第123話:雪の中、ただ一人

「……おいおい」

 決勝戦、それは傍目にはいい試合に見えていた。だが、それなり以上の実力者からすると一目瞭然のクソ試合であったのだ。

 その理由が、

「しっ!」

「……」

 今、打突を加えたクルス・リンザール、である。準決勝でシード選手とかなりの激闘を繰り広げたクルスであったが、決勝ではその疲労を感じさせない軽快な立ち回りを見せる。機動力、そして素早い打突を中心とした組み立て。

 一見すると悪くない。悪くはないのだが――

「……手打ちだな。そんなの、体格が上の相手に通るかよ」

 満身創痍であるはずなのに三位決定戦を悠々勝ち抜いたゲール・デヴォンは二人の試合を見て、顔をしかめていた。

「何か言ったか、ゲール」

「……何も」

 先ほどから攻撃自体は当てている。が、其処に打倒の意思は感じられない。当てているだけの、手打ちである。あれでは幾度当てようとも意味がない。無論、何千、何万も打ち込めば倒し得るかもしれないが、

「……」

「……くっ」

 じわり、じわりと押し込んでくるアスラクの圧を前に、それだけ打ち込めることはないだろう。機動力の高さを生かす、と言えば聞こえはいいが、其処はゲールの時同様、じっと構えられて動かされている、とも言える。

 それでもゲールの拳には倒す意思があった。打倒に至る充分な威力もあった。その威力を出すためにリスクも背負っていた。

 しかし今、クルスはリスクを避けて浅い打撃に終始している。

 その目的は、

(……勝てないと判断して見栄えを整えている、か?)

 ゲールの目にはそう映った。それが真実かはわからない。それでも、それ以外に説明がつかない。そう思いたくはないのだが。

 そして対峙するアスラクもまたとうの昔に、

(不細工な物真似に飽き足らず、戦う意思すらないのか、貴様は!)

 それに気づいていた。あまり感情を表に出さない彼にしては珍しく、表情にも滲み出ていた。少なくとも決勝まで残った者の戦いではない。

 取り繕うような、醜い継ぎ接ぎ。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 ただ、クルスも悪気があるわけではなかった。ヴァルもそうだが、この手の手合いは今のクルスにとって非常に咬み合わせが悪かった。相手を内に引き込み深く踏み込ませる手が使えぬ以上、前で崩しこちらが踏み込み打倒するしかない。

 が、基礎を丁寧に高めた彼らのような戦士はクルスの牽制程度では崩れてくれない。隙を見せてくれない。だから、攻め手が無くなる。

 あの手のこの手の揺さぶりもなかなか通じない。

(普段俺が誰を相手取っていると思っている!)

(クソ! 何も、何一つ、通じない!)

 力が足りない。速さが足りない。リーチが足りない。揺さぶり、こじ開けるために磨いた技術すら――通用しない。

 壁が見える。アスガルドでも見たそれがクルスの前に聳え立つ。

(クソォ!)

 勝ち筋がないから、こうするしかない。勝ち目がないのに、勝てる気がしないのに、それでも負けたくないから無駄な遅延を繰り返してしまう。

 踏み込めばやられる。踏み込まずともいずれ捉えられる。

 何をしても、どうしようもない。

「臆さず踏み込めよ。お前なら、クルス・リンザールなら、それでも切り抜けられるだろ? あの無数の剣を捌き切った男が……何でだよ」

 本当に同一人物かと疑いたくなるほどの変貌。技術はあの時よりもさらに向上している。間違いなく上手くなった。桁違いに。

 だが、同時に弱くなった。強さを失った。

 あの背中がかすむ。誰もが無謀だと思った。それこそ秩序の騎士すら不可能だと判断した。そんな死中に活を見出した男であったのに――

 ぱん、軽い音が響く。

「……」

 アスラクは受け手を動かすことなく、くだらないとばかりに顔面でその拳を受け止めた。微動だにせず、不快げに顔を歪めながら。

(イールファスが、ソロンが、彼らが気にしていたから何かあるのかと思った。何かあるのではと期待した。勝手に期待し、浮かれていた俺が悪い。貴様は何も悪くない。ただ、期待外れだった、それだけのこと)

 努めて心を平静に保つ。

 そのバランスが今、怒りによって崩れようとしていた。

 弱いだけならばいい。弱くとも立ち向かう姿勢さえあればリスペクトと共に打倒することが出来た。だが、今のクルスからはそれを感じない。

 だから、

「終わりだ!」

 アスラクは踏み込んだ。

「……あっ」

 クルスは目を見開く。

「若い」

 ゲールは苦笑しながら今この時、見るべきものを見る。

 それは――

「しまっ――」

 安易に深く踏み込み過ぎた。打突の構えを取るアスラクは瞬時に自らの失態を悔やむ。誘い込まれた、やられた、そう思った。

 何故なら、

「おおッ!」

 クルスはその踏み込みに反応し、動こうとしていたから。動き出し、起こりが見えた。踏み込みに対しての打ち下ろし。低い姿勢で深く飛び込んだアスラクを上から叩き伏せるための拳が、放たれんとしていた。

 ゲールに、アスラクに、クルスに、三人の中で一枚の絵が浮かぶ。

 寸分違わず、鮮烈なカウンターで敵を刈り取る姿が。

 見えたのだ。

「……んで、だよ」

 確かに、勝っていたのだ。

 だけど、

「……」

 突き立つはアスラクの拳。無防備な状態でその鉄拳を鳩尾に叩き込まれてしまう。クルスの打ち下ろし、右手は打ち出そうとした状態で停止していた。

 クルスは力なく倒れ伏した。

「勝負あり! 優勝は、ログレス王立騎士学校所属、アスラク・ティモネン!」

 大歓声が降り注ぐ中、

「……」

 アスラクは苦虫をかみつぶした顔で、倒れ伏したクルスを見つめていた。確かにあの瞬間、自分は敗北を確信した。愚かにも冷静さを欠いた己の失着、悪手、それをクルスはきっちりと咎めていた、はずだった。

 なのに彼はそうしなかった。

 打ち下ろす準備まで完了していたのに。あとは打つだけであったのに。

 その手は止まったまま――

「やらない、じゃなくてやれない、か」

「ゲール?」

「……残念だ」

 ゲールは静かに目を瞑る。失われていたあの日の背中を噛みしめるように。


     〇


「準優勝おめでとう」

「……ありがとうございます」

 閉会式が終わり会場の者たちが皆帰路につく中、ゲールがクルスへ祝福の声をかけた。クルスもまたそれに対し謝意を示す。

「次、また機会があったら俺ともやろうな。その時までにさ、体調、良くなっているといいな。頑張れよ、クルス・リンザール」

「……はい」

 当然、あのレベルならクルスのおかしな部分など容易く見抜けるのだろう。最後の一手、あれには我ながら絶望した。

 行けると思ったのに、勝ったと思ったのに、身体が動かなかった。脳裏に過るはあの日、親友の騎士生命が断たれた瞬間。

 宙に舞う、輝ける明日の欠片。

「……ぅ」

 クルスは口を押え、えずく。吐しゃ物は何とか押し返したが、吐き気は胸の中でぐるぐると渦巻くまま。

 情けない話である。

「声かけなくていいのか、優勝者」

「今は、そんな気分にはなれません」

「はは、だろうな」

 その様子をアスラクは一瞥だけして、彼もまたログレスへ戻る。浅はかな一歩、生きたのは相手のおかげ。己の未熟さに腹が立つ。

 とてもこの金色の、優勝者の証に価値があるとは思えなかった。


     〇


(二位、凄いじゃないか。皆に自慢できる)

 クルスは銀色のメダルを弄びながら、車窓に映る自分の顔を眺めていた。

(優勝は出来なかったけれど、この大会に参加したことは間違いなかった。あっちじゃここまで勝ち上がれなかっただろうし、最後の最後まで何とか誤魔化し切ることも出来た。最後の試合は、酷いものだったけれど)

 『笑顔』の自分。

 強がり、見栄っ張り、虚勢、何処か温かみのない笑み。

 確かにミラの言う通り、この貌は不快である。

(ゲリンゼルの連中は驚くかな? いや、理解出来ないか)

 騎士の卵、その中で勝ち上がった凄さなど彼らには理解出来ない。畑を持っている方が万倍も価値がある、それがあの世界の理。

 自分が捨てた場所。

 いや、自分が逃げた場所。

「えー、■■駅ぃ。■■駅ぃ。当列車は――」

 列車が止まる。まだ先なのでクルスはそのまま座っていた。だけど、待てども待てども列車は動かない。

「失礼ですがお客様」

「何ですか?」

「当列車は本日、吹雪のため終日運行を取りやめることとなりました。大変申し訳ないのですが、こちらの町で雪が落ち着くまでお待ちいただければ、と」

「わかりました」

 自然相手なら仕方がない。クルスは列車を降りて、残りの分の切符を払い戻し雪が吹き荒ぶ町を歩む。いくつかの宿は目に留まったが、何となく素通りしてただ歩く。歩く。歩く、歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く。

 気づけばクルスは線路沿いを猛吹雪の中、ただ一人歩いていた。

 周りには誰もいない。後ろの町明かりはどんどん小さくなる。吹雪で音はかき消される。耳朶を打つのは風の音のみ。

 誰もいない。

 ここには自分一人。

「ぶ、ははは、何が、二位だ」

 クルスは一人笑い出した。歩きながら、腹を抱えて笑う。

「何が凄いだよ。ええ? くじ運で、たまたま強い奴と当たらなかったから手に入っただけ。雑魚狩りの証明? はは、笑える」

 ゲラゲラと。

「わーい! やったー! バンザーイ! ははは、あははははは、あははははははははははははははははは!」

 涙を浮かべながら。

「あー、意味ねえ。くじ運に恵まれて、手に入ってようやくわかった。クソほど意味ねえわ。こんなもん。誰が見ても実質三位、あっちの山に組み込まれていたらその時点でアウト。よく頑張りましたで賞? 死にてー」

 クルスは胸にぶら下げた銀メダルを掴み、思いっきり放り投げた。硬い地面に落ちて、バッキバキに壊れてくれたら、と思ったがあいにく雪のおかげで無傷。見失ってなくなるかな、と思ったけれど、目はしっかりと追っていた。

 要らない。クソほどの価値もない。

 そう思っていてもなお、心の何処かで運良く手に入ったそれが役に立つかも、と言う自分の弱い心がそれを捨てることを許さない。

 メダルを拾い、雪を払い、線路沿いの石にそれを叩きつける。

 いい音がする。

「優勝したら嬉しかったのかな? やったーって、思えたのかな?」

 そう言いながら、クルスは一心不乱にそれを叩き続ける。

「知らねえよ。なったことねえし、一等賞なんて。もっと下の大会ならよかった? 絶対勝てる、御三家も準御三家もいない、雑魚しかいない大会なら……ぷ、くく、マジでクソだな。わかってんだろ、クルス・リンザール」

 傷だらけの銀メダル。

 其処に涙が、鼻水が、垂れ堕ちる。

「逃げた時点で意味ない。あっちの大会なら? よしんば勝ち上がって、いい成績を収めて、それなら喜べた? いや、同じだな。結局、何処かで負ける。もし優勝出来ても、でも、結局其処には俺より強い奴がいなかっただけ。そう、自分より強い奴がいる現状の時点で、はは、そうか、俺、どうしようもないんだ」

 学校では九番目、実技だけで言えば十番目に引きずり下ろされた。上に九人もいる。それが現実。何処で戦おうが、空き巣のように何処かで素晴らしい結果を残そうが、その事実は微塵も揺らがない。

「ヴァルに勝ってもフラウがいる。アンディもいて、フィンに勝っても、ミラが、ミラに勝っても、ディンが、ディンに勝ってもデリングがフレイヤが、その先にはイールファスがいる。遠いなぁ、遠すぎるよなぁ」

 逃げても同じことがわかった。

 逃げた先で手に入れた銀メダルと言う勲章。見れば見るほどに死にたくなってくる。無意味な、逃避の証。運良く手に入った、実質三番手の証明。

 逃げた先で雑魚負けを喫した、そりゃあ死にたくもなる。

「それでも俺は、何で、諦められないんだよぉ!」

 クルスはうずくまり、叫んだ。折れてしまえ、壊れてしまえ、どう考えたって無理なのだ。誰がどう考えても、クルスが一番なんてありえない。

 諦めるべきなのだ。

 妥協して、それなりの道を探すべきなのだ。

 イリオスの騎士団、素晴らしいじゃないか。ゲリンゼルに凱旋でもしたら、自分を下に見ていた連中全員がおったまげて平伏する。エッダも、まだ結婚していなかったら、胸を張って嫁に貰うことも出来る。きっと、あのクソ親ども、涎を垂らして揉み手しながら娘を差し出してくるだろう。

「滑稽だ」

 他の騎士団だって良い。こっそり調べたけれど、どれも素晴らしい騎士団ばかりだった。何よりも稼げる。頑張れば同期の誰よりも稼げるように成れるかもしれない。そうしたら彼らに稼ぎでマウントを取ることが出来る。

 実力では及ばなかったけれど、稼ぎでは俺の方が上だと。

「情けない」

 様々な選択肢があった。どれを取ってもいいはずなのに、どれを取ってもあの頃よりは、あのクソみたいなゲリンゼルでの人生よりかは、何千倍もマシ。だから、それでいいはずなのだ。わざわざ苦労する意味など無い。

 いや、充分に頑張った。『先生』のおかげもあるけれど、それでも田舎から出てきた無知蒙昧な少年が、この短期間でここまで駆け上がって来たのだ。

 苦労した。努力もした。一定の成果も出た。

 これ以上何を望む。

「……教えてくれよ、クルス・リンザール。お前はいつになったら満足してくれるんだ? いつになったら、諦めて、妥協して、割り切って、楽をさせてくれるんだ? もういいだろ。もう充分やったじゃないか。もう無理だよ」

 クルスは線路の上に大の字に寝転び、来るはずのない列車を待つ。轢かれて死ぬか、凍死して死ぬか、何でもいいから終わりにしたい。

 苦しいのは嫌だ。辛いのも嫌だ。

 何で、あの時自分はミラの手を取らなかったのだろうか。

「あそこで行かないの意味わからねえだろ。名門の仲間入りだぜ? 何もない、ゴミみたいなリンザールって名前を捨てる好機だった。婿入り、最高だ。ミラを手懐けて、逆玉狙い。千載一遇の好機。二度とない」

 あの時手を取って、ぎゅっと抱きしめて感謝の一言でも述べていれば、今頃は一人で、無様に線路上で仰向けに倒れることなんてなかった。

「……クズだなぁ、俺」

 何をしても勝てない。勝てる好機すらこの身体は見過ごしてしまう。医者は死への恐怖と言っていたか。今、こんなにも死にたいのに、それは真実なのだろうか。

「嗚呼、でも、死にたいとかほざいてもさ」

 結局のところ――

「死ぬ勇気はないんだよな。自分大好きだもんな、クルス・リンザールは」

 我が身大事。世界の中心に一人だけ。

 他には誰もいない。

「死ねよ、カス」

 クルスは涙を流しながら天を仰ぐ。今すぐ、目の前に災厄の騎士が現れて欲しい。もう一度戦わせて欲しい。やり直させて欲しい。

 出来ればそう、あの日のやり直しを。

 自分を助けようとしたフレンをぶん殴り、自分が順当に再起不能となる。

 腕がもげたらさすがのクルス・リンザールも、

「……マジで、カスだ」

 諦められるだろうから。


 吹き荒ぶ雪が世界を覆う。その中でただ一人、少年と青年の狭間にいる男は笑いながら、泣きながら、度し難い『自分』を噛みしめていた。

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