第144話:〇〇みたいな経験Ⅱ
「市民を議会へ?」
クルスはヤルナと言う女性から手渡された紙を見てつぶやく。
「わぁ、クロスさんは字が読めるんですね」
「あ、はい。田舎育ちなんですが機会があって」
「いいなぁ。私は田舎で、畑仕事ばっかりやっていたらこの歳ですよ」
「まだまだお若いでしょうに」
「もう結婚していますから」
おそらく自分と同世代か少し上程度の女性。確かに騎士を志す者たちは一般よりも結婚、出産などの平均年齢は高く、貧しいほどそれらは下がる傾向にある。
村を出る時期の兄に年齢が追いついた今、クルスもゲリンゼルにいれば他所に出されていたかもしれない。受け取り手がいたかはわからないが。
「クロスさんは何処で字を習ったんですか?」
「いえ、村にたまたま先生、みたいな人がいたので。その人に頼み込んで教わりました。今思えばとても幸運だったと思います」
「ますますいいなぁ。私の村には畑しかなかったので」
「自分のところもですよ。毎日土いじり、雑草の処理、そんなのばかり」
「ええ!? 全然見えないですよ。街っぽいです」
「……そ、そうですか? 周りからは芋臭いと言われますが。芋じゃなくて麦育てていたんですけどね、と思ったり思わなかったり」
「うちも麦でした。まさかの麦仲間ですね」
「あはは、ですね」
明るく、社交性のある女性。これはまた引き取り手数多だったろうな、とクルスは邪推してしまう。田舎はとにかく愛嬌命、容姿はその次。
学は、なければないほどいい、とされる。
「結婚を機にこちらへ?」
「はい。本当は土弄りが好きだったので村の人が良かったんですけど、一番家にとっていい縁談を選んだら街に来ることに……あっ、主人には内緒ですよ。この街はあまり好きになれないですけど、あの人は良い縁だったな、と思っていますので」
「それはよかった」
幼馴染とは見た目も性格も違う。ただ、きっと彼女も今頃はこういう話も来ているだろうし、いずれは何処かへ嫁ぐことになる。境遇が少しだけ被った。そんな彼女が良い縁に恵まれたことは、他人事ながら少し嬉しく思う。
「クロスさんは旅でこちらへ?」
「ええ。今は縁あって学生をさせてもらっていますので、夏休みなんですよ」
「学生さん! 字が読めるわけだぁ」
「読み書き算術は先生が、学校では魔導学をかじる程度に、ですかね」
「田舎の星ですね!」
「い、いやぁ」
田舎は字が読めないのが当たり前。ゲリンゼルでも村長一家が何とか、ぐらいで父も兄も読み書きは出来ない。
今改めて思う。『先生』と出会えた幸運を。
「あの、今ってお忙しいですか?」
「いえ、ただ散策していただけですから」
「それでしたら、その、私たちの活動を見学して頂けませんか? 私には学がないのですが、主人含めて皆さんは賢い方ばかりなので、話は合うかと。たぶん」
「……わかりました」
少しだけ迷ったが、首を突っ込むなと言われていない以上、其処は自分の裁量の内だとクルスは判断する。
その返しに、
「あ、警戒しています?」
ヤルナはジトっとした目で見つめてくる。
「多少は」
クルスは苦笑しながら正直に述べる。
「麦仲間じゃないですかぁ」
「それはそれ、これはこれです」
「そんなぁ」
学のない彼女を騙しているような活動かどうか。其処に理はあるか、自分の目で見定める。それに何かあっても――
(……たぶん、問題ない)
あまり騎士界隈に入ってから、一般人と触れ合うこと自体なかったが、先ほど絡んで嫌でも理解できた。彼らが十人いたとして、体感だが制圧するのに十秒も必要ない。騎士剣を使って、殺傷も可能であれば、百人いても怖いとは思わない。
一般人相手なら力ずくでどうとでもなる。
今は騎士剣を荷物と一緒に置いてきているが、やはり問題があるとは思えなかった。大人と子ども、それ以上に差があるのだから。
〇
市民を議会へ、そのキャッチフレーズに嘘はないか、クルスは皆に配布されている資料を冷たく見つめる。
(……これだけじゃ何とも、だな)
少なくとも配布資料におかしなことはない。ただ、まあ配布物にわざわざ隙を作る者はいない。作成者にそれなりの学があるのはわかったが――
「ヤルナ、その方は?」
「あ、こちらクロスさん。旅の学生さんですって」
「へえ。僕はヤルナの夫で、魔導関係の企業に勤めています」
「あ、どうも」
明らかに警戒した視線。
これはやましいことがあるのでは、とクルスも警戒するが。
「んもぉ、クロスさんはさっき衛兵に絡まれていた時に助けてくれた恩人よ!」
「へ? そうなの?」
「浮気だと思った?」
「ちょびっと」
「んもう!」
どうやら単なる夫婦のあれ的なものであったらしい。
「す、すいません。クロスさん」
「いえ、自分がそちらの立場でも警戒すると思いますので」
「あはは、面目ない」
(……悪い人ではなさそうだし、この人から色々と聞いてみようか)
身なりは皆と同じく貧しいが、そんな中にも工夫して良く見せようとする姿勢があった。魔導関係の企業であればそれなりに学が無ければ務まらないはず。
見た目も、自称だが経歴も話を聞くにはうってつけ。
全てを信じる気は毛頭ないが、とりあえず一方の意見を聞いてみる。
彼は快く話をしてくれる運びとなった。
ご丁寧に、
「……っ」
様々な企業に勤める者たちが集めた『資料』をも、惜しげなく。
それらの『数字』に下支えされた情報を見て、
「……」
クルスは言葉を失っていた。
(全部を、一方からの情報を、全て飲み込む気はない。それならいくらでも騙すことが出来る。ただ、これらを一方と括っていいのか?)
ヤルナの言う通り、この団体のトップ層は皆それなりの教養を積んだ者たちばかり、つまりそれなりの企業勤めや、勤めであった者たちばかり、である。
そう言った企業と貴族の癒着。あまりにも多い中抜き。中間搾取が多過ぎて、金が下流まで流れて行かない構造。
「我々は決して、全てを潔白にして欲しい、とは思っていない。大人だからね、そういう欲が、よりよい仕事に繋がることも知っている。多少は良いんだ。社会に、経済に、悪影響を及ぼさぬ程度であれば」
「……この資料は、国庫のものですよね? どうやって入手されたんですか?」
国庫の帳簿。これが一番ひどい。幾重にも加えられた修正。そのせいで数字が一つも合い数にならない。よくもまあ、こんな数字を堂々と残せたものである。
これでは帳簿を付ける意味がない。
「おお、本当に優秀な学生さんだな。数字と科目だけで……我々に賛同してくれる者は王宮にもいる、とだけ伝えておこう」
思っていたよりも彼らは賢い。少なくともイメージの革命とは大きくかけ離れていた。彼らも自分たちのことは小さな革命、ただ一歩を。
共に言葉を交わし、国を豊かにする道を目指す。
「市民が政治に参加する。行き過ぎた搾取のストッパー、監視役として機能しつつ、双方の立場から話し合いをする。暴力は要らない。ただ言葉さえあれば」
「……なる、ほど」
資料を見る限り、話を聞く限り、彼らの憤りはとても正当なもので、彼らの目指す方向性は極めて正しく見えた。
「何故、これだけの情報を、部外者の自分に見せてくれたのですか?」
男たちは仲間内で目を見合わせ、
「そりゃあ君が理解してくれると思ったからだよ。ヤルナ君を助けてくれたこともあるし、とても理知的に見えたからね」
リーダー格の男が笑みを浮かべながら語る。
それを引き継ぎ、
「もちろん打算もある。出来れば今、このフィンブル王国がこういう状況である、と君の故郷で広めて欲しいんだ。こういう活動をして欲しい、と言うわけではないよ。食事の席、飲みの席、ちょっとした話題の一つで充分」
ヤルナの夫がクルスを真っ直ぐに見つめ、小さな頼みをする。
「この国はエンチャント技術で成り立っていた国だから、そりゃあ魔導革命以降は苦しい。でも、他国の技術を学び、こうして様々な企業から仲間も集った。案はあるんだ。国の協力さえあれば、他国とも戦って見せる」
「どんなに腐敗し、崩れ落ちようとも、私たちはこの国で生まれ育った。凋落し続けるのを見つめるのは辛い。だから、微力ながら立ち上がったのさ」
「君が卒業し大人になった時、生まれ変わったフィンブル王国で、他国の君と共に何か商売とかできたら素敵だな、と思ったのさ。ただ、それだけ」
「……」
迷いなく、憂いなく、ただ自らの正義を信じ突き進む。
クルスはそんな彼らに正しさを見た。
「君はどう思う?」
「……とても、素敵だと思います」
「だろ?」
正しく、真っ当、彼らの言葉は届くべきだ。
何よりも、この数字がすべて正しいのだとしたら――
〇
「戻りました」
「お、クルス、観光は充分満喫して――」
若手騎士の言葉を聞き終える前に、
「自分もこの資料、拝見してもよろしいでしょうか?」
クルスは迷いなく資料の山の前に立つ。
「アントンさん」
「……」
今、クロイツェルは席を外している。判断は上級騎士であるアントンにゆだねられている。アントンはクルスの表情を見て、少しだけ眉をひそめたが、
「……口外しないなら、構わんよ」
最終的には資料の閲覧を認めた。
「ありがとうございます」
クルスは早速、とある資料を探した。彼らが入手した控え、その原本である。あれが捏造であるのかどうか、それがわかれば彼らの潔白さ、その証明になる。逆に贋作であるのなら、彼らは単なるペテン師となるだろう。
クルスも愚かではない。やはり、一方からの視点だけで信ずることなど出来なかった。だから、調べる。あれと重なる資料を、求めて。
「……これか」
それはすぐに見つかった。
中身の数字は――
「合わない。いや」
クルスは日よけのカーテンを少し開け、日光を部屋に入れる。それに書面を透かし、修正された数字を、幾重にも重ねられたその中に、
「……合った」
あの控えとの整合性を見出した。
これでぐっと、彼らへの信頼が増す。
『主人に代筆された手紙が届いて。もう、こっちは限界だ、と。助けて欲しい、と。この都市も悲惨ですけど、田舎はもっと苦しいんです』
彼女の声が耳の奥に残る。
クルスは集中して、他の資料も読み込む。時に透かしながら、この国の実態を見て取る。数字は嘘をつかない。
特に、隠すようなものは尚更。
「……すげえ集中力だな」
「こういうとこ似てんだよなぁ、副隊長と」
様々な資料に目を通した。修正されていない数字などどれだけあっただろうか。一見弄られていないものでも、前後関係を漁ると全く噛み合わない。
つまり、元から嘘が混じっている。
虚飾にまみれたこの国の現状は――
「……」
反吐が出るほどに汚れ、腐り切っていた。
たぶん、彼らが知るよりもずっと。
「マスター・マンハイム。この国は――」
「その先を口にすべきではない」
「……え?」
アントンの気だるげな眼が、今は真っすぐにクルスを見据えていた。
「俺たちは――」
彼が次の言葉を続ける前に、
「慎ましやかなお食事会や。全員参加、さっさとせえ」
「「「イエス・マスター」」」
クロイツェルが書庫へ戻って来た。そしてクルスの表情を見て、
「食事や。要らんの、ジブン」
歪んだ笑みを浮かべる。
「……参加しますよ」
「なら、返事せえ。まあ、今日は気分ええから許したる」
「どうも」
貴族たちが開く、秩序の騎士たちを迎える食事会。クロイツェルを先頭に訪れた場所は、アンディの『食事処』と比べたら落ちるが、
(……何、考えてんだよ、こいつら)
あの財政でよく、こんな豪華な食事を客人に用意出来るものだ、とクルスは苛立ちを覚えてしまう。この国の民は、知識層ですらあのザマなのだ。
それが、一等国面した宴席を用意してくれば何様だ、と思っても仕方がない。
当たり前に贅を凝らし、当たり前にそれを享受する。
「おや、お気に召しませぬかな?」
「いえ、とても美味しいです」
「そうでしょう、そうでしょう」
味などしない。するわけがない。
この国の病巣が、ここに在った。
〇
食後、再度書庫へ集いミーティングが始まった。
何故か最初に、
「――以上、報告は終わりです」
クルスがクロイツェルに指名され、今日調べたことを皆の前で述べる。議会へ市民を、をスローガンとする団体のこと、彼らの目的、彼らが持つ情報、そして戻ってきてから精査した情報との整合性も交えた報告である。
「ぷ、あはは、やっぱジブン、持っとるなぁ」
「……?」
何故か笑い始めるクロイツェル。笑うような話は一つもなかったはずだが。
「ほんで、僕らはどうすべきやと思う?」
クロイツェルからクルスへ求められた結論。
「特にすべきことはないかと思います。彼らが暴力による革命を志していたなら、それを未然に防ぐことには意味があります。しかし、それがこうした穏当な手法であるのなら、この国の現状を思うに手を加える必要はありません」
はっきりとクルスは言い切った。
何もすべきでない、と。
今の堕落した彼らに舵取りを任せるよりも、若く覇気に満ちた未来ある者たちがそれを担うべきだと、思ったから。
少なくとも危機感皆無のあの連中よりはよほどいい。
其処に間違いはないはず。
「ええよ。ええ。満点の解答や。よぉ其処に辿り着いた。腐り切った王侯貴族、高い理想を志すインテリ集団。どっちが正しいか、どっちが正義か、明白や。このまま放置したら、この国は早晩限界を迎える。これまた明白」
「はい。だからこそ――」
「だからこそ、って、ドアホー。なんでやねーん」
「……は?」
クロイツェルは満面の笑みを浮かべたまま、
「なん? 冗談やないの? ほんまァ? もしもーし、頭大丈夫ですかぁ?」
クルスの頭を力強く、叩きつける。
「ぐ、っ」
「僕らは、ここに、仕事でぇ、来とります。これ理解しとるゥ?」
「理解、は、しています。でも」
頭を、幾度も、壊れろと意思を込め、叩く。
「でももへちまもあらへんがな。仕事ってとっても簡単。客が金出して頼みごとをする。僕らは金を受け取ってそれを遂行する。そんだけ、それ以外ないねん。僕らの客は誰や? 誰が僕らに金払う言うとるん?」
「……この国、です」
「正しくは王、ひいてはボケカス王に付き従う昔ながらのアホ貴族たち、や。それ以外はなーんも、関係ありまへん。おわかり?」
「……民あっての、国でしょうに!」
「あほたれ」
ドスン、重い一撃がクルスの鳩尾に突き立つ。痛みと、呼吸不全に苦しみながら地面に倒れ、うずくまるクルスを見下ろし、悪魔が嗤う。
「それは建前ですぅ。羊が僕らを雇うか? 雇わん雇わん。僕らを雇うのは羊飼い。金出すのも羊飼い。その金の出どころはなんも関係ない。僕らは金出したもんの頼まれごとを遂行する。それが仕事。それ以外は全部、贅肉デース!」
クルスを足蹴に、クロイツェルは陽気に言葉を紡ぐ。
「でも、ジブンの仕事が満点やったのは事実や。ほんま、ええ仕事した。おかげでわざわざ調査せんでも、潰す対象について知ることが出来た。ええ報告やったわ。天才やで、ジブン。僕の想像よりずっと、役立ったわ」
「……潰、す?」
「せや。それが仕事や」
「な、なら、何で、情報の、精査を。汚職の、調査なんて――」
「アホやなぁ。僕らがしとったのは金の流れを把握することや。この国にどの国の、どの企業が入り込んでいるか、それを調べとった。最近食い込んできた企業が怪しい。きっと、クソ善良な間抜けどもと繋がっとるやろ、ってなァ」
「……あっ」
「僕はさっき、スポンサーとお話してきたところや。快く撤退してくれる、言う話になってん。僕、働き者やなぁ。これであとは、ゴミ掃除したら仕事終了。明日にはこのゴミ溜めみたいな国とおさらばできるっちゅう話や」
「ご、ゴミ掃除?」
「お客様のご希望は、全ての火種をもみ消すこと。意味、わかるやろ?」
「……嘘だ。だって、俺は、騎士に、なる、のに」
「あちゃー、知らんかったかぁ。ほな、マスター・マンハイム、教えたれや。僕らは世間様から何と呼ばれていまちゅかー、って」
「……これ以上は」
「マンハイム」
「……秩序の騎士、だ」
秩序の騎士。子どもの頃、ユニオン騎士団のことを知り格好いいと思った。世界中を股にかけ、世界のために戦う騎士。
そんな騎士に憧れた。
だけど、
「正解! 永劫刻んどけ、カス。秩序ってのは、統治者側の視点。ジブンが今日、仲良ぉなったクソカスどもと、一番遠いのが僕らや」
「……」
「ほな、そういうことやから。明日はジブン、見学でええよ。もちろん、自分の身は自分で守ってもらわな困るけど。ま、騎士科の優等生なら楽勝やろ」
「……俺、は」
「相手はただの、何も鍛えとらん無辜の民、やからなァ!」
今回の案件で、その夢想は完全に消え去った。
秩序の騎士、同じ言葉なのに、もう皮肉にしか聞こえない。
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