第133話:俺の剣
一人欠けた状態で始まった新学年。クルスは大丈夫なのだろうか、皆口には出さないがずっと気を揉んでいた。昨年、執念で成績を維持したものの、彼の様子がおかしかったのは自明のことであり、その後いなくなったことも含め気にするなと言う方が無理な話だろう。ただ、講義は全員本気で、真面目に取り組む。
五学年、就活まであと一年を切った。
ここで本気を出さねばいつ出すと言うのか。全員仲間であるが、同時に全員が敵と見えてくるのがこの時期からである。
仲良しこよしではいられない。
今学期最初の剣闘の講義でも、全員がバチバチである。
「ラビちゃん!」
「勝たせない!」
リリアンとラビ、メガラニカでのサマースクールを経て随分と仲を深めた二人であるが、剣を交えた時には目を血走らせ衝突する。
お互い友人だと思っている。
だからこそ、手は抜けない。本気でぶつからねば、紳士ではない。
「どこもかしこもあちぃーなぁ」
「クレンツェ、貴様は今年もぬるいのか?」
「煽るねえ、デリングちゃん。そんなに言うなら……次俺とやるか」
「望むところだ」
昨年、壮絶な引き分け劇を演じた二人が早速衝突する。否応なく高まる熱、誰も彼もが情熱をたぎらせ、昨年よりも熱く燃え盛っていた。
そう、この場にいる全員、
「遅れて申し訳ございません、マスター・フューネル」
新たに現れた者以外は。
「よく戻ったね、クル、ス」
引き続き五学年の担任となったエメリヒ・フューネルは現れた青年、その変貌を見て言葉に詰まる。彼は明るく、真面目で、ほんのり不器用な少年だった。
しかし今、
「おい、あれ」
「……クルス、なのか?」
少年は青年と成り、誰もが困惑するほどの変貌を見せていた。
「今から講義に参加します」
「長旅だったんだろう? 今日ぐらいは休んでも――」
「身体は動きます。休みは不要です」
黒髪は伸び、灰色の眼が一部隠れるほどである。だが、その髪の隙間から覗く鋭く、荒んだ眼は昨年までの彼とはまるで被らなかった。
雰囲気も他を寄せ付けず、鋭く尖っている。
「リフレッシュするための休暇だったんじゃないのかァ? リンザール」
「……ヴァル」
「折角地元へ帰ってリフレッシュしたのにそれじゃあ駄目だろ」
「……地元? ああ、なるほど」
クルスの貌が――ぐにゃりと歪む。
「あのクソカス野郎、皮肉のつもりか? ほんと、気に障ることしかしねえ」
濃縮した殺気が、この場の全員へ突き立つ。
「……俺たち宛て、じゃねえな」
「ああ、そのようだ」
全員に、平等に突き刺さるからこそ、それは彼らへ向けたものではないと理解できた。この場にいない者へ向けた、怒り、憎しみ、濃過ぎる執着。
「いきり立ったところで、人の内面は、弱さは変わらんぞ」
「それは自分に向けた言葉か、ヴァル」
「……」
ヴァルの挑発を寄せ付けず、クルスは逆にお返しする。今ならわかる。彼はクルスを見て苛立っていたのだ。自分と同じ足りぬ者が分不相応にも足掻いている姿、それが不愉快であったのだろう。自分が諦めたのに、と。
「また負けたいのか?」
「それもそっくりそのまま返すよ」
「……貴様は、俺に勝ったことないだろうが」
「でも、踏み越えられるのは慣れたものだろ? 自称上位の壁」
教師としては眉をひそめる煽り合い。ただ、今のクルスを知るに、彼以上の適材はいないだろう。壁として阻み続けた男、ヴァル・ハーテゥン。
「品がありませんわよ、クルス」
「悪いね。君ほどお上品な生まれじゃないんだよ、フレイヤ」
フレイヤの忠告も、秒速で切り捨てるクルス。
「リンザール、その発言はラインを踏み越えているぞ」
驚くフレイヤを他所に、誰よりも静かに激昂するデリングがクルスを睨む。
「ただの事実だろ? 俺はリンザールで、君はナルヴィ、フレイヤはヴァナディース、端から平等じゃない。それとも何か? 君の枠を俺にくれるのか? 君の婚約者と一緒に、王族の血を分けてくれるのかァ?」
「……随分と、下卑た性格になったようだな」
「くく、いい性格なのはお互い様だろ? 同じ学生ですって面して、特権を享受している。君はどの口で、持たざる俺たちに目を瞑れと言っているんだい?」
「リンザール!」
デリングはクルスを睨み、剣を抜き放つ。それを隣のディンがさっと手で止めた。
「落ち着け」
「あれを聞いて剣を納められるか!」
「間違ったことは言ってねえだろ。言うべきじゃないだけで」
「……俺は良い。だが――」
怒るデリング、なだめるディン、クルスの変貌に呆気に取られるフレイヤ、その三者に視線を向けることなく、
「喧嘩を売る相手、間違えていないか?」
「間違えてはいない。早いか遅いか、だ。端から俺は、全部抜き去るつもりでクソカス野郎の靴を舐めて来たんだよ」
本日の獲物に目を向ける。
「クソカス野郎が誰のことか知らんが、誰かに頼って得た力などたかが知れている」
「頼る? くく、何もわかってねえな、ヴァル。誰にも頼らず、俺一人の足で立つために、そうしている騎士を学んだだけだ。全ては俺がために」
クルスの身から溢れ出る自信。ヴァルはあの時覚えた嫌な予感、それがより鮮明になったような感覚に襲われた。
この夏、何かが起きた。
「二人とも其処までだ。騎士の端くれなら、口ではなく剣で語れ」
二人の間にエメリヒが割って入る。正直、教師としては冷静に見えない二人を戦わせたくはない。ただ、同時に騎士としての彼はそれが見たい、と思った。
だからこそ、
「「イエス・マスター」」
二人が剣を交えることを認めたのだ。
突発的ではあるが、二人の成績で考えても何もおかしくないマッチアップ。どうせ近日中に当たるのなら、今でもいい。
二人とも略式で礼を済ませ、即座に構えた。
クルスは、
「ゼー・シルト!」
「治った、ってことか?」
迷うことなくゼー・シルトの構えを取った。半身となり、角の如く相手に剣を突きつける守りの構え。
だが、
(……あの時より、少し後傾している、か?)
ヴァルの記憶に刻まれているティル・ナとの戦い。あの時の構えに比べると少しばかり後ろへ倒しているように見えた。その分、当然懐は深くなる。
守備力『は』上がる。
「……拍子抜けね。ビビりなの変わってないじゃん」
ミラが吐き捨てたように、その構えは明らかに守備に寄っている。いや、寄り過ぎている。ただでさえ攻撃に繋げ辛い型だと言うのに、姿勢を後ろへ倒せばより攻撃が難しくなる。つまり誰がどう見ても、
「あれ、攻撃捨ててね?」
と見えてしまうのだ。
対するヴァルはクルスの構えを見てすぐ、
「あ、あの野郎!」
「さすが自称上位の壁、他称嫌な奴は違うぜ!」
構えを解いた。それは俺からは攻めないぞ、と言う明確な意思表示。クルスが守備に、受けに特化するのなら、絶対に付き合わない。
「どうしたリンザール。挑戦者はお前だろう?」
相手が嫌がることをする。クルスが受けたいのなら、攻めない。
シンプルな回答である。
「その通りだ」
しびれを切らし、動いたのはクルスであった。一気にヴァルの近くまで詰め寄り、剣の間合いに入り込む。警戒を強めるヴァル。
しかし、
「お好きにどうぞ」
「ッ!?」
クルスは剣の間合い、その内側で再度ゼー・シルトの構えを取った。
「おいおい」
「徹底的に受けるつもりかよ」
「俺ならもう手が出てる」
間合いの内側。本来、剣闘に限らず闘争とは間合いの奪い合い、制し合いこそが妙味であり、基本的にはその手前側で攻防が始まる。
間合いの内側で打ち合う時は、互いにそれなりの覚悟を決めた時か、一方が押し込んだり、崩されたりした時となるだろう。
だと言うのにクルスは、その内側で悠長に受けの構えを取っている。
「……半身の利は、身体を横にすることで相手の攻撃に対する有効個所を削り、受けの選択肢を大きく絞れるところにある。ただしそれは、全て間合いの外側での話だ。半身の利は前の捌きにこそ発揮される。だから、ゼー・シルトは廃れた」
同じく受けの型の使い手であるデリングはクルスの暴挙を見て顔を歪めていた。合理的ではない。あまりにも暴力的なまでの主導権の譲受。
押し売りにも似た状況であろう。
「半身は背中側も弱点だしな。間合いの外なら足捌きでどうにでもなるが、内側だと捌いても後手に回る。どう考えても不利だぜ、あの状況は」
ディンもまた困惑していた。
基本から逸脱したクルスの剣。確かに今のヴァルは普通にやっても攻めてこない。クルスがゼー・シルトを解かぬ限り、そう徹し続ける。
だからと言って、これでは――
「そうまでして攻めて欲しいなら……当然俺は、何もしない」
甘美な誘い。されど、ヴァルはそれを跳ね除ける。そこまでしてやって欲しいことならば、採算度外視で跳ねのけるだけの価値はある。
そう嫌なやつは踏んだのだ。
「……さすが」
「よくやるわ。私は無理」
「わ、私も」
フラウ、ラビ、リリアンらはあまりにも歪な状況に息を呑む。クルスも尖っているが、ヴァルも尖っている。普通なら、あそこで停止はありえない。
どちらも動かずに待ちなど――
「さすがだな。本当に君は嫌なやつだよ」
「お褒めの言葉痛み入る」
クルスはとうとう、ゼー・シルトを解いた。勝った、ヴァルは笑みを浮かべる。やはりどれだけ変わって見えようとも、一度ひびの入った心は元に戻らない。
三学年の時の彼は死んでいたのだ。
我慢比べは、
「俺ほどじゃねえがなァ!」
ヴァルの勝ち。誰もがそう思った。間合いの内側、譲った主導権を送り返され、仕方なくクルスは構えを変える。ゆっくりと、弧を描き、上から下へ、前から後ろへ、その姿は何処か竜の尾を彷彿とさせる。
「クー・ドラコ!」
エメリヒは目を見張る。それと同時に、
「死ねカス!」
クルスが全身を投げ出すような勢いで、自身の体を巻き込むような回転と共に斬撃を放つ。クルスとヴァルの体格に大きな差はない。
そうでなくともリスク度外視で、後先考えぬ全身全霊での回転切り、その威力は普通の受けを許さない。
「ぐ、が、お、も――」
自分に有利だった状況。そこで待ちを選ぶことにより、主導権を送り返したことにより、その状況は反転してしまった。
有利を存分に活かし、乾坤一擲の攻撃を放った。
その思い切りの良さ、技のキレ。何よりここで仕掛ける心の強さ。
「まだだァ!」
ヴァルは気合で立て直し攻撃に転ずる。相手もあれだけの攻撃を仕掛けてきたのだ。追撃は容易くないはず。
ヴァルにも意地がある。ここで敗れるわけには――
「あっ」
剣を振った瞬間、ヴァルの目に映ったのはクルス・リンザールの、何かが乗り移ったかのような悪魔的な笑み。
クルスは追撃など選んでいなかった。
「俺の……勝ち」
クー・ドラコでの攻撃は単なる揺さぶり。それでヴァルが揺らぐと判断し、彼は悠然とその場で構えて待っていた。
ゼー・シルト、受けに特化した型を。
カウンターが煌めく。
「……」
「駄目じゃないか、ヴァル。君は仕掛けないことを選んだのなら、それに徹するべきだった。半端に攻撃するから――」
倒れたヴァル、その首に添えられたクルスの剣。
「こうなる」
あっさりと、あまりにも呆気なく、
「勝負あり。勝者、クルス・リンザール」
昨年ただの一度も乗り越えられなかった壁を、クルスは踏み越えて見せた。
「今の俺の剣は君のも参考にしている。だから、一つだけお返しするよ。結局、攻められようが、待たれようが、俺からすれば何も怖くなかった。俺の負け筋は受けを崩されること。主導権を捨て敵に攻めを強いるが俺の剣だ」
「……崩すだけの地力が足りない、か」
「その通り。君が諦めずに積んでいれば、不利を負って捌き切る自信はなかった、かもしれない。まあ、妥協した君には関係ない話だけど」
「……ふは、参った」
ヴァルはこれまたあっさりと敗北を認めた。踏み越えられるのは慣れている、わけではない。いつだって腸が煮えくり返る想いをしていた。それでも今回は、自分にはどうしようもない才能ではなく、諦めたかそうではないか、その差だった。
其処の差であったから、飲み込むことが出来たのだ。
「貴様は強いな、リンザール」
「別に。ただ馬鹿なだけだろ」
「自分で言うか」
「自覚はある」
「……その上で、か。馬鹿には勝てんなァ」
ひと夏を経て、とうとうクルスはヴァルの壁を破った。もちろんこれで終わる気はない。全てはここから、上まで駆け上がる。
攻撃に特化したクロイツェルとは対極、再びクルスは防御に特化した。だが、三学年の時とは違う。今の彼は普通に攻めてもそれなりに強い。
先ほどのように有利な状況下でならば勝ち切れる程度には。
だからこそ、受け特化が成り立つのだから。
これがクルスの、騎士としての生きる道である。
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