第97話:さらばひとときの夏よ

 早朝、クルスは庭で昨夜の続きをしていた。ゼー・シルトを失って新しい剣を模索する。かつて、それはとても苦しい選択だった。導がなく、何処へ進めばいいのか見当もつかない。今は違う。今は知識が、見本が、たくさんの導がある。

 選び、試す。噛み合わないなら削ぎ落とす。

 その繰り返し。

「……」

 悪くない仕上がりになりつつある。元々一年通してものにしたソード・スクエアを、さらに深化させているのだ。悪くはない。間違いなく良くなっている。

 ただ、

「……ちっ」

 メガラニカで手にしつつあった確信に似た何か、あの感覚は無い。

 どれだけクオリティが上がろうとも見える気配がしない。

 それが少しばかりフラストレーションを――

「くぁ、早いな。出発の日ぐらいのんびりしてけよ」

「ノア。おはよう。ナンパは上手くいった?」

 屋敷から寝起きのノアがひょっこり現れる。

「上々。そっちも随分お上手になったな」

「おかげさまでね」

「やれんのか、それで」

 ノアの眼。それは冷静に今のクルスを見据えていた。

「やるしかないだろ?」

「剣を置く選択肢もあるぜ」

 彼らが天才なのは理解している。だけど――

「……君とシャハルは俺に剣を置かせたがるね」

 其処まで違うのかよ、と内心クルスは憤慨していた。自分はイールファスに、ソロンにも認められている。なのに何故、君たちはそうしてくれない。

 あの眼を何故、自分に向けてくれないのか。

「……人にはよ、向き不向きがある。向いていることをした方が人は幸せだし、向いていないことをやり通すのは辛いことだろ?」

「俺は騎士に向いていないと?」

「向いてねえな」

 即答。ノアは迷いなく言い切った。

「……」

「まあ、ちょいと語弊があるか。人を統率する才はある。メガラニカであれだけの才能を一つにまとめたのは、間違いなくクルス・リンザールの力だ。超天才のノア様でも、ユニオンが誇る有望隊長格のマスター・ガーターでもない。其処は認めている。素直にすげえと思ったよ。これは嘘じゃない」

 だが、続く言葉にクルスは言葉を失う。

 ノアの真摯な言葉、何よりも茶化す気配が欠片もない視線がクルスを刺す。

「地頭も悪くない。真面目で勤勉、使える才能だらけだ。オヤジに紹介したら二つ返事でそれなりの椅子を用意すると思うぜ。もちろん、最初は下っ端で経験を積んでもらうと思うがな。いくらでも道はある。騎士だって、お前さんが見つめている場所でなければ、噛み合う職場はあるさ。すでにそれだけのものは備えている」

「……俺の志望先、君に言ったことがあったかな?」

 ノアは「ハッ」と吐き捨てて、

「見りゃあわかる。ユニオン騎士団、初めから天辺しか見てねえだろうが、お前」

 一発で言い当てられた。

「俺がユニオンを目指そうと思ったのはフレンと話したから――」

「違う」

「え?」

「それは言語化しただけだろ? 少なくとも俺様が初めて見た時からお前は上しか見てなかった。だから俺はお前を認めているが、同時に認めてねえんだ」

「……」

「ユニオンなんてその辺の国立騎士と給金変わらねえし、私設の騎士団から好待遇引っ張り出せば倍、三倍は稼げるぜ。会社を興せばその百倍は稼げる。俺様のノア麺のレシピをくれてやってもいい。千倍は稼げるだろ、それで」

「……なら、何故君はユニオンを目指す」

「そりゃお前、俺はそう生まれたからだ。だから、責任がある」

 一切の迷い無くノアは言う。

 己は選ばれた者である、と。

 実に羨ましく、実に傲慢で、実に腹立たしい回答であった。

 持たざる者からすれば。

「それに言ったろ? 向き不向きがあるって。会社の長なら、俺よりお前さんの方が向いてるよ。だから言ってんのよ。もったいない、ってな」

「……上からだね」

「お前が其処を目指す限り、俺が上でお前は下だろ」

「覆すよ。いつか、必ず」

「……ったく、人が善意で言ってやってんのによぉ」

「大きなお世話だ。俺は成るよ、秩序の騎士に」

「いばらの道だぞ?」

「今までもそうだった。これからもそうなるだけだ」

「……頑固な野郎だ」

 ノアは寝ぐせの付いた髪をかき、静かに諦めた。目の前の男を諦めさせることを。短い付き合いだが、自分を天才だと、別の生き物だと差別せずに過ごしてくれた数少ない相手だから。友達だから、幸せになって欲しかったのだが。

「でも、ありがとう、ノア」

「……ハッ」

 その想いは、一応伝わっていた。その上で拒絶しただけで。

「ところでシャハルは?」

「おン? ああ、あいつなら俺と入れ違いで出て行ったぞ」

「ええ!? そんな、挨拶もなしに」

「また会おう、ってさ」

「……薄情だなぁ」

「……そうか? むしろ俺は驚いたけどな」

「何が?」

「ああいう研究者にしちゃ、随分と人間味はあったな、ってな」

「研究者? 医者じゃなくて?」

「……あー、何でもねえ何でもねえ。あいつが知らせなかったことを、俺が教えるわけにもいかねえだろ。だからお前も気にすんな」

「意味がわからないよ」

「気にすんなって言ったろ。ほれ、飯にするぞ飯に。エウエノル家はな、客人に腹を空かせるなって家訓があるんだ」

「へえ。良い家訓だね」

「だろ? 今作った。で、何食いたい?」

「肉」

「其処はノア麺って言えよ!」

「昨日食べたから」

 クルスがレムリアを、レムレースを発つ日。其処にもう一人の姿はなかった。神出鬼没、いきなり現れて、いきなり消える。


     ○


「探しましたよ、レイル様」

「やあやあ。君にしては冗談が上手いねえ。探し終わっていました、だろ?」

「まあ、そうとも言いますね」

 シャハル、レイル・イスティナーイーの前に忽然と現れた同じルナ族の女性。それなりに目立つ外見だと言うのに、行き交う人は誰も視線を送らない。

 まるで空気のように、通り過ぎていく。

「そろそろお戻りください。皆、お待ちしております」

「あはは、これまた笑える冗談だ。忌み子のボクを一族の誰が待ち望むと言うんだい? まあ、忌み子も随分と増えてはいるけどねぇ。インブリードはよくないよ」

「そうでしょうか? そのおかげでレイル様のような不世出の天才を排出できたのならば、血統のみを誇る愚かな一族にも存在価値はあったかと思います」

「……君も随分言うようになったじゃないか」

「恐縮です」

 インブリード、近親交配は数多の生物にとって禁忌とされている。血が濃くなればなるほどに欠陥が、障碍が発生する可能性が高まり、それゆえに多くの国で近親婚は禁じられているのだ。

 しかし、極稀にインブリードは奇跡を起こす。数多の犠牲と引き換えに普通ではありえない怪物を生み出すことがあるのだ。

 レイルもまたその内の一人、である。

「ああ。そう言えば彼、君の親戚筋とお友達らしいよ」

「クルス・リンザールですか。エリュシオンの双子、ですね」

「そう。しかもどちらとも仲が良いと言うのだから、ふふ、不思議な話だね」

「……白い方とも、ですか?」

「そう。其処が彼の面白いところ。排他的な環境が、世俗の当たり前を寄せ付けなかった。だから彼は、ボクらへの差別意識を持たない。持ち得ない」

「気に入られたのですね」

「必死にお持ち帰りしようとしたぐらいにはね」

「……レイル様が、ですか?」

「それ以外誰がいるんだよ。おや、君にしては珍しく、気配が漏れ出ているねえ」

 表情一つ変えず、その女が踏みしめる石畳が、割れる。

「それを断った、と」

「不敬だろう?」

「万死に値します」

「でも、其処が良いんだ。もし、彼に手を出したら……許さないから」

「……っ!?」

 怒りと共に気配が消える。しゅん、と。

「で、わざわざ君が現れたってことは何かあるんでしょ?」

「マスター・ゴエティアより共同研究の依頼です。災厄の騎士、その遺骸が手に入ったそうで、そちらの解剖及び研究を、とのことです」

「ああ、やはりそちらへ回ったのか。気になっていたんだよね、あの研究材料が何処へ流れるのかが。ま、何処に流れようとも、ボクに話は来るのだろうけれど」

「では、請ける方向でよろしいですね」

「もちろん。だから休学の手続き、よろしくね」

「承知いたしました。これで何度目の四学年、でしたかね?」

「さあ、忘れちゃった。でも、次は進級するよ」

「……ほう?」

「ほら、怒らない怒らない。別にさ、彼だけが理由じゃないから」

「風?」

「世界が動き始めたのさ。ゆっくりと、でも、着実に。ボクはそれを特等席で見物したい。叶うなら、演者としても楽しみたい」

「どちらも、ですか。さすが、強欲ですね」

「そうとも。ボクは強欲なのさ。だから哲学者君、また会おう。次会う時、君がどう成っているのか。ボクは今から楽しみで仕方がないよ」

 ラーと言う国には世界宗教と化したメガラニカでも踏み込めていない。かの国には国教があるのだ。それがラーの背骨であり、芯である。

 ゆえにかの国には王がいるも、その上に宗教一族がある。双聖、イスティナーイー家はその内の一角であり、生まれながらに王の上に立つ。

 されど彼は一族から排出された忌み子。生物的に重篤な欠陥を持ち、次代へ繋げる機能そのものが存在しない。

 ただし、その才は本物である。

 ゆえにレイルは二つの意味で特別な存在であるのだ。

「さて、楽しみだなァ。騎士級の遺骸、ボクの玩具」

 子どものような笑みを浮かべ、レイルはシャハルを捨て巣に戻る。

 進歩のためならば何をしても許される、魔窟へと。


     ○


「オェェ」

「じゃあな、ま、元気でやれや」

「……君も安全運転で帰ってね」

「俺様はいつでも安全運転だっての」

 見送りはノアだけ。

「ありがとう」

「おう。またな」

 クルスはノアとハイタッチし、彼から踵を返して駅の方へと進む。

(……明らかに向いていない。だけど、それでも行くんだな)

 前へ。

 騎士に成るために。

(馬鹿過ぎだぜ。でも、もし、もし、折れずにそのまま貫き通したら、どう成っちまうんだろうな。生意気にも、最低条件だけは最初からクリアしてるからなぁ)

 ノアは苦笑する。

 自分の才能を知り、ラビが失ったもの。周りから消えたもの。それをあの男は未だに持っている。その眼にありありと湛えている。

 決していいことではない。絶対に別の道の方が幸せになれる。

 だけど、

(もし、四人目がいるなら……お前なんだろうな)

 諦めない。妥協しない。その鉄の意思が、もしかしたら何かを捻じ曲げるかもしれない。その気持ちが、上を目指す最低条件であるから。

(ま、万に一つもねえだろうが。とりあえず達者でな、クルスよ)

 気持ちひとつで何処まで登れるのか。それは見物だ。彼を友人と思うのならば、その道は勧めたくはないが。されど、もう一つノアの中に在る感情は語る。

 その眼のままで、在って欲しい、と。

 ノアもまた身をひるがえし、前へと進む。互いに進む道は違う。

 だが、目指すべき山巓は同じ。

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