第129話:諦めることすら――

「っしゃあオラァ!」

 アンディの高らかな咆哮、それを虚ろな目で見つめるクルス。結局、あの後ヴァルは上へ挑戦することなく、上位組の戦いが始まり、今はアンディとミラが戦っていたところである。とうとう、彼はここまで来たのだ。

「ミラも、か」

「手、付けられねえな、もう」

「まあ、最近ミラは明らかに拳闘以外其処まで労力割いてないしな。実際、拳闘に関しては下の連中を寄せ付けなかったわけで」

「その辺は取捨選択かね。ま、どちらにせよ――」

 剣闘の講義、第五位の席を奪った男は次の獲物を見据える。ここまで駆け上がって来た。努力の仕方は、自分の先を行っていた友人が教えてくれたから。

 彼に感化され、彼を模倣し、気づけばこの位置。

「調子いいな、アンディ」

 第四位、ディン・クレンツェがまだまだイく気の男を前に立ちはだかる。

「コツは魔力の伝導だ。意識するようになってから一つ階段を登ったぜ」

「はは、普通はとっくに意識しているもんなんだけどな、その程度のこと」

 如何なる才能も努力無しでは輝かない。アンディ・プレスコットはそれを体現していた。一学年からすでに準備を十全にしていた騎士の家の子たちに突き放され、腐っていた彼は一学年、二学年と退学候補であった。

 それが今、此処まで上り詰めてくるのだから世の中わからない。

「今の俺がどこまで通用するのか、試させてもらうぜ!」

「おうよ!」

 破竹の勢い。ヴァルを抜いてすぐ、フラウを抜き去り、多少その後のフィンで足踏みしたが、あの共同演習後、ログレス第二位の男であるリュリュと言う手本を参考にし、さらに一つ化けた。苦戦していたフィンを抜き、本日ミラも抜いた。

 その勢いは留まるところを知らない。

 クルスはそんな姿を、苦い笑みを浮かべながら見つめる。何度でも思う。自分はああなりたかった。ぐんぐん伸びて、上へ上へ挑戦の舞台を移していく。

 まるで主役のように輝きたかった。

 ただ――

「ふぃー、マジで強くなったな、アンディ」

「……おお、こりゃ、やっぱ、強ェわ」

 先ほどまで主役だったアンディすら霞む輝き。お互い攻撃に寄っているからこそ、目に見えてわかる完成度の差があった。肉体のレベルは近い。わずかにアンディの方が勝っているかもしれない。されど技術は、剣の完成度は、比較にならない。

 ここにも壁があった。昔は遠過ぎて見えなかったけれど。

 ずっと前からあったのだ、其処に。

「今のアンディでも届かず、か」

「圧勝ってわけじゃないけど、やっぱ差があるよなぁ」

「こうなってくるとさ、気になるよな」

「まあ、な」

 皆が注目するのは四位から先の序列。最近のディンは剣闘でイールファスにばかり挑戦し、あの二人と交戦していない。本人は一等賞をぶち抜けば全部抜けるんだから、そっちの方が手っ取り早いと豪語していたが、皆頭の片隅では思っていた。

 遠慮している、と。

 ヴァナディース、ナルヴィ、あの二人が対抗戦から漏れてしまう可能性。ディンが上がると言うことはそう言うことなのだ。

 すでにログレスから弾け飛び、名前ばかりのクレンツェである己とは違う。このアスガルドにおける輝ける未来でもある二人は、当然のように其処に在らねばならない。それはもう、一学年からの決定事項であった。

 イールファスがいる以上、残りは二枠。其処には二つの名が刻まれるべき。

「よーし、いい感じにあったまって来たからやろうぜイールファ――」

 だからこそ、

「俺が相手だ」

 そう見られていることも、そう思われていることも、全て承知の上、負けること、劣ること、漏れること、絶対に許されない状況であるにも関わらず、

「……俺はイールファスとやりたい気分なんだけどな」

「四位が一位に挑むのは道理に反する。今までは目こぼししてきたが、今日は四学年における剣闘の最終日だ。なら、看過出来ん」

 第三位、デリング・ナルヴィはディン・クレンツェの前に立つ。一度はフレイヤに勝利し、二位を奪ったがすぐさま奪い返され、長らく指定席の三位に居座っていた。彼女に発破をかけ、発奮した姿を見てそれで良しとしたか。

 とにかく、彼が上下に動くことはなかった。

「……やるとなったら手は抜けんぜ、俺は」

「誰が頼んだ? それに、何か勘違いしているようだが――」

 優雅に、しなやかに、デリングはカーガトス・オリジンの構えを取る。

「俺は貴様に負けると思ったことなど……ただの一度もない!」

 威風堂々と言い放った。

 その覚悟を聞き、ディンは一度大きく息を吸い込む。

 そして、全部吐き出し、

「オッケー、やろうか」

 彼もまた自分の型であるフー・トニトルスの構えを取る。灼熱が匂い立つ。この熱量をもってしても、輝ける男を前に焼け落ちてしまったのか。

 それとも、彼はここで再起し、より高き熱量を得たのか。

 どちらにせよ、対峙する二人は笑みを浮かべた。

「征くぜェ!」

「受けて立つ!」

 劫火が迫る。受けるは――

「……は、はは」

 鉄壁の城塞。受けが得意なクルスだからこそ、それが見えた。見えてしまった。圧倒的な厚みと、何物にも揺らがぬ堅牢なる壁。

 真の堅守とは、前捌きとは、こうするのだと言わんばかりの。

「……化け物しかいねえ」

 強くなった。本当に、クルスは強くなったのだ。得意を封じられ、何も出来なくなっていた頃とは違う。それを失ってなお、上位の壁であるヴァルに対策を取らせる程度には成長した。騎士を志す者の全体なら上位1%には入っている。

 彼は強くなった。

 だからこそ、明確に、明瞭に、はっきりと見えるのだ。

 自分と、その先にある壁の厚みが。幾重にも立ちはだかるそれらが、クルスの前を塞ぐ。もう何も見えない。何も感じない。

 ただ、届かないと言う現実だけが其処に在った。

 お前は凡人である。

「……すげー」

 天才たちの戦いを見つめる。もう充分だ。諦めよう。どうやっても届かない。届くわけがない。自分は彼らとは違う。あのクソったれなゲリンゼルに生まれて、クソの中でもさらにクソな何もない奴だった。

 そんな自分が上を目指したこと自体が間違いだった。生まれながらに才能の差はあって、手が届く距離など決まっているのだ。

 だからもう、戦えない。諦める。もっと楽な道はいくらでもある。それなりの騎士団を目指そう。分相応な、こんな自分でも必要としてくれる場所を。

 心が折れた。もう駄目だ。

「クレンツェ!」

「デリングゥ!」

 あそこに凡夫である己が、どう割って入れと言うのだ。

 諦めよう。それでいい。それが一番賢い道だ。

 だから――もうおしまい。

 この熱戦のことを、クルスはあまり覚えていない。覚えているのは結果だけ。死闘の末、互いに剣を突きつけあった引き分け。

 序列は動かず、さりとて皆の胸は躍る。

 この代は、間違いなく歴代最高峰だ、と。

 クルスの心だけは、氷の如く冷え切っていたが――


     〇


「お見事です、リンザール」

「……は?」

 記憶が飛ぶ。何故か自分は今、騎士科の誰よりも先に統括教頭であるリンド・バルデルスに呼ばれ、教壇の前に立っていた。

 その手には答案用紙が一枚。

「この私が褒めると言うことはそういうことです。下がりなさい」

「……イエス・マスター」

 魔導学の講義、おそらくは期末テストの返却なのだろう。期末テストを受けた記憶すら、今のクルスにはないのだが。

 ただ、騎士科の学生の誰よりも早く、魔法科の学生ですら何人も残した状態で呼ばれたと言うことは、クルスが魔導学の騎士科トップと言うこと。

 それもぶっちぎりの。

「……くはは、本当に、大したやつだよ、お前は」

 誰よりも早く、ヴァルがクルスへ拍手を送る。ディンも、デリングも、フレイヤも、ミラも、フィンも、アンディに至っては爆竹でも鳴らしているのかと言うぐらい強い拍手であった。それらがすべてクルスへ向けられる。

 魔法科の学生の一部は天敵を見る目でクルスを睨んでいたが。まあ、それも仕方がない。騎士科や貴族科に魔導学で負けると言うのは、魔法科としては屈辱以外の何物でもないだろう。よくも、と思われるのも当然のこと。

「負けちゃったね」

「ええ、残念」

 リリアンとフラウは小さく拍手をしながら苦い笑みを浮かべていた。

「キャナダインなのに魔導学で負けちゃったなぁ。お父様に怒られちゃう」

「魔導基礎では勝ったでしょう?」

「僅差だけど……でも、これで勝負あり、だね」

「……そうね」

 この魔導学は座学の中で二番目に、結果発表が遅かった。すでに最後の一科目を残して、成績は出揃っている状況。呆然自失のクルスと争っていたリリアンとフラウは当然、彼の持ち点を把握している。

 今回の魔導学で勝てなかった以上、もう勝利はない。

 何故なら、

「残りは……算術だよな」

「……そういうこと。つまり――」

 算術はクルス・リンザールの最も得意とする科目であったから。しかも今回、テスト内容は応用力よりも基礎を問う問題が多かった。基礎的、と言っても御三家基準ではあるが、其処に求められたのは穴のない基礎力と、処理能力。

 ゆえに――

「騎士科、クルス・リンザール!」

「うそ!?」

「は、いや、騎士科で一番だとは思っていたけど……うっそだろ、あいつ」

「……三科で一番か。初めて聞いたよ、一般教養で騎士科がトップなんて」

 騎士科、どころか貴族科、魔法科も含めた三科でトップの成績を収めた。これには皆驚きを通り越して呆れるしかない。

 テスト中も凄まじい集中力で、誰よりも速く筆を動かしていたとは思っていたが、それでも頭脳集団である魔法科をも凌駕するとは誰も思っていなかった。

「あ、あはは、あれ全部解いたんだ」

「はいはい、参りました」

 騎士科の座学のツートップもお手上げ状態。自分たちよりも上だろうと思っていたが、それ以上の結果を叩き出されてはもう何も言えない。

「ふぁ、ファナ」

「別に、気にしてない。クルスの処理力は、もともと私より上」

 この四年間で一度も玉座を明け渡したことのなかった真の女王、イールファナ・エリュシオンよりも上に立った。

「君は私たちの誇りだよ、リンザール。胸を張り給え」

「い、イエス・マスター」

 テスト内容がクルス向きであったことを差し引いても、これは快挙としか言いようがない。魔導学の時以上の拍手が降り注ぐ。

「去年座学でビリッケツだったやつがなぁ」

「今年は座学の王様かよ」

「文句なし。今年はお前が一番だ」

 期せず、クルスは騎士科座学のトップと言う栄冠を得た。だが、クルスの貌に喜びはない。むしろ、心の中はこれ以上なく荒れ狂っていた。

 だって、諦めたはずだったのだ。

 もう終わり。それなりにやって、それなりの騎士団に入る。そう決めたはずなのに、何故かその決意とは裏腹に、クルスはほぼ無意識で努力してしまった。

 しかも、記憶にないが、おそらく結果を見るにいつも以上に、徹底して、死に物狂いで、やった。そうでなければリリアンとフラウを抜き去ることなど出来ない。

 彼女たちも今回は本気であったはずだから。

(……何やってんだ、俺)

 全然諦められていない。其処にクルスは絶望してしまう。何とか平静を取り繕っているだけ。何とか必死に『笑顔』を作っているだけ。

(実技で駄目だったから、座学で補う? それが意味ねえことぐらい、わかってんだろうが。何の意味もねえよ。何の足しにもならねえよ)

 諦められない。

 諦めたいのに、どう考えても諦めるべきなのに、心がそうしてくれない。ほぼ無意識に、努力をしてしまった。足掻いてしまった。

 それがさらなる追い打ちとなる。

 諦めることすら、愚かな自分は出来ないのだと知ったから。

 吐き気がする。目眩がする。苦しい、辛い。

 それでもクルス・リンザールは――立つ。


     〇


 エメリヒはとある学生へ向けた各騎士団のオファーを見て、ため息をこぼす。先ほどもバルバラと言い合いになった、その原因が手元の資料である。

「そちらの学年は素晴らしい成績を出したと言うのに、なぜそのような顔をしているのかな、マスター・フューネル」

「マスター・ヘイムダル」

 四学年の担任であるエメリヒに、騎士科主任であり六学年の担任であるリーグ・ヘイムダルが声をかける。

「皆の成績に関しては不満もありませんよ。この通り、騎士団からの調査依頼やオファーの数自体、例年とは比較にならないほど届いていますから」

「そのようだな」

 エメリヒのデスクには書類の山がうず高く積まれていた。これら全てが今の四学年に宛てられたものである。

「ただ、だからこそ、納得がいきません」

「……クルス・リンザールの件、か」

 教師の目線からするとクルスの成長は目覚ましいものがあった。実技とて、むしろゼー・シルトを使えていた時よりも、今の方が評価と言う点では高くなる。あらゆる局面に対応してこその騎士、その点、極めてバランスよく成長した彼の剣はかなりの好印象であった。それは――

「彼はこの一年、これだけ評価を上げたんです」

 学校だけではなく騎士団から見てもそうだった。元々興味を示していた騎士団三つはすでに調査依頼、研修参加ではなくほぼ入団オファーに近い形であり、他にもメガラニカやブロセリアンド、果てはラーやドゥムノニアからも研修参加のオファーが届いている。準御三家は完全に射程圏内に入っていたのだ。

 特に凄いのはラーとドゥムノニア、この二つの騎士団とアスガルドはあまり関係が良くなく、ラーはログレス寄り、ドゥムノニアはレムリア寄り、とアスガルドからの学生を取ることはかなり稀。と言うか、其処に送るくらいなら姉妹校であり教育も近いブロセリアンドなどの騎士団を推すので、必然的にそうなるのだが。

 調査されることが稀。おそらくこの二つの騎士団に関しては何らかの、か細くともコネクションがあるのだろうが、それもまた実力のうち。

 正直に言えば、アスガルド側としてもこれを機に関係を改善し、新しいパイプとなってくれたら万々歳、と思っている。

「そうだな。彼の修正力は素晴らしいものがあった。特に後期の彼は、常に高い集中力を保ち続け、それが結果にも表れていた」

 リーグも滅多に褒める性質ではないが、その男をして彼の努力は褒めるところしか見受けられなかった。

「そりゃあ成績や序列は相対的なものです。でも、騎士団はきちんと内容を見ている。ヴァルとクルスの評価はほぼ同じ。フラウもそうですね。むしろ個人の技量は高くとも、若干協調性に欠けるフィンに至っては、オファーの数は下位三名より下です。十番目の男が、これだけの評価を受けているんですよ?」

「……普段なら、上位五名の人材だろうな。いや、下手をすると三番手ぐらいか。改めて恐ろしい代だ、ここは」

「まあ、だからこそオファーの数が多いとも言えますが」

「アスガルドだけでは獲り切れんからな」

 一つの騎士団が年間採用する人数は大体決まっている。その学校の枠はもっと厳密なもの。だからこそ、一つの学年に逸材が集結したこの代は、他の団からすると宝の山であるのだ。例年、あまり顔を出さない騎士団も現れる程度には。

 共同演習でも実力を見せつけた。当然、あそこでも抜き打ち見学会は行われている。その後、見学会への参加が爆増したのもそう。

「それで、怒りの理由は?」

「ご存じの通り、レフ・クロイツェルですよ!」

 バン、とエメリヒは机を叩く。彼にとっても許容し難いことであった。

 何しろ、

「彼の努力の結果を、あの男は伝えるなと言ったんですよ!? この一年の成果を、それがどれだけ多くの騎士団に届いたのかを……今伝えてあげねば、壊れますよ」

 これらの『結果』を彼が権利を行使し、エメリヒに伝えるなと命じたのだ。

「……わかっているだろうが、彼の編入の枠は」

「マスター・クロイツェルが講師の仕事を請ける、その対価に創られたもの。知っていますよ、私たち正規の教員なら、全員が!」

 バルバラのような外部の講師は知らない。だから、エメリヒ以上に今のクルスに対する諸々で、彼女は激怒していたのだ。

 学校からは手を出すな、の一点張りであったから。

「我々にはどうすることも出来ない。そういう契約だ」

「あの子は、私の学生です!」

「……私にとってもそうだ。だが、それ以前に、レフ・クロイツェルのモノなのだよ。それは変え難い現実だ。あの時の我々には枠がなく、あったとしてもクルス・リンザールが此処までものになると君は判断出来たかね? あの経歴で、あの素養で」

「……」

「あの男には見えていた。それが全てだ」

 エメリヒは虚しく書類の束を見る。彼に伝えられねばこんなもの、ただの紙束でしかない。あまりにも哀れではないか。

 誰が見ても足りない、真っ新かつ歪な状態で御三家に放り込まれ、ここまで這い上がって来たのだ。褒められてしかるべきなのだ。しかも、ネックだった座学を自分の武器にまで仕上げて見せた。この執念は多くの教員に感動を覚えさせた。

 魔法科の教師たちなど今からでも転科させて欲しい、などと無茶を吹っ掛けてくるほどに。今の彼は、そう言う評価であるのだ。

 それは、彼にほとんど伝わっていないが。

 いや、伝えぬように手を回されている、だけだが――

 蛇の毒は最初から、仕込まれていたのだ。


     〇


 クルスは手紙を握り締め、ずっとポストの前でたたずんでいた。親友であるフレンへあてた手紙。何度も出した。何度も返って来た。彼は自分に気負いを持たせまいと、ことさらに明るく、充実している旨を送ってきてくれていた。

 彼の気遣い。それはわかっている。わかっているのに、どうしても抑えられない。いいな、と言う嫉妬の心が。自分は上手くいっていないのに、全てを失ったはずの親友が新しい道で希望を見出している。それが羨ましい。

 妬ましい。

 醜い心、それへの自己嫌悪。

「……」

 ぐしゃり、と手紙は手の内で押し潰される。

「……ぐ、ぅ」

 情けない、嘘まみれの、クソみたいな手紙。クルスもまたフレンへ心配させまいと、ことさらに明るく、嘘ではないギリギリのラインで誤魔化しながら手紙を送り続けていた。今回も、内容としてはそんなことばかり。

 座学で一位を取った、嬉しい、次は実技でも上を目指す。

 来年の対抗戦には絶対に出るぞ。

 そんな、嘘八百を並べ立てた。

「……もう、無理だ」

 クルスは結局、手紙を出すことが出来ずに、ポストの前でうずくまって一人情けなくも涙を流した。恥ずべき行為である。嘘をつき、自分のせいで道を断たれた友を妬み、そんな自分があまりにも情けなくて、恥ずかしくて、泣いた。

「……助けて」

 誰にも頼れない。帰るべき場所もない。

 ただ一人少年は、誰にも届かぬ悲痛な言葉をこぼす。

 手紙は出せず――ごみ箱へ捨てた。


     〇


 クルスはふらふらと、いつの間にか大樹がそびえる森の中を一人歩いていた。まるで夢遊病の患者のような足取り。実際に彼はほとんど記憶無しにひと月近く、座学の鬼と化していたのだから笑えない。

 この後、予定があった。アンディが今年もやるぞ、と四学年お疲れ様会を、前年と同じ彼の実家で行うため、今度は上も下も片っ端から声をかけていた。もちろんクルスにはいの一番に声がかかり、クルスも『笑顔』で承知した。

 だが、当然前向きな気分ではない。

 さりとて用事があるわけでもなく、よく考えたらまたもや夏の予定が決まっていない有様。何処までも、この時期の自分はどうしようもないらしい。

 だから、またここに来た。

 恥ずかしげもなく――

「……」

 自分一人ではどうすることも出来ない。諦めることすら出来なかった。

 それゆえに、

「……自分はほんま、僕の時間邪魔するんが好きやね」

 クルスは歪んだ、笑みを浮かべる。

 やはり、其処にいたから。いてくれたから。悪魔のような笑みを浮かべ、蛇の如く舌なめずりをし、獲物を待ち構えていた。

「で、何の用? 僕、忙しいんやけど」

 だからクルスは躊躇うことなく、

「助けてください」

 ひざを折り、地面に額を叩きつけ、助けを乞うた。

「……ほォ」

 ユニオン騎士団第七騎士隊副隊長、レフ・クロイツェルに。

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