第146話:クソみたいな『現実』

 クルスは粛々と、淡々と刃を振るう騎士たちを見て言葉を失っていた。覚悟を決めていた。昨日、一睡もできずに固めたはずの覚悟が、決意が、揺らぐ。

 悲鳴が飛び交う。怒号が飛び交う。

 彼らは、彼女たちは、殺されるようなことをしたのだろうか。王国の、秩序の、騎士の理屈ではそうなのだろうが、それは果たして正しいと言えるか。

「助け――」

「……」

 とてもこの光景を、正しいのだと飲み込む気にはなれなかった。

 きっと、

(……俺は――)

 生涯、この景色は残る。

「クロス、いや、これは偽名かな? 秩序の騎士!」

 この混乱の中、クルスに声をかけて来た男はヤルナの夫であった。当たり前だが怒り心頭、言葉が通じるような状態ではない。

 そもそも、今のクルスに何の言葉があろうか。どんな言葉でも、きっと彼の怒りを掻き立てることにしかならない。

「君には、真っ先に殺された彼が散々理屈を説明したはずだ。あれでは足りなかったか? もっと誠意を尽くすべきだったか? なあ、教えてくれよ!」

「……」

「黙秘か。何処までも……腐っている!」

 男の手には、

(……騎士剣。エントリーモデルの、おそらくは中古、か)

 かつて魔導量販店で見た二十万リア相当の騎士剣が握られていた。使い古された状態から、新品ではないと判断する。あれだけ振られた状態を、剣タコ一つない彼の手で作ったとは考えられないから、おそらくは中古と判断。

 中古での価格は――約十万リア程度か。

「……無意味です。やめてください」

「無意味? ならば、座して死を待てと言うのか? 君は若いな。戦闘にも参加していない。君を殺せば……生きる道はある」

 クルスはちらりと背後を見る。自分の背後には出入り口がある。他の三人は窓などの『非常口』を抑えつつ、迅速かつ粛々と切り伏せこちらを見ていない。

(いや、見ていないわけがない。俺が道を空けたなら……彼らは当然のようにその穴を塞ぎに来る。退く意味はない。ないんだ、何も)

 自分が何をしようと、彼らの仕事にクルス・リンザールは勘定されていない以上、それを除いてなお殲滅し切る算段が組まれていると言うこと。

 だから、抵抗に意味はない。

「魔力を伝導し……よし、点灯した!」

「……」

「生きるんだ!」

 切なる願い。それと共に男が突っ込んでくる。鍛え上げ、磨き抜いたクルスの目には微塵も脅威に映らぬ、ただの人が向かって来る。

(……俺は、どうすべきだ?)

 今のクルスならどうとでも出来る。剣を打ち落とすことも、剣を持たせながら腕を、足を断つことも、無力化の手段は無数にある。

 そして、彼に座して死を待てと言う。

(言えるかよ!)

 クルスはかわす。かわす、かわす、かわす、捌きで対応する。それは選択を先延ばしにする行為。クルスは今、選択から逃げていた。

 殺せるが殺したくない。

 この人たちがせめて、間違っていたと言えるなら、きっとこの刃を振り抜くことは出来る。そのための努力を積んできた。対魔が正道とは言え、対人もまた仕事のうち。殺す道理があれば、剣を振るうことが出来たはず。

 でも、昨日の説明は飲み込めなかった。

 だってクルスは、元々彼ら側の住人だったのだ。運よく『先生』に出会い、運よくアスガルドに見初められ、こうして騎士側に立っているが――

 今、剣を振っている相手が自分と重なる。

 その後ろで、

「○○○!」

 夫の名を叫ぶヤルナが、エッダと重なる。

 吐き気が込み上げてくる。何が覚悟を決めただ。何も決まっていなかった。周囲を見逃さぬ俯瞰の目が、続々と殺戮の情報を届けてくる。

 初めて、心の底から見えてくれるなよ、と思った。

 苦しい。辛い。逃げ出したい。

 何も知らなかった。何もわかっていなかった。

(……もう、いい。騎士に、成れなくてもいい。それなら……あるじゃないか。唯一、目の前の人を、まだ殺されていない人たちを、少しでも救う方法が)

 吐き気を飲み込み、クルスの身から戦意が薄れる。逃避の果て、クルスは自身にとって最悪の選択を思いつく。

 されどそれは――

(俺があの三人を止める。確かに物凄く強い。特にアントンさんは頭一つ抜けている。でも、だけど、手も足も出ないとは思わない。守戦に徹すれば、しばらくの間なら三人、まとめて……やれる。やってやれないことなど――)

 今、不条理にさらされている者たちにとって唯一の活路であった。この中の異分子、クルス・リンザールの心変わり。

 何かを察し、アントンらは一瞬だけ視線を向け、逸らした。

 さすがに反応が早い。クルスの僅かな敵意すら、この混戦の中で見逃さぬ視野と嗅覚。まあ、敵が弱過ぎるから余裕もあるのだろうが。

 問題は――

(何で、逸らした? 俺が敵に回ったところで問題ないと? 其処まで差はねえだろ。だって自分たちで言っていたじゃないか。大きな差はない、って)

 クルスの敵意を感じ取ってなお、無視で良いとした判断。クルスの目算が間違っている可能性はあるが、少なくともダンジョンでの彼らを観察した上で、防戦に徹したならしばらくはしのげるとクルスは考えた。

 その考えは大きく外れていないはず。

 それこそ相手が力を隠していたとかであれば別だが。

 もしくは、

(……あっ)

 別の理由がある。先ほど出入り口を確認した時にはいなかった。何という間の悪さ、何という悪意に満ちた偶然。

 出入り口には今、

「……」

 笑顔で閉じられた扉にもたれかかる、レフ・クロイツェルがいた。だから彼らは問題ないとクルスの存在すら切り捨てられたのだ。

 何故ならクルスが反抗しようとも、クロイツェルならすぐさま処理が出来てしまうから。あの悪魔の笑みを、今のクルスは取り除くことが出来ない。

 だから、もう、本当に、無意味となった。

「ひぃ!?」

「そんな、彼らは――」

 クロイツェルの騎士剣、鞘に納められたそれには今、幾人かの首が首自身の髪を使って結われ、持ち運びできるようになっていた。

 クルスは知らないが、彼らは秘密裏にこの団体に協力してくれていたフィンブル王国の騎士であった。クロイツェルのネズミ捕りは、昨日の今日で決まった殺戮の報せに驚き、彼らを救うべく動いた騎士たちの抹殺、であったのだ。

 完璧で無駄のない段取り。おそらくは今頃、彼らに肩入れした貴族も王宮で吊るされているのだろう。

 革命の火は、完全に断たれた。

 いや、この悪魔が断ち切ったのだ。

「終わり、だ」

 希望はない。

 だから、

「すいません」

「えっ!?」

 クルスは相手の騎士剣に騎士剣を合わせ、そのまま手首を回して相手の騎士剣を絡み取る。宙に跳ね上げ、男から武器を奪い取った。

「……なんでだよ、私たちはただ、ただ、国をよくしたいと思った、だけなのに」

「……」

「斬らないのかい?」

「……っ」

「はは、君は、罪悪感を覚えているのか。安全圏から、高みから、見下ろすだけでは飽き足らず……卑怯な男だな、君は」

 俺だって本当なら、喉元まで出かかった言葉をクルスは飲み込む。もう、クルスはどう転んでも騎士で、秩序側なのだ。今更、生まれがそうであるからと言って彼らの側に立つことなど出来ない。

 いや、命を捨て、無意味な抵抗をするなら、出来なくはない、が正しいが。

「ヤルナだけは助けてくれと言ったら、君は聞いてくれるかい?」

「……俺が何をしても、無理です」

「そうか。はは、彼女には悪いことをしたなあ。こっちに来なければ、私の嫁になど来なければ、苦しくとも生きていくことは出来たはずなのに。まあ、それも、君たちのおかげでご破算。きっと、たくさん死ぬだろうね。農村も、そうなる」

「……」

「君たちが、フィンブル王国を滅ぼした」

 怒りが、憎悪が、クルスへ向けられる。行き場を欠いた感情の発露は、目の前の敵へ、秩序の犬へと向けられていた。彼らには経緯などどうでもいい。知らなかった、そんなつもりはなかった。そんな言い訳関係ないから。

「その事実を刻め。それが、せめてもの――」

「クロスさん。昨日の言葉、撤回しますね」

「「ヤルナ!」」

 落とした騎士剣、それをヤルナが拾い、

「貴方は仲間じゃない。貴方は、敵です」

 クルスへ向けて突きの構えを取り、ただ突っ込んでくる。騎士剣は上手く作動している。きちんと殺傷力を備えた兵器である。

 だが、やはりクルスならどうとでも出来る。

「生きる。みんなで、明日、笑顔で、お腹いっぱいに!」

 歯を食いしばり、決死の形相で向かって来る彼女が、またしても幼馴染に被った。この瞬間まで揺らごうとも、やはりクルスには隙が無かった。殺されることはもちろん、無力化されることもなかった。

 この、瞬間までは――

「ヤルナァ!」

「……しまっ!?」

 男もまた決死の形相で、クルスを拘束する。じゅう、と展開されたクルスの騎士剣に触れながら、腕を回し、痛みに耐え、死に物狂いで。

「守るんだ、私が、俺が、生涯守ると、誓ったからァ!」

「く、そ!」

 死を覚悟した者の力。筋力では勝るが、そもそも魔力に関してクルスは一般人並、振り絞った一般人であれば、その一点では拮抗し得る。

(……刃筋を立て騎士剣を繰れば、逃れられるけど)

 それをすれば間違いなく相手は死ぬ。殺すことになる。

 ヤルナの剣、素人が振る剣を選べば、致死を免れる方法はいくつかある。刃筋を立てねば、騎士剣は上手く切れない。切らせない手はあるが、突きの場合は話が別。素人のそれでも充分殺傷力を有する。

 魔族をも易々と断ち切る現代の騎士剣。その性能が牙を剥く。

(殺すのか? それしかないのか? いや、俺が殺さなくても先輩たちが、マスター・クロイツェルが必ず殺す)

 だから殺しても仕方がない。理屈はわかっている。ここで我を通す力がない以上、何をどうしたって彼らを救う道はない。自分が今殺されたところで彼らは死ぬ。なら、それは自己満足にしかならない。

(殺したくない。殺したく、ない)

 エッダとの日々が、ヤルナと重なり殺意をへし折る。事前に用意してきた覚悟など、実際の体験の前には何の意味もなかった。

 殺すか、殺されるか、クルスはその狭間を彷徨う。

 ほんの僅かな時間が永劫のように感じられた。

「……」

 クルスの状況を見て、フォローに回ろうとしたアントンらであったが、それは唯一の希望である出入り口を封鎖する悪魔のような男が手で制する。

「……クロイツェル!」

 その貌から、その眼から、言わずとも伝わる。

 ここからが良いところだ、と。

(俺はただ、『先生』みたいな、格好いい騎士に成りたかっただけなのに)

 この剣を振るったが最後、理想には届かない気がした。かつての自分が抱いた騎士、其処には一生触れられなくなる。

 穢れ無き、純白の、正義の味方。

 何でも良かった。それでも騎士が良いと思えたのは初めて出会ったこともあるが、田舎者の、何も知らぬ少年にはそれが輝いて見えたから。

 『先生』が剣を構えた姿が心底綺麗で、胸を打ったから。

(……ああ、成れないのなら、もう――)

 自分の死で少しでも彼らの溜飲が下がるのなら、それには少しの意味はあるのかもしれない。ただでさえ薄かった殺意が萎える。

 心が折れた。ぽっきりと、あっさりと、消える。

 執着が失せ、

「……良い子や」

 身体が勝手に動いた。生存本能ではない。ただ、習慣が、身体に染みついた武が、身体を動かしただけ。

「……え?」

 刃筋を立て、拘束を内側から断ち切る。当然、拘束していた男は真っ二つに両断された。末期の叫び、それを放つ暇すらなく。

「う、そ。いや、いやぁ」

「ちが、俺は――」

 直前まで迫っていた突き。クルスは両断した男の半身を使い、騎士剣の軌道を逸らす。ヤルナは何が起きたのか、わからぬまま――

「俺、はァ」

 一閃。

 身体に染みついた必殺のカウンターが彼女の首を刎ねた。手に残るは会心の手応え。するりとした抜け感。それが騎士剣で命を奪う感覚。

 あまりにもあっさり、あまりにも小さな手応え。

 こんなに軽いのか、人の命は。

「なんで、だよぉ」

 騎士に成るための日々が、足掻きに足掻いた日々が、クルスを死なせない。ただの人に、人を超越した騎士を殺すことなど出来ない。

 現時点でもクルス・リンザールは――騎士の上澄みに位置するのだから。

 御三家アスガルドの上位クラスとはそういう次元の生き物。騎士に成る前から人を超越している。百人いようが、千人いようが関係ない。

 同じ装備なら、負ける道理がない。

「おめでとう! これで童貞卒業や! これは、僕からのささやかな、プレゼントやで。ありがたく受け取って……さっさと生まれ変われ」

 クロイツェルは出入り口を開け放つ。

 そして、

「命令や。ここ、ジブンが死守せえ」

 悪魔が仕上げとばかりにわざわざ人々に希望を、かりそめの光を与えた。地獄に垂れた一筋の糸。それに縋らない者はいないだろう。

「あ、え、俺、が?」

「僕の命令はァ?」

 絶対。そう、決めた。決して軽い気持ちではなかったけれど、でも、間違いなくこんな景色を想像していたら、返事は違ったものになっているはずだった。

 だけどもう、決めてしまったから。

 何よりも、

「……」

 手にこびりついた血と、かすかな手応えが、クルスの退路を断つ。

「イエス・マスター」

 開かれた出入り口へ向かい殺到する人々。クロイツェルが手を引いた今、その底に蓋をするは悪魔と契約を交わした愚者、クルス・リンザール。

 もう後戻りは出来ない。

 だから、

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 押し寄せる全てを捌いた。

 自慢の堅守を使うまでもない。ただただ、一方的な殺戮。喧噪に満ちた世界が静寂で満たされるまで、血に染まった騎士剣を振るう。

 心が壊れていく。徹底的に、粉々に。

 まだ足りていなかった。契約の日ですら未完成だった。

 今日、ようやく――

「はい、完成。よぉ出来ました。花丸やるでぇ」

 クルス・リンザールはレフ・クロイツェルの作品に成った。

「……」

 血だまりの中、クルスはただ何もない虚空を仰ぐ。静かになった。声が聞こえない。百人もいたのに、もう、何も――

「我を通すには力が要る。このカス共は初めから間違えとったんや。言葉で、会話で世界を変える? あかんあかん。人間なんぞ獣と一緒。暴力以外信じたらあかんよ? ただそれだけや。信ずるに足るんは」

「……クソですね、人間って」

「今更やな。ええか、偉い人が言うとった。ペンは剣より強し、ってなぁ。世の中皆感銘を受けとったわ。これぞ魔導革命がもたらした新たな世界やって。ちなみにそれ、何処の誰の言葉やと思う? 正解はレムリアのジャーナリストや。アホかい、世界最高峰の武力背景にした言葉はそら強いわ。同じ言葉をここのカス共が吐いてみい。失笑やで、ほんま。それが世界の真実、力だけが真実。それ以外は幻想や」

「……この仕事、一千万リアですよね」

「せや」

「百人の命……中古の騎士剣一本分ですか。クソ安い、安過ぎる」

「ええ計算やなぁ。十万リア、それがこの国の民の値付けや」

「カス過ぎる」

「ほな、どうする?」

 クルスは怒りも、嫌悪も、負の感情全てを込めて、

「カス以下の、俺の値段上げるしかねえだろ。無駄な質問してんじゃねえよボケ」

 踏み越えるべき高みの一つを見据える。

 我を通す。自分にとって力の象徴である男を。自分の道理を通すなら、眼前の男をも踏み越える覚悟が要る。

 今、より強く思った。

 誰よりも強くなりたいと。そうして初めて、通せる道理があると知ったから。

「それでええ。行くでカス共、次の仕事や。『五人』で、この夏は稼ぐでェ!」

「「「「イエス・マスター」」」」

 クルス・リンザールは折れた、壊れた。

 そして新たに黒い炎が彼を打ち直し、再誕する。

 捨てるは理想、得るは現実。

 目指すは――


     〇


「夏、何があったんだ!?」

 風呂場で刺激された古傷。手に残る感触を確かめながら、

「……別に、何も」

 ただ現実を知っただけのクルス・リンザールはそう答えた。

 別に大したことではない。無知ゆえに目が届かなかっただけ。知らなかっただけ。夢物語の理想など無く、ただ現実のみが其処に在った。

 クソみたいな現実を知った。ただそれだけ。

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