第96話:努力

 時代の変革、革命の風を感じた食卓は無事終わり、クルスは庭で自身のフォーム、その調整を行っていた。ソード・スクエアは基本中の基本ゆえに選択肢が多く、広い。だからこそ使い手によってかなり違ってくる型、とも言える。

 工夫しがいがある、裏を返せば型と言うには広過ぎる。何でもありが持ち味であり、何でもありが欠点でもあるのだ。

 加えてクルスは現在、極力前で捌かねばならない理由もある。通常のソード・スクエアでは頻度こそ多くないが、引いて守る動きも当然あるので其処は削り、他の動きで補完する必要が出てくる。

 どの動きを軸に、どういう選択肢を採用するか。

 見本はテラ、それに違う型でも取り込める部分はある。フレンやディンが使うフー・トニトルスは攻めて相手の攻撃を実質的に受ける動きを多用するが、それはクルスの現状から採用価値が高いと判断する。

 ただまあ、そう言う工夫は一朝一夕にはいかぬもので――

「うわっと」

 オフバランスで大きく動こうとした矢先、姿勢を制御し切れずにクルスは庭の芝生に倒れ込んだ。バランスを崩し、安定を得ると言う矛盾。その矛盾の代償がコントロールの難しさ、崩れた時の致命的なまでの隙に繋がる。

 だが、何かを失った分、何かで埋めねば始まらない。

「……よし」

 今は立ち止まる時ではない。

 そんな様子を遠巻きに、

「……何であいつ、今更ソード・スクエアの練習してんの? しかもめちゃ変則の」

 事情を知らないラビがノアとシャハルに問う。

「テラ見て感化されたんだろ? 知らんけど」

「ふーん。なーんか誤魔化されている気がしたけど。ま、別に構いませんがね」

 ノアの誤魔化しはお見通し、とばかりの軽い反応。

「あいつ、割り切れると思うか?」

「……はぁ?」

「本気で目指してんだよ。たぶん、俺たちが目指しているところに」

 ノアの言葉にラビは眉をひそめる。俺『たち』、彼女は其処に自分含めた三人しかいないことを知っていた。かつてはその三人を知らず、自分がいた場所。

 競い合える、彼にとって大事な仲間の座。

「結構イイ線行くんじゃないの? メガラニカでの進化を見てるとさ」

「……イイ線はな。状態は度外視しても結構上まで行くと思うぜ。それこそ御三家の団、その中核を担える人材にはなるだろ。長向きだし」

「評価高っ!?」

 御三家の団、つまりログレス、レムリア、アスガルドが誇る国立騎士団のこと。それぞれ長い歴史と確固たる実力、優れた教育機関から排出される人材を抱え、国家の剣として盾として、民を守り続けてきた最上級の騎士団である。

 その中核と言えば、それこそ御三家の首席クラス。普通に考えたなら最上級の誉め言葉であるし、素晴らしい評価である。

 だが、

「でもな、最高じゃねえんだわ」

 最高、それらは最も高き所ではない。

 ノアはそれきり何も言わず、庭へ降り立ち歩き出す。

「ノア、どうしたの?」

「ナンパだ。しばらく休んでいたから勘を取り戻さねえとな」

「ふぅん」

 クルスの隣を通り抜け、そのまま門を潜って歩き去る。ビーチでの惨敗が在ろうともへこたれない男だなぁ、とクルスは感心していた。

「私も帰るわ」

「うん。また学校で」

「へーい」

 ラビも家に戻る。ちなみに明日クルスは学校へ戻るためレムリアを発つが、ラビはその次の日を選んでいた。理由は女性陣に目を付けられたくないから。

 クルスは理由を聞いても首をかしげていたが。

「そろそろ上がりなよ。折角だからマッサージと針灸のフルコースで体を弄らせて欲しい。腕は君も知る通りさ。どうだい?」

「魅力的だね。でも、もう少しだけ」

「……全く、ボクの価値を君は理解しないねえ」

 クルスはまた修練に没頭する。一つ一つ、同じような動作でも微妙に違う。ああでもない、こうでもない、と。それは考えている証拠である。

 脳に汗をかいている証拠である。

「剣を振るだけなのに、何がそんなに楽しいかねえ? ボクには理解出来ないな」

 剣を振る喜び、クルス・リンザールをシャハルが、レイル・イスティナーイーが見て理解できたのは、渇きを、飢えを与えられていること。

 剣を振ること自体が喜びと感じるよう、あらかじめ設定が為されている。貪欲に、情熱を持ち、剣に身を捧げる。

 そういう教育が施されている。

「……確かに、凡夫をその水準に引き上げるためには、好きと認識させねば始まらない、か。ただね、結局同じ好きなら、才能が勝るんだよね。どの分野でもさ。好きこそものの上手なれと言う言葉には、才能による達成感が含まれていないから」

 常に向上し続けられる。そんな夢のような話はない。クルスから話を聞く限り、彼の設計者は極力、その達成感をこまめに味わえるよう最初に彼を歪な形状で組み上げた。その結果、彼は少しずつパーツを埋める、と言う垂直に積み上げるよりも比較的楽で、わかりやすい達成感を、段階を経て味わいながらここまで来た。

 無論、楽な道のりではなかった。あまりに楽が過ぎて、簡単に埋め切ってしまえば停滞が来る。その辺りのさじ加減も絶妙。

 万能の天才シャハルをして、おぞましいほどに先々まで計算された作品、と評する。だが、おそらく彼が万全であったとしても、一年の学校生活、努力の上位互換であるソロンとの邂逅、メガラニカでの学びで、その欠けはほぼ埋まり尽くした。

「壁にぶち当たり、停滞を経て好きが嫌いに転ずるケースは多い。誰にでも停滞はあるよ。ボクにもある。だけどね、才能はその期間を縮めてくれるのさ。だからボクらは自分の領域を好きで居続けることが出来る。果たして君はどうかな?」

 ある意味今回の件は、そう言う意味では天啓なのかもしれない。

 設計者、『先生』がかけた魔法はもう、万全であっても消えていただろう。今回の障害がこれからの彼にどう寄与するのかはわからない。

 ただ一つわかるのは――向上したからこそ壁にぶち当たると言うこと。

 誰しもに訪れる地獄。

 クルス・リンザールはその中でもあの貌を浮かべ続けられるのだろうか。剣を愛し、剣に寄り添い、剣と共に生きる。

「実に興味深い男だよ、君は」

 地獄を経てなお、それが出来るか否か。

 同種(天才)には興味がない。何故なら自分ですでに観測済みだから。だが、頂点を目指す凡人と言うのはなかなかお目に罹れない。今のクルスに至るより、ずっと手前で大体の者が知るから。

 本物と偽物の差を。

 心が折れるのだ。残酷なまでの『差』を理解することで。


     ○


 ラビ・アマダは苦い笑みを浮かべながら、その光景を見つめていた。最近、パタリと止んでいたため、何かあったのかと推察はしていた。あの男が自分の好きなことを途切らせる場合、その理由の大半は彼の周囲にあるから。

 とにかく大人数で遊ぶのが大好きな男が、自分やその周囲に声をかけずにこそこそしていたのがその証左、である。

「……」

 少し離れたところで汗を流すノアを見て、ラビは考え込む。

 おそらくはクルス、か。ラビはクルスに好感はあれど好意はない。ただ、自分たちに火をつけてくれた恩義は感じている。彼が来るまで、本当に下位の連中、いや、中位もまとめて腐った魚の目をしていたのだ。

 向上心など持ちようがない。身近にノアがいた自分はともかく、大半は噂程度でしか知らず自信満々に御三家アスガルドの門を潜った。

 そしてすぐ、一位にはなれませんと突きつけられたのだ。ならば二位は、と思えばフレイヤやデリングがいて、本来首席クラスの才能を持つフィンたち上位陣がかすむほどの差があった。特に一年の頃は如実に、事前に騎士を叩き込まれている騎士の家とそうではない家の差があったから。

 騎士の家でも名門とそうでないところの差はあったが。

 腐り、澱み、萎える。

 正直言えば、ラビ自身ド底辺のクルスに拳闘で土を付けられた時、敵愾心から努力を再開して向上の喜びを思い出すまでは騎士に成る気すらなかった。

 適当に学校生活を終えて、親の会社に勤めるかどこかの誰かと結婚して家庭を設ける。そんな感じかな、と将来設計をしていたのだ。

 他もおそらく似たようなものだろう。クルスのように成れねば何者にも成れない。そんな者は金のかかる騎士の学校にはほとんどいないから。

 そも、騎士学校に入る時点で莫大な教育費がかかるのだ。受験は上位行ほど熾烈を極め、その攻略のためにマネーゲームが繰り広げられる。

 クルスのような存在は稀有。そんな彼の熱情が自分たちを引き上げてくれた。だから、無事でいて欲しい。頑張って欲しい。

 ただ――

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 静かに、粛々と、人目につかぬ場所で日々努力する天才を知っているから。クルスが其処に至るとは露とも思わない。

 ノアの場合はもっと切実。基礎体力が此処まで向上したから今でこそ健康優良児の見本のようだが、昔は基礎体力をつけるための体力がない、と言った具合に病弱だった。魔力量異常の弊害、ただ日常生活を送るだけでも消耗は激しい。

 ヴァナディースなどでも良く取り沙汰される、幼児期の魔力量異常者の死亡率はかなり高い。確かフレイヤも兄や妹など幼児期に失っていたはず。体力がつくまでの期間、彼らは常に生死の狭間を彷徨い続けることになる。

『ラビちゃん。ぼく、死にたくないよぉ』

 咳をしながら、細く小さな手で救いを求める弱い彼のことを覚えている。生きたい、その切実な思いで一緒に毎日駆け回り、体力をつけた。

『びえええええ! 叩かれたぁ!』

『あに? どこのどいつだ!』

『あいつ』

『オラァ! わたしの子分をいじめんなぁ!』

 デッドラインを越えた彼は少しだけたくましくなったが、それでもへなちょこで泣き虫で、よく鼻水を垂らしていたっけか。

 いつも手を繋いで、何処へ行くのも一緒だった。

 だけど、いつからだったか――

『ラビちゃん、一緒に先生のとこ行こうぜ。勉強しないとレムリア入れないぞ』

『はいはい』

 ノアは鼻水を垂らさなくなった。泣かなくなった。どんどん、強くなった。女の子の方が一般的には早熟なはずなのに、いつの間にか背を抜かれていた。

『っし! ラビちゃんに勝った! もう一戦やろうぜ!』

『……きょ、今日は、遠慮しとこう、かな』

『へ? らしくねえよ。何言って――』

 あの日、二度と肩を並べられないと直感した。それからほどなくして喧嘩をした。子どもだったから。思っていること全部、口に出してしまった。

 その結果、

『アマダ』

 ノアはラビと、人と距離を作るようになった。それまでこれ見よがしに努力する姿を、健康な自分を、皆に安心させるために見せて来たのに、彼は隠れて努力するようになった。いや、まともに努力すらしなくなった。

 誰もついてこられないから。

 寂しいのが嫌いなのだ。昔から誰かと手を繋いでいたいやつだったから。

 根は変わらない。

 でも、

『アマダ! ログレスとアスガルドにすげえやつがいるぞ! 特にログレスのやつがすげえ。マジでビビった! あー、くそ、俺もレムリア受験せずそっち行けばよかったなぁ。取り消せるかな? いや、でも、敵の方がいいか。それもそうだ』

 二人の仲間を見つけて、彼は変わった。元々、競い合うのが好きな男なのだ。一人で突き進むのは嫌いだけど、誰かと一緒に進むのは大好き。

 もう、其処からは今の貌つき。

「かぁ、ちょっとサボったらすぐ体力が落ちやがる。天才は辛いぜ」

 ノアは安心して、努力を積むことが出来る。思うがままに、笑顔で、二人の存在に感謝しながら、全力全開で積み上げる。

 誰が彼に、彼らに勝てると言うのか。

「っし、あと千本は走るぞ!」

「千本って……相変わらずアホねえ、あいつ」

 メガラニカでも夜、ナンパへ行くと下手な言い訳を打ち、同じように努力し続けていた。一朝一夕ではない。子どもの頃から一貫して、理由は違えど彼は積み続けている。自分のせいで一時中断させたが、仲間のおかげで絶賛継続中。

 努力する天才に凡人はどう追いつく。

「この馬鹿に勝つ? ふふ、寝言は寝て言えってね」

 ラビは騎士を目指すつもりだが、ノアと同じ道を辿ろうとは思っていない。追いつこうと言う気もない。この姿を見て、知って、自分も、と思うのは傲慢である。

「……頑張れ、ノア」

 ノアにはノアの、ラビにはラビの、天才には天才の、凡人には凡人の道がある。それを覆す時に立ちはだかるのが、彼ら努力する天才たち。

 息をするように努力をする。天才は天才を知る。天才同士の切磋琢磨、そう言う世界がある。遠くても繋がっている。

 彼らの敵は彼らだけ、彼らの仲間もまた彼らだけ。

 この世界に凡人が割って入る隙間など、無い。

 少なくともラビはそう思っていた。

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