第121話:あの背中を想いて

 番狂わせなく優勝候補が勝ち上がる。優勝候補はもちろんドゥムノニアの五学年ゲール・デヴォン、である。今年の対抗戦優勝候補と目されるドゥムノニアで首席、五学年の世代では間違いなくトップクラスの逸材であろう。

 そう、元も子もない話だが素材が違う。

「勝者、ゲール・デヴォン!」

 今、このミズガルズで最も身体的素養の高い才能が集まるのが騎士学校であり、其処のトップクラスともなれば必然、突き抜けた才能を持つ者、となる。

「勝者、ゲール・デヴォン!」

 このゲールにしろ、ソロンにしろ、実を言うと拳闘は嗜み程度、講義の他に軽く触れる程度で本職とは言えない。どちらも剣を握った方が遥かに強く、あくまで拳はサブウェポンと割り切った考え方もしている。

 それでも本職と並んだ際、彼らは見劣りしない。否、むしろ大抵のケースでは彼らの方が上に立つ。最も競争率の高い苛烈で険しい騎士の山を登る彼ら、その才能と努力は多少本道から離れようとも十二分に通用してしまう。

 だからこそ、あまり表立って言える話ではないが、徒手格闘の世界ですら大会の成績よりも、学校での成績の方が重要視されるケースは少なくない。

「勝者、ゲール・デヴォン!」

 もちろん、成績とは相対的なもの。例えば去年対抗戦で惨敗を喫したアスガルドでの首席は、当然だが優勝候補と目されるドゥムノニアの首席よりも遥かに軽い。エイルがえっちらおっちら付加価値を求めているのはそのためである。

 対抗戦はその学年における学校の価値すらも決めてしまう恐ろしい行事であるのだ。まあ、去年はアセナ・ドローミに全部ぶち壊されてしまったが。

 そんな余談はさておき――

「さすがの被弾ゼロ。華麗なフットワークだこと」

「さすがになぁ。有名な奴ほど学校の成績も見えるし、やる前からほぼ格付けが済んでいるわけで……ま、怖いのは下だけかな」

「アスラク・ティモネンだろ? ログレスの中堅上位ぐらいって話だったけど」

「ないな。普通に一桁だろ。稀にいるよな、後からやたら伸びるタイプ」

「五学年には有名人ってか?」

「そういうこと。下は読めんね。去年までの有名人が凡人に変わることもあれば、去年までの凡人が超有名人になることも……無きにしも非ず」

 優勝候補であるゲールは余裕綽々で準決勝まで駒を進めた。被弾ゼロ、軽快なステップワークから放たれるバリエーション豊富な攻撃の数々。高い身体能力と剣で培った豊富な近接戦のノウハウ、何でも出来てしまうタイプである。

「……俺が注目してたのは、もう一人の方だったんだけどな」

「もう一人? ああ、あっちの山は番狂わせ起きまくってるよな。まだアスラクの方は名前ぐらいは聞いたことあったけど、クルス・リンザールなんてのは初めて聞いたよ。何処の出身なんだろな?」

「イリオスの農村、騎士の家じゃないよ」

「……く、詳しくね?」

「言ったろ、注目していたって」

 そう言いながらもゲールの表情は暗い。技量の向上は目覚ましく、不得手としているように見えた前での捌きや仕掛けも見れるようにはなった。

 だが、その代わりに――

(……相手が弱かったから使わなかったのか、使えないのか、頼むから前者であってくれよ。スポンサーのご機嫌取り以外の意義を、俺にくれ)

 一番の長所が今のところずっと沈黙していた。メガラニカではむしろあれ一本で食い下がっていたようにも見えたと言うのに。その癖を修正するためにあえてそうしているのならいい。実際に『彼』は勝ち進んでいる。

 ただ、もし使えなくなってやむを得ずそうしているのなら、それがゲールにとってとてもショックなことであった。

「ゲール選手、準備はよろしいですか?」

「いつでも」

 ゲールにとってあの日は特別であった。いや、あの場に居合わせた者にとって、誰にとってもあの日は特別でしかなかっただろう。

 良くも悪くも――

(人生で尊敬する人はたくさんいる。学校の先生、卒業した先輩、あとドゥムノニアの騎士もそう。でも、それは全部上の世代だ。下の世代は、三人)

 ゲールは物思いに耽りながら前へ進む。

(一人はノア・エウエノル。俺らがちびり倒していた時に、あの場で誰よりも冷静に力不足の面々を離脱させ、復帰後も才能を爆発させながらもその実、マスター・ガーターのオーダーにきわめて忠実に動いていた。ありゃもうプロだ)

 所詮は才能だけ。異常体質がウリの軽い奴だと思っていたが、ふたを開けてみると誰よりも成熟し、精神面では完成しつつあった。

 騎士としてあれ以上を望むのは難しいだろう。

 あとは場数、身体の完成と共に誰にも手が付けられなくなる。

(もう一人はフレン・スタディオン。これまた俺らが呆然と小便ちびっていた時、立ち尽くして一歩も動けない状況下、あいつだけが動けた。あいつだけが騎士の本分を果たした。あれは、ショックだった。何がショックってさ、何も出来なかった自分が一番ショックだったんだ。今でも、あの光景は目に焼き付いて離れない)

 誰かを守る。騎士の本分をフレンは命を賭し果たした。結果として彼は再起不能になり、剣を置くことになった。だが、あの行動を間違いだとゲールは思わない。あれが騎士の、本質的に最も正しい行為であったと思う。

 気高く、勇気のある者にしか出来ない。

(騎士に成ることを疑ったことはない。そんな自分にふさわしい道を歩んできたつもりだった。素晴らしい学校、素晴らしい先生、素晴らしい学友、良い環境だった。俺たちの世代では最高だったと今でも疑いはない。でも、あの日はさすがに揺らいだな。動けなかった俺が……このまま騎士を目指して良いものか、と)

 そうでなかった自分に腹が立つ。

 自分が成ろうとしていたものは職業としての騎士で、先生方が常々言っていた真の『騎士』とはかけ離れた存在なのでは、と思ってしまった。

 それはもう一人の存在も、大きい。

(三人目はクルス・リンザール。まあ、凡人だ。そもそも俺は何であいつが図太く特別講義に参加しているのか理解出来なかった。そりゃあまあ、そこそこは出来る。うちの女子も一杯食わされた。でも、あの中じゃ下の方だ。あのメガラニカの女の子も含めて、言っちゃなんだが俺らとはちと壁があった)

 集まった全員が同じ実力とは限らない。ノアもいればフレイヤ、テラ、フレンもいるし、その下も、そのまた下もいた。

(どんだけ図々しい野郎だ、と内心くさしていたんだが……それをあの野郎、災厄の騎士相手でもお構いなしにやりやがった。ありえねえよ。あの場にいた者にしかわからねえだろうが、騎士級の重圧ってのはほんと、金縛りなんだよ。一歩も動けねえんだ。動けるはずがねえんだ。でも、あいつは動いた)

 あの戦い、一番秩序の騎士が求める水準の動きをした者はノアだった。だが、最も貢献した者を挙げるとするならば、満場一致でクルス・リンザールであった。

(普段以上の力を出して……死ぬのなんて怖くねえ、背中が言っていた。虚勢じゃない。本気で、欠片も死への恐怖はなかった。俺らが縛られているものを、ひょいと飛び越えていくんだ。一番ド下手くそなやつがだぞ)

 フレンの騎士とは別のベクトルで、ゲールはあの日のクルスを尊敬してしまった。何てやつだ、と思わされてしまった。

(衝撃だ)

 一つ下の、無名の下手くそに、何処に行っても有名人、誰が見ても主人公的な自分が後れを取った。ものの見事に、さながらモブの如く。

 だから――

(ま、あの日から俺の基準はさ、お前さんの背中に在るんだ)

 ゲールはリングの上から、弱々しい眼でこちらを見上げる男に一瞥を送る。

(そんな眼、してくれるなよ。災厄の騎士にも気後れしなかった奴が、その辺の人間に気後れしてどうすんだって……なあ、クルス・リンザール)

 あの日からゲールの中で何かが変わった。今まで漫然とやって来たこと全てを見直し、改善の余地があれば少しでも手を加えた。今のままじゃ駄目だ。変わらないといけない。変わらなければ、自分は『騎士』に成れない。

 成るべきではない。

 その覚悟が一応、元々優秀だった男をさらに引き上げた。

(見とけ。で、あとでやろう。俺はさ、他の誰よりもクルス・リンザールと再会したかったんだ。あの日の背中に、あの日の心根に、並びたい)

 ゲールは眼前の、目標への道を阻む男を見据える。

「だから、ちょいとその道、空けてくれないか?」

 準御三家ドゥムノニアの五学年首席ゲール・デヴォン。

「何の話か知らんが、断る」

 御三家筆頭ログレスの四学年『上位』アスラク・ティモネン。

 準決勝第一試合が、

「じゃ、押し通るまでだ」

「来いッ!」

 今、始まる。

 開戦の狼煙を上げるのは――

「来たぜ」

 ゲール。あっさりと間合いを詰め、面倒なのは無しにしようとばかりに双方の射程圏内に入る。無論、それはアスラクの望むところ。

「しッ!」

 先手はアスラク。牽制と言うにはかなり重く見える拳を放つ。重く、それでいて速い、そんなジャブをゲールの腕が阻む。

 ただ受けるには重たいそれを、受けつつ前腕を回転させいなす。

 次打もアスラク、左からの右を放つ。

 その右に対しゲールは下からかち上げて殺し、そのまま鋭い右で打ち込むも、アスラクはそれを肩でブロッキングしがっちりと受け止める。

 両者の左右が幾度も行き交う。お互い射程圏内から一歩も引かずに打ち合い、それでいて互いに有効打は一発もなし。

 ゲールは柔らかく、アスラクは堅く受ける。ゲールは速さで時間を削り、アスラクは無駄な動きを排し時間を削る。

 アプローチは真逆、されど――

「あっ!?」

 まずは互角。

 片方は腹をかすめ、片方は頬をかすめる。

「今、君学年何位よ?」

「……今話すべきことではない」

 この間、十秒にも満たぬやり取り。これで挨拶は終わり。

 ここからが、

「そういうレベルのつもりで、ちょっと上げるぜ」

「……受けて立つ!」

 闘争の本番である。

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