第130話:人生or騎士道

「……この事件をマスター・クロイツェルが?」

「ええ。詳細を確認したいと閲覧されていきましたよ。随分前に」

「……」

 ユニオン騎士団第五騎士隊副隊長のユーグ・ガーターは自身の作成した報告書、その閲覧者のリストを見て眉をひそめていた。

 ユニオンの統率者であるウーゼルは当然詳細を把握する必要がある。遺骸の研究を統括するレオポルドもわかる。だが、その中にクロイツェルがいるのはどうにも謎めいている。これは詳細な資料であり、概要自体は別途全体へ報告を上げているから。自分の隊に関係のない案件の詳細を把握する必要などないはず。

 秩序の塔、その地下書庫に収蔵された書類の閲覧にはそれなりの手間がかかる。わざわざその労力を割いてでも、調べたいと思った理由がわからない。

 メガラニカでの大事件、災厄の騎士との遭遇。

 興味があるのはわかる。ただ、興味本位で詳細を把握するほど秩序の騎士、特に隊長格は暇ではない。その中でも彼は現在、ただでさえ厳しいスケジュールの中にいるのだから、そんなことにリソースを割いている暇はないはず。

 それでも彼は調べた。眼を通した。

 あの事件の詳細を。

「マスター・ガーター?」

「いえ、何でもありません。失礼します」

 災厄の騎士に興味があったのか、それとも同じ隊長格である自分にか、逸材であるノアか、それとも他の――

「……クルス・リンザール」

 ユーグの中で二年前の噂が頭の中を過った。あのクロイツェルが母校の講師を引き受けた、その裏には何らかの目的がある、というもの。実際に打算無しであの男がそんな仕事を請けるわけがない。それはユーグも理解している。

 いくつか憶測が飛び交った。その内の一つに、突然降って湧いた枠で入学した学生、それが目当てなのでは、というモノがあった。

 無論、それ自体は当該学生が飛び抜けて優秀だったわけではなく、ただ偶然が重なっただけ、と見做されることになったが。

「本当にあの子が目的だったのか?」

 確かに戦闘時、何処か彼に似た雰囲気はあった。重なるところもあったかもしれない。それでも、彼が三年を投資するほどの実力とは思えなかった。

 契約はあと一年、彼の真意は未だ不明である。


     〇


 ぽつぽつ、と雨が降り出してきた。地面が湿り気を帯び始めても、クルスが頭を上げる様子はない。ずっと、そのまま下げ続けている。

「助けて、か。よぉわからんなァ」

「……」

 クロイツェルはクルスの近くまで歩み寄り、

「何か自分、問題でもあるんか?」

 そう問いかけた。

「メガラニカでの戦闘から、ずっと、剣が――」

 クルスが状況を伝えようと話し始めた矢先に、

「暇やない、って僕言うたよな」

「ぐっ」

 クルスの頭を踏みつけ、地面に擦りつける。

「僕は体のどこに問題があんねん、と聞いとるんや。誰が経緯話せ言うた? あんのか、問題? 僕に教えてや」

「か、身体には、問題、ありません」

「ほな、問題解決や。ご苦労さん」

「でも、心が」

 クロイツェルはさらに足の力を強め、クルスは小さくうめき声をあげる。雨が強まり、地面がぬかるみ始める。

 クルスの咥内に、土の味と血の味が混ざる。

「自分、死ぬの怖いんか?」

「……怖く、ありません」

「せやなぁ。それはもう、振り切っとるはずやもんなぁ。ほな、何が原因や? 死ぬのは怖ない。災厄の騎士もそうやろ? なら、何が原因や?」

「……それがわかったら苦労は――」

 クロイツェルは足をどけたと思ったらしゃがみ込み、クルスの頭を掴んで地面に叩きつける。何度も、何度も、何かを言い聞かせるように――

「ほんまにわかっとらんの? ほんまか? 僕、嘘嫌いやねん。もう一度、しゃんと考えてみいや。ほれ、はよ、はよ。はよォ」

 鼻血、口の端が切れたことによる出血、ぬかるんだ地面の泥でぐしゃぐしゃになったクルスの顔面。それを見てクロイツェルは嗤う。

「……わが、りま、ぜん」

 クルスの答えに、

「フレン・スタディオン」

 クロイツェルはクルスの友の名を出し、手を放した。地面に力なく倒れ込むクルス。しかし、彼が言葉を発することはない。

 今、表情は地面に向けられ、貌は見えないまま。

「友人をかばい再起不能。美談や。感動した。まさに騎士の鑑……お友達なんやろ? ん? ええなあ、友達、羨ましいわぁ」

「……」

「僕ならそれ、要らんけどな」

「……っ」

 クルスは顔を上げられない。今は足も、手も、何も拘束されていないのに、ただ地面を見つめ、何もさらさぬようにしていた。

「本当は気づいとるんやろ? 誰のせいやって。気づいとるけど、どうしようもないから足掻いたんやもんなぁ。アホみたいに遠回りして」

「……違う」

「罪悪感? それとも返し切れん借り、か? 何でもええけど、僕からすると意味わからん。アホが勝手に割って入り、勝手に騎士として死んだだけやろが。結局、再起不能やったのはそのカスと、ああ、もう一人雑魚もおったか」

「フレンはカスじゃない!」

「誰に生意気な口利いとんねん、ボケ」

 クロイツェルはクルスを蹴飛ばし、地面にのたうち回るクルスを見て笑みを深める。あれは痛みに寄る葛藤ではない。もっと別の、心の中でのものだから。

「騎士は一人や。一人で立てんなら、其処止まりやったまで。スタディオンも、アウストラリスも、弱かった。それだけや。ほんでもまあ、友人やもんなぁ、罪悪感を覚えるのもしゃーないわ。恩着せがましくカスがカスのように散っただけやけど、自分が思い悩むのも仕方がない。だって親友だから!」

「……俺は、ただ、違う、俺は」

「勝手に返し切れない恩を着せやがって、おかげで首が回らんけど、これまたしゃーない。だって、友達やもん。ほら、もう答えは目の前やぞ」

「……始めて、出来た、友達、なんだ。大事な、俺を認めてくれた」

「他人や。人は常に一人きり。自分とそれ以外、何処まで行っても其処が重なることはない。ほな、何を思い悩むことがあんねん。なァ、最初から気づいとったやろ?」

 クロイツェルは優しく、クルスの頬を撫でる。

「親友、なんだ」

「それ、贅肉やで」

「……ちが、ぅ」

 鼻血、鼻水、涙、泥、収拾がつかぬほどに瓦解したクルス・リンザールが其処にいた。必死に足掻いた。必死に目を背け続けてきた。死を恐れていないことは理解している。何者にも成れないままなら死んでもいい。そういう自分にも、あの一戦で自覚してしまった。わかっていたのだ。ずっと、最初から。

 だからこそ、ここまでただ一人引きずり、壊れたのだから。

「友達、恋人、兄弟、家族、全部騎士にとっては贅肉や。僕は捨てた。だから、こうして『騎士』をやっとる。自分はどうや? どないする?」

「……」

「今、選べ。要らんもん全部削ぎ落として『騎士』に成るか、贅肉抱いて妥協してそれなりの人生を生きるか、二つに一つやよ」

「……俺は」

 揺らぐ。ぐらつく。視界がぼやけ、足元が消える。心がパキパキと音を立て崩れ、それでも後生大事に抱えている何かを、手放せない。

「まあええ。そっち側なら幸せや。それなりの成績で、それなりの騎士団入って、それなりに仕事して、出世して、それなりの嫁さんもろて、それなりの家庭築いて、子どもは二人ぐらい欲しいわなぁ。それで、地元に凱旋する」

「……じも、と」

「みんなちやほやしてくれるやろうなぁ。何せ、地元から出た初めての騎士や。親御さんも大喜び、自分の娘を嫁に、なんてのもわんさかやろ。こら幸せや。頑張った甲斐があった。ようやった。みーんな笑顔やよ」

 クルスの貌が、憤怒に歪む。

『何故愛想よく出来ない!』

『お兄さんは良い子なんだけどなぁ』

『和を乱すな』

『エッダに近づかないでくれるか?』

 自分だって頑張った。やろうとした。野良仕事だって手伝った。でも、一度だって褒められたことなんてない。兄のことは毎日褒めていたのに。

 自分はスペア。兄が生きている限りは無価値。分け与えられるものなど何もない。造ったはいいが、兄の方は健康で病気もせず、替えが要らなくなった。

 だから、何をしたって褒めてもらえない。ただの労働力、大した土地も持っていないから、それも要らない。ただの負債、それが自分。

 とっくに飲み込んでいる。だから、何でもいいから外に出たかった。何でもいいから何か、代わり以外の人生を歩みたかった。

 クルス・リンザールの人生に、意味が欲しい。

『ゲリンゼルの誇りだ!』

『生まれながらに違う子だと思っていたなぁ』

『いつでも帰っていらっしゃい。ここは貴方の故郷ですから』

『うちの娘のことは覚えているかい? 今度――』

 だから、

「……オェ」

 自分を不用品と見做していた故郷なんて要らない。それは当然のこと。あそこに戻ると考えただけで吐き気がする。親なんて要らない。兄は、優しくしてくれたけど、やはり要らない。幼馴染も要らない。要らない。要らない。要らない。

「で? どないする? 人でなしの道か、薔薇色の――」

「……煩い。無駄な話、嫌いなんだろ?」

 クルスは己の初期衝動をたたえた眼で、立ち上がる。あの小さな世界が嫌いだった。あの閉じた世界が憎かった。居場所が欲しかった。何かに成りたかった。

 あの日、『先生』が現れた時、決めたのだ。

「……」

 何かに、『騎士』に成ることを。

 誰のためでもない。自分のために。

(ごめん、フレン。君は勇敢だ、才能もあった。騎士に成るべき人だった。だから、君はあの時俺を見捨てるべきだったんだ。だって俺は――)

 クルスは歪んだ笑みを浮かべる。

「全部、捨てる」

 騎士の世界で初めて出会った友達二人を削ぐ。自分にとって第二の故郷、いや、故郷であるこのアスガルドで出来た友人たちを、削ぐ。憧れの先輩を削ぐ。好意を寄せていた美しい名門の子を、削ぐ。自分の支えになってくれると言ってくれた子を削ぐ。自分を理解してくれた子を削ぐ。削ぐ、削ぐ、削ぐ、削ぐ。

(人でなしだから、さァ)

 全部、要らない。

「……構え」

「イエス・マスター」

 クルスはクロイツェルに従い躊躇いなく、ゼー・シルトの構えを取った。もう迷いはない。迷いの元は全て削いだから。

 自分だけが、ここにいる。

「「エンチャント」」

 どす黒き漆黒と透けた水色が対峙する。

 クロイツェルの容赦ない攻め、深く踏み込み、殺意十割の剣を振るった。受けねば死ぬ。受けられぬやつに生きている価値など無いと言わんばかりに。

 それを――

「……」

 皮一枚捨て、受け流しながら、そのまま完璧なカウンターを叩き込む。

 クロイツェルの首元に添えられた、クルスの剣。

「一度吐いた言葉は、引っ込められんよ」

「これが答えだ、レフ・クロイツェル」

 フレンへの友情ごと、罪悪感も貸し借りも、全て削ぎ落した。だからこそ、この剣は迷いなく、軽快に、その軌跡を描く。

 何の縛りも、重みも、無い。

 ただ己がための剣、である。

「ようこそ、人でなしの世界へ」

 雨脚が強くなる。互いに、ずぶ濡れ。されど、気にする素振りもない。

「……」

「ああ、あと――」

 クロイツェルは躊躇なくクルスの顔面に拳を叩き込む。

「マスター・クロイツェル、や。上下はしっかりせなあかんよ」

「……イエス・マスター」

 クルスは拳をもろに喰らい後退しながらも、その貌は欠片も揺らがずにすぐさま直立不動の姿勢を取った。口の端から零れる血など気にも留めず。

「今日の泥の味、忘れたらあかんぞ」

「はい」

 忘れまい。これから先、如何なることがあろうとも。

「はっ、随分遠回りしたわ。まあええ、これで予定通りや」

「予定、ですか?」

「ああ。言うん忘れとったわ。僕の予定」

「……それは俺を取ったことと関係が?」

「さすがの脳無しも気づいとったか。まあ、二年も騎士の世界におったんや。一枠の値段に当時の自分が見合わんことは理解出来たやろ」

「はい」

 枠の価値、そしてレフ・クロイツェルの三年、どれも自分には見合わない。今の自分でさえ、到底釣り合うものではないだろう。

 それでも彼はクルスを選び、三年を捨てた。

 その理由は、

「僕には野心がある。騎士の頂点、グランド・マスターになる、言う野心や」

「……?」

「僕如きが騎士の頂点からカス共を見下ろす、これがやってみたくてなァ。ほんで、色々と考えた。今の僕に何が足りんか」

「意味がわかりません」

「個の力は足りとる。自分が今のグランド・マスターに、その候補たちに劣ると思ったことは一度もない。ただな、僕、こう見えて人望ないねん」

「……でしょうね」

「かと言って今更政治も面倒や。やから、手っ取り早く、実力でどの隊よりも抜きん出る方法を考えたわけや。それが、自分」

「……やはり、わかりません」

 クロイツェルは愉快気に哂う。

「相変わらず足りとらん。要は、僕がもう一人おれば、嫌でも抜きん出るやろ、って話。正確に言えば、僕の廉価版やけどなァ」

「っ……おい」

 クルスは先ほどと同様の憤怒に顔を歪めた。

「それでええ。僕でもそう怒る」

「……ちっ」

「僕のやり方を踏襲し、僕と同じように妥協なく、徹底的に手足を操る。そんな駒が欲しかった。そんな時に、自分を見つけた」

 クロイツェルの思考を理解し、クルスは吐き気を覚える。ここでも自分はスペアとしての役割を求められたのだから。

 兄の代わりが、クロイツェルの代わりになっただけ。

「人の気質は変わらん。育ててどうなるもんでもない。それは、僕にとって実力よりもよっぽど重要やったわけや。納得できたか?」

「はい。納得はしました。ただ――」

「ただ、何や?」

 クルスはクロイツェルを睨み、

「俺が上に立てば、マスター・クロイツェルが俺の代わりになる、ってことで良いんですよね? 理解、間違っていますか?」

 自分が意のままに操られると思ったら大間違いだ、と宣言する。

「ええよ。僕でもそう思う。それぐらいやないと、僕の代わりなんて務まらんわ」

「……」

「今日から僕が『騎士』を教えたる。僕のために、立派な『騎士』になれや」

「イエス・マスター。俺のために、励みます」

「ぶは、死ねカス」

 己が目的達成のための駒として、自身が『騎士』と成る踏み台として、レフ・クロイツェルとクルス・リンザールは師弟関係となる。

 歪な関係性である。

「今すぐ荷物まとめぇ。ここまで悠長に、のんびり屋さんの自分に足並み合わせてやったんや。ここからは一秒たりとも無駄は要らん」

「何処へ向かうんです――」

 問いの最中、クロイツェルの裏拳がクルスの顔面に直撃する。ようやく収まった鼻血が、また噴き出るほどの威力。

「僕の命令は全部イエスや、ボケ」

「……イエス・マスター」

 クルスもまた表情一つ変えず、それを受け入れる。人でなしが『騎士』の道と言うのなら、とことんその道を征く。

 その果てに――

(……今に見てろ。いつかテメエも、俺の下に叩き落としてやる)

 己が一等賞に成れたなら、それでいい。

 そのためなら何でもする。何だって我慢する。どんなことでも受け入れる。この男が自分を引き上げ、利用することが目的ならば逆にありがたい。何の気兼ねなくレフ・クロイツェルから学び、吸収し、喰らい尽くせるというモノ。

(さようなら、俺の人生。俺は、騎士道を征く)

 一人と一人、それがこの二人の在り方である。

(もう、戻らん)

 ただ一人、それが此処からクルス・リンザールが歩む道のりであった。

 全てを削ぎ落とし、ただ一人少年は道を征く。

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