第122話:亀の歩み

 さらに加速したゲールを見て、クルスは驚愕してしまう。無論、単純な速さは圧倒的にノアであるし、ミラやジュリアらと比較して格段に速いわけではない。ただ、加速して上がった速さを扱うのが上手いのだ。

 かけっこでもない限り、攻撃時には当然減速する。加速、減速、加速、減速、この繰り返しが闘争の中に在る『速さ』、なのだ。

 ゲールの動きはこの減速の部分を削るような工夫がなされている。先ほどまでは腕前を誇示するように正面での撃ち合いを挑んでいたが、今は基本的に正面で打つことはなく、旋回しながら横へ、行けたら後ろへ、ぐるんぐるんと回る。

 直線ではなく円運動を基礎とすることで、最高速自体はそれほどでなくとも、その維持に関してはかなりのものがあった。

「……ぐっ」

 アスラクは磔にされる。しっかりとガードを固め、有効打を防ぐことで精いっぱいと言う様子。当然、このゲールの動きは剣を持っても同じことが出来るだろう。その場合、ガードを固めて受けるなどと言う芸当が許されるかは甚だ疑問。

 拳でも強い。剣ならもっと強い。

 模範的騎士の姿。

「……」

「どうした? 手ェ出さないと始まらんぜ!」

 ゲールの挑発、されどアスラクは鉄壁に終始する。剣ならこんな手段は取らないが、今は拳での勝負。これで受かるのならばそれでいい。

 ギリギリだが、受かっている。

 ならば――

「……」

「……揺らがんなぁ」

 あとはこらえるのみ。

 人間は誰しも――間違える生き物であるから。

 クルスはゲールの凄まじさに隠れたアスラクの鉄壁に着目していた。自身も受けを主体に戦っていたからわかる。あれだけ速い相手、間違えられない攻防は精神を摩耗するのだ。主導権は常に相手側、自分はただこらえるだけ。

 受け間違えはない。今のところ完璧にやるべきことを遂行している。やりたいことも理解出来る。彼は相手が格上と理解した上で、勝利のために耐え忍んでいるのだ。相手が消耗から、間違えることに期待して。

 それを消極的と取る者はいるかもしれない。クルスの中の『騎士』も人の間違えに期待するなど卑怯だ、と漏らしてしまうほど。されど格上相手に勝つなら、そう、自身の向上だけでは足りない。

 ダサくとも、泥臭くとも、その時をただひたすら待つ。

 その徹底した姿に、クルスは何故か負けたような気がした。勝ちたいのか、格好良くありたいのか、自分は何処を目指すのか、それを突きつけられた気がした。

 性能で勝る相手に、高い技術と徹底した合理、その上で鉄の心で耐え忍ぶ。打ち鍛えられた鉄が如し、その鉄壁は自分とは違うものだが――

「……俺だって」

 格上相手にも臆さず挑む姿は何故か、胸に刺さる。


     〇


 アスラク・ティモネンの入試の成績は下から数えた方が早かった。最優の学校、騎士に成ることを宿命づけられた者たちが集う世界。地元で培った自信など秒速でへし折れた。周りのレベルの高さときたら目眩がするほど。

 ただ、騎士には成りたかった。子どもの頃からの夢である。折角ならばログレスの騎士団、と思っていたが、本当のところは地元でもどこでも良かった。その夢であれば本来、それほど無理な努力をする必要もない。

 問題があるとすれば入った学校のランクが高過ぎたこと。ログレスは自らのブランドの価値を守るため、下手な騎士団に入るぐらいなら別の進路を提示される、と言う先輩からの話を聞いたのだ。実際これはままある話。

 ログレスに入らねばもう少し楽が出来た。しかし、背伸びして其処に入ったがために、ログレスが許容できる騎士団を目指す必要が出来た。

 騎士に成りたい、その一心で食らいついた。

 上は毎日大騒ぎ。将来を嘱望された名門の最終兵器が、こともあろうに騎士視点から見れば大したこともない家の者に敗れたから。学校はもちろん、国中の騎士家が揺れていたそうだ。初めの頃は当主や縁家の騎士たちが学校へ押しかけ「なぜ勝てない」「名門の誇りを汚すな」「一位以外認めない」そんな言葉が学生の耳にすら届いていた。酷い状況だったと思う。自分は我関せずと努力をしていたが。

 一年も後半になるとさすがに周りも飲み込んだのか、今度は慰めるような言葉が飛び交っていたらしい。「仕方がない」「あれは百年に一人の天才だ」「二位を死守せよ」おそらく、彼が消えたくなったのはこの時期であろう。

 それまでは何とか食らいつこうと足掻いていたのだから。凄まじい執念だ、さすが名門の生まれは違う、とアスラクもリスペクトしていたものである。

 ただ、周りが折れた。その言葉が最後のひと押しとなり、彼も折れた。

 彼は学校を去った。圧倒的な一位に続く、圧倒的な二位。学校側は必死に食い止めようとした。誰も彼もがそうしようとした。

 その果てに、少年は涙を流しながら地に頭を擦りつけ、もう許してください、ごめんなさい、耐えられないです、と悲痛な叫びを残し消えた。

 さすがにあれはアスラクにとっても衝撃的な光景であった。大人も子どもも、誰もがあの日、気丈に戦っていた貴種の、心の折れた音を聞いたのだ。

 二位が消え、学校の雰囲気は変わった。他の上位も名門揃い、粒ぞろい、であるが元々際立って優秀な子が落ち目のライバルであるアスガルドへ集まっていたことは、ログレス側としても当然把握していた。

 それでも図抜けた二位がいたから大して危機感もなかった。むしろ盤石とすら思っていただろう。対抗戦は原則三名の代表者が争う。白星は二つで良い。その計算は充分現実的であった。その二位が去るまでは。

 空いた二位には三位が座る。彼もまた優秀、名の通った男である。が、二位であった者と比べると見劣りする。周囲からもぽつぽつと後悔の念が湧き出て、どうしてこうなった、と大人たちが頭を抱える。

 アスラクは相変わらず上位勢、特に一位と言う最高のお手本がいるのだから、彼を参考にしようとコツコツ努力を続けていたが、その陰で学生側のモチベーションが下がっていることも感じていた。いなくなった者のことばかり、嫌でもいなくなった二位を被せ、こちらを見ていることが透けているのだ。

 アスラクは違うが、子どもは敏感で繊細、そういう機微は無意識にくみ取ってしまう。伸び悩む者は多かった。アスラクは出発点が出発点なので、まあそれなりに成績を上げる、に留まったが。一年と二年、空気は最悪だった。

 らしい。アスラクはあまり気にしなかったが。

 三学年、新しく名門の子が入って来た。本人は不出来だと思っていたようだが、アスラクからしたらたまったものではない。その辺の者たちは一気に序列が一つ上がり、彼は初っ端から中堅上位に躍り出た。

 どんどん伸びる。特に後期からの伸びは桁外れ、瞬く間に階段を駆け上がる様は才能の差を、競う者たちに突き付けた。

 アスラクは見本が増えたと喜び、やはり努力を続けた。

 兎と亀ならば、アスラクは亀だろう。それに悩むことはある。なぜもっと器用に出来ないのかと思う日もある。

 それでも不器用なのだから仕方がない。それでも騎士に成りたいから、時間を、手間をかけ、その上で質を高めるしかない。

 抜かれても気にしない。大事なのは自分が進むこと。愚直に、ただひたすらにやるべきことを積み重ねる。

 才能は努力で補う。足りぬなら気力で埋める。

 コツコツ、コツコツ、と。

 四学年、二位の代わりとなる、それだけ周囲から見込まれていた男は諸事情により学校を去った。またしてもログレスは失った。

 大人たちの顔を見ればわかる。失ったものの大きさなど。そのがっかり具合を見れば嫌でも透ける。大人たちが二位や三位を死守した、最優の学校における極めて優秀な学生たちに、大した期待を寄せていないことなど。

 普段、あまり周りを気にしないアスラクでも少し苛立つ。どうしていなくなった者たちのことばかりを考えるのだ、と。惜しむよりも前に、今を戦う者たちに期待してやったらどうか、と思う。それが自分でなくてもいい。

 自分は凡人で、不器用で、もっと出来る者はいっぱいいるのだから。

『マイペースな君が最近、オーバーワーク気味なのは何故だい?』

『……腹立たしいと思った』

『……?』

『ディン・クレンツェ、フレン・スタディオン、いなくなった者たちばかりを勘定している先生方への怒りだ。別に俺じゃなくてもいいんだがな』

『……なるほど。そうか、今回の欠けは、君を変えたわけだ』

 ただ、彼らがいてくれたら、あの眼が、あの表情が、あの空気感が、そのままであることは許容できない。

 別に自分は騎士に成ることが出来たらそれでいい。そのためにすべきことを積み続けてきた。でも、最近は其処に少し加えた。

 学び舎で才能の到来を待ち続ける者たちに問いたい。

 努力に意味はないのか、と。亀を育てる気はないのか、と。

 何がための学校だ、と。

 それが――

「……さすがだな。ゲール・デヴォン」

 今のアスラク、その原動力であった。亀の拳が火を噴く。

「がっ!?」

 腹に突き立つ右ストレート。鉄球が衝突したような、鈍い音が静寂の中響く。ただでさえ速さを維持し、精緻な足捌きを要求される中で、自らの、そしてアスラクの、どちらかがこぼした汗が、ゲールの足を滑らせた。

 すぐに立て直すも、その一瞬の隙を、

「はぁ、はぁ、やはり優秀な者は、中々間違えてくれんな」

 アスラクは見逃さずに打ち貫いた。

「ゲール!」

 優勝候補がリングに沈む。本人は凡夫を自称するがアスラクには人よりも大柄な体躯があった。それを鍛え、磨き、さらに技術を搭載した。

 だからこそ、

「……完璧な、連動だ」

 その時まで耐え忍んだ技術と気力もそうだが、ここぞと言う時まで隠していた牙の強さたるや、身の毛もよだつほどの威力であった。

 自分の投げ出すようなカウンターとは違う。しっかりと足の踏ん張りを利かせ、腰を回転、コンパクトな打突に下半身が生み出したエネルギーが載る。

 かつてバルバラが見せたものとまではいかないが、それでも学生レベルでは簡単には見られないほど、その合理は洗練されていた。

 積み上げた年月が見える。クルスよりずっと前から、物心ついた時からの夢、其処に向けて歩み続けた男の――

「……くそ」

 亀の執念が、拳に宿る。

「い、つつ、いやぁ、やるなぁ。効いたぜ、四年坊」

「……っ」

 しかし、その一撃を受けてなおゲールは笑顔で立ち上がる。明らかな虚勢、足元は揺らぎ、ふらついている。かすかな痙攣すら見受けられた。

 それでも、

「来いや」

「貴方も、尊敬に値する!」

 泣き言一つ言わずに威風堂々、自分から攻め込む。足に見る影もない。あれほど速く、美しく、華麗だった捌きはもう――


     〇


 それからほどなくして、ゲール・デヴォンは再びリングに沈み勝負が決した。まさか一つ上の、最強格を打ち破る者が現れるとは、と場内が騒然となる。

 アスラクも無傷ではない。拳闘の受けに鉄壁無し、とは誰の言葉であったか。体の全面を二本の腕だけで守らねばならない以上、必ず隙間は生まれる。それでも必死に急所を、より効く部位を守り抜いたからこそ、勝利することが出来たのだ。

 それでも彼は勝った。

 対抗戦優勝候補のエースに。

「アスラク・ティモネンか」

「今、ログレスではどれぐらいの成績なのだろうか」

「夏の大会三位だろ。ただ、ソロンがいると当てにならんのだよな、大会の成績は。彼といつ当たるか、みたいなところはあるし」

「正直、組み合わせの妙で勝ち上がる者が出る以上、結局対抗戦に勝ち上がるような世代なら、それらの実績よりも学校の成績を見た方が参考になる」

 確かに大会での勝利は箔となる。ただ、結局それはよほどの相手に勝ったでもなければ、あくまでほんの少しの意味しか持ち得ない。上に行けば行くほど、結果だけではなく内容も重視する。どの大会に勝ったか、ではなく誰に勝ったか。

 この場合はゲール・デヴォンに勝った。

 それで彼は大きく自身の評価を引き上げたこととなる。

「……で、今何位?」

「……この前、三位に上がりました」

「なるほど。なら、さっさと二位も捲れよ。じゃないと、俺の名が廃る」

「善処します」

 試合が終わり、今はもう一つの山の戦いが行われている最中。あちらは一人の番狂わせと順当に勝ち上がったシード選手の試合である。

 それをゲールとアスラクが並び、眺める。

「……あの男が気になるのですか?」

「ああ。縁があってな。出来れば戦いたかった」

「……」

「強かったんだぜ、あれでも。今より、ずっと下手くそだったのにな」

「……知っています。俺も、縁があるので」

「……そうか。ま、敗者はのんびり見物しておくよ」

 試合が終わる。なかなかの長丁場であったが、どうやら『順当』にアスラク自身、戦って見たかった者が上がって来た。

 あの闘技大会の時から少し気になっていた。

 彼の何がイールファスを本気にさせたのか。

 彼の何がアスガルドに特別な対応をさせたのか。

 彼の何が、ソロンを、フレンを、惹きつけているのか。

 それが知りたい。

 だから――

「楽しみだ」

 アスラク・ティモネンは珍しく、笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る