第126話:異なる道を征く者たち
クルスは制服に袖を通し、伸びた身長を実感する。新学年開始時には大きくて着ることの出来なかった新しい制服が、今は少し大きめに収まっている。となれば当然、以前に着ていた制服はお払い箱、すでに処分済みであった。
ただ、鏡に映る自分の姿に変化は見受けられない。
「……」
何故なら身長の比較とは相対的なもの。どうしたって周りと比較してしまう。自分が伸びた分、周りも伸びた。伸びていた。
結局、自分の立ち位置は変わらない。
「……手紙も、出しとくか」
ソロンへの感謝の手紙、フレンへの近況報告。前者に関しては聞きたいこと自体が尽きつつあるので、クルスの中では今回で終わり。後者に関しては回数を重ねるたびに書けることが無くなり、最近は筆が進まなかった。
新しい道を歩み始めた友に比べ、彼の犠牲の上に成り立つ己の道がこの程度では泣けてくる。拳闘大会で二位になった、これも書けない。書きたくない。
くじ運が良くて二位になりました、それでおめでとうなどと言われた日には死にたくなる。だけど、今はそんな書きたくないものばかり。
書きたいことなど何一つとしてない。
何一つとして――
〇
ウル・ユーダリルこだわりの制服、普段使いからフォーマルな場まで全対応できるそれは、学生にとって大変ありがたいものであった。
何しろ、何も考えずにそれを着てくればどうにかなるから。
つまり、
「やあ、ファナ」
「おはよう、クルス」
双方当たり前のように制服である。まあ、別にデートではなく日頃の感謝をおごりで返す、と言うイベントであるためお洒落をしないのもおかしな話ではないが、それにしてもこの二人、微塵も服装には興味がなかった。
「何か行きたいところある?」
「工場」
「工場……魔導系でしょ? アースには、ないなぁ」
「その場合アースと言う前提条件が必要」
「これからアースに向かうのに?」
「小粋なジョーク」
「そう来たかぁ」
本気なのか冗談なのか微塵もわからないイールファナ。最近ようやく色々とつかめてきたと思っていたが、どうにもそれは早合点であった模様。
ちなみに魔導系の製造工場は製造過程で大量の水を消費し、多量の排水を垂れ流すため、水源が近くにある、かつ人里離れた場所に建てられることが多い。
最近では公害なども取り沙汰されるようになり、ますます魔導やケミカルな工場は人の居住地から離れていくことが予想されている。
と言うのは余談である。
(……まあでも、鉄板はある)
クルスとて愚かではない。ここまでの付き合いの中で、彼女の大好物はわからずとも、彼女が好むものは把握している。
間違いない選択肢を取り、彼女を充足させる。
効率的に行こう、クルスの思考が冷たく答えを弾き出す。
〇
「あまい」
「そりゃあ甘味だからね」
女の子には甘いもの、今までの経験則から導き出された浅はかな回答にご満悦のイールファナであった。飴であれだけちょろいのだからこうなるのも必然か。
果実を飴でコーティングしたフルーツ飴、フレイヤもミラもモリモリ食べていたので行けると思ったが、どうやらしっかりと効果抜群であった様子。
「クルスは甘味を与えておけば良いと考えている」
「熟慮を重ねた結果だよ」
「舐めている」
「飴だけにね」
「ユーモアのセンス抜群」
「……どうも」
本気で感心しているのか、それとも単なる煽りなのか、クルスには判断がつかない。まあ、何だかんだと美味しそうに食べているので悪くはないだろう。
(食べ方にも性格出るなぁ)
フレイヤは最初上品に、油断すると少しずつ一口が大きくなっていく。ミラは最初から勢いよく食べるが、意外と一口は控えめでよくよく見ると上品。イールファナは上品とか関係なく、ただただ一口が小さい。
半分リスである。
(さすが双子、食べ方がそっくりだ)
ちなみにイールファスもそんな感じ。極めて小さな一口を高回転させるスタイルである。食べづらいだろ、と思っているのは内緒。
「お腹いっぱい」
(しまった。あの二人を基準に考えていた)
とりあえず甘味を連打しておけばいいだろう、と言う浅はかな思いは打ち砕かれる。イールファナはあの二人のような大食漢ではないのだ。
其処は魔法科と騎士科の差か。
夕食までを甘味で繋ぎ、それでフィニッシュと言う計画が狂ってしまった。そもそもが特殊な人間のみに通用するプランであったが、彼の経験則からそれが普通でないことを判断する術はなかった。
「……魔導量販店に興味ある?」
「あまり。私は専門家、小売りに流通するような製品はすでに研究がひと段落した分野。研究者として見るべき部分は少ない」
「そ、そうか」
「まあ、クルスが行きたいなら仕方なくついて行ってあげる」
「そ、それはどうも」
立場が逆転しているような、そうでないような。とは言え持てる手札が少ないので、お言葉に甘えて我らが魔導量販店アマダへ赴く。
去年、三人で行ってことを思い出す。
あの頃はまだ、自分への自信にあふれていた。希望があった。それが解像度の低さから来る、幻だとも知らずに。
「そろそろ別の場所に――」
「……」
「……楽しそうで何より」
百聞は一見に如かず。さすがは魔導量販店アマダ、卓越した品ぞろえによりきっちりと自称専門家のハートを射止めた模様。ショーウィンドウをじっと見つめ、商品のカタログに目を通し、またショーウィンドウを眺める。
(無限に時間溶けるな、これ)
結局夕食の予約に遅れそうになったので、無理やり引っ張り出すしかなかった。その時の抵抗は魔法科とは思えないほどに激しかったと言う。
魔導量販店アマダ、恐るべし。
「……」
(……またか)
すっと、彼女へ向けられた視線をクルスは体で遮る。
〇
ウル・ユーダリルが以前連れて行ってくれた店を予約していたクルス。ここで始めてフレイヤを見た。初めて上流階級の世界に触れた。
今も居心地がいいわけではない。
ただ、
「さすがに美味いね」
「クルスは貧乏と聞いた」
「大会、実は賞金あったんだよ。そこそこね」
「やりおる」
今はその世界に馴染むことは出来ている。アスガルドの制服、その効力もあるだろうが、それとて着られていれば悪目立ちしてしまうもの。
「さっきも思ったけど、クルスから大分芋臭さが消えた」
「さっき?」
「私がつまずいた時とか、扉を開ける時とか、色々」
「ああ。そりゃあ一応、紳士たれが校訓の騎士科に属していますし、これでも最近は貴族科にもお褒めの言葉をいただいていますから」
マナーの講義や様々な経験を経て、クルスにも『騎士』が体に染みつきつつあった。こうした場で臆せず振舞えることもそう。誰かが転びかけたらさっと手を差し伸べ支えるし、一歩前に進み出て自然と扉などを開けることもそう。
「お芋卒業おめでとう」
紳士として、騎士として、当たり前のことをやっているだけ。
当たり前のことがようやく出来るようになっただけ。
「ありがと。イリオスに芋はなかったけどね」
「アスガルドではポピュラー」
「北の方だとどうしてもそうなるね。レムリアまで南だと米が主食だし」
「地域差がある」
「ファナの出身ってどの国だっけ?」
「ラー」
「あ、それなら知り合いがいるよ。独特なパンもごちそうしてもらったっけ」
「……意外と交友関係が広い」
「メガラニカに感謝だね。その子もファナと同じルナ族だったよ」
「……」
ルナ族、それを聞いてイールファナの様子が少し変わる。
「その人と、何か、話した?」
「ファナのこと? うん、まあ、ちょっと話したような……でも、別に何か変な話はしていないよ。その子の方がよほど変わった子だったし」
「……私の話をしたのに?」
「なんで?」
「……その人、何て名前?」
「シャハルだけど」
名を聞き、イールファナはさらに顔を歪めた。
「……明けの明星、ふざけた名前。ノマ族ならともかく、ラーのルナ族でそんな名前を使う者はいない。神の名前だから」
「そうなの?」
「ラーは密教だから、外の人間は知らなくて当然。何となくわかった。今もその人と連絡は取っているの?」
「いや、取っていないけど」
「金輪際取らない方が良い。色んな意味でクルスの手に負える相手じゃない」
「良い子だったけどなぁ」
「神は気まぐれ。今日まで貴方の味方でも、明日もそうとは限らない。近づかぬ方が吉。いつか必ず痛い目を見る」
「まあ、わかったよ。しばらく会うこともないだろうし」
「ん」
クルスとイールファス以外で、彼女の口から悪口など聞いたことがない。ましてや他者の交友関係、他者の領分に踏み込むこと自体がほとんどないのだ。
だからこそ、クルスは一応真摯に受け止める。
「ちなみにファナとの御関係は?」
「実家のボス。あと目の上のたんこぶ」
「目の上の、なんで?」
「無機と有機で専門は少し異なるけど、先駆者ではあるから。私が征く道を阻む存在。いつか、越えねばならぬ壁だから」
クルスらには滅多に見せない表情。強いエゴをむき出しにする。頂点を臨む者の眼光、今の自分には少々、眩し過ぎる。
〇
列車の時間まで少し時間が空き、人通りの少ない場所へ足を向け、二人並んでベンチに腰掛ける。昼間なら多少人もいるのだろうが、今は人っ子一人いない。
「……落ち着く」
「あまり上手くエスコートできなかったかな?」
「それはお上手。でも、そもそも人混みが苦手」
「……アースを指定したのは君だからね」
「それはそう」
確かに今日はいつもと様子が違った。こちらが格好つけて手を差し伸べても、いつもなら跳ね除けそうなものだが、今日はこちらへ縋るように躊躇いなく手を取った。嫌味の一つもなかったし、よく考えると普段とは違う。
「今日、私は沢山頼った。食事もおごってもらった」
「あんまり気にしないで」
「気にする。クルスが気にしているように」
「……俺が?」
「貸し借り。今日は沢山返済してくれた。私としてはもう、等価交換まである」
ようやくイールファナの言っている意味を理解し、クルスは真顔になった。
「等価なわけないだろ。今まで俺がどれだけ君の、君たちの世話になったと思っているんだよ。今日なんて軽いもんだ。俺はもっと――」
「エイル先輩も、フレイヤも、クルスに教えることは大した負荷じゃない。私もそう。余暇時間を少し割いただけ。今日、クルスが割いてくれたのと同じ」
「……それは」
「私は人混みが苦手。だから、アースには近づけなかった。でも、興味もあった。新しい世界を知ることが出来た。食べたいものも食べられた。美味しいお店も教えてもらった。今、こうして人を避けた場所を探してもらった」
「安いもんだ」
「それは受け手が考えること。私は、それを安いと思わない」
「……」
貸し借り、損得、冷たい言葉の中に在る人の感情、感覚、そのせめぎ合い。
価値観は人それぞれ。ならば何処に正しさがあると言うのか。
「あと、視線も遮ってくれた。一応、ちゃんと気づいている」
「……紳士だからね。当然だ」
人の眼。奇異の視線はアースの中でもあった。それはクルスも認識していた。彼女がノマ族でないと気づき、その肌の色に驚きを見せる。
そういう視線は確かにあった。
「ラーだともっとひどい。ルナ族では禁忌扱い。ただ肌の色が違うだけで」
「……ファナ」
本当に、それだけなのだ。彼女が普通のルナ族と違うところと言えば。この闇夜ですら瞬く白い肌だけ。ただそれだけのために、彼女は奇異の目を向けられる。
ラーでも、遠い異国のアスガルドでも――
「そんな私と普通に接してくれている。それは、私にとってとても大きなこと。貴方の眼には差別がない。無知ゆえかもしれない。でも、救われている」
「ただ、無知なだけだよ。きっと、俺もゲリンゼルじゃなきゃ、他の人と変わらなかった。閉ざされた環境に生まれただけだ」
「それは関係ない。結果が大事。きっとフレイヤも、アマルティアも、大なり小なり私たちは問題を抱えているから、そういう貴方に救われている」
「……」
「だから、あまり大きな借りだと思わなくていい」
「……わかったよ」
「ふふ、全然わかってない顔してる」
「……」
貸し借り、等価交換、対等な存在、様々な考えが頭の中を駆け巡る。
だけど、飲み込める答えは未だ自分の中にはない。
「クルスは魔法科に入るべきだった」
「……いきなり?」
「最近絶好調。一般教養の先生は魔法科の講師だから、たまに話すけどクルスのことをよく褒めている。育成した身として鼻が高い」
「そりゃどうも」
「何で騎士?」
「何でって……そうだな」
改めて問われ、そして気づく。
(……何かに成りたかった。『先生』が現れて、それが騎士だっただけ)
自分の動機、その薄さに。弱さに。
「たぶん、最初に提示された選択肢が、騎士だっただけ、かな」
「薄い」
「貧農の次男坊に分厚い理由を求められてもね。何もなかったんだよ、本当に。兄が死ななきゃ、生きている意味すらない。それが俺だ」
「……クルス」
何もない。本当に何もなかった。誇れるものも、掲げるものも、何一つなくて、野垂れ死んでもきっと、誰も何も思わない。
エッダくらいは泣いてくれたかもしれないけど、エッダの両親は逆に喜んだだろう。そう思うと、心底空虚に思えてしまう。
無価値。それが『先生』に出会う前の自分。
「最初に、君に出会っていたら、きっと俺は魔法科に入っていたんだろうね」
「……今からは?」
「遅いよ。俺はもう、選んでしまったから」
最初に『先生』と出会った。『騎士』と出会った。
ただそれだけの理由。ただそれだけのためにここまで来た。
「そろそろ行こうか。帰ろう、学園へ」
クルスは立ち上がる。その眼は遠くを見据えていた。あまりにも遠く、果てない高み。手を伸ばしても、伸ばしても、全然届かない。
己の才のなさを呪いながら――
「……」
止められないのはわかっている。己のジャンル違いとは言え高みを目指している。それが並大抵ではないことなど、その道に通ずる者なら誰もがわかっていること。
如何なる山巓も、その頂点は険しく遠い。
今、クルスに意味のある言葉をかけられるのだとしたら、別の道を征く己だからこそ、意味を持つことがあるとすれば――
「クルスには才能がある」
「……え?」
「的確に穴を埋めていく才能。正しく試行回数を稼ぎ、真理を探究する力がある。如何なる閃きも試行回数の積み重ねなくしては生まれない」
「……それは、誰でも出来ることだ」
「出来ない。皆、必ずどこかで妥協する。才能がなかった、向いていなかった、言い訳をして必ず、何処かで、諦める。それが人。だから――」
イールファナは言葉を紡ぐ。
彼女がそうして欲しいと思う、真逆の言葉を。
「諦めずに積み重ねて。十年、二十年、誰もが諦めるまで折れずに戦えば、いつかきっと届くから。貴方なら出来る」
それが今のクルス・リンザールを、
「……はは、出来る、か。君は、こんな俺に、そう言ってくれるのか」
癒す唯一の言葉だと思うから。その結果、より深き地獄へ進ませることとなっても。進むことでしか存在証明を出来ない気持ちは、自分にもわかるから。
「百年前なら、クルスは騎士に成る資格すら持たなかった。魔導の発展がクルスにその資格を与えた。昔ほど魔力量は重要じゃない。魔導剣の性能も向上している。力すら、必要ないのかもしれない。心根一つ、それで戦う者がいてもいい」
「……」
「私と魔導は貴方の味方」
「心強いね」
「当たり前。私はこれから千年時代を進める女だから。千年後の世界なら、イールファスとクルスの差なんて麦粒ほどに違いない」
「……はは、ありがとう」
器が足りない。才能がない。だから妥協した方が良い。皆、言葉にせずともそういう眼をしていた。それがとても嫌だった。
お前は兄に劣る。だから無価値だ。
あの父の、母の、周りの眼と被って見えたから。
そんな屈折した、自分でも度し難いと思う愚かな己に、彼女は出来ると言ってくれた。クルス・リンザールなら届くと言ってくれた。
例えそれが慰めであっても。
(……ありがとう)
誰もが間違っているとみなす道。其処へ彼女だけが背を押してくれた。フレイヤもミラも、ディンも、自分のことを思えば思うほどに、何処かで止めようとするはず。割り切らせようとするはず。
そうしないのは彼女が畑違いと言うことと、
(……私は、馬鹿だ)
実際にそう思っているのだ。研究者として、正しく試行回数を積み重ね続ける者の強さは、嫌と言うほど身に染みているから。
最後に勝つのは天才ではない。続け、貫き通した者である。
少なくとも彼女の居る世界ではそう。
これからの騎士がそうならないとも――限らない。
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