第116話:忘れてた
自分の現在地点を知り、足掻く日々。
「どっせい! 二百キロ!」
「……上がり過ぎだろ」
器の差。自分も伸びているが、他の者の方が伸びている。そもそも最初の時点で筋力に差があった。必死に埋めようにも。やり過ぎると逆効果なのは書籍の通り。極力追い込み、誰よりも丁寧なフォームを意識し、それでもなお――
「……」
ただ重量を振り回す者に敵わない。テュール先生は人と比べるべきではない、と言った。でも、こうして同じ空間にいて、同じようなメニューをこなして、それでも意識しないようにすることなど出来るのだろうか。
器に差があるから仕方がない。そう思える日が来るのだろうか。
少なくとも今、クルス・リンザールはそう思うことが出来なかった。
〇
「……あいつ、今日もか」
早朝、ディンは隣の空になったベッドを見て目を細める。夜も部屋に戻ってくるのは日に日に遅くなり、朝もどんどん早くなる。
講義の合間、隙間時間にも予習復習を詰め込み、講義中の集中力も高い。
「凄い奴だよ、お前は」
御三家アスガルド、その中でもクルスの努力量は突出しつつあった。フィジークの講義での丁寧なフォームを見るに内容も上質なもの。
ただ、結果だけがついてきていない。
「違う。結果は出てんだ。でも――」
結果をどう見るのか。例えばテュールの言う通り自分のみと比べた場合、クルスは間違いなく成長している。その努力量に見合った結果を出していると言える。
だが、人と比べた場合は別、其処には残酷な真実がある。
決して質の高くない雑な努力でも伸びる者は伸びる。
努力量が少なくとも伸びる者は伸びる。
世の中にはさして努力せずとも伸びる者はいる。
人それぞれの違い。個性。才能。
「――ここは、御三家だからなぁ」
クルスは良い意味で騎士の世界を知らない。御三家と呼ばれる最高学府に入りたくて、入れなかった数多の敗者を知らない。その下の準御三家でも、何なら駅弁と下げた言い方をされる学校でも、毎年山のように門前で散っているのだ。
ここでの経験も、メガラニカでの経験も、レムリアを見て回った時も、彼は全て最高の環境ばかりを目にしてしまった。
比較するのは常に一般目線では全員が天才で、神童なのだ。
それを彼は知らない。知らないのが強みでもあるが――
「……頑張り過ぎて、折れてくれるなよ、クルス」
今の彼は何処か、ソロンを前に鼻っ柱をへし折られてもがき苦しんだかつての自分と被る。遮二無二やって、空回って、最後は摩耗し切って砕け散った自分と。
あの時とは状況が違う。だけど、被せずにはいられなかった。
〇
選択制になって大分減った歴史の講義。相変わらず、自分で選択したにもかかわらず寝ている者は少なくない。終始起きて真面目にやっている者は、今ちらりと目が合って小さく手を振ってくれたリリアンぐらいか。クルスも小さく振り返す。
フロプト・グラスヘイムによる歴史の講義。クルスは存外この講義が好きであった。抑揚のない語り口はよく脱線するが、ありのままの歴史を極力偏らぬよう丁寧に教えてくれる。小さな世界しか知らなかったクルスにとって、机上に在りながら世界と繋がることの出来る、ちょっとした旅のような時間。
まあ、暗記科目が得意、と言うのもあるが。
「――騎士の成り立ちには不明な点が多く、学者たちの間でも様々な説が飛び交っている。要は諸説あり、歴史の真実など誰にもわからぬのだ。当時を知る者以外は。いや、当時を知る者でさえ、其処には必ず偏りが生まれるもの」
何をどう見るか。何となくグラスヘイムの講義には常に、其処に対する問いかけが含まれているような気がする。
何が正しく間違っているかではない。
何をどこから、どう見るかが大事なのだと。
「……む、どうした? リンザール」
「あ、いえ、この前映画を観る機会があって、其処で黎明の騎士の話がやっていたものですから。それが騎士の始まりだと思い込んでいたので」
「ふむ、黎明の騎士のぉ」
「所詮は物語、と言うことなのでしょうか?」
少しばかり思案したのち、グラスヘイムはクルスを柔らかく見つめる。
「物語、逸話、というモノはすべて真実とは限らぬが、全てが虚構と言うわけではない。わしとて当時のことは知らぬが、例えば黎明の騎士と言う個人はおらずとも、名乗らずに善意を施した、そういう者が複数人おって彼らの功績が集まり、黎明の騎士と言う存在を創り出した、と言うことも考えられよう」
「なるほど。だとすると何故、彼らは名乗らなかったのでしょうか?」
「逆に何故、リンザールはそれを疑問に思うた?」
「それは、その、人には功名心があると思ったからです」
クルスの言葉を聞き、グラスヘイムは小さく、悪戯っぽく微笑む。
「名を上げたいようじゃな、リンザールは」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
「よいよい。人には功名心がある。野心がある。野望がある。それらは欲と置き換えることも出来るし、夢と見做すことも出来よう。何も悪いことではない。人にはそれがある。形は違えど、きっと誰の心の中にもあるのだ」
「……」
「自分を否定する必要はない。じゃが、騎士の在り方を思う時、あまり明け透けでは困る。紳士たれ、自らを律してこそ騎士じゃと、わしは思う」
「イエス・マスター」
クルスは少しばかりバツが悪くなる。年月を重ねたグラスヘイムの目は、自分の奥底を覗き、見抜かれたような気がしたのだ。
自分の努力、その醜い源泉を。
「おっと、そろそろ良い時間じゃな。最後にリンザールの質問に答え、今日の講義を締めるとするかの。質問は何故名乗らなかったか、じゃな。わしが思うに――」
マスター・グラスヘイムはニヤリと笑い、
「カッコつけじゃよ」
全員が目を覚ますような、ユーモアあふれる質問への解を示した。
一応質問者であるクルスも呆気に取られている。
「騎士は格好つけてナンボ。紳士たれ、若者よ」
深いような、浅いような、そんな講義が幕を閉じる。
グラスヘイムが去った後、
「いやぁ、あの爺さんにもユーモアがあったんだな。見直したぜ」
取ったノートをざっと見直し中のクルスに、同じ講義を取っているアンディが声をかけて来た。ちなみに彼は当然の如く熟睡勢である。
「見直す前に君は講義中に熟睡するのをやめなよ」
「ここで寝とくとここからの実技の調子が上がるんだよ」
「……面白い講義なのになぁ」
「まあまあ。そんなことよりもよ、そろそろあの時期だぜ、あの時期」
「どの時期?」
「馬鹿ちんが! 毎年恒例のダンスパーティだろうが!」
熱いアンディの言葉に、少し離れたところのリリアンがピクリと反応する。
「……ああ、前期のテストもあるね」
「言うな! そんなつまらんこと!」
「俺はそっちの方が重要だよ。と言うか、今の今まで忘れていたし」
そっけないクルスに対し、アンディは眉をひそめる。
「さすが富める者は違うな」
「富める? 何の話だよ。俺、金はいつも通り全然ないよ」
「フレイヤ、イールファナ、アマルティア、騎士科、魔法科、貴族科をコンプリートしている男は余裕で良いなァ」
「……え?」
「不滅団のやつから聞いたぜ。当日はお前さんの暗殺計画が浮上しているって」
「……や、ヤバい。忘れてた」
「拉致って簀巻にして、ユグドラシルのクソ高い位置にぶら下げて飾りにしてやるって意気込んで……ど、どうした、顔真っ青だぞ。大丈夫だって、多分死にはしないから。其処まで連中もヤバくねえよ。たぶん」
「違う。そっちよりも、ブッキングしている方がまずい」
「……三人と話してねえの?」
「……忘れていたから」
「……そっか。まあ、あれだ。頑張れよ」
「……うん」
クルス・リンザール。昨年のことをようやく思い出し、あれよあれよと言う間に完成したトリプルブッキングに思いを馳せる。
胃が痛い。キリキリと軋む。
そんな様子のクルスを見て、遠巻きにリリアンは小さく肩を落とす。
〇
今日ほど倶楽部ヴァルハラへ顔を出すのが億劫であった日はない。されど、遅くなれば遅くなるほどに状況は悪化するだけ。
腹を括り、扉を開ける。
そうすると、
「あっ、クルス先輩!」
真っ先にクルスを視認したデイジーが駆け寄って来る。居心地がよいのかすっかり居ついた二人組。もう片方はいつも通りアマルティアの膝の上で寝ていた。もはや飼い猫か何かなのかもしれない。
「あの、先輩はダンスパーティのお相手とか、いるんですか?」
「あっ」
一撃必殺。クルスは死んだ、と思った。いつもの窓際で読書をしているイールファナ、同じく定位置で盾の掃除をしているフレイヤ、そしてアミュを膝の上に載せているアマルティア、彼女たちの視線が一気に集束したから。
逃げられねえ、クルスは観念する。
「あ、いや、実は――」
「申し訳ありません」
フレイヤが立ち上がり、
「え、あの、謝るのは俺の方じゃ――」
「急遽、当日はお兄様が参加される関係で、わたくしが相手をすることになりましたの。急な話で申し訳ないのですけれど、約束はなかったことにして頂けると助かりますわ。どうかしら?」
謝罪の理由を、約束の解消を求めてきた。
何と言う僥倖か、一つ勝手に罪が消えたのだ。
「そ、それは仕方ないね。ざ、残念だなぁ」
「そう。ならよかった」
そう言ってフレイヤは座り直し、黙々と盾を磨き始めた。
「私もイールファスと踊る。コミュ障な弟のため。姉の私が今年も一肌脱ぐ」
さらに僥倖が続く。
「そ、そっか。イールファスと。相変わらず仲が良いね、二人は」
「別に普通」
さらに悩みの種が自然消滅。こんな展開、あっていいのか、とクルスは神に感謝する。今ばかりはメガラニカの信徒たちの気持ちがわかった。
奇跡は存在する。
「と言うわけでね、マスターは私と踊りまーす」
「そ、そういうこと、なんだよ」
考え得る限り最高の展開にクルスは心の中でガッツポーズを取った。助かった、本当に助かった、と情けなくもほっとする。
「……今の話を聞くと、三人とお約束していたんですか?」
「……あっ」
「クズ! クズクルス! ねえ、アマルティアぁ、アミュと踊ろうよぉ」
「駄目です! 私、滅茶苦茶楽しみにしていたので! 一年待ちました!」
「ぶー」
嬉しそうに豊満な胸を張るアマルティアの様子を見て、クルスはぐさりと刺さる気持ちであった。今日の今日まで、ダンスパーティのことすら頭になかった。
約束のことも忘れていたと言うのに――
「デイジーちゃんと踊ったらどう? 女の子同士も楽しいよー」
「……それイイ! 採用! デイジー! アミュと踊るからね!」
「え、でも」
「アホクルスは諦めた方が良い。クズでゲスだから」
「アミュちゃん!」
デイジーはともかく、しばらくアミュにはトリプルブッキングのことが弄られるんだろうな、とクルスはため息をつく。
ただ、まあ、助かったとは思う。
(……無駄なことに頭を割く必要がなくなって、よかった)
ほんのりと、冷たい眼で――
〇
珍しく今日はサルでもわかる魔導学は休講、クルスはそのまま倶楽部コロセウスの方へ顔を出しに行った。皆解散し、残ったのはこれまた珍しい組み合わせ。
「……」
「……」
フレイヤとイールファナであった。この二人、実を言うとあまり会話がない。昔からエイルを挟んでの会話がほとんど。その役割がクルスに代わっても特に問題なく関係性に変化はない。別に仲が悪いわけではない。
ただ、共通の話題があまりないだけ。
しかし今日は、
「珍しいですわね」
「……何が?」
「貴女は引かないと思っていましたから」
共通の『話題』がある。
「……そっちも同じ。随分と都合よく、お兄様が現れたみたいで」
「あら。それはそちらも同じでしょう? 上級生にも、下級生にもイールファスは人気がありますわよ。誘いの数は、それなりにあったと思いますけれど」
「さあ? 誘われたから受けただけ」
二人は視線を合わせない。
「「……」」
合わせずとも、言葉を交わさずとも、わかってしまうから。
今、いっぱいいっぱいのクルスにこれ以上負荷をかけたくない、と自ら引いたことが。わかるから、何も言えない。
何故なら、その選択を取ったこと自体が答え合わせみたいなものだから。
だから、何も言えない。言わない。
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