第124話:憂う者と望む者
「来賓無し。今年のダンスパーティは気楽でいいね」
連日の吹雪で列車が止まり、王都アースからの行き来も途絶えた今、毎年開催される年末のダンスパーティは学校関係者のみが参加するものとなっていた。
まあ、学生側からするとハメも外しやすく、教員側にとっても気を遣わずに済むので大半の者にとってはありがたい状況ではあったのだが。
ただ、
「ぶぅ」
待ち人のいたアマルティアにとってはまさに天災。恨みがましく外の悪天候を眺めながら、やけ食いをしていた。大雪はここアスガルドだけではなく、大陸側でも同様であり、どこもかしこもインフラが停止しているらしい。
当然、クルスもアスガルド入りすらしていないのでは、と言われていた。よしんばアスガルドに入っていたとしてもアースから学園まで来る手段がないため、どう転んでも彼の参加は難しかっただろうが。
「アマルティア! アミュが踊ってあげる!」
「デイジーちゃんは?」
「ごはん食べてる。ねえねえ、踊ろうよー、ねー」
「もう。わがままさんですねぇ」
後輩と踊り始めるアマルティアを遠目に見つめ、ほっとする者がいた。
「良い後輩だな」
「お互い波長が合うみたいですわね」
フレイヤ、とパートナーのデリングである。今回、二人にはお互い約束があった。片方は兄、もう片方は婚約者の王女、と言う具合に。しかし、大雪で彼らは学園まで来ることが出来ず、余り者同士踊っていたのだ。
「しかし、リンザールもとんでもない相手に手を出したものだな」
「別に手出しはしていませんわよ」
「む、そうか? 何かむっとしていないか?」
「していません」
アマルティアは王族とも繋がりのある超名門の生まれである。アスガルドにおけるヴァナディース、とは少し毛色が違うのだが、ざっくり言えばそんな感じの立場。それなりの家の者ほど、相手が大き過ぎると触れようともしなくなる。
貴族科で彼女が浮いているのは何も、彼女の風変わりな感性だけが理由ではない。無論、その部分も大いに関係はしているが。
「手出しと言えば……さすがにあれはたまげたな」
「あら、わたくしは知っていましたわよ」
「そうなのか?」
「女子の方がそういうの、敏感ですもの」
二人の視線の先には『裏切り者』への殺意を漲らせた不滅団、ではなく、この会場でもやたらと目立つ男女のペアがいた。
片方はディン・クレンツェ。何とも複雑な表情で踊る。
もう片方は、
「去年まではトロルだったじゃないか!」
「どぼじでぞうなるんだよぉぉぉぉ!」
「許せねえ。許せねえよ。お前、リンザール越えたぞ、ディンよ」
昨年同様ディンとペアを組む女子、であった。昨年との違いはその体格、一年かけてじっくり体重を落とし普通体型となった彼女は、背こそ大抵の男子よりも高いものの、容姿の方でも人目を引く存在となっていた。
特にフェイスラインの変化、膨れていたお肉が消え、その下から現れた顔は少し地味だが悪くない、むしろワンチャンイケる感がグッとくる感じに仕上がっていた。
ちなみに身長は百八十センチのディンよりさらに頭一つ以上デカい。実はちゃっかり五学年の成績上位者で対抗戦の候補であるのだが、それは余談である。
「まあ、ああ見えて名門でスペックも高いからな。顔も濃いめだが整ってはいる。それ以上に奇行で評価を落としているだけで」
「ふふ、全然わかっていませんわね、デリングは」
「なに?」
「奇行が女避け、と男子への親しみ作りなのは女子ならお見通しですわ。女子が寄り付かないのは避けられているから、それだけのこと」
「……そうか? あいつ、不滅団でも大分気持ち悪いぞ」
「何でその忌まわしき団でのことを知っていますの?」
「……風の噂だ」
「噂を当てにするなんてらしくありませんわね」
「……」
実際見た。幾度もあの辺で目を血走らせている連中と同じ表情、目力でカップルを破壊してきた、とは言えない。
「こちらへ来てすぐの頃、貴族科の子たちが彼女に心無い言葉を浴びせているところに割って入り、こう言ったそうですわ」
フレイヤは得意げに風の噂を口ずさむ。
『校訓は騎士科だけのものじゃないだろ。紳士たれ、一回噛みしめろよ』
デリングは「なるほど」と理解した。カップルに対する憎悪がふりだとは思わないが、誰かが苦境に立たされているところに助け船を出すのは彼らしい行いである。それに関してはイメージ通り、本人は覚えてすらいないだろう。
それは見返りを求めた善意ではなかったはずだから。
「純愛、か。ログレスならばともかくここはアスガルド、上手くいくと良いな」
「ええ、本当に」
名門は相手を軽々に選べない。実際、お相手もそれなりの家柄だったはずだが、それでもログレスにおけるクレンツェと比較すれば釣り合うことはないだろう。学校行事なら許されても、おそらくその先はなかったはず。
「……でも、昨年のアタック、そのかわし方は女子の物議を醸しましたわよ」
「かわし方?」
「痩せている子が好み、と言ったそうな。許せませんわね」
「……まあ、其処は真実と方便の半々だろうな。確かにフレイヤの言う通り、あの男はカップルを破壊することに精を出しても、カップルを作ろうとはしていなかった。その辺は何か、線引きでもあるのだろう」
「彼女が出来れば努力に割く時間が減りますわ」
「なら、もっと無意味な方の悪癖もやめればいいのに、とは思うが」
「それはそう、ですわ」
愛情を向けられて気を悪くする者はいない。それがバカデカいとはいえ可愛らしい女子なら尚更。ただ、それでも複雑な表情であるのは、やはりそう言う関係を作る気がなかったことも関係しているのだろうか。
その胸中はディン本人でなければ分からない。
しかし誰が見ても、お相手はとても幸せそうで水を差せる雰囲気ではなかった。
ゆえに不滅団のクソ野郎たちも歯噛みしながら見ていることしか出来ない。彼らも一応紳士ではあるのだ。人の眼が消えたら獣と化すが。
「何でクルスと踊らなかった?」
「煩い。どうせいなかった」
周りはハッピーな空気であるが、この双子だけはお互い無表情で、半ばやけくそのように踊り続けていた。
「お前なら勝てる」
「何が?」
「あいつの競争相手じゃないから。この学校に学生の活路はイールファナ・エリュシオンしかいない。フレイヤも、ミラも、仲間である前に競争相手、敵だから」
「その理屈ならアマルティアも該当する」
「あの子が騎士に何か益をもたらすか?」
「男女の関係に、利益は関係ない」
「そうか? 俺はそう思わないけど」
「そも、私にそう言う感情はない」
「それは困る。妹には幸せになって欲しい」
「私が姉」
「些末なことだ」
「なら、私が姉で良い」
「それも困る」
今年度、イールファスは普段以上に人と接することなく、何処か刺々しさすらあった。その理由は『姉』であるイールファナにもわかっている。
感情は異なれど、向け先は同じであるから。
「魔導は騎士とも上手く結びついている。卒業しても関係は途切れない」
「……魔導も色々」
「相互利益の関係が一番強い。俺はクルスを推す」
「……なんで?」
「あいつには何もないから。そして虚ろな己に嫌悪している。その矛盾があいつを強くした。誰よりも」
「誰よりも……強い?」
「ああ。誰よりも心が強い」
「今、彼は限界だと思う」
「其処からだろ? あいつは」
『弟』の冷たい眼。全て見透かした上で、その上で彼はそうなることを望んでいるのだ。限界を迎え、壊れて、砕けて、リビルドすることを。
「今年度の頭は心配していた。妥協したのかと思ったから。ぶっ壊してやろうかな、と思ったけど……必要なかった。来年が楽しみだ」
「……我が弟ながら、悪趣味」
「俺と同じはつまらない。でも、俺と違うのに同じ地平に立つなら、それは最高の遊び相手だ。俺は遊びたいんだよ。昔から、ずっと」
クルス・リンザールの破局を誰よりも望む者。彼の不幸を誰よりも待ち望む者が此処にいた。よりにもよって、真逆の想いを抱く者の片翼であるのに。
「……私が止めたら?」
「無理だ。それで止まるなら、あいつは現段階にすら到達していない」
「……」
「すぐにわかる」
冷たい予言がイールファナの耳にこびりつく。そうであって欲しくない。別に凡人でも構わない。頂点自体に価値がないことは彼女も知っているから。
されど、彼女とて理解している。
今のクルスに何を伝えても、自らの足で登り詰め見下ろすまでは理解出来ない、いや、理解しようとせずに拒絶するだけだろうことは。
わかってしまうから、辛いのだ。
〇
「アース、学生一枚」
「……君、大丈夫かい?」
「何が?」
「い、いや、何でもない」
早朝、昨日までは大雪で誰も出歩かなかった銀世界を、何処から歩いてきたのかもわからないほどに雪にまみれ、人の、動物の持つ体温を微塵も感じぬほどに凍え切った存在が現れた。目の奥だけは爛々と、何かが煮えたぎっている、男が一人で。
触れたが最後、火傷してしまいそうなほど――
「ありがとうございます」
「よ、良い旅を」
一人、彼は立ち上がった。まだ一人で立ち上がる力は残されていた。
ゆえにまだ、其処は底に非ず。
「どうされましたか、マスター・クロイツェル」
「……何が?」
「い、いえ、その、あの少年を見る目が何故か、楽しそうに見えたので」
「アホか。要らんこと抜かすな。僕がおらん間、手ェ抜いたら殺すぞ」
「い、イエス・マスター」
短い休暇を利用し、大陸へ渡って部下たちに仕事の振り分けをしていたクロイツェル。そんな彼が遠目で、孤塁へと臨む少年を見つめていた。
「ひと便ずらす。手配しとけやカス」
「承知しました」
まだ早い。あと少しで、ようやく壊れる。
全ては、其処から――
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