第117話:そう成りたかった

 クルスは校舎から平原の一角で行われる講義を一瞥する。この距離でも伝わる緊張感、張り詰めた空気。あのイールファスすら浴びるように注意を受けている。他の者はもっと多い。笑顔を浮かべている者、歯を見せている者は一人もいない。

 あれが成績上位者のみが受けられるユニオン騎士団第七騎士隊副隊長レフ・クロイツェルによる特別講義、であった。

「……」

 自分が受けたかった講義。二度の邂逅、自分にとってあの夜は特別だった。あの人の下なら、あの人に教われば、自分の立ち位置も変わるかもしれない。

 何度夢想したことか。

 されど、現実は彼の教えを受ける立場にすら届かなかった。

「……」

 クルスは無意識に手を握り締め、其処には血が滲んでいた。あの場で彼の指導を受けている者たちと、それを遠目から眺めるしかない自分。

 そんな自分に腹が立つ。


     〇


 前期の試験前、倶楽部コロセウスでは顧問のバルバラが皆の前に立っていた。

「今年も王都アースで拳闘大会が開かれます。夏季に参加した大会ほどではありませんが、入賞すれば履歴書にも記載可能な由緒ある大会です」

 夏季に比べ短い冬期休暇であるが、其処でも騎士団研修など様々な催し事がある。この大会もそういうものの一つ、と言えるだろう。

「参加希望者は私に御声掛けください。以上」

 ミラやフィン、先輩たちは迷うことなくバルバラの下へ向かい、参加の意思を告げる。まあ、拳闘倶楽部にいるのだ、折角の大会を逃す手はない。

 ただ、クルスは少し迷っていた。

(……ミラ、フィン、それに先輩たちも俺の状態は理解しているはずだ。普段の練習じゃ其処を突いてくるのはミラぐらいだけど、大会で負けそうになったらどうだ? 其処を突かずに潔く負けるか? 俺なら、しない)

 入賞すれば履歴書にも記載可能、つまり箔となるわけだが、逆に言えば入賞できなければ何の意味もないと言うこと。

(ミラとフィンには敵わない。先輩たちとは一応五分、だけど……無理やり踏み込まれたら厳しい勝負になる。大会の規模にもよるけど、ここにいる面々に俺が勝てないと仮定したら……そんな大会に時間を割く意味はあるのか?)

 箔は欲しい。以前、ふらりと現れたリカルドが言っていた、エイルがユニオンに入るため様々な大会に出ている、と言う話。ほんの少しでも意味があるのなら、大会に出て結果を出す。その実績が欲しい。

 ただ、アスガルドの面々が敵で、入賞が八位と仮定すると、それなりに運が良くなければ八強までにはまず、間違いなくつぶし合いになる。

「あれ、クルス先輩は出ないんですか?」

「ん、少し迷っている、かな。気持ちは前向きだけどね」

「先輩ならやれますよ!」

「ありがとう」

 後輩の悪意なき言葉、それがクルスの胸に刺さる。

(俺ならやれる、ね)

 夏までの自分ならそう思っていた。あのソロン相手でも勝つつもりだったのだ。だが、今は、少しばかり現実と向き合い過ぎた。

 あの頃ほど無邪気に、後輩の応援を受け取れなくなっている。

「先生、このあと少しお時間いいですか?」

「ええ。構いませんよ。さ、皆は練習に戻ってください」

 クルスの願いをバルバラは聞き入れ、そのまま流れるように皆へ練習再開を促す。

「イエス・マスター」

 他の皆はそれに応じ、各々のメニューをこなし始めた。

「……外で話しましょうか」

「よろしくお願いします」

 クルスとバルバラは外へ向かう。その様子をミラだけが、

「……」

 目で追っていた。

 外へ出てすぐクルスは、

「先生、大会のことですが……皆が参加するものとは別の大会が、何処かで開かれていたりはしないですかね?」

 バルバラに質問を投げかける。

「……それは何のために、ですか?」

「いえ、その、単純に気になったので。いつもの面々とやり合うのも新鮮味がないですし、他の大会があるならそちらの方に興味があるな、と」

 バルバラの眼、射すくめるようなそれはクルスの中を覗き込む。

「もちろん、ミズガルズ各地で学生向けの大会は開かれていますよ。まあ、アースで開かれるものは二十歳以下の部で、招待選手や若手の現役騎士なども参加しますし、貴方が危惧するような新鮮味の薄い大会にはならないと思いますが」

「……そ、そうなんですね」

「気になるのでしたら、あとで調べておきます」

「あ、ありがとうございます」

「ただ、もし逃避の気持ちがあるのであれば……やはりアースの大会に参加することを勧めますよ。挑戦、と言うことであれば何も言いませんが」

「……もちろん、挑戦のつもりです」

「……わかりました」

 クルスはほっと胸を撫で下ろす。嘘はついていない。挑戦の気持ちはある。ただ、結果のわかり切ったものより、少しでも結果を得られる選択をしただけ。

(逃避じゃない。現実を見据えた……戦略だ)

 結果が欲しい。何か、誇れるものが欲しい。

「貴方はとても頑張っていますよ、クルス」

「先生にそう言って頂けると自信になりますね」

 クルスは『笑顔』でバルバラの賞賛を受け止める。ただ、心には響いていない。むしろ最近では苦々しさすら覚えてしまう。

(ええ、頑張っていますよ。頑張った結果が、このざまですけどね)

 結果の伴わぬ努力。努力すればするほどに突き付けられる、才能の壁。時折虚しくなる。今はまだ、何とかしがみついているけれど――

(とにかく結果だ。努力の、証が欲しい)

 結果が要る。

 それがないともう、どうにかなってしまいそうだ、とクルスは心の中で吐露する。

 まるで見えぬユニオンへの道。登れぬ壁を前に右往左往する毎日。周りを見渡せば嫌でも透ける、己が器の不足。

 お前如きが騎士になど烏滸がましい。

 時折世界から、そう突きつけられているような気すらする。


     〇


 結局、クルスはバルバラが探してくれたアスガルドの隣国で開かれる拳闘大会に参加することを決めた。年末、船で大陸と往復するため日程の余裕はないが、それでも近場でそれなりの規模、多少は箔となる大会に参加することが出来た。

 ミラもフィンもいない。

 何よりも、自分の欠点を知る者がいない。しっかりと踏み込ませずに前で捌く。其処に徹すれば迂闊に踏み込んでくる者はそうそういないだろう。

 やってやる。まず一つ、何かを得る。

 全ては其処から――

「クルス・リンザールとアンディ・プレスコット、前へ」

 哀しいかな、クルスは前期の内にヴァルの壁を越えることが出来なかった。だが、年明けこそは越えて見せる。大会で経験を積み、その経験を糧に成長する。ソロンの時のような、そういう出会いがきっとあるはず。

 その先で自分の進むべき道が――


「……あれ?」


 ある。そう信じていた。かなり揺らいでいたが、それでも努力すれば夢が叶うと。自分は誰よりも努力している。少なくとも周りと比べたら自分が一番、量も質も高い努力を継続している。だからいつかは、

「お見事。勝者、アンディ・プレスコット」

「っしゃあッ!」

「あ、あれ?」

 いつかは、必ず道が開けると、そう思っていた。

 だけど現実は、

「とうとう、か。最近あいつ調子よかったしな」

「元々、御三家が座学に難ありでも取った才能だ。磨きゃ光るさ。勝手に腐ってくすんでいただけでよ。誰かさんのせいで、化けちまったがな」

 才能に、踏み潰される。

「クルス。次は俺の番だ。調子崩してるお前を、俺が引き上げてやる。それがお前に引っ張り上げてもらった、俺なりの感謝だ!」

 差し出された手。それをクルスは呆然と握る。

「くく、才能のある奴はこれだから嫌なんだ。調子を崩している? 本当にそうなら、そいつはもっと余裕があるさ。ああ、嫌だ嫌だ」

 第八位の男、ヴァルはいつか来ると思っていた才能の結実に顔を歪めていた。まあ、もう来てしまったものは仕方がない。

「アンディ、続けてやれるか?」

「もちろんっす。先生」

「……次、ヴァル・ハーテゥン、前へ」

 お呼びがかかり、ヴァルは笑みを浮かべて立ち上がる。その笑みは何処か空虚で、これからの結果を示しているように見えた。

「見とけよ、クルス!」

「……あ、ああ。ヴァルは強いよ、アンディ」

「おう! お前みたいに何度でも挑むさ!」

 上位の壁、阻まれてわかった。間違いなくあそこは壁なのだ。容易く乗り越えられるわけがない。アンディも苦戦するはず。

 いくら彼が、化けたとはいえ――

「往くぜ!」

「……」

 アンディの剣は決して綺麗なものではない。技術的に高くもない。ただ、最近の成長期とフィジークの講義によって飛躍した強靭な肉体、元々騎士の家でもないのに高い素養を示してきた魔力、この二つが彼の剣を加速させる。

「……何で、だよ」

 自分を易々といなしていた男が、今は顔を歪めてアンディの猛攻を捌いている。いつもの嫌な剣は健在。アンディも「おっと」「やべ」などしてやられそうな状況は何度かあった。でも、どう見ても優勢なのはアンディである。

(手を、抜いている? 馬鹿な、ヴァルにそれをする意味はない。彼だって前期の最後、ここで順位は落としたくないはず。本気だ、本気じゃないとおかしい)

 クルスは『笑顔』を取り繕うことが出来なくなっていた。

 其処に、

「ヴァルの倒し方、わかった?」

 いつの間にかミラがクルスの隣に立ち、愕然とするクルスへ声をかけて来た。

「……そ、それは」

「技術はあんたの方が上。ってか、下のやつはこの学年にいないんじゃない? 剣は粗い。攻めの組み立ても雑。でも強い」

「……」

「まあでも、あれで技術ついた方だし、組み立てなんて元々考えもしなかった奴が、誰かさんに刺激を受けて考えるようになった。この学年じゃ下の方でも、間違いなく足りなかった技術を、知識を、あいつは得た」

「……」

「あとは才能の差。器の差。あいつはデカかった、それだけ」

「……」

「ヴァルの倒し方はね、倒せる奴はんなもん考える必要がないの。弱点突かれようが何しようが、その上でぶっ倒せばいいだけだから」

 言われずとも、こうも目の当たりにすればクルスとて理解出来る。自分ではさせられなかった、あの男の苦みに満ちた表情。

 上位の壁、それは自称するあの男にとって虚しさを込めた、皮肉であったのだ。

 イールファスに、フレイヤに、デリングに、ディンに、ミラに、フィンに、フラウに、そして今、アンディに踏み潰される。

 才能の壁。そう、あの男は一度も、自分が壁の向こう側だと言ったことはない。壁の内側、こちら側、凡人側なのだと、彼はずっと言ってきたのだ。

 クルスが読み取れなかっただけで。

 クルスが彼を越える器でなかったから、それが見えなかっただけで。

「まあ、でもあのクソみたいな剣を一発で抜いたなら大したもんでしょ。化けたわね、プレスコット。私もうかうかしてらんないわ」

 八位を、ヴァルを、鍔迫り合いから力ずくでねじ伏せる。

 クルスには絶対に出来ない勝ち方で、

「見たか、クルス!」

 アンディ・プレスコットは化けた。一年から座学について行けず、怒られ、腐り、気づけば二学年の末には放出候補にも挙がった男が、三学年、四学年の前期を経て、上位の壁を喰い破るほどの爆発的な飛躍を見せた。

 クルスが、ああなりたかった姿。ああなると、ああなれると信じていた姿に、自分ではない者が、成った。

「……また、か」

 皮肉気な笑みを浮かべながらヴァルは静かに、悔しさに打ち震える。

 何度踏み越えられても、この感覚は慣れるものではないから。

「くく、さすがに理解しただろ、リンザール。これが現実だ。そろそろ夢から覚めろよ。お前は……俺と同じ凡夫だ、と」

 誰だって悔しい。それはクルスだけではない。努力した。頑張った。それで全ての者が報われるのであれば、世の中はこれほど苦しく出来ていない。

 報われない努力もある。妥協せねばならぬこともある。世界は公平ではなく、人は平等ではないから。それを知るのが大人になると言うこと。

 今、彼らは岐路に立つ。大人と子どもの境界線に。

「ようやく、その薄気味悪い『笑顔(強がり)』が、壊れたなァ」

 ヴァルはクルスを見て――嗤った。

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