第145話:〇〇みたいな経験Ⅲ
クルスはただただ地に伏し、耐え難き現実を飲み込めずにいた。クロイツェルの去った書庫は誰も口を開かない葬式のような有様。
誰もクロイツェルの発言を、彼がいなくなったのに否定しない。それがよりクルスの心を苛む。あの発言を彼以外も正しい、と思っているのだ。
どう考えても間違えている。
どう考えてももっと良い道がある。
それなのに――
「……なん、で」
絞り出した言葉は弱々しく、小さかったが無音の書庫ではよく響いた。
「……理由はいくつもあるが、ユニオンがこの仕事を請けた理由は一つだ。これが小さくとも、王権を揺らがせる革命である、と言うこと」
その絞り出した声に、アントンが反応する。
「彼らは、王権に触れようと、していないじゃないですか」
「最初はな。だが、一定の権利を得て、その先も簒奪を目論まぬとは言い切れない。そもそも彼らがどう考えるかは関係ないんだ、クルス。外からどう見えるか、ユニオンが危惧している理由はその一点。革命か否か、それだけだ」
「だから、それが何でだって聞いているんですよ!」
憤りが閾値を超え、クルスは怒りをあらわとする。そもそもクルスには理解出来ないのだ。こういった革命を否とする理由が。
正当なやり方で、真っ当な理由がある。
なら、それは正しい。絶対的に、正しいはずなのだ。
「……ユニオンと言う組織の財源には各王国の協賛金がある。都市運営にもかかわる重要な財源、割合も大きい。魔導革命以降、こういった革命の火はいくつも立ち上った。だが、今もこのミズガルズは王制が大半を占めている」
「……全部、ユニオンが?」
「全てではないが、王国の要請を受け多くに介入したことは事実だ。産業が複雑化し、企業や私人が力を持ち、王権の威光は少しずつ薄れている。もしかしたら、王制の維持は正しいことではないのかもしれない。現に革命の多くは、裏に勢いある国際的な企業が絡んでいる。今回なら、リヴィエールだな」
「……リヴィエール」
自分に興味を示してくれた騎士団である。そのバックボーンには国家を股にかける巨大商会がある、と説明を受けたことを思い出す。
「彼らが資金提供をする理由は、当面は議会の一部に食い込み自分たち主導の再開発を行うことだろうが、最終的にこの国を傀儡とし、企業が国家を所有することにある。自分たちありきの国家を構築することで」
「……そもそも、現状駄目なんですから、それの何が悪いんですか?」
「何処に視点を置くかだ。市民側からすれば統治者が変わるだけ。むしろ良くなる可能性は高い。企業側にとっても土地や人を自由に出来るのはデカい。だが、王侯貴族にとってはそうじゃない。彼らにとっては奪われるだけ、だ」
あまりにも身勝手な理屈。そもそも彼らがしゃんとしていればこんな状況にはならなかった。それなのに、今更身を削ることすらしようとせず――
「何度も言うが、ユニオン騎士団のメインスポンサーは王国だ。それを少しでも是正しようと企業や宗教案件を優先している騎士隊もある。第十二騎士隊などは顕著だ。だが、メインは王国で、彼らの意向が最優先される。それが現状で、現実」
要はアスガルドも、イリオスも、ログレス、レムリア、その他多くの『王国』全てが共犯である、と言うこと。
もちろんその尖兵であるユニオン騎士団もまた、同じ。
「自国のことは、自国でどうにかすべきでしょう」
「出来るならそうしている。出来ないから、俺らに依頼が飛んでくるんだ」
若手騎士の一人が口を開く。
「ここまで酷いとな、自国の騎士すら信用できなくなる。自国産の騎士ならいいけど、この国で育成された騎士なんて素人に毛が生えたようなもん。んで、他所から出戻りしてきた優秀なやつは、他所を知っているから信用できない。正しい連中になびく可能性がある。今じゃ採用すらしてねえだろ。怖くてな」
もう一人が引き継ぐ。あまりにも、度し難い話を。
「外部で、金で雇った連中の方が信用できる。皮肉な話だが、それもまた現実だ」
「……酷過ぎる」
事実は小説より奇なり。悲惨過ぎる現状は容易にクルスの想像を超え、ただただ言葉を失うばかり。
自分はイリオスを田舎だと思っていた。自分の国が豊かだと思ったことも、自分がそれなりに恵まれた環境であったとも、思ったことがなかった。
あの国は大したことない国で、その中でもゲリンゼルは最悪最低。
そんな間抜けなことを信じていた。
何も――知ろうとすらせずに。
「一千万リアだ」
「ちょ、アントンさん! 金の話は」
「良いんだ。人工は四名、納期は余裕を見て四日、実働はこの調子なら二日だな。交通費はここが先のダンジョンとこれから向かうダンジョンの中間地点であるから団としての出費は無し。もちろん請求はしているが……コミコミざっくりと一千万リア。一人頭二百五十万リアの稼ぎだな」
「なんで、それを、今」
「明日、見学するなら頭に入れて見据えろ。これが安いか、高いか」
「……」
仕事の価値。いや、
「去るなら今の内だぞ。今なら、戻ることが出来る」
命の、値段。
「け、結局、こういうのが、騎士の仕事、なんですよね?」
「ユニオンは特殊だ。その中でも第七はもっと特殊だ。正直言おう、こんなクソみたいな仕事、多くの騎士隊は請けない。今案件が詰まっている、とか言い訳してな。と言うか、他の騎士隊に依頼できる額をこの国は用意できん。うちみたいに仕事と仕事の合間を埋める、片手間かつ少数だから一千万程度で収まっているだけ」
「こ、断れた、んですか?」
「ああ。だが、あの男は断らない。無駄を省き、少しでも稼ぐ。一千万と言う小金をも取りこぼさずに……安い仕事は多くとも、今のユニオンで個人として一番数字を出しているのはレフ・クロイツェルだ。だから、あんなのでも副隊長なんだよ」
誰よりも稼ぐ。だから出世した。
「国営の騎士団ならもっと違う。基本は騎士って高級品だし、それなりの国にとっては憧れの、キラキラした存在でなければいけないわけ。多少汚れ仕事もあるだろうけど、今回みたいに本当にヤバいのはたぶん、騎士ではなく別にやらせる。自前の兵士か、それとも俺たちみたいなのかは、わからんが」
若手騎士もクルスの背を押そうとする。ここから先は地獄、今引き返せば何も見ずに、何も知らずに、綺麗なままでいることが出来る。
騎士人生、仕事である以上清廉潔白であり続けるのは難しいかもしれない。それでも、ここまで汚れることはない。
今、逃げれば――
「……」
「誰も責めんよ。クロイツェルには上手いこと言っておく。こんなのでも元上司だ。少しぐらいは言って聞かせるさ」
見ずに済む。知らずに済む。
だからこそ、
「……俺が逃げても、この仕事は続くんですよね」
「もちろん」
「これから先も?」
「ああ。すでにこの夏もあと二件、似たような案件が入っている」
「……じゃあ、意味ないでしょ」
クルス・リンザールの中に逃げると言う選択肢は生まれなかった。
逃げても何も変わらないから。
「明日はお仕事、見学させていただきます」
「……そうか。なら、もう何も言わん。明朝、人払いが完了次第動く」
「イエス・マスター」
見たことがない。聞いたことがない。知らないことで得る恩恵など要らない。
だから、クルスはその選択肢を取る。そもそもクロイツェルの手を取った時点で、逃げると言う選択肢は削ぎ落としてある。
〇
明朝、騎士たちは動き出す。
前日の内にリヴィエールとはクロイツェル自ら話を付けており、偽の情報を彼らに流してある。いや、厳密には偽の情報ではないが、とにかくその情報が彼らを一所に集まるはず。彼らは疑いもせず、嬉々として待っていることだろう。
其処に来るのが騎士ではなく、王の使者だと疑わずに。
「アントンさん、副隊長は?」
「ネズミ捕りだ」
「あー、なるほど。今頃全力でしょうしね。彼らと接触しようと」
「そうだな」
クルスにはわからぬ会話だが、若手騎士はそれだけで理解し、クロイツェルの不在を飲み込んだようである。
今、此処には三人の騎士と従者が一人。
「お待ちしておりました。すでに周辺の人払いは済ませております」
衛兵の部隊長と思しき男がアントンに話しかける。
「ありがとう」
「今、集会場には百名ほどおりますが、その」
「その?」
「四名で、大丈夫なのでしょうか? 我々もそれほど、人数がおりませんので、もしもの場合、大変な――」
「ご安心を。もしもはありえません」
「……」
「あなた方はただ、我々の討ち零しを処理すればいいだけ。それも、させる気はありませんが。では、失敬。今から仕事に入りますので」
「は、はい」
小便をちびりそうなほど青ざめた表情、秩序の騎士に対しての怯えがありありと浮かぶ視線をクルスは見る。
これが普通の人の視線。
これが秩序の騎士と言う暴力への畏れ。
「準備は?」
「「いつでも」」
「では、始めよう」
言葉少なく、アントンは集会場の扉を開ける。
多くのざわつき、喧噪の量が人の多さを示す。覚悟を決めたはずの、逃げないと選んだはずのクルスは顔を歪め、揺らぐ。
今から、
「静粛に、静粛に! 皆、陛下からの使者が来た」
「おお!」
ここにいる人たちを――
王の使者、その到来により沸き立つ人々。ようやく話を聞いてもらえる。明日を変えられるかもしれない。
その希望が彼らを盛り上がらせているのだろう。
「……あれ、あそこにいるの、クロスさんじゃ」
「え? そんな馬鹿な」
ほんの一握り、怪訝な表情をする者はいたが。大半の者は先頭に立つ王の使者、その代表と思しきアントンへ視線を向けていた。
いつもの無精ひげをそり、身綺麗な格好の騎士は口を開く。
「代表者はいずこか?」
それに対し壇上の男が、
「私が代表者だ。よくぞ来てくださった使者殿。お名前を聞かせて頂いても?」
「ユニオン騎士団第七騎士隊上級騎士、アントン・マンハイム」
「……え? ユニオン? どういう――」
アントンは彼らによく見えるよう一枚の紙を掲げた。それは彼らが国家へ提出した陳情書。市民を議会へ、国を憂う自分たちと力を合わせ、王家や貴族たちと共に国家再建のため働きたい、と言う旨が刻まれた彼らの願い、である。
それを彼らの前で、
「我々は今日、交渉に来たわけではない」
破り捨てる。
誰もが絶句する。
「クロスさん!? どういうことですか? ねえ、クロスさん!」
ヤルナの声が、悲痛な叫びがクルスの耳朶を打ち、さらに顔を歪めてしまう。情けない。ことここに及んでなお、自分は――
「……王家は、我々と話し合う気が無いと、そう言うのですか?」
代表者の言葉に対し、アントンは何も言わずに、
「総員、抜剣」
ただ指示を飛ばす。それが答えだ、と言わんばかりに。
「馬鹿げている!? 何故、何故そうなる!? 我々はただ、ただこの国のためを思って、その一心でここまで来たのに!」
騎士たちは躊躇なく剣を抜く。クルスも顔を歪めながら、抜き放った。
「魔力伝導」
「「「エンチャント」」」
輝ける騎士剣。このミズガルズに生きる者なら誰もが知っている。その絶大な殺傷力を。魔から人を守るために造り出された守護者の刃。
それが今、
「頼む。せめて、せめて、私の、中心メンバーだけの命で!」
「これより殲滅を開始する。従者一名待機、残りは……俺に続け」
守るべき者たちへと向けられる。
「「「イエス・マスター」」」
「子どももいるんだぞ!」
ダン、と一足飛びで壇上まで到達。
「ただ、この国を!」
「お前たちは正しい」
アントンは躊躇なく代表者の首を刎ねた。魔族の外皮をも貫く騎士剣は、人の骨程度何の抵抗もなく断ち切る。
悲鳴が、巻き起こる。
「だが、力なき正しさは……何も変えられんのだ」
他の騎士たちも同じく、躊躇なくフィンブル王国の民を切り裂いた。せめて痛み少なく逝けるよう、素早く、手早く、首を断つ。
「……」
地獄が――始まった。
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