第99話:四学年になりました

 アスガルド王立学園に限らず、騎士科のある学校に通う学生は皆それなりの金持ちである。それゆえに信じられない不文律も存在する。

 クルスの目の前に用意された『それ』もまた、その内の一つである。

「……これ、まだ着られるよね?」

「ん? いや、ちょっと袖短いだろ」

 新しい制服、それが当たり前のように送られてきていた。郵送で、奨学金(借金)に追加される形。貧乏性のクルスからすれば信じられない話である。

 だってまだ、去年のものが着られるのだ。

「ディンも新しく買ったの?」

「まあ、一年着たし成長期だろ、俺たち。多い奴は半年で替えるけど」

「半年!? もったいないだろ、それ」

「んなこと言っても、着ているものに足引っ張られるのもあほらしい話だからなぁ。制服なんて大した金じゃないしさ。投資投資」

(大した金だよ)

 クルスもゲリンゼルを出てかなり金銭感覚に変化はあったが、それでもふとした拍子にこういうギャップに直面してしまう。

 ちなみに多機能防水制服のお値段、五万リアから、である。これでも学園指定の割安価格であり、から、と言うのがミソ。

「着てみろよ。腕良いとこだし、今よりきっと良いぜ」

「……はぁ、もったいないなぁ」

 クルスは自分の中に在る葛藤に悶々としながら、新しい制服に袖を通す。確かに少し小さくなっていたが、それでもまだ全然着られるのに。

 と言うか――

「あれ?」

 ちょっと、いや、かなり、緩い。

「……ちょっと、デカいか?」

「ちょっとじゃなくない!? デカいよ、めちゃくちゃ!」

 袖余り、まあ季節柄捲れば何とかなるが、普通に着こなした場合はあまりにも見た目が悪い。発注ミスか、と疑ってしまいたくなる。

「しばらくは前のやつ着るよ」

「ま、まあ、それだとなぁ。でも、もしかしたら背がそれだけ伸びるってことかもしれないぜ。嘘か真か、あそこの店は成長期が見えるとか何とか」

「……嘘だぁ」

 クルスはさっさと元々の制服に着替える。少し小さくなった気もするが、元々かなり伸び縮みする生地であるので気にはならない。

 これこれ、と言う感覚である。

「伸びなかったら返金してもらおう」

「け、ケチだなぁ」

「当たり前だろ! 全く、君たち金持ちはこれだから」

 彼らの辞書にはもったいない、という言葉がないのかとクルスは憤慨する。おそらくこの辺りのギャップはこれから先も解消されることはないのだろう。


     ○


 新学期が始まる。

「……よし」

 早朝、クルスはある程度自分の形に出来たことで拳を握り締める。メガラニカで得た最大の財産は多くの上位層、彼らの剣を観察することが出来たことにある。学校の垣根を越えて収集した剣、それを自分なりに編纂した。

 ゼー・シルトほどのしっくり感はないが、それでも以前あったちぐはぐ感はほぼ消えた。完全にコントロール出来ている気はする。

 実戦もこの前ディンと打ち合った時に、悪くない勝負が出来たこともあって自信となった。彼が本気でないことは明らかだが、かなり近いところまでは引き出せたと思う。さらに完成度を上げ、昨年同様の伸びを見せたなら届き得る。

 いや、越えられる。

「さあ、勝負の年だ」

 四学年、五学年の成績は六学年の就活に直結する。ここで上位に食い込めねばユニオンなど夢のまた夢。目指すと決めた以上、四学年中に上位へ入る。

 そして五学年で――

「……」

 イールファス以外の全員を抜く。いや、それでは足りない。イールファスすら抜く気概が要る。勝つ、勝たねばならない。

 今まで以上の伸びを、今まで以上の努力を、積み上げて、越える。

 越えて見せる。


     ○


「お、有名人! サインくれよ、サイン」

「からかうなよ、アンディ」

「あっはっは!」

 新学期早々、クルスは同学年の皆にもみくちゃにされていた。災厄の騎士、その打倒に名前が連なった者であるためある意味当然ではある。女子はフレイヤ、ラビ、リリアンたちに群がっていた。

 とは言え全員、正直戦力として機能した気はしていない。結局のところユーグ・ガーターありきの戦いである。その他大勢、クルスですらそう思っているのだから、フレイヤや他二名も当然恐縮しっぱなしである。

(……アンディ、少しゴツくなった?)

「俺も結構積んできたけど、さすがに騎士級には勝てねえわ。まあでも、今年は勝負の年だからな。だからって……上ばかり見てんなよ、クルス」

「成績はみんなの方が上だろ? 俺は去年最下位だし」

「裏卒業式見て、そう思っている奴はいねえよ」

 ジッと、普段抜けているくせに殺気に似た視線を送ってくるアンディ。よく周りを見れば、下位、中位組はもちろんのこと、

「……」

 上位のフィンすらクルスへそう言う視線を向けていた。

 この視線は競う相手として認められた、と言うこと。去年までのような可哀そうな編入生ではない。戦うべき相手として認識された。

「今年もよろしくなァ、クルス」

「……ああ。よろしく」

 三学年の時とは間違いなく空気が違う。全員、ひと回りもふた回りも成長していると考えた方がいい。自分だけが成長している、そんな都合のいい幻想は無い。

 世の中それほど甘くはない。

 誰もが積んでいる。ここは御三家、騎士を志す者たちの上澄みなのだから。

「ってか、小さくなったか?」

「君が大きくなったんじゃないかなァ?」

「あはは、怒んなよ。冗談だって」

 そして、かすかに嫌な予感がした。アンディもそうだが、他の皆もひと回り大きくなったように見えたから。フレンほどではないし、おそらく昨年度の最終盤には予兆はあったのだろうが、当時は不調が原因で周りが見えていなかった。

 イールファスやフィンのようなクルスより下はいる。女子勢はすでに成長期を終えているのかそれほど大きな変化は見受けられないが(フレイヤは別格)、そもそも騎士を目指す女子は平均身長よりも高めで半数以上クルスよりも背が高い。

 見下ろせるのはリリアンぐらい、か。

(……ちょっと、新しい制服に袖を通したくなってきたな)

 この制服を着ているままでは話にならない、そんな気がした。


     ○


 新学期初日は基本どの講義もオリエンテーションがメインであり、何かを競い合うようなことはなかった。いくつか重要な項目があるとすれば、四学年からは机上の兵法から派生した実戦的な戦術論、用兵術などのチームワークを主眼とした講義が一気に増えるため、算術や歴史などの一般教養は選択制となる。

 ただし魔導学は必修。統括教頭からは逃げられない。

 自分の得意なものを選ぶか、楽単と呼ばれるいい成績が取りやすい講義を取るか、この辺りから個人の選択でかなり変わってくる。

 クルスが目指すユニオン騎士団は他の騎士団とは異なり、実技の成績だけを見る、と言われているが、実態としては実技を重視しているだけで座学を軽視しているわけではない。まあその辺りは各騎士隊によって優先度は違うらしいが。

 個人も、チームも、実技はトップを狙う必要があるし、座学もおろそかには出来ない。もし、ユニオンが駄目であればなおさら其処も重要になる。

 だからこそ色々作戦を練る必要があるのだが――

「……マスター制度、ねえ」

 四学年ゆえのやるべきこと、にクルスはため息をつく。

「あら、もう少し覇気のある顔をされては如何?」

「手厳しいね。やる気がないわけじゃないよ。俺だって君たちのおかげでこうして何とかやっていけているんだし、恩は還元しないとだからね」

「その通り。新入生が待っていますわよ」

「はいはい」

 マスター制度、一年を経験していないクルスにとっては知る由もなかったが、特に期間が定められているわけではないものの四学年は新入生、つまり一学年の子たちにしばらく放課後など、彼らが学校に順応出来るよう面倒を見る必要がある。

 それを騎士と従騎士の関係からマスター制度とアスガルドでは称している。ちなみにメガラニカではシスター制度など、他の呼び方もあるが大体どの学校にもあり、四学年か五学年が担当することが多い(六学年は就活の関係で学校にいないため)。

 ディン辺りの邪な連中は女の子来い、女の子来い、と天に祈りを捧げていたが、たぶん振り分けは先生方が行っているはずなので、まかり間違っても不滅団に所属している連中に女の子を振り分けることはないだろう。

(ディンの命を賭けてもいいね)

 クルスとしてもなるべく手がかからない子がいいなぁ、と思う。確かに自分はエイル先輩やフレイヤらの助力のおかげで何とかやって来られた。その恩は返したい。だが、本音を言えば当人たちに返したいし、後輩とは言え赤の他人に多くの時間を割けるほどの余裕はない、というのが偽らざるクルスの考えである。

 我ながら薄情だとは思うが。

「どういう振り分け何だろう?」

「こういうのは大体成績順じゃない?」

 クルスは隣のフレイヤに問いかけたつもりだったが、すっと二人の横に並んだミラがぶっきらぼうに答える。

「ってかさ、何か二人近くない? あんたら出来たの?」

「「出来てない!」」

「ふーん」

 ただ並んで会話していただけ。しかし、ミラの口撃によりほんの少し距離を取る必要性が出てきた。そうでなくとも――

「……」

 凄まじい嫉妬の波動が背後から飛んで来ているのだ。女子から人気のデリング・ナルヴィ君は今日もただ一人だけを想い、気持ち悪いムーブを貫く。

 まあそれ以上に気持ち悪いのが、

「女子女子女子女子女子」

 未だ祈り続ける残念な男、であった。

「ごほん。成績順とは限りませんわよ」

「そうなの? 私も編入だしアスガルドのことはよくわかんないや」

「例年とくに規則性はなく、先生方のさじ加減だと思いますわ」

「へえ。で、出来てんの?」

「だ、だから出来ていませんわよ」

「ふーん」

(……何か、よくわからないけど胃が痛くなってきた)

 クルスはきゅ、となる己のお腹を押さえて、なるべくさっさと顔合わせを終わらせよう、そして、両方の倶楽部に顔を出して挨拶、後は予習でもしようかな、などと考えていた。とにかく今は時間が惜しい。

 今の自分では何もかもが足りないのだから当然である。せめてゼー・シルトがあれば、と去年と同じ悩みを引きずる自分に、クルスは自嘲した。

 そんなことに悩めること自体が無駄である、と。

「ふむ、集まったの。では、わしが名を呼んだら前へ進み出よ」

 四学年と一学年が集まった部屋、その中心に学園長のウル・ユーダリルがいた。

「四学年、クルス・リンザール」

「は、はい!」

 まさかいきなり呼ばれるとは、クルスは驚きに目を見張る。こういうのは大体首席のイールファスとか、フレイヤやデリングとか、その辺りが呼ばれると思っていたのだ。ちなみに周りもそう思っていたらしくちょっと驚いていた。

「一学年、アミュ・アギス」

「はぁい」

 場がざわつく。クルスは何故ざわついたのかがわからないが、とにかく外套の一学年の子と仲良くして、ディンがやってくれたみたいに学校案内とかすればいい。

 と、無理やり飲み込み前に進み出る。

 対面の一学年の子の表情を見てはいなかった。

「良き師として、また良き従として、共に歩みなさい」

「イエス・マスター」

 まあ見ていたところで、

「ノー・マスター」

「ファッ!?」

 ウルすらもびっくり仰天するような返しなど想像すらできなかっただろうが。

「この冴えない男より、アミュの方が強そうだから教わる気が起きませーん」

「あ、いや、でもね、こういう時はとりあえずイエスって答えておくもんだよ」

「なんで?」

「いや、その、空気を読んで、ね」

「空気読んだら強くなれんですかぁ?」

「……」

 クルス、撃沈。あまりの雑魚っぷりに四学年の仲間たちはため息をつく。

「アミュ、そこのルナ族なら教わってあげてもいい、カナ」

 まさかの逆指名。その指は真っすぐとイールファスへ向けられていた。挑戦的な眼である。負ける気がしない。全身からそんな感じのオーラが溢れ出ていた。

「別に俺は良いけど。でも、たぶんクルスよりお前、弱いよ」

「ハァ? アミュ、あんたと同じで推薦組なんですけどぉ」

「だから?」

「……ムカつく。おじさん、アミュより強いんですかァ?」

 年下の、赤毛が眩しい純血に近いソル族、アミュ・アギスがクルスを睨みつける。物凄く下に見られている。そりゃあもう地面見ているようなもの。

「いや、わからないよ。俺、君知らないし」

「……は?」

 四学年全員「出た」と頭を抱え、一学年の子たちも多くがクルスの言葉に驚いていた。ここに来てようやくクルスも気づく。

 まさかこの子、有名人なのでは、と。

「アミュが勝ったら下僕ね、おじさん」

「……え、ええ? マスター制度は?」

「アミュがマスター。おじさんが従者で下僕。それならいいよ」

 何がいいのかさっぱりわからない。クルスは助けを求めるためウルへ視線を向けるも、ウルはさっと視線を逸らした。

(お、大人って汚ェ)

 ただまあ、ウルが強く言えない『理由』のある子なのだろう。

「……アミュ・アギス。ソル族の名門アギス家の御令嬢で、今年の目玉ね」

 ミラがクルスに耳打ちする。

「目玉って?」

「御三家が引っ張り合いして手に入れた子ってこと。要はイールファスみたいなもん。理解できた?」

「理解したよ。俺、結構ヤバい?」

「さあ、あんた次第じゃない? 下僕君」

「おい」

 要は今年の一年、その首席となるであろう相手、と言うこと。

「ガッツじゃ、リンザール君」

「……クソジジイ」

 英雄への敬意が見る見ると下がってしまうのも、アスガルドあるあるである。ここより突然、マスター制度の根幹が揺らぎかねない決闘が始まる。

 一学年の特別枠、アミュ・アギス。

 四学年最下位、クルス・リンザール。

 夢の戦いが始まる。

「……あの先輩、クルスさんって言うんだ。いいなぁ、アミュちゃん」

 そんな言葉が何処からか漏れ出て来た、がこの世紀の一戦には関係がない。

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