第125話:新学期、変わりなく
「み、ミラ!? どうしたの、その髪型?」
「気合い」
「き、気合って」
年明け早々、騎士科四学年を揺るがせたのはミラ・メルの髪型、であった。元々長い髪ではなかったが、今はバッサリとベリーショートとなっており、さすがに皆動揺してしまう。何かあったのでは、と勘繰ってしまうほど。
「やぁ、髪型変えたんだ。似合ってるね」
「当然。家の説得も終わったし、本気で目指すわよ、クゥラーク」
「いいね」
クルスとミラの会話。何事もなかったかのように自然体であるが、されどどことなく漂う不自然さと言うか、何と言うか――
「……やってんね」
「そうね」
ラビ、フラウなど精神年齢が大人組の女子たちは何かを察したのか、遠巻きに口をつぐむだけ。男子や其処に該当しない女子は気にせずスルー。
不滅団だけは、
「……女子の髪型を自然に褒めるだとォ」
「すけこましやすけこまし」
馬鹿ほど幼稚な怒りをたたえていた。もうそろそろいい歳であろうに、彼らの将来が心配になってしまう。手遅れかもしれないが。
「あんたも拳闘大会二位になったらしいじゃん。フィンと同じ」
「ッ!?」
「あはは、同じ価値かどうかは」
遠く離れたところで傷を抉られ、机の上で不貞腐れるフィン。彼の結果だけは知っていたので何とも言えない表情のクルス。煽り上等のミラ。
ちなみにフィンの決勝戦は本職、クゥラークの新鋭が相手であった。かなり善戦し、観客を沸かせたが其処は専門職の意地がギリギリ勝った。
優勝した本人は「これで殺されないで済む」と泣いていたそうな。
「雑魚しかいなかったんでしょ?」
「一応、ゲールさんとかアスラクとかいたよ」
「……ゲール・デヴォン?」
「よく知ってるね」
さすが名門の騎士界隈は狭くて濃いな、とクルスは驚く。が、
「いや、知らねえやついねえだろ。一個上のトップクラスだぞ」
騎士界隈の出ではないアンディでも知っていたので、其処はクルスの知識不足であった模様。そもそもあのメガラニカでの特別クラスの面々に関しては、下のそれなりの名の通った人物しかいなかったし、上の方ならば知っていて当たり前の世界。
もちろん、今ならばクルスにもわかる。当時は全員強い人、とひとくくりにしていたが、その先にもいくつか壁があることを知ったから。皮肉な話だが己の上達により、上の景色に関する解像度が上がってしまったのだ。
「なら優勝って――」
「アスラクだよ」
「……何が起きてんのよ、その大会」
「いや、まあ、強かったよ、アスラクも。たぶん、十回やったら七回はゲールさんが勝ちそうだったけど」
「ふーん。クレンツェは知ってんの? ……って、何その顔色」
ミラが声をかけた先、
「あ、ああ、何でもない。アスラクね、最近調子いいらしいな」
連日の不滅団による夜襲により、明らかに調子を崩していそうなディンが答えた。さすがに裏切り者への制裁は普通ではない模様。
「昔は?」
「下の方だったよ。クルスと一緒。努力したんだろうな」
「へえ、今何位なの?」
「今は知らね。でも、一桁前半ってのはないだろ。リュリュ、パヌ、トゥロ辺りは鉄板だろうし、カイサも女子の中では――」
「三位」
「……へ?」
ディンの言葉を遮ったのは、
「カイサとは家同士が仲いいから、一応それが最新情報だと思う。ちなみに二位はリュリュ、四位がカイサ、パヌは六位でトゥロはかなり落としているらしい」
フラウであった。さすが騎士村、広いようでやはり狭い。
「……た、対抗戦ラインかよ。もう俺の知識当てになんねえな」
「滅茶苦茶悔しがっていた。あっちも何だかんだと激戦みたいよ」
「ひぇぇ」
色々あって逆にログレスの知識が得辛いディンは驚くしかない。まあ育成世代、幼き頃の才能がそのままの順番で発芽するかと言えばそうでもないだろう。とは言え、アスガルド同様上位と下位には相当差があったのもまた事実。
それが埋まりつつあるのは――
「ま、よかったじゃん、二位で」
「ありがとミラ。そうだね、よかったよ。おかげで……目が覚めたから」
「……そ」
クルスは『笑顔』を向け、ミラはそれを見て視線を外す。
「やっぱやってんね」
「……さっきからどうしたの、ラビちゃん」
「……何と申してよいやら」
そんなこんなでまた新しい年が始まる。
〇
新学期が始まり、恒例の遠泳を経て通常の講義へ戻る。さすがに四学年の後半戦ともなると皆、進路のことを見据え競争も苛烈となっていく。何よりこの四学年は、ここまで上から下まで努力をしてきている。今更手を抜き、ドロップアウトをするにはすでに頑張り過ぎていたのだ。ゆえに、全員が本気を出す。
それが結果として全体のレベルを底上げしていた。
時は流れ――
そして現在、四学年の上位八名はウル・ユーダリル帯同の下、御三家による共同演習へ赴いていた。これは毎年行われている御三家の交流及び学生のレベル向上を目的としたもので、小隊二つ分の学生が選出され交流と言う名の御三家による熾烈なマウント合戦が繰り広げられていた。
昨今、準御三家や下の学校のレベルも向上し、必ずしも御三家が対抗戦で優勝するわけではなくなったが、そういう時代においては対抗戦の優勝校を占う模擬戦の意味合いも強かった。今も御三家同士の優劣はここで決まる、と言っても過言ではない。
ただ、ここでも上位八名、八位の壁が横たわる。
クルスはもちろんヴァルも今回は選出から漏れた。座学やチームワークなどヴァルが勝る面もあったが、肝心の実技で少々上り調子の男の手が付けられなくなっていた。一応、本人も納得の選出漏れであったらしい。
「……今年はどうなりますかね?」
四学年の担任、エメリヒは今も昔も上司で先輩のテュールに問いかける。ちなみにここはテュールの部屋、後輩は結構な頻度で入り浸っていた。
「それは担任の君が一番わかっているだろうに」
「まあ、そっすね」
「自信のほどは? エメリヒ先生」
「勝負に絶対はないですが、総合力なら間違いなく我らがアスガルドかと」
「それは楽しみだ。まあ、対抗戦のように一対一で戦うのではなく、あくまで実戦を想定した演習だからね。下馬評通りとはいかないが」
「ですね」
今頃は丁度三校がバチバチにやり合っている頃であろうか。彼らの奮闘に期待したいところ。とは言えこちら側は今更どうすることも出来ない。
むしろ大事なのは残った者たちの方。
「惜しかった学生たちの様子は?」
今度はテュールが問いかけた。
「ヴァルは気にせずいつも通り。クルスもはまあ、少し前の順位が順位なので選出漏れに関しては特に影響はなさそうですね」
「直近の順位、ね」
「ええ。まあ、大分皆、余裕がなくなってきましたから」
現在は残雪も消えた第三月も末、新学期開始から三か月近くも経過していた。その間、上も急伸するアンディが引っ掻き回したが、それ以上に混沌としていたのは上位以外、であった。その中心となったのは、やはりクルス・リンザール。
今までクルス自身が上手く立ち回り、踏み込ませないよう丁寧な前捌きで皆を寄せ付けなかったのだが、クルスのところまで這い上がって来たラビが掟破りの無理攻めで無理やり踏み込み流れが変わった。其処までやるか、と誰もが思った。流れの中での踏み込みではなく、明らかに欠陥のみを突くやり口。
もしクルスが復調していれば、悪手以外の何物でもない。だから、其処までは皆やっていなかった。ミラですらあそこまで露骨ではなかった。
品がない。紳士的ではない。
だけど、同時に皆どうしても序列を上げたかった、一つでも上の成績が欲しかった。学年何位、年度によってその質はまちまちであるが、採用側からするとざっくりと平均化した数字としてはっきりとわかる序列は見栄えとして重要。
皆それがわかっている。だから、ラビを皮切りに皆が下品と知りながら、一つでも序列を上げるためにクルスの欠点を突いた。
それで結局、一時期実技は十五位ほどまで低迷した。
今は少し戻しているが。
「……あまり褒められた流れではないが」
「まあ、私は今の流れ、嫌いじゃないですよ。結局勝つか負けるか、生きるか死ぬかの世界ですし、其処には卑怯もクソもないですから」
「それはその通りだ」
欠点を抱えている方が悪い。実戦なら、そうなる。まあ学校での競争と考えると如何なものか、と思う部分もあるので悩ましいところであるが。
「でも、クルスもかなり変わりましたね」
「……確かに」
「精神面が安定してきたのか、悪くなろうが良くなろうが一喜一憂しなくなりましたね。他の子とは真逆ですよ。粛々とやるべきことをやると言うか」
「わかるよ。私もフィジーク(筋トレ)を見ていて思う。以前は周りと比較して重量への劣等感などが滲んでいたが、今は自分とだけ向き合っている。たぶん、学年どころか学校で一番、彼のフォームが丁寧で綺麗かもね」
「あのマスター・グレイプニルにそこまで言わせますか」
「あの、とはどういう意味かな?」
「いえ、何でもありません」
ちなみにこのテュール、実を言うと団時代は自分にも周りにも厳しい男として周りから恐れられていた。未だにアスガルドの団では恐れられている節もある。
当然、エメリヒも現役時はこってり絞られていた。
「重量も、伸びと言う観点で言えばかなりのものだ。食事も随分気を遣っているようだし、まだまだあの子は伸びるよ。団の調査も増えてきているしね」
「ええ。この前、プロセリアンドに行った同期からどういう子だ、って探りが来ましたよ。今のアスガルドで成績が上で横ばい、それがどれだけ凄いことか」
「その通りだね」
御三家の歴史でも類を見ない激戦区。その噂はすでに方々広まっており、見学会への参加を希望する団も続々と増え続けている。
今まで付き合いのなかったところや、色々あって関係が悪化していたところすら水に流したい。貴校の学生を拝見したい、となる始末。
そしてその多くが驚きを以て研修参加のオファーなどを残していく。
あの統括教頭ですら、こんな代は今までなかったと言い切るほどに。
これで御三家共同演習、ここで結果を残したらさらに流れは決定づけられるだろう。この代は特別なのだと。
「本当にあるかもしれないね、全入」
「私は確信していますよ」
「それは頼もしい」
騎士団もピンキリ。無理やり全入を果たそうと思えば出来なくはない。下位の、それこそ私設の何でも屋的なところならば御三家の学生です、と言うだけで入団可能だろう。食べていく、それだけならばどうとでもなる。
だが、それではブランドが傷つくだけ。学生サイドとしてもそんなところに就職するぐらいなら、貴人の護衛など稼げる仕事に就く。
彼らの全入とは、御三家の基準から見て胸を張って団入りしたと言える騎士団に学生たちを就職させてやること。
その難しさは今更語るまでもない。
〇
「……クルス」
「どうしたの、ファナ。深刻そうな顔して」
「……何でもない」
「変なの」
いつも通りのクルス・リンザール。雪でインフラが麻痺し、クルスが学校へ戻ったのは年明け三日後のことであった。特に行く前と戻ってきてからの間で彼に変化は見受けられず、ダンスパーティをすっぽかした埋め合わせにレムリアで学んだノア麺を皆に振舞うなど、むしろ行く前よりも明るく見えるほど。
アマルティアはそのあまりの美味しさに衝撃を受け、レシピを教わったがあいにく彼女は計る、と言う行為が滅法苦手で大惨事となったのは余談である。
だから、何も問題はない。
ないはずなのだが――
「魔導学の小テスト、どうだった?」
「大問三、問い二の導体製造雰囲気ガスで引っ掛けられた」
「ああ。あれ、魔法科でも引っ掛かっていた人いた」
「普通雰囲気ガスは不活性ガス、窒素だと思う、けど、製造工程的に違うかなと思ったからアルゴンでしょ、としたわけ。でも――」
「残念、最新の研究はネオンを使い始めた。引っ掛けの引っ掛け」
「騎士科に最新研究を求めないで欲しいよ。ネオンと言ったらレーザー発振用の混合ガスって相場が決まっているのに……それ以外の用途なんて知らないよ」
「昨日の常識今日の非常識。勉強になった」
「はいはい。俺が悪うございました」
いつも通りのやり取り。澱みなく、心地よい。だけど、何故かイールファナはそわそわしてしまう。何かが違う、そんな気がしたのだ。
「導体、製造コスト爆上がりしてない? 確か凄く高価でしょ、ネオンって」
「最新のはそう。より精度を、性能を高める過程でそうなった。でも、一般的に使われているのはローテクの導体が大半。それはどの分野もそう。魔導の研究が先行し過ぎて色々と追い付いていないのが今のミズガルズだから」
「なるほどね」
「ちなみにネオンが高価な理由を述べよ」
「それ、さすがに魔導学から外れていない?」
「ギブアップ?」
「いや、少し待って。考える」
「ちくたくちくたく」
「焦らせないでくれ」
フレイヤ不在、そして今日も今日とてちょうちょ狩りに出かけたアマルティアとアミュはそのまま直帰、デイジーはサルでもわかる魔導学の講座が始まったら、名残惜しそうに寮へ戻って行った。付き合おうにも一年では難し過ぎるのだ。
ゆえに今は二人きりである。
「希ガスだから大気中には含まれている。要は分離方法が問題なんだ。代表的なセパレートガスは窒素、酸素、アルゴン、分類的には其処に含まれていてもおかしくはないはず……だけど、そうなっていないと言うことは――」
「時間切れ。クルスの負け」
「……酷い」
「答えが知りたい?」
「そりゃまあ、気になるね」
「ごはんをおごってくれたら教えてあげる」
「……其処までして知りたいとは――」
「む」
「……はいはい、おごりますよ。と言うかファナと食事に行くの初じゃない?」
「この前、ノア麺を食べた」
「あれは別だろ。いや、おごりと言う意味では一緒か」
「学校内はだめ。この答えは非常に重い」
「そうですか。了解、日ごろの感謝を込めておごらせていただきます。ちなみにファナの好物ってなんだっけ?」
「それを探るのもクルスの仕事」
「……イールファスの帰還を待ってから、か」
「期限は今週末」
「明日だねえ。戻ってこないねえ」
「残念無念」
「考えとくよ」
とは言いつつ、イールファナと食事の話をしたことがないので、正直好物に関しては八方塞がりである。甘味が好きなのは間違いないが。
「場所はアーシアでいい?」
「アース」
「遠いねえ」
「仕方なし」
クルス、手近で済ませようとするも失敗。まあ、イールファナからはとても多くを貰っている。今となっては誰よりも多くの恩があるかもしれない。
こうやって彼女から返済を望んでくれるなら、クルスとしてはありがたい話。
恩は返さねばならない。
そうしなければ『対等』ではないから。
「食堂行く?」
「行かない。ヒントを探るつもり、その手には乗らない」
「バレたか」
「バレバレ」
イールファナはあまり食堂で食事をとらない。使う時も人の少ない時間にこっそりと行くぐらい。その辺は彼女なりの事情があるのだろう。
クルスもあまり踏み込みはしなかった。
〇
ディン不在の部屋に戻ったクルスは自分の机に向かって座る。座学は今のクルスの生命線である。ここで手を抜くことは出来ない。
焼け石に水とわかっていても――
「……」
机の引き出し、その奥には傷だらけの銀メダルがあった。逃げた成果、掴んだ銀色の栄光、飾る気はない。でも目に付くところには置きたい。
だから引き出しの中、これなら毎日嫌でも拝むこととなる。
「……」
誰もいない部屋。黙々と勉強をするクルスの貌に『笑顔』はない。眼に浮かぶのは温かな光ではなく、冷たい灰色。無表情で、粛々と進めていく。
一人で出来る、やるべきことを。
無駄は要らない。
そう自分に言い聞かせ、『自分』をガリガリと削る。
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