第143話:〇〇みたいな経験Ⅰ
フィンブル王国、その国への第一印象はどうにもパッとしない、であった。イリオス、アスガルド、ユニオンやメガラニカ、レムリア、今まで長く滞在した国は何処も一等国ばかり。比較して劣って見えるのは仕方がない。
ただ、そういう経済規模などを差し引いても――
「こりゃあ良くないですね」
「……そうだな」
若手騎士とアントンの会話でも、やはりあまりよくない印象を受ける。
ちなみに現在はフィンブル王国の王都行きの列車に乗っている。クルス、アントン、若手二人は同じ席。クロイツェルだけは別の個室を一人で確保する。
「あの、どうしてそう思われるのですか?」
クルスは質問する。はっきりと言語化出来ないのは気持ちが悪いのだ。この印象を言語化したい、最近はどんなことでもそう思うようになってきた。
「あー、これ、アントンさんの受け売りなんだけど、その国の体力見るのに数字は要らない。ただ、周りを見れば良いってな」
「周り、ですか?」
「線路の横を走る街道、この国に入ってから明らかに汚くなった。線路は維持しているが、通過する駅舎は清掃が行き届いていない」
「……」
「これが田舎だけならよくある景色だけど、王都に近づいても変わりがない。この様子ならおそらく王都も、メインストリートぐらいだろうな。清掃や整備が行き届いているところなんて……整備はもちろん、清掃も意外と馬鹿にならん指標だ。経済的にゆとりのある国は端っこも綺麗なもんよ」
「……なるほど」
ぼんやりとしていたものがくっきりと形になる。確かに言われてみると何処もそこはかとなく汚い。道の状態は何とか繕っても、その端々に生える草木の手入れまでは行き届いていない。一事が万事、この調子である。
一等国はそういう隙が無い。行き届いている。
イリオスと比較しても、ゲリンゼル近郊はともかく王都に近づくにつれ、やはり綺麗になっていった気がする。
つまり、
(イリオスよりずっと下、か)
少なくともクルスの知る中では一番、よくない国となる。
あくまで目安でしかないが。
〇
変装した騎士たちが王宮へ向かう。
変装する理由を問うたが、それに関してはいずれわかると口を濁された。多少気になったが、今はそれ以上に衝撃的な光景に愕然としていた。
「想像以上でしたね」
「……ああ」
大体、どの国も中枢である王都はそれなりに見栄えする状態を保っているもの。それでも隅まで行き届いているか否かで国の格を知ることが出来る。
だが、このフィンブル王国はメインストリートすら整備が、清掃が行き届いておらず、さすがにここまで来ると比べるとかいう次元の話ではない。
(……こんな国が存在するのか)
今までとは比較にならぬ悲惨な光景に、クルスは呆気に取られていた。王都だけあって人はたくさんいる。しかし、身なりの良い人は少ない。
貧しい見た目の者ばかりがごった返している。
「この服でも目立ってしまいますね」
「ここ数年でさらに落ちたんやろ。数年前の平均的市民の服装が、浮いて見える程度には、なァ。ほんま、何事も上がり目がない言うんはあかんねえ」
「……ですね」
クロイツェルはこんな光景すらも嘲笑うかのような笑みを浮かべていた。貧しい民を、ムシケラでも見るような眼で見下す。
「旅の方、どうか、お恵みください」
「……え、あ、その、持ち合わせは少ないけれど」
物乞いの少年に声をかけられ、咄嗟にいくばくかの金を渡そうとするクルス。
その手を、
「駄目だ、クルス」
若手の騎士の一人が握り、止める。
「でも、この子が困って――」
「キリがない。よく周りを見ろ」
「……あっ」
周囲には少年のような風体の者たちがクルスへ視線を向けていた。彼は出す奴だ、そう判断されたが最後彼らは押し寄せてくる。
「お腹が、空いて……もう何日も」
「ッ!?」
不作の年、ひもじい思いをしたことはある。だが、何日も、何も口にしなかったことはない。作物が無くなれば山へ出かけるし、動物の居場所や木の実のありかなどもゲリンゼルの者たちは把握していた。
何とかなった。何とかできる環境があった。
ただ、この王都には何もない。なまじ人が多いから、尚更――
「はよ行くで。カスが移る」
「そんな、言い方は」
「何か言ったか? あ? 僕に無駄な問答、させんといてや」
「……は、い」
藁にもすがる想い。少年が浮かべる助けてと言う言葉を拒絶し、クルスは歯を噛みしめながら前へ進む。
「助けて、ください」
消え入るような声を背に受けながら。
〇
王宮に辿り着いた一行を出迎えたのは身なりの良い者たち。この都市の市井には一人もいなかった、豊かさを見せつけるかのような格好である。
「よくぞ来てくださった。お待ちしておりましたぞ」
「どうもぉ。ユニオン騎士団第七騎士隊副隊長、レフ・クロイツェルですわ。以後お見知りおきを」
「これはご丁寧に。私は――」
発言しようとした者にクロイツェルは手をかざし、
「時間の無駄ですんで、さっさと事前に頼んどった『資料』拝見してもええですかね? お互い、ちゃちゃっと仕事、済ませた方がええでしょう?」
「……そう、ですな。では、こちらへどうぞ」
挨拶を潰され、口調こそは何とか取り繕っているが明らかに不快げに歪む貌を見て、クロイツェルはニヤニヤと笑みを深める。
相手が誰でもこれかよ、とクルスは心の中で突っ込んでいた。
多少口調に恭しさが混じるだけ。逆に敬意が感じられない。
実際、たぶん一ミリも敬意はないのだが。
騎士たちが案内されたのは王宮の一角に備えられている書庫であった。国家の財務であったり、様々な『数字』が詰め込まれた空間である。
「ほな、拝見させてもらいますぅ」
「ど、どうぞ」
クロイツェルが手で合図し、他の者たちも一斉に手当たり次第、様々な資料に手を伸ばし、その内容を精査していく。
クルスは今回、仕事内容を聞かされていない。だから、彼らが今何をしているのか、まるでわからぬままここにいた。
ただ突っ立っているのもあれなので、クルスが手伝おうと口を開きかけた瞬間、
「ジブン、今は要らんわ」
クロイツェルが手伝いを拒絶する。
「暇やろうから都市でもぐるり、見て回って勉強せえ。何かおもろいこと見つけたら、僕に報告すること。それぐらい出来るやろ、赤ちゃんやないんやから」
「……具体的な指示をください」
「これ、仕事やないから。お勉強、言うたやろ? 自分の中で発見があればそれでええよ。ただ漫然と暇つぶしすな、そんだけや」
「……イエス・マスター」
意図のわからない命令。拒絶する気はないが、正直気持ち悪さはある。この男は意味のないことなどやらせない。
であればきっと、今回の『お勉強』にも何か意図が隠されているはず。
クロイツェルがそれを隠している以上、今のクルスにそれを探る手立てはないが。
「ああ、それと……わかっとるやろうけど、騎士であることバレたらあかんよ」
「変装しているんだから当然ですよ。俺も馬鹿じゃない」
クルスはそう返し、そのまま書庫を出て行く。これから真面目に都市を散策し、何かを見出そうとするのだろう。
なら、必ず巡り合う。
「……悪辣なやり口ですな、副隊長」
「気に食わんようやな、マスター・マンハイムは」
「……学生がどうこうじゃない。秩序の騎士以外が、こういった案件に携わること自体、ラインを越えていると思っている」
「いずれ、入るんやからええやろ。ただの良くある研修や」
「……こんな研修、あってたまるか」
普段はクロイツェルを立て、滅多に口答えをしない男が明確に否定的な考えを示す。若手二人も、同様の表情ではあった。
「丁度ええ案件や。乳臭さ消すには」
されどクロイツェルは嗤う。悪辣に、反意などものともせずに。
〇
クルスは都市を見て回る。足音小さく、気配を消しながら、出来るだけ陰を歩き先ほどのようなことにならぬよう自衛をしていた。
あの時のメラ・メルほどではないが、さすがに四学年を終えた今はこうして一般人の視界から消える程度のしのび足は体得している。
さすがに先ほどのような五人で動いているような状況ではあまり意味はないが、単独であれば多少浮いた格好でもどうにかなる。
(……イリオスと比べるのも烏滸がましい、か)
アースやレムレースとは当たり前だが比較にならない。イリオスですら勝負になっていないのだ。クルスの中で下限が大きく更新された。
自分はまだ、恵まれていたのではないかと錯覚してしまうほどに。
ただ、同時に少し思うこともある。
(……都市から出ればいいのに)
この都市最大の問題点が、人の多さに対してモノがない、と言う点であろう。どうしたって、何をしたって、都市内のモノが増えるわけではない。
なら、外に出た方が良い。そちらの方がよほど上がり目はある。
国外まで行かずとも、山にさえ入り込めばあとは野生動物との戦い。食料自体はどうにでもなる、と言うのがクルスの感覚であった。
しかし、クルスの感覚には彼自身のバイアスがかかっている。山を遊び場にしていたクルスにとって、其処で食料を確保することは比較的容易であるが、都市で育った者からすれば警戒心の強い店主から盗みを働く方がなんぼかマシであろう。
加えて今だから外に出るべき、と思えるかもしれないが、クルスも『先生』がいなければゲリンゼルから出る、と言う選択肢が浮かぶことはなかった。
其処しか知らぬ者にとって、世界は其処にしかないのだ。
外側へ踏み出す。それは決して容易いことではない。飢えに、渇きに、蝕まれてなお、未知とは人にとって恐ろしく映るものなのだから。
「……ん?」
そんな感じで目立たず見て回っていると、目立つ場所で騒ぎが起きていた。一人の女性が、武装した衛兵と思しき二人に絡まれていたのだ。
変装を要する以上、おそらく目立つべきではない。
「や、やめてください」
だが、
(……騎士だとバレなければ、良いんだろ)
クルスは任務の内容を伝えられておらず、その上でクロイツェルからは騎士と看破されるな、それだけの命令しか受けていない。
ゆえに彼はそれらを加味した上で、
「失礼」
クルスは其処に割って入る。
「なんだ、きさ、まァ!?」
女性に向けられた腕を掴み、力を込める。非力とは言え騎士を目指す者としてそれなりに鍛えている。多少の脅しになるだろう、と考えた。
「い、づぅ、は、放せ! きさまには、関係ない、だろうに」
「大の男二人で女性を囲むのは紳士的ではない」
クルスはさらに少しだけ力を増す。これもあくまで脅し。体格から見ても力比べをしたら不利。相手がそうしてくるなら、技を使って極めるだけ。
クルスは其処まで見越していたのだが――
「わ、わかった。放す、放すから!」
衛兵と思しきものはすんなりと手を引いた。クルスも引かれた、と感じてすぐに手を解放してやる。
「く、くそ」
「お、おい、いいのか?」
一人は渋面を浮かべながら、もう一人は困惑しながら足早に去っていく。あっさりと片が付き、クルスはほっと胸を撫で下ろした。
「あの、ありがとうございます」
「いえ、無関係なのに首を突っ込んでしまい申し訳ない」
「そんなことありません。助かりました」
身なりはやはり周囲同様汚いが、明るい笑顔や光が浮かぶ瞳は周囲とは違って見えた。希望の欠片もない周りとの違いは何だろうか、とクルスは疑問に思う。
「私、ヤルナと申します」
「……クロスです。よろしく」
咄嗟に、必要かどうかはわからないが一応偽名を名乗っておくクルス。そもそも任務を知らされていないのだから、伏せる必要性すらわからないし、自分がそうする必要もないとは思うが念のため、である。
偽名のセンスは――なさそう。
二人が名乗り合っている頃、
「おい、どうしたんだよ。あんなカッコつけ、ぶん殴っちまえば――」
クルスに掴まれた仲間へ何で手を引いたんだよ、と詰め寄る。
その問いに、
「……殴り返されたら、殺されていたぞ」
男が掴まれていた腕を見せて答えた。其処に刻まれた紫色に変色したあざが、掴んだ握力の凄まじさを物語る。
「……う、嘘だろ。あんな、細い奴が」
「魔力が多いのか使い方が上手いのか知らねえけど関わらない方がいい。あんな化け物、俺たち一般人がどうこうできる相手じゃない」
「だ、だな」
「でも、痛ぇよぉ。こっちは仕事してただけなのに」
「酒でも飲んで忘れよ、な」
御三家、アスガルドの中では非力とされるクルスであったが、それは騎士を志す者の上澄みでの話。多少鍛えている程度の相手だと、軽く接しただけでこうなる。
それだけ一般人と退魔を生業とする騎士では大きな開きがあるのだ。
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