第134話:泥沼の剣
「あいつ、どうしちまったんだろ?」
それが騎士科五学年ほぼ全員の思いであった。講義に対しては真面目に受けているし、必要ならば質問なども投げかけている。だが、それ以外極端に口数が減った。受け答えはするが自発的に会話を振ってくることがない。
「なあ、夏何処行ってたんだ?」
「……言う必要が?」
「そりゃ、ないけど」
必要のある会話とない会話、明確に区別をつけている。必要があれば答えるし、発する。質問が無ければ答えない。発さない。
ルームメイトのディンも最初は話しかけようとしていたが――
「……」
「……」
一週間もしない内に部屋の中は沈黙で満たされることとなった。あと、夜中出歩くこともあるディンが言うのもなんだが、毎日どこで何をしているのか部屋に戻ってくる時間が五学年になって緩和された門限のギリギリばかり。
それに対する質問にもクルスは何も答えない。
さらに変わったところと言えば、
「交戦する利が薄い。後退すべきだ」
「お、おう」
「後退後、右にスライドしつつ、迂回。目標地点を目指す」
チームワークの講義での立ち居振る舞いが変わった。昨年の序盤はリーダーとして抜群の適性を示し、逆に手足の適性に難があった。中盤、終盤とそれを何とか矯正し、それで評価を上げてきたのだが、ここに来て元に戻った。
否、『悪化』した。
リーダーが間違えれば容赦なく修正させ、リーダーではないのに指示を出し、塗り替える。以前との違いは発言のタイミングと、
『俺が正しい。俺に従え』
絶対的な自信。間違えているのはお前で、俺が正しいのだから従え。クルスが放つ無言の圧(プレッシャー)に耐えかね、多くがそれに従った。
手足が頭を操る、その姿に――
「……ふむ」
騎士科主任教師であるリーグ・ヘイムダルは複雑な表情を浮かべていた。成績的には結果を出している以上、どちらについても最高点を与えねばならない。ただ、今の彼を見て評価を下げる騎士団は少なくないだろう。
あまりにも高圧的、およそ学生の振る舞いではない。結局のところ就活とは、その者と共に働きたいか、を見るに尽きる。協調性とは対極のやり口を認める騎士団はそう多くないだろう。現に短期間で多くの騎士団がクルスから手を引いた。
成績は上がった。だが、評価は下がった。
騎士団に入るための学校と考えた時、クルスの変化は『悪化』でしかない。
ただ、その旨を伝えても――
「構いません。志望する騎士団は一つだけなので」
クルスは一蹴し、一顧だにしなかった。リーグとしても間違っているわけでもないため、これ以上は何も言えない。
それに嫌でも被る。
『必要やと思いませんわ。入らんとこからの評価なんて』
まだ若く、現役でありながら講師を兼任していた頃の、異質な学生と。
何よりも――
「……長いな、この戦い」
剣が変わった。三学年の時よりもさらに受け偏重なスタイル。主導権を相手に渡し、自分は受けに徹する。隙あらばカウンター、と言うわかりやす過ぎる戦型。
当然、誰もがカウンターを警戒する。深く踏み込むことは避けたい。が、ゼー・シルトをさらに後傾させた型に対して有効な攻撃をしようとすれば必然、それなりの深みには足を突っ込む必要がある。
「この戦いだけ見てたらさ。待てばいい、ってなるんだが」
待つ、これに徹した者がどう捌かれたのか、皆目の当たりにしていた。そうでなくともクルスはそもそも強いのだ。受けに偏らずとも、上位に近い実力がある。
だから、
「三学年の時のあいつには通用していたはずの対策が通じないんだよな」
かつて用意していたクルス対策、ゼー・シルトへの備えの大半が今のクルスには通じない。それしか出来ない、とそれを選んだ、には大きな隔たりがあるのだ。
「しかし、あのフラウがあそこまで苦戦するのかよ」
「ほんの少し後傾しただけなんだが……その少しが果てしなく遠い」
フラウ・デゥンは極めて優秀な学生である。文武両道、バランスの取れた剣(利き腕側に寄った正眼の型レフト・スクエア)を使い、攻守どちらも高いクオリティで両立するオールラウンダーである。
近い世代で言えばエイル・ストゥルルソンに辺りに似ている。
理詰めで崩すのが上手く、エイル同様詐術にも優れておりよくミラやアンディが引っ掛かって一杯食わされたりしている。
だが、
(……引っ掛からない。いえ、厳密には反応はしているけれど、しっかりと判断できるポイントまで見極められているから効果がない)
クルスは粛々と捌くだけ。どれだけ嘘の動きを混ぜ込んでも、本当の動き出しが確定するまでポイントを絞らずに俯瞰し続けられると詐術は薄れる。多少判断を遅れさせる程度の効果。それでも本来なら充分効果的なのだが、
(懐が、遠い!)
後傾したことで生まれたわずかなスペース。そのほんの少しの違いが判断の遅れを吸収してしまう。対峙するフラウには遥か彼方に映る。
それを埋めるには踏み込むしかない。
しかし踏み込めば――
(……カウンターの餌食)
フラウの脳裏にヴァルを下した光景がよみがえる。不用意には踏み込めない。しっかりと崩して、詰み切らねば勝利はないだろう。
フラウはクルスに早く間違えろ、隙を出せと祈る。
それはクルスも同じ。
ゆえに、
「長い」
戦いは泥沼の長期戦となっていた。技の応酬、詐術も飛び交う打ち合い。フラウは攻め続け、クルスが受け続ける。
長い、本当に長い。
「……ドロッドロの、消耗戦だな」
ディンは何とも言えぬ表情で頭をかく。クルスの剣、あれは端的に表すと相手のミス待ち戦術である。相手に消耗戦を強い、どちらかがミスをするまで徹底的に戦うやり口。随分と嫌な剣になったものである。
デリングやフレイヤ辺りは露骨に眉をしかめている。確かに好き嫌いの別れる剣ではある。騎士団の評価も高くはならないだろう。
就活には不向き、そんなものどうでも良いと言わんばかりの剣。
「俺は好きだぞ。それに……楽じゃあない。常に主導権は攻める側にある。デゥンはセーフティを自分で設けている限り、間違えてもリカバリーは効く。だが、リンザールはただの一度も間違えられない。間違えない気概なくば、あんな戦い方は出来ん。嫌な剣もな、使い手はそれなりに覚悟しているものだ」
ヴァルはクルスを見て微笑む。自分も一度は考えたことがあるから。凡人の、弱者の戦い方、その究極系を。攻撃と防御、全く同じレベルの使い手同士がどちらかに特化し衝突した場合、強いのは防御側である。これはボードゲームなども同じ。原則的に闘争は守りの方が強いように出来ている。シチュエーション次第な面もあるが、多くの面で優位に立つのは守り側であろう。
ならば守ればいい、そんな簡単な話ではない。ヴァルですらあれは諦めた。弱者の戦いに徹するのは覚悟が要る。生半可なものではない。相手にタコ殴りにされても耐え忍ぶだけの、堅固な、鉄の心が必要なのだ。
相手よりも先に間違えたなら全てが水泡に帰す。
鉄の忍耐、鋼の覚悟、そして極限の集中力。
「……俺には無理だ」
同じ凡人、絶対に負けたくないと思っていた。だが、ここまで差を見せつけられたなら、もう脱帽するしかないだろう。
彼の肉体は凡人だった。だが、心は突き抜けていた。
「……クルス」
泥沼の底、相手に間違えろと呪いの如く祈りながら、ただただ正解を出し続ける執念。これが凡人、クルス・リンザールの出した答えである。
天才を殺すために、心を鬼にした。
お前が間違える前に、間違えてやるものか、そんな言葉が聞こえてくる。
「……本気なんだな、クルス」
教師として言いたいことは山ほどある。だが、騎士としてクルスの勝利への執念を否定することは出来なかった。あの戦い方を、あの生き方を貫き通すのは苦しい道のりであろう。それでも確かに、あれが唯一の道である。
凡人クルスが天才たちに勝利をもぎ取る、唯一無二の。
「……」
気づけば皆、押し黙っていた。ただただ、二人の戦いを見つめていた。互いに息を切らせる。フラウにも上位の意地がある。ミラに抜かれ、アンディに抜かれ、その度に苦い思いをしてきた。序列を下げたくないと願ってきた。
勝ちたい、誰もがそう願う。
泥沼に足を取られる中、それでもフラウ・デゥンは足掻いた。かき分け、先へ進み、彼方にいるクルスへ剣を突きつけるために。
遠く、遠く、まだ遠い。
足がどんどん重くなる。どんどん深みにはまっていく。
「攻め疲れ、か」
デリングは目を瞑る。まるで決着を、予感したかのように。
それとほぼ同時に、
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「は、は、は、は」
クルスの剣がフラウの剣を巻き上げ、彼女の両の手から剣を奪った。一瞬の隙、僅かな解れを見逃さず、クルスが勝利をもぎ取って見せたのだ。
宙を舞う剣、フラウは悔しげに天を仰ぐ。
「……はぁ、はぁ、これ、続けるの?」
「ふぅー……もちろん」
「そう」
攻防の体力消費、動きの大きさにもよるがこれまた基本的に守り側の方が消耗は少ない。ただし、心の摩耗は逆であるが。
だからこそ、誰もがわかっているのに、誰もが攻める側を選ぶのだ。心の摩耗、精神の消耗、誰だって嫌だろう。
「はぁぁぁ……なら、私の負けでいい」
「……そうか」
フラウは地面に突き立った剣を拾い、静かに一礼して人目の付かぬところに消える。誰もそれを追うことはしない。
負けた者に、かける言葉など無いから。
「……ぐ、ぅぅ」
最善を尽くし敗れる。その重さを知らぬ者は、ここにいない。
「力でなら、どうだ?」
「馬鹿、ティル先輩との戦いを忘れたのかよ」
「いや、だから、その先輩が見せてくれた攻略法でよ」
「やっぱり馬鹿だぜ。去年あいつは技を、小細工を駆使して十番目に食い込んだんだぞ。その下の俺らが多少細工したところで……対応されるに決まってんだろ」
昨年、ボロボロになりながら培った技術がある限り、生半可な技術では攻略など不可能。同じ受け特化でもあの時とは別物である。
誰も彼もが戦慄し、戦いたくないと畏怖したクルスの剣。
敵も自分も泥沼の底に引きずり込む、そんな地獄のような剣を携えクルスはアスガルドに帰って来た。言葉にせずとも伝わる。
彼は勝つためだけにその剣を選んだのだ。
彼は勝ちに来たのだ。
誰に――
「まだだ、まだ、足りねえ」
自分の上に立つ、全ての天才たちに。
人間は間違える生き物である。だからこそクルスは祈るのだ。
テメエが間違えろ、と。
そのために心を凍てつかせ、無駄を削ぎ、人を捨て、間違える要素を潰したのだ。そうせずとも上へ行ける天才などより先には絶対に間違えない。
それがクルス・リンザールの騎士道である。
〇
「なんや自分、えらい強なったんやねぇ。僕も鼻が高いわぁ」
クロイツェルは笑顔で褒めながら――その相手を足蹴にしていた。
「……」
地面に頭を、抉るように押し付ける。
「だからもう二度と、間違えたらあかんよ。皮一枚、それが理想や。それ以上大きな動作で受けて、かわすほど、自分才能ないやろうが」
「……はい」
クルスは下着だけでクロイツェルと向かい合っていた。衣服をまとわず、皮一枚のところで受ける、回避する、それを可視化するための修練である。
クルスの全身に走る傷、その大半が夏、目の前の男によって刻まれたもの。
一部、腹の傷などダンジョンでの不覚傷もあったが。
「立て」
「はい」
「構え」
「はい」
「ほな、再開や。今日も死ぬか生きるか……妥協したら殺すで」
「イエス・マスター」
「「エンチャント」」
二人とも、騎士剣に魔力を通し、抜き身で衝突する。その光景はもはや、修練と呼ぶにはあまりにも殺意と血の臭いが充満し過ぎていた。
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