第98話:クルス、アスガルドへ戻る
幾度かの船旅とノアの運転により鍛え上げられた三半規管。とうとう完全に大陸、アスガルド間の航海を船酔いなしで突破したクルスは堂々と凱旋帰国する。無論、迎えに来る者など誰もいないのだが。
と言うかたぶんクルスで早い方の戻りであろう。むしろ待つ方である。
(……とりあえず昼食にするか)
王都アース、最初に来た時は大都会と言うイメージであったが、ユニオン、メガラニカ、レムレースを経て比較対象を得た結果、意外と大したことないと言うことがわかった。あと湿度の関係かどうにも湿っぽい感じもする。
ただ、クルスはこの古臭い街並みが結構好みであった。
そんな石造りの建物が、石畳が連なる街並みをクルスは一人、ゆるゆると歩む。リアはそれなりにあるが、さりとて散在する気はない。何より小市民なクルスは気取ったお店よりも、庶民的なお店の方が好きだった。
(肉か、魚か、あえての麺類……いや、しばらく麺類はやめておこう)
アスガルドで肉と言えば昔から塩漬け肉(ハモン)が定番であり、その文化の名残か冷蔵技術が発展した今でも、庶民層では火を通さぬまま食すことも多い。ちなみに今でこそ多様な調理法や保存法を知っているクルスだが、こちらへ来た当初はそんなこと微塵も知らず、生であろうが何でもお構いなしにバクバク食べていた。
ゲリンゼルでは干し肉だって年に数度の御馳走であったから。
「……原木」
クルスの目に飛び込んでくるのは屋台に並べられたハモンの原木であった。たまにアスガルドでも食堂で出されるのだが、実はあの原木自体にとてつもない興味があったのだ。言っても塩漬け肉、かぶりつけばしょっぱくて大変なことになる。ちまちまと食べる方が幸せなのは重々承知の上。
されど、原木から香り立つなまめかしいロマンの香りが鼻腔をくすぐる。あれを抱えて部屋へ戻り、毎日生ハモン食べ放題。
こんな素敵な日々、男の子のロマンがクルスを惑わせる。
常識で考えれば要らない。どう考えても不必要。
しかし、だが、
(……あ、あっちに小魚ミックス素揚げの屋台がある。そっちで小腹を満たしてから。そうすれば冷静な判断が出来る気がする)
今ならば間に合う。正しい道に戻るのだ。
「お兄さん。下手、欲望の発散が下手!」
「……え?」
屋台のおばちゃんが妖しい笑みを浮かべ、囁く。
「素揚げなんて何処でも、いつでも食べられる。学校でも良く出るだろう? でも、ハモンの原木を、丸のまま手に入れられる機会はここしかない」
(……ここしかない、は言い過ぎだと思うけど)
「何よりも、お兄さんが本当に欲しいものは何だい?」
(原木)
「今、脳裏に過ったものが答えさね。自分へのご褒美、ちょっと奮発して欲しいものを得る。あとで後悔するのは愚の骨頂さ。そうだろう? ん?」
「ぅ、ぅぅ」
「毎日、部屋で、お洒落に、ハモンを食べられる生活が今、目の前に!」
「ぅ、ああ」
「今なら何と、この定価から二割引きィ!」
「あああああああ」
常識とロマン、欲望とお財布の狭間でクルスは悩み、惑い、狂う。
「お兄さんも欲しがりだねえ。なら、このよく切れるナイフも付けちゃう!」
(お、お得!?)
「本日、いや、今この瞬間限りの大チャンス!」
そして――
○
久しぶりの学校。懐かしさすら感じるクソほどに広いイザヴェル平原、と言う名の中庭を抜けて、騎士科の寮へと辿り着く。
閑散とした寮内。四年に上がり新しい部屋が割り振られていた。ルームメイトはディンで変わりはない。部屋の内装も階が違うだけで基本同じ。
帰って来た。しかし、クルスの顔に明るい色はない。
何もない部屋、その一角に飾られた無駄に大きなハモンの原木。
「……俺は、弱いッ!」
クルス・リンザール。男の子のロマンを前に散る。
○
「……そうか。大変だったね」
「いえ。情けない話です」
「そんなことはない。それだけの相手だったと言うことだ」
クルスは戻ってきて早々、自身の状態を騎士科の教頭であるテュールに伝えていた。これに関してはノアたちとも相談し、先生方には先に話を通しておくべきと判断したのだ。単なる不調と捉えられてしまえば成績にすぐさま響く。
理由さえあれば多少の忖度はある、かもしれない。
「しばらくはソード・スクエアで?」
「はい。なるべく前で捌くためにも正眼の構えは理に適っているかな、と」
「……わかった。各先生に伝えておこう」
「ありがとうございます」
先の見えない状態であるが、それでも一歩ずつでも進むしかない。出来なくなったことに固執するよりも、出来ることをやる。
その辺りのドライな思考はクルスらしさ、なのかもしれない。
「頑張りなさい。この試練を乗り越えた時、君はきっとさらに飛躍する」
「イエス・マスター。頑張ります」
「ああ」
クルスは一礼し、テュールの部屋から退出する。彼の足音が遠ざかった後、テュールは静かに、深くため息をつき、目頭を押さえる。
「……これから、と言うタイミングで、か。辛かろう、悔しかろう。おくびにも出さず……弱みを見せたがらないところは、似ているかもしれないな」
三学年、彼はそうせざるを得なかったから、それしかなかったから人を頼った。しかし今、ある程度自分で何とか出来る知識が、技術が身についた状態で、果たして彼は去年のように人を頼ろうとするだろうか。
今の明るい、取り繕った顔を見るに――
「……さて、君は今の彼をどう見る? 助けるか、それとも――」
他の先生よりも、誰よりも早く彼の情報はクロイツェルに伝えねばならない。そういう契約であるから。今更ながらテュールは悔いる。
学校としてあの取引はすべきでなかった、と。
○
クルスはイザヴェル平原の原っぱの上で剣を振っていた。今はとにかく、新しい戦型を身体に馴染ませる必要がある。新学期が始まれば否応なく同学年の皆と競争が始まるのだ。後れを取るわけにはいかない。
少しでも前へ。
「おー、やってんな、クルス」
「ディン!」
そうしているとひょっこり、荷物を背負ったディンが駅の方から歩いてきた。さすがにその荷物の大きさなら馬を使えばいいのに、とクルスは思う。
「すげえニュースになってたぞ」
「あはは。俺たち学生はおまけだよ」
「それでも公式記録で災厄の騎士、その討伐補佐がついたんだ。一生ものの勲章だぜ。騎士業界じゃ垂涎の大手柄さ」
「……あのザマを誇る気にはなれないかな」
「へへ、そうかい。よし、なら久しぶりにやるか」
「荷物は?」
「ここ置いとけばいいだろ。騎士級討伐補佐1、の実戦経験者の胸を借りさせてもらうぜ。覚悟は良いな?」
「うん。やろう」
ディンは早速荷物をその辺に置いて、腰の剣を引き抜き前傾姿勢、ゆったりと肩へ担ぐ。これが本家本元、クレンツェ発祥のフー・トニトルス、である。
攻撃の型、昨今の主流として名高い。
「……どした? もうあっちの方も解禁したんだろ?」
「今は自発的に封じてる。色々と使えるようになっておこうと思ってね」
嘘。されどこれも貫き通すと決めていた。ディンたちは友人である。だが、同時に競争相手でもあるのだ。弱点を教えたくはない。
いや、それよりも弱点を知られ、気遣われる方が嫌だった。
だから隠す。それに、夏前の自分との比較であれば――
「ふーん。へへ、俺も舐められたもんだな」
「それは剣を交えてのお楽しみ、だ」
対するクルスはソード・スクエア。ただし、利き腕の方に寄せてみたりして少しばかり変則的な構えとなっている。
動きはもっと変則的であるが。
「行くよ」
「おっ」
仕掛けは、クルスから。今までであれば最初から渡していた主導権。しかしメガラニカでも学びを経て、自分が相当相手に依存した戦い方をしていると知った。受動的なだけでは剣に意味はない。
能動、受動、どちらも備えてこその騎士。
「悪いがこっちも仕掛け命でね!」
ディンもまた応じ、互いに打ち込む。フー・トニトルスの性質上、受けに回るのはあまりにも味消し。無理やりにでも主導権を奪い返す必要がある。
打ち合い、弾かれ、有利はディン。
力で優位を引き込む。
「一気に行くぜェ!」
フー・トニトルスの強みは、何と言っても担いだ状態から放たれる袈裟斬りである。前傾姿勢から生まれる前への推進力と担ぎ、下ろす重力の利用した上段からの切り下ろし。この破壊力こそが攻撃型たる所以。
しかし、クルスもまたそれは重々承知している。何しろメガラニカでフレンとはよく剣を交えた。講義で、食後に、寝る前に、何度も同じ型とやり合った。
だから、
「見えてるよ」
「おっ」
クルスはその袈裟斬りを、前で払うように迎撃する。正面から打ち合えば威力負けするが、別ベクトルからの攻撃であれば問題なく通る。
剣の腹を叩き、そらす。
「次は、こっちの番だ」
相手の強力な一撃を潰した後はこちらの番。クルスはぐらりと体勢を崩す。少なくともディンにはそう見えた。
しかし、それは、
「ふゥッ!」
重力を用いた加速。オフバランスの妙技である。あえてオンバランスを崩し、スクエアを打破したエネルギーをも、加速に、威力に変換する。
ぐわん、と大きく、オンバランスではあり得ぬほどの円を描き、
「ッ!?」
がぎん、と強烈な衝突音がイザヴェル平原に響く。
クルスの細身から放たれたとは思えぬ威力に、ディンは獰猛な笑みを浮かべる。
「やるねえ。ちと、一段上げるぞ」
「来いよ。まだまだ、手札はあるぞ」
「ははは、そりゃ頼もしい!」
ディンの攻めが一段、苛烈となる。今まで自分に向けてこなかった獰猛な貌。戦う時のディンを、ようやくクルスは引き出すことが出来た。
それがとても嬉しくて――
(もっとだ。立ち位置を工夫しろ。周りを使え。深く受けられない以上、より立ち回りが重要になる。広く、深く、場を、支配する!)
制限がクルスに必要を与え、必要がクルスに手札の再構成を要求する。今持っている手札、この夏たくさん手に入れたものを選び、正しき順序で切る。
より効果的に、より的確に。
「……はは、嫌な眼だ」
ディンは眼前の友達に自分のトラウマを重ねる。
「だが、悪いな。それはもう、越えてきた!」
それを突き破り、攻めの型を生み出したクレンツェの本領を発揮する。
○
「なんや自分。僕、呼び出して」
「君の雇用主だよ、私は」
「ハッ」
テュール・グレイプニルとレフ・クロイツェルが対面する。
「クルス・リンザールが災厄の騎士と交戦後、局所性ジストニアと思しき症状を発症した。現状、治療法が確立されていない、とのことだ」
「ほォ、クソな器がさらに不良債権こさえたわけか。なかなかおもろい生き物やな」
特に驚くこともなく、クロイツェルはニヤニヤと哂う。
「茶化すな。この件を踏まえ、君はあの子をどうするつもりだ?」
テュールの問いにクロイツェルは頭をかきながら、
「どうするて、どうもせんわあほくさい」
何もしない、と言い切った。
「あの子は君の――」
「ええか。勘違いしなや。僕は別に善意で講師をしとるわけやない。ただの仕事や。そんであのカスの保護者でも、親でも、師でもない。ただの学生と講師、それだけやろ? ちゃうか? テュール」
「……違わない」
「僕からは何もせん。僕からは、な。わかるやろ、テュール」
「……お前は、何処まであの子に負荷をかけたら気が済むんだ!」
テュールはクロイツェルの胸ぐらをつかむ。しかし、クロイツェルは揺らぐことなく、彼の咎めるような眼を見つめ返す。
冷たく、何の感情も浮かべずに、
「アホか。今のカスを肥大化させたんは誰や? 他のカス共よりも伸びていると錯覚させ、甘やかした結果が自分を天才と勘違いしたクソ凡人やろうが。要らん手間かけんと、端から突き付けるべきやった。自分才能の欠片もないゴミやぞ、と。それで死ぬなら死ねばええ。僕ならそうした。一年は縮んだで、僕の設計図ならなァ」
「……あの子はお前じゃない。本当に、壊れるぞ」
「だから言うとるやろうが。壊れるんやない。壊すんや。凡人が、天才と同じことして壁越えられるかボケ。人間やめなあかん。無駄なもん全部削ぎ落として、ようやくスタートラインや。ま、削ぐ前には積まなあかんがなァ」
「才能はある。あの子にも、秀でたものが」
「それを活かせるバックボーン、ないやろ。誰が力のない、後ろ盾もない、何もないカスの言葉に耳を貸すんや。騎士は決して実力社会やない。様々な事柄が絡み合い、立ち位置が決まる。ユニオンですら、な。だが、それでも突き抜けた者の言葉なら通る。クソでもカスでも、力ある者の言葉ならなァ」
クロイツェルはテュールの腕を振りほどき、鼻を鳴らす。
「選ぶんはあのカスや。何度も言うが僕は何もせん。好きに手ェ差し伸べたらええんやない? 自分に凡人が救えると、本当に思うんならな」
クロイツェルは身をひるがえし、テュールに背を向ける。
「精々甘やかしたり。それに沈む程度の渇望なら……要らん」
堂々と歩き去る男を見送り、テュールは机に拳を打ち付ける。正しいのはいつだってあの男なのだ。だが、それでも自分は教師である。
ここは学び舎で、彼の正しさはあまりにも強く子どもを傷つける。
○
「……何だこれ」
「ハモンの、原木」
ひとしきり剣を合わせ、汗をかいた後荷物を搬入するため部屋に戻る。其処でディンは威風堂々と居を構えるハモンの原木と対峙することに成った。
「……どこ土産?」
「アース」
「……そっかぁ」
意図不明。意味不明。
「実はな」
「うん」
「俺も、一度買ってみたかったんだ。ハモンの原木」
「……友よ」
がしっと固い握手をするクルスとディン。そして二人は上の風呂で汗を流し、飲み物を部屋にたくさん持ち込んでハモンパーティを繰り広げた。
「「しょっぺえ」」
すぐに飽きた。
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