとか」

「ファナなら今、そこでアマルティアと踊っている。イールファスは飽きて部屋に帰ったそうだ。と言うか――」

 クルスは差し出した手を伸ばし、無理やりフレイヤの手を掴む。

「力を貸せ。俺はこの状況が気に食わん」

「……は、はい」

 そして引っ張り、力ずくで舞台へ上げる。

「なんで?」

「え、クルス先輩と、フレイヤ先輩が?」

「どうして?」

 名門も、そうでない者たちも、誰もが困惑していた。今、勢力としては敵対しているはずの代表格である二人が、仲良く、は見えないが手を繋いでいる。

 その光景は、今だからこそ衝撃となる。

「ヒュー。やるねえ、クルスのやつ」

「うん、格好いい、ですね」

「でしょ?」

 ディンは満面の笑みで二人を見つめる。

「あいつ、ああいうとこあるよねえ」

「うん。クルス君の良いところ、だよ」

「イキリ、とも言う」

 ラビ、リリアンは二人仲良く壁沿いで二人を見つめていた。その眼は穏やかで、そう来なくっちゃ、と歓迎している。

「た、対象が動きましたよ!」

「あの二人は良い」

「抹殺……え?」

「今日は、許す。俺らは純粋に、人の恋路を踏み躙りたいんだよ」

 不滅団すら動かなかった。

 五学年の皆に驚きはない。クルス・リンザールを知っている。フレイヤ・ヴァナディースを知っている。彼の歩みを、彼女の歩みを、見てきた。

 何も知らない者たちが作る溝など知ったことではない。

 努力し、常に向上する姿勢。それを持つ二人に貴賤などあるものか。

 其処に壁は、無い。

「先輩は、変わらないなぁ」

 かつて入試の際、差し伸べてくれた手を後輩である彼女は思い出す。

 やっぱり、先輩は格好いいのだ。

「踊るぞ。俺のリードについて来られるか?」

「……あら、どの口が吼えていますのやら」

「そう来なくてはな」

 クルスが引っ張り、フレイヤがついて行く。リード&フォロー、ダンスの基本である。二年前、クルスはその役割を満足にこなすことが出来なかった。しかし今は、この場の誰よりも正確無比に相手を導くことが出来る。

 その成長を感じ取り、フレイヤの貌から笑みがこぼれた。

 ステップから土の匂いが消え、高貴さすら漂う。軽やかに、柔らかく、美しく見せる動きと言うのは、とかく身体にとって負担となる。

 それを平然と行うから、

「わぁ、きれー」

 騎士の踊りとは超常のものと化す。

 一学年の子がつぶやく。純粋な、気持ちが零れ出てしまった。だが、周りを見て咄嗟に口を閉ざす。これが原因で苛められたら、そう思ったから。

 そんな彼女に、

「思ったままでいいわよ。その程度で苛められたなら、このミラ様を頼りなさいな。男女問わず顔面へこましてやるから」

 ミラが助け舟を出す。今はあの二人を邪魔したくなかったから。自分もかつて、クルスのあの眼に救われた。前は無知ゆえのものであったが、今は知ってなお、分別を得てなお、飲み込んでいない。

 そのままでいて欲しい。彼女は切にそう思う。だから、そうした。

「へ、あ、はい」

「今、何でもいいから殴りたい気分だし」

「……」

 台無しである。

「よォし、いっちょう添え物になってくるとしますかァ。暇だろ、デゥン」

「……今日だけね、ヴァル」

 騎士の踊りをこれでもかと示すペア、二人を彩る脇役となるべく、ヴァルとフラウもまた其処へ参戦する。

「やるぞ、フィン!」

「え、嘘だろ。おい、やめろ」

 アンディもまた力ずくでフィンを引きずり出し、無理やり躍らせた。これに関してはアンディの思い付きが悪い。しかも自分がリード役で、男が不慣れに決まっているフォロー役を押し付ける始末。

 それでも踊れてしまうところが、センスマンたる所以であるのだが。

 五学年の面々が思いっ切り踊る。たかが踊り、されど踊り、刮目せよ、これが鍛え上げた五学年の動きだ、お前らに出来るか、と誇示するかのように。

 名門だ、一般だ、関係がない。

 大きく、

「反応、遅い!」

「わ、わたくしに指図を……百年早いですわ!」

 強く、

「ストレッチ足りてるか? 可動域が狭いぞ」

「ふぉ、フォローの厳しさ、今度叩き込んで差し上げましょうか?」

「使わんし要らん」

 華やかに、軽やかに、柔らかく、美しく。

 優雅に、紳士たれ。

「ふふ、あんなフレイヤの顔、初めて見ましたわ」

「……自分もです」

 デリングとビルギットの視線も引き寄せ、

「もっと!」

「やらいでか!」

 無理やり自分たちが場の中心となる。

「……」

 二人の踊りは、

「……強くなりましたわね」

「ああ。だが、まだまだだ。そっちは?」

「……ええ。まだまだですわ」

 その場全員を黙らせた。

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